108.揺れる勝敗と決着
爆ぜる衝撃。
目を白黒させている間に地面に墜落。
「が……ぁぐ…ッ」
苦痛に呻く。
体を霧化させている御陰で、着地が体からになってもなんとか落下ダメージを殺すことには成功。
だがさっき落下中にもらった一撃に多大なダメージを与えられたことには変わりがない。胴体からどくどくと血液が流れ出していく。
右腕の再生も終わらないうちに次々とダメージが溜まっていく状況に思わず顔が歪む。ジリ貧という言葉がぴったりだ。
特にさっきの鎮馬を殺した不可視の一撃については、“簒奪帝”の護りがなければ体が裂けていてもおかしくなかったし。
侮っていた。
性格がどうであれ上位者だ。
やはり力押し一辺倒で倒されてくれるほど甘くない。
「………小細工するしかないなぁ」
ごぷん…っ。
何度目かになるかわからない液体に潜る感覚。
奪った霊力は数値にすれば合計で728。術師のほうが平均霊力は大きかったから実際はそんな単純じゃないのだろうが、20人そこそこから奪ったので一人あたり平均36とかそんなものか。これを使い切る前になんとか倒さなければならない。
ぞわり、とした感覚。
「…っ!!」
左足が爆ぜた。
ぐら、っと体が倒れそうになるが赤黒い気流が足の代わりに支えてくれる。
避けることが出来ない。
それも当然。
見えないものをどう避けろというのか。
最早一刻の猶予もない。
「……来い、ワルフ!!」
体から煙狼が吹き出す。
そして同時に奪ったばかりの技能を使う。
―――式神召喚。
奪った符を投げると同時、オレの周囲に体格の違う赤黒い鬼たちがまるで幽鬼のように立ち上がる。出現した煙狼と鬼たちの目標は言わずもがな伊達政次。
幸い鬼たちは巨体。これで視線を遮ることが出来る。
鬼たちが校庭に突撃するのに紛れ、再生能力に過剰過ぎるくらい霊力を注いで足を急速治癒させる。
ぉん…っ。
しかしそう上手くいかない。
「…ッ!?」
鬼たちは、どこからともなく響いてくる弓弦の鳴る音を耳にした瞬間苦しみ出した。
動きが鈍っているうちに次々と不可視の攻撃を受けて爆ぜて消えていく。
まさに一蹴。
だが時間稼ぎにはなった。
オレとワルフは一気に駆け出す。
全開で展開した“簒奪帝”で体を防護しつつ疾走。すっかり暗くて校庭の隅までは見えないが、ワルフの嗅覚から隅の用具倉庫になっているプレハブの手前にいると把握できている。
駆け出すと同時に再度式神を召喚。
鬼たちが再び顕現する。
間髪おかず再び響く弓鳴り。
まるで先程の光景をリピート再生でもしているかのように、同じ光景―――鬼たちの動きが止まった後、見えない攻撃で爆ぜていく―――が広がる。
10体の鬼たちをおよそ5秒ほどで倒す、その手際には敵ながら感嘆せざるを得ない。
未だにどういった理屈の攻撃か知らないがその連射速度は凄まじい。
とはいえ、その5秒の間に30メートルほどの距離を縮めることに成功した。
残りはあと200メートルといったところか。
走る。
そして走りながら考える。
このまま距離を潰せればそれが一番いいのだろう。
だがどうしてもこのまま接近戦に持ち込めるイメージが湧いてこない。
ぼ、ぼばんっ!!
不可視の一撃を受けて走っていたワルフが消滅する。
最初の一撃にはなんとか耐えたものの、連続で来た爆発に耐えることが出来ず霧散する。
そう、この一撃。
タイムラグほぼなしで攻撃できるこれがある限り、200メートルなんて距離を詰める間に10回以上殺されてしまう。
だが対処するにも情報が少なすぎる。
思い出せ。
思い出せ、思い出せ。
鎮馬のときとオレの左腕のとき。
すでに二回あの不可思議な攻撃をされるときのことを見ているはずだ。
伊達に何かおかしな点はなかったか。
必死になって巡る脳裏に浮かんできたのはあの耳障りな音。
ぎゅらり。
そう歪んだ音を立てた瞬間、ほんのかすかに伊達の眼の周りが歪んだ気がした。
注意深く見ていなければわからないほど少しだが確実に。そう、まるで夏場の陽炎のように。
もしあれが視覚を基点にしているものであるのなら―――
「ワルフ…ッ!!」
再び煙狼を召喚する。
だが今度は狼の形を取らせない。
単なる煙霧のままで、ただし出来るだけ校庭を広く覆うように。
基本的にワルフに決まった形状はない。ベースとなる狼タイプはあるものの、変えようと思えば変えることができる。加速度的に消費霊力が大きくなることを考慮しなければ、大きさも形状も自由自在だ。
一気に視界が煙霧に包まれた。
次の瞬間、オレの前方10メートルほどで何かが爆ぜる音が響く。
どうやら予想はビンゴだったようで、オレ目掛けて放たれた不可視の何かが前方に噴き出した煙霧に阻まれて爆ぜたらしい。その爆発で若干煙霧は削られているが全体からすれば多くない。
その間にオレはさらに間合いを詰めるべく走っている。
なるほど、冷静に考えればあの眼があろうとなかろうと相手が弓使いである以上、視界を効かなくする方法は有効だったはずだ。もっと落ち着いて考えればこんなに苦労することはなかったかもしれない。
内心舌打ちしつつも足は止めない。
巨大化させて発動させたことで、ワルフ自身の耐久力も激増しているため、いくらあの不可視の攻撃が強力であってもすぐに煙霧が消えることはない。だが反面、多大な霊力を消費してしまっている。消耗が多い分だけ持久戦に不安がでるのは当然のこと。
一気に勝負を決めなければならない。
ワルフの感覚を頼りに伊達の位置がどんどん近づいているのがわかる。
あとおよそ90メートルといったところか。
いぃぃぃぃん……。
「っ!?」
空を裂く耳障りな音に顔を顰める。
オレの右手5メートルほどのところに、山鳥の羽で矧がれている鏑矢が飛んできた。
通常であれば明らかに外れている矢。
にも関わらず、一際甲高く音を放つと空中で静止したまま、衝撃波のようなものがその矢から放たれ一気に煙霧が晴れた。
ワルフそのものを吹き飛ばして消滅させてしまった感じだ。
「弓使いが視界を妨げられることを想定していないと思ったか?」
ボッッ!!
タイミングを測っていたかのように冷酷に告げる言葉と共に、左膝に矢が突き刺さる。
“与一の毀し矢”の効果で周囲をごっそりと抉って、身に纏っていた“簒奪帝”ごと左足を消滅させた。
視界がぐるぐると廻る。
走っている体勢のままだったから、その勢いを殺すことができる数メートル前に転がった。
だがゆっくりと再生している暇は許されない。
追撃の矢が打たれる。
起き上がって回避する余裕はないと判断し、横っ飛びしながらさらに土の上を滑る。
抉られた土が消滅する音に意識を払う余裕もなく、さらに“与一の毀し矢”が間断なく襲いかかる。片足が使えない現状では回避に専念するしかないにも関わらず、それでも尚浅く防護ごと抉り取られていく。おまけに途中途中で不可視の攻撃を混ぜてくるからタチが悪い。
“簒奪帝”の防護復元プラス鬼の再生能力を、完全に伊達の攻撃能力が上回ってしまっていた。
「光栄に思うがいい。かの鵺の暗雲すら吹き払った“兵破”を食らえたことを!!」
ずがががっ!!
攻撃は途切れることがない。
近づくことなどまるで出来ない。
防戦一方。
「そしてこれが―――」
伊達が、黒鷲の羽で矧がれた矢を番えた。
「―――“水破”だ」
一瞬。
まるで放たれた瞬間、まるでレーザーのように細く鋭く伸びた軌跡は、反射的に厚く展開した“簒奪帝”の装甲すら貫通してオレの腹に突き刺さった。
そして体内を走る振動。
「~~~っ!!?」
黒い気流の破片をまき散らしながら、吹き飛ばされて土の上に投げ出された。
「……が…はぁっ!」
大の字になっている体。
だが全身に甘い痺れが充満している。
まるで体の中の重要な歯車を全部狂わせてしまったような、そんな感じだ。
「…へぇ、やはり無駄に耐久力は高い。さすが虫けらだ」
ゆっくりと数歩近づいて伊達。
不味い。
今この無防備な状態で不可視の一撃を食らえば命はない。
「…生憎とそれだけが取り柄なもんで。
そっちこそ、随分と反則技じゃないですか。なんですか? それ」
かろうじて動く口から言葉を紡ぐ。
時間を稼ぐ必要がある。
こっそりと体の影から“簒奪帝”を起動。
「“水破”だと言ったろう。頭だけではなく耳も悪いんだな、キミは」
だが敵を仕留める直前まで追い込み、もう逆転の目はないと思っているのだろう。
悠然と続ける。
そうしている間にも再生が働き少しずつ痺れが抜けていく。
「その名の如く水属性を持つ矢さ。しかもこれの真価は相手にヒットした上で、その内部の水分に働きかけて波紋を起こすから、生物であれば破壊の振動が波のように広がる全体破壊の技。
どうだい? これがキミとボクの乗り越えられない差さ」
「へぇ……」
「ああ、ちなみにキミが今何を狙っているのかはわかっている」
伊達はそう言って80メートル離れた地点で立ち止まった。
「これ以上は近づかない。獅子は兎を狩るにも全力で、というがそれとは違う。
ボクから月音くぅぅぅぅぅんを! 奪おうとした相手は! 絶対に殺す必要があるからだッ!!」
ギラつく狂気が溢れている。
そのまま弓に矢を番えた。
こちらは痺れはほぼ取れた。だが寝転がったままだから、回避するには不利な体勢には変わりない。それ以前に足もまだ再生が終わっていない。
だから言っておく。
「一個だけ言いましょうか」
「……聞かないねッ!!」
弓を引き絞ろうとするのを止めようとせず、オレは続けた。
「仕留めるなら仕留めておかないと、負けますよ?」
どぉぉぉんっ!!!
伊達の足元にでっかい土埃が上がる。
「……ッ!!?」
その足元から“簒奪帝”の黒い流体が触手のようにわき出している。一瞬早く、驚愕している伊達の足首を掴み引きずり、倒すと矢はあさっての方角に飛んでいった。
「…だが、この程度“無限の矢”で……ッ」
あの眼から出ている?不可視の攻撃で触手を破壊しようとする。
確かにそれなら破壊出来るだろう。
ただし使えれば。
ごぼごぼごぼお、ごぼ…ッ!!!
触手は一瞬で体巻き込み仰向けにする。
その上で、眼の前以外の全身を固定した。
「…ッ!!?」
顔の向きすら自分で動かせない。
見えるのは空の月のみ。
視界に壊せるものが何もない。
「最期の景色としては上出来だろう? なにせ、あんた―――月が好きだそうだから」
再生の続く体を引きずりながら、ゆっくりと歩いていく。
やったのは単純なこと。
体の影、つまり寝転がっている地面との接地面から“簒奪帝”を起動させ、地中からその気流というか液体というかそれで構成された赤黒い触手を伸ばしただけ。
正直なところ、そのせいで体の表面には“簒奪帝”の装甲がない状況だったから、問答無用で攻撃されていれば死んでいた可能性のほうが高い。
危ういところだがこれで決着。
ごぼん…ッ。
さぁ終わりの時だ。
残った霊力を総動員して最後の力を振り絞る。
もう自前以外の霊力は使い果たしてしまったようだ。
ごぼごぼぼぼ…んッ。
奪うのだ。
何もかも。
一歩。
また一歩と近づいていく度に熱が溢れていく。
左手がその形状を変えていく。
鉤爪のような、それでいて何かの顎のように見えるような、そんな形状。
だがそこに込められた力は明快だった。
「………まさか…このボクが……ッ」
もがくも動けない敵の声が震える。
だが最早答える必要すら感じない。
伊達を攻撃範囲に収めたオレはゆっくりと手を振り上げた。
今のオレが口にするのはただひとつだけ。
―――奪え、“簒奪帝”
何もかもを。
そう、本当の絶望を教えるために。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁ…ッ!!?」
闇夜に響く声は遠い。




