112.雷轟く戦場
この場に有り得るはずのない人物。
聞こえないはずの声だった。
一瞬夢かと思ったほどの。
「充……?」
出てきた言葉に思わず振り向く。
闇夜の中、正門にほど近い場所に佇むひとりの美女。
忘れるはずもない。
「……エッセ?」
まるで口にしてしまえば夢から覚めてしまうとでもいうように、恐る恐るの声が口から洩れた。
だがそれでも目の前の光景は変わらない。
衣装は見たことのない糸を束ねて作られたかのように艶やかに淡く光り、そしてそのたなびく銀の髪も負けじと存在を主張していた。
どうしてここにという疑問。
本当に本人に間違いないのかという不安
羅腕童子から庇ってもらった礼。
浮かんだどれを出そうか考えをまとめる間もなく、彼女は悠然と歩を進めてきた。
その表情がまるで能面のように無表情で冷たいことに気づく。
「ふむ、どうやら勝敗はついておるようじゃな」
口調も声も記憶にある彼女そのもの。
どくん…ッ。
なのになぜ。
こんなにも気圧されるのか。
頭の中の何かが警戒を告げている。
「…ッ」
「なんじゃ、久方振りの再会というのにツレない態度じゃの。
こういうときは感情たっぷりに抱擁を交わすところじゃろうに」
「エッセこそ……なんで。い、いや、勿論再会出来て嬉しい、けど」
「愚問じゃな。あの羅腕童子との戦いでわらわがその腕に仕込んでおいた意識は破壊され戻ってくることになったが、それはあくまでそれだけのこと。おぬしと接触することは叶わなくなったがの、本体はびくともせぬ」
それはわかる。
あれはあくまで治療した際に、オレの要望があったから会話が出来るように意識を残してくれていただけのことだと。
電話で言えば子機。
いくら子機が不通になったところで、それで親機が通信不能になるようなことなんてない。
それはわかっている。
オレが聞きたい疑問についての答えはそれじゃあない。
「しかし…わらわがおぬしの元を離れてわずか数日。まだあの時点では遠い話じゃったが、よもやこのような短期間で上位者を下すようになるとはの」
「………色々あったんだよ」
「ふむ…確かにわらわが庇った羅腕童子にあれからどうやって勝利、もしくは逃走に成功したのか気になるところじゃな。その様子を見ておるとどうやら前者なのじゃろう?」
頷く。
とはいえ勝った理由が、エッセが倒されたことに怒り心頭で能力を使えるようになったからです、と言うのはちょっと恥ずかしい。
「ああ、待て。皆まで言うでない。その様子からわかるからの。どういった経緯かは知らぬか能力を使えるようになったのであれば納得じゃ。
そうでなくば上位者相手に太刀打ちできるはずもあるまい」
「とりあえずそういう認識で構わないよ。それより……」
納得したように微笑むエッセに問う。
「どうしてエッセはここに?」
答えはすぐに返ってきた。
「愚問じゃな。わらわは何じゃ?」
「……?」
頭を巡らす。
そしてすぐに言わんとすることに思い当たった。
「そう、GM…つまり管理者じゃ。不測の事態が生じれば当然そこに足を運ぶのが生業じゃ。例えそれが自らが選びとったものではないにせよ、の」
不測の事態。
つまり今がその状況ということを暗に言っている。
「わらわはお主に告げたはずじゃの。ある者たちにとってこの世界はゲームなのじゃと。
では考えてみるとよい。主役であるはずの主人公が大量に倒される。もしそれが魔物などの予め世界が設定しておった敵であれば問題あるまい。
しかしそれが一般NPCの手によって、しかも主人公の能力を奪って自己成長する存在の手により引き起こされた事態だとすれば、当然看過できぬ異常であろう」
異常であればどうするのか。
普通に考えればその原因を取り除くしかないだろう。
逸脱した者。
そういう名の原因を。
「…………」
無言のまま距離を測る。
近づいてきたエッセからオレまでの距離はおよそ15メートルといったところか。
突然耳を打つ小さな音。
ばぢん…ッ。
音の理由はすぐに明らかになった。
進みいでてきた彼女の背後、そこに現れたいくつもの黄金色の光の塊。
絶縁体であるはずの空気中に出現した雷の球。
時折輪郭をゆらめかせつつ美女の周りを漂うそれはある意味とても幻想的な光景。
「ようやく理解したか」
つまらなそうな言葉に一言続ける。
「“鎧化”」
雷球が集う。
ばらっとくす玉が弾けるようにヒビが入って割れ、そこから出てきた電撃の糸が絡み合うようにエッセの体に纏わりついていく。
異変の結果は即時に現れた。
「………よ、鎧?」
彼女の身を包む黄金のように輝く光の鎧となって。
高校という学び舎に似つかわしくない…というよりもこの国そのものに似つかわしくない頭部以外の全身を覆っている金色の全身甲冑。肩口や背面などところどころ鋭角に突き出している部分も含めて全体的に流線型のデザインで、胸元から左右に脇腹を経由して真っ直ぐ伸びている長さ1メートルほどのリボンのようなものだけが白くアクセントになっている。
淡く輝き輪郭をブレさせながら時折帯電したような音を立てている。
傍から見れば単なるコスプレのようにも見えるが、面と向かって見ているオレにとっては確かな質感と存在感を感じさせていた。
「どの程度まで使ってもよいかわからぬから手探りですまぬな。
ただひとつだけ言っておくとすれば―――」
どうしてかわからない。
そのときに脳裏に過ぎったのは蛇。
口を大きく開き、今まさに獲物を飲み込まんとするその瞬間の光景。
「―――今のわらわはお主の“敵”じゃ」
たとえアテがないとしても、羅腕童子と伊達政次というふたつの仇を倒して元の生活に戻りたいオレにとって、わかっていて尚最も聞きたくない言葉。
だがどんなに否定したくとも目の前の女性から放たれる圧力は紛れも無く戦意。
混乱する頭をよそに体が反応した。
どぶんっ!!!
総毛立つ感覚と共に一気に“簒奪帝”の湧き出す圧力が上がる。体に纏わりついていく赤黒い液体は噴き出しながらもどんどん密度を上げていくように体積を一定に保ち、再び甲冑のように体の表面へ防護を形成していく。
ずぞぞぞぞぞ……ッ。
白と黒。
黄金と深紅。
期せずして対照的に力が体を覆い合う。
一体エッセがどんな力を持っているのかはわからない。
だがまったく対抗できぬということはないはずだ。少なくとも何十人分も主人公の能力や技能を奪っているのだから。
「そこまで具現化できるようになっておったか。重畳重畳」
「エ、エッセ! 待って!」
「ふふふ…それではちと遊んでやるとしよう」
ばぢばぢばぢばぢ…ッ。
鎧が帯電の音を強くする。
オレの静止の言葉に聞く耳持たないとばかりに彼女は紡いだ。
「“雷吼”」
鈴のなるような声による短い句。
同時に直径50センチほどの雷の球が鎧の中から飛び出し弾ける。
刹那。
光る。
ドォォォンッ!
「……ッ!!?」
遅れてやってきた破壊音にようやく気づいて振り向く。
そこにあったのは屋上、ペントハウス部分が吹き飛んだ部活棟。
雷の塊が弾けた瞬間、内部から飛び出してきた雷がオレのほうへと殺到してきたこと、そして少し外れて背後にあった建物へと到達したことをようやく理解した。
「久方振りにつかうと照準がズレるの。まぁ仕方あるまい」
呑気にそう言うエッセとは対照的にオレは言葉を失った。
通常自然の落雷はあそこまでの破壊をもたらさない。確かに危険ではあるものの建物の中に入っていれば建物を流れて地面に出ていってしまう程度のものだ。
だが彼女が放った雷は軽々と屋上の建屋を吹き飛ばした。
発動してから攻撃目標に届くまで一瞬。破壊音が後から聞こえてくるほどの雷の速度。それは視点だけで発動する“無限の矢”に匹敵する。
いや、確かにアレも恐るべき技ではあったが人一人を吹き飛ばす程度の破壊力なのだから、純粋な破壊力の分だけこちらのほうが上だ。
煙狼の特性から物理攻撃は無効になっているが、どう見てもアレは魔術とかそういう攻撃に見える。下手な期待はしないほうがいいだろう。
「ふふん。驚いておるようじゃの?
今のわらわは管理者としての役目として動いておる。つまり管理者として許されている力を存分に使えるという話じゃ」
役目の傍ら余るかすかな力を少しずつ集めそれを使ってオレを治した、と彼女はかつて言った。その長い年月を賭けたのがオレなのだと。
だが今の彼女は違う。
余剰分の力をオレに託してしまったせいでロクに力も使えずに羅腕童子にやられてしまった時とは違うのだと、そう告げていた。
「じゃが…当たらぬのであれば、誤差を埋め当たるまで放てばよいだけのこと―――“三連雷吼”」
ばぢんっ、ばぢぢっ!!
鎧から再び浮き上がってこようとする雷球。
今度は3つ。
……不味いッ!!
「…ワルフッ!!」
飛び出る煙狼。
オレの命令に基づいて即座にその体から煙霧が吹き出す。直撃した場合の防御が期待できないのであれば、視界を遮断することで狙いをつけられないようにするしかない。
だが1テンポ遅かった。
雷光が疾る。
出かかった霧を抉るかのように伸びる光。
「……ッ!!」
一度放たれてしまえば、それは知覚できる速度ではない。
放たれたうちの一発が直撃。
全身に閃く衝撃。
瞬間、意識が暗転した。
どれほど経っただろうか。
次にやってきたのは顔に何かがぶつかる衝撃。
そのせいで意識を取り戻したオレは思わず動き出そうとする。
「………ぐ…ッ」
だが動かない。
目の前に押しても引いてもビクともしない壁がある。しかもその壁に体が引きつけられているかのようにくっついており、力を入れようにも力が入らない。
五体の感覚はある。
手も足も何もかもちゃんとついている。
だがなぜか力が入らない。
「なかなかの防御力じゃの。予想通りじゃ」
空から降ってくるエッセの声。
思わず見上げると、はるか上。そびえる壁に垂直に立つように彼女はいた。
そして理解する。
この壁が地面であることに。
道理でどんなに動かそうとしても動かないはずだ。
どうもさっきの一撃で意識を失い、そのまま倒れて地面に顔面から激突することによって意識を取り戻したらしい。
体に力が入らないのはどうやらさっきの雷で体を走る電気信号がぐちゃぐちゃに乱されている、つまり痺れている状態だからというわけだ。
よくよく冷静に確認すると体の至るところが焦げている。
「一撃で倒れたことを恥じ入る必要はないぞ? むしろ誇るがよい。
これが羅腕童子程度の防護であれば先の一撃で決着がついておる」
もしこれが普通の落雷であれば人体に直撃した場合、過大な電圧と電流が原因でショック症状を起こしてしまったり、心臓が止まってしまったりして死亡していてもおかしくない。
ましてや空気中を任意の経路で飛ばす今の攻撃であればそれ以上の破壊力を持っているだろう。少なくとも建物を一部とはいえ破壊するだけのエネルギーを持っているのだ。その直撃を喰らった地面に倒れた衝撃だけで復活するというのは有り得ない。
なんとか首をかすかに動かしてみれば、全身を被っていた“簒奪帝”が半分くらい消失していた。
多分これを纏っていたおかげで威力が減衰されたんではないだろうか。
もしかしたら普通に直撃喰らって一度心臓が止まってしまったところを鬼の再生能力で動き出した、とかいう可能性も否定できないが。
「しかし充、その体勢のままでは不味いのではないかの?」
冗談めかすような口調で彼女は言う。
まるで出来の悪い生徒に教え諭すようにゆっくりと。
ばぢんっ!!
その鎧から再び夜の世界に新たな光が生み出される。
「何も直撃雷だけが雷の恐怖ではないぞ? ―――“雷吼”」
「…ッ!!!」
言うなり彼女はその雷を再び弾けさせ生み出した雷光を解き放とうとする。
オレが倒れている場所近くの地面へ。
「………ぅ」
咄嗟の行動だった。
そうすることに確信があったわけじゃない。
ただ必死だった。
「~~ぅぉぉぉぉっ!!」
痺れている体は動かない。
ならばどうするか。
答えはひとつだ。
“簒奪帝”を発動。
そのまま赤黒い気流を前面、つまり地面に向けてだけ全力で噴き出す。
どぉぉぉっん!!!
紙一重。
それも随分と薄い紙の一重。
それくらいのタイミングで雷が地面に直撃、大きなクレーターをその場に生み出しながら溢れた電光がそのまま大地を逃げる。勿論オレが浮かせた体の下も通って。
わずか30センチ。
それだけ体を浮かせたことでなんとか事なきを得た。
「……くッ」
いくらか痺れが取れた膝をついて再び地面と接触する。
もくもくとクレーターの爆煙がオレの周囲を覆っているのを見ながら震える。
なんとかなると思っていた。
いくら彼女が襲ってきたとしても、今のオレならそれなりに対処できるだろうと。攻撃が出来ないくらいに無力化するくらい可能ではないかと。
根拠はないが、なんとなくそう思っていた。
その考えが甘かったことは一目瞭然。
「少し趣向を変えるとしよう。“天震轟災”…いや、そこまでしては面白くもなし。
せめて“閃焔”か“崩風”程度ならばよいか」
少し首をかしげている彼女を見ながら思う。
なんとかなる、どころではない。
殺す気でいかなければ殺されるほど圧倒的戦力差。
それで尚生き残れるかわからない。
そういう相手だと悟ったから。
悦びに震える。
どうして喜悦に塗れているのかはわからない。
大切なはずの彼女に殺す気で立ち向かうことがなぜこんなにも愉しいのかわからない。
だってエッセと殺す気で戦うなんてできるはずが―――
ザ…ザザザ……ッ。
―――? あれ?
一瞬だけ頭の中が赤黒い色で塗りつぶされて戻る。
まるでスイッチが切り替わるように、さっきまでの考えへの違和感は霧散した。
わからない。
そう、わからないのなら。
きっと些細なことだ。
コロしてから考えればイイ。
「ふむ……もうすこしこれで遊んでもらうとしよう。―――“九連雷吼”」
結論が出た彼女の周囲に浮かびあがるは雷球。
必殺の威力を持つその数はおよそ9。
迷わずオレは“傲慢なる門”を解放する。
「そうじゃ。生き残るためには本気でかかってくるしかない。思う存分喰らうがよい。
おぬしが食中毒を起こすほど満腹にしてやろうぞ」
悠然と微笑む彼女のその言葉が死闘の始まりとなった。




