10.その手が掴むもの
狂言廻しの退場から少し後。
変化は唐突だった。
断線していた何かが繋ぎ直されたのがわかる。
繋がれたその線から止まっていたものが流れてくる。
長いとも短いとも判断のつかない時間を経て、無音の闇に閉ざされていた視界が開けていく。
まず目に飛び込んだのは空。
夜の黒天。
同じ黒であってもそれまでの視界の闇と違い星の瞬きが装飾されている。
そこで自分が見上げていることに気づく。
神社の階段に頭を下に仰向けにして横たわっているんだろう。
木々の間を縫うように設けられた階段から続くこの神社の周辺は、自然が多くネオンを光らせるような建物はあまりない。
だから星が綺麗に見えるんだ、と思い出して納得した。
そして次に自覚する。
腹から裂けた体は臓腑をまき散らしているし、動こうにも無くなった腕はもとより残った隻腕すらぴくりともしない。下半身は階段の結構上のほうにあるから無論こちらは論外だな。
にも関わらず思考はとてもはっきりしている。
自分でもわけがわからないが。
心臓の鼓動も、必要であるはずの呼吸も。何も聞こえない無音の世界。
星も木々も階段も、景色は全てくっきりと見えている。
問題はひとつ。
見えている世界が彩りを失った灰色の風景、ということだけ。
……うぅん。
やれることが何もない。
本来ならもっとパニックを起こさなければいけないのだろうけれど、鬼(?)に遭遇したり妙な奴に出会ったりで混乱し尽くしてしまったのかな。
指一本も動かせないというのなら出来ることはもう、考えることくらいだ。
今この状況がなんであるのか。
例えばこれが死の直前に起きている走馬灯であるというのはどうだろう。本来はこれまでの人生が思い起こされるというものであるけど、こうしている今でも頭は動くし多少の過去の記憶を思い出すこともできるから、走馬灯といえなくもないんじゃないだろうか。
そもそも生が途絶える間際になって起こるというのなら体験した人の殆どは死んでいるはずだ。その内容が正しく伝わっていなくても当然という気もする。
さて、では本当に走馬灯なのか確かめてみよう。
そう思って記憶を掘り出そうとした試みは、
「当て推量ではあるが、正しい判断。自己認識が早くて、とても助かる」
透き通るような女性の声で遮られた。
気づくとオレの頭のほう、つまり数段下の階段にひとりの女性が立っている。
年齢は多分20前後に見えるから年上だろうか。
銀に輝くその長い髪は絹の糸のように柔らかく真っ直ぐに伸びていた。
さすがに倒れている現状の体勢では高低差と遠近感がぐちゃぐちゃで相手の身長まではわからないが、細身でまるでテレビか何かで見るモデルさんのようだった。
昼間の生徒会長と同じように、顔立ちやら体型やら見るからに日本人じゃない。生徒会長はどちらかというと憧れを抱くような感じの美人だけど、こっちは何か人間離れした美術品の絵画の美に近い。
どこの民族衣装かわからないが、いくつもの色が入った衣を束ねて作ったような服を身に纏い、手足とそして首には少しずつ意匠の違う金属っぽい輪状のアクセサリーが嵌められている。
第一発見者が何かテレビの撮影に来たモデルさん、とかいうオチかー。
どうせなら死ぬ前に生きてる間に知り合いになりたかったなぁ。
そんなアホなことを考えつつ、気づく。
……あれ? どうしてこの人だけ色がついているんだろう。
「今、お主の脳に直接干渉をしているからじゃ。
命が消えるまで時間的余裕がなかったこともあり、負荷をかけ体感時間を延長させているため必要度の少ない情報は抑えさせてもらっているがの」
なるほど。
確かに危険なときに時間がスローモーションになった、とかそのときは音とか色とか感じないとかいう話聞いたことあるような気がする。
というか、むしろピンポイントでその話題が今日出てたような。
あれはオンラインゲームの時間の流れの話だったっけか。
「そのおんらいんげぇむ、とやら。せっかくなので説明してみるがよい。
なに、すでに線は繋いである。教えようという意志さえあれば通じるようになっておる」
なんでこの人だけ話せるのか意味がまったくさっぱりでわからないけども、かといってどこかに行けるわけもなし、他に出来ることもないので説明してみるとしよう。
頭の冷静な部分がさっきのセリフに対して「あれ、それって今死ぬ寸前じゃね?」とツッコミを入れているが、体がこんなにバラバラでは今更だ。
せめて残り短い人生を楽しまないと。
さて、オンラインゲームについて説明といわれても、そもそも知っていることが多くない。ほんの数時間の聞きかじりの知識しかないが、なんとか説明をする。
「なるほどなるほど」
短い説明でちゃんと把握したのか、彼女は納得したような頷く。
なんて素晴らしい理解力だ。ちょっと分けて欲しい。
「なかなかに興味深い話であった。
呼び出された現状の把握において先に必要な情報は引き出しておいたものの、さすがにそのような遊戯の情報まで仔細にすくい上げはしなかったものでな。
おかげで説明するに十分なこの国の語彙を集めることが出来た」
しゃらん、と。
彼女が動くのにあわせて装飾具が音を立てる。
「わらわの名はエッセ。この世界の管理者。
お主が言うオンラインゲームでいうところのG Mにあたる」
……?? なんでゲームの世界でもないのにGMがいるんでしょう?
「小僧。名を名乗られたら自分も名乗るべきだとは思わんか?」
あ、はい。
三木 充です。
「よかろう。では話を続けるぞ、小僧」
いやいやいや!?
名乗った意味をまるで感じないんですが!
彼女は先を続ける。
「つまりこの世界……お主たちがなんと呼んでいるかわからぬが、ここはあるゲームの中の世界だということじゃ」
………は?
頭が真っ白になる。
いやいや、そんな馬鹿な!?
だって電源が消えたりしないし、モンスターだっていないわけだし。
……いや、確かに鬼っぽいのを見ましたが。
だがそんな驚きはまだまだ序の口であった。
次の一言に比べれば。
「落ち着いて聞けと言っても無駄かもしれんが落ち着くがよい。
お主はその世界の、おんらいんげぇむとやらでいうところのNPCという役じゃ」
……。
…おぉぉぉぉぃ!?
こんな面と向かって一般キャラ扱いされたの初めてだよ!?
そもそもNPCって「ここは~の村だよ」っていう奴だろ!
オレにはちゃんと自由な意志があるぞ。
「そうなるよう世界が在るのだから仕方あるまい。
無論当然じゃがプレイヤーと呼ばれる者たちも居る。そ奴らはお主がオンラインゲームをするような感覚でこの世界に生きておるわけじゃな。
通常プレイヤーたちはNPCに紛れて生活をしておるし、時折例えば何か特殊なことをしてもNPCたちには違和感を覚えないようになっておる。世界がそうなるよう修正を働かせ、そしてNPC自身もそう在るように誘導をされる。
ちなみに修正に問題があるような場合にはGMコールが行われ、わらわが来ることもあるがの」
………。
「じゃから、今回お主がプレイヤーたちの狩りに巻き込まれたのは本来あるはずがなかった」
その言葉に最期の光景が浮かぶ。
鬼と戦っていた連中がしていた狩り、そしてそこに親友がいたことを。
出雲……。
確かになんでも出来る凄い奴だったが…本当に、そうなのか?
プレイヤー、という存在については今ひとつ要領を得ないが…オレと違う、と言われれば納得ができなくはない。
「通常狩り場と認定された空間には、阻害機能が働きNPCが近づかないよう、何かイヤな予感がする、今日はほかのことをしたい気分になる、そんな程度の理由のない行動を強制させる。
認識そのものが阻害され、そこが活動の対象にならなくするものじゃ。
お主には心当たりがあるのではないか?」
心当たりというと………あの頭痛か!
「ふむ、探った記憶に欠落はなかったようじゃ。つまりはそういうことじゃな。
そこでいつものお主であれば引き返すはずであったろう。それで全ては何事もなかった」
じゃあ、まさか…。
「本来そうなるはずの認識阻害をお主は“異常”と認識することができなかった。
そう、同日に一度経験しておったがために」
………。
「無論他に理由がないとは言い難い。
おんらいんげぇむ、とやらをやった結果リアルな別の世界、というものの認識が大きく変化したこともあるじゃろうし、佐々木先輩とやらに言われた自分を変えようという心根の変化もあったであろう。
そして普段やってこない神社に行こうと偶然考えたこと。
どれひとつとっても別々にあったのであれば、まったく問題はなかった。それら全てが同日に行われるという奇跡がかみ合って、お主はこの場に在る」
―――運が良かったのだよ、と。
そう誰かに言われた気がする。
だがその記憶はとても朧で思い出せない。
「なればこそ、わらわも覚悟を決めるとしよう。
これからの提案内容を聞いてもらってからになるが…もしお主に覚悟があるというのであれば、蘇生させてやっても構わん」
続いて彼女の口から出たのはそんな言葉。
本当にそんなことができるんだろうか。
「嘘など言わぬ。今から願いをかけようという相手に偽りを伝えようなどという誠意のないことをすると思われていたなら心外じゃ。
無論いくらバージョン5.0から実装されておるとはいえ、蘇生も再生も労としては少ないものではない。この提案はわらわの本気さゆえだと思ってもらおうか」
止まっているはずの心臓の鼓動が聞こえるような錯覚。
冷静になろうとしつつも、思わぬ救いの手にすこし興奮した。
でもGMが言葉通りのものだとして、管理者だというのであればこんな恣意的に行動をすることは禁忌なのではないだろうか。
「然り。管理者となって以来、わらわの身は著しく自由が利かぬ。
私的な干渉をするための力は世界の歪みからわずかずつしか供給されるのみ。
今言ったほどの力を行使するとなれば向こう数百年から千年は手控えすることとなろう。つまりそれと同じ期間かけて貯めた力でお主を助けてでも願いたいことがある」
人間にとっては悠久に近い年月。
ただひたすらにその時間をかけて紡いだ希望。
それを託されると知らされれば、生きる望みがある喜びと同じくらいの不安もあった。
「そのように気負うでない。
過去に幾度か同様の望みをかけて力を授けた者たちもいたが、尽く失敗しておる。重要NPCですらその体たらくなのだ。お主のような一般のNPCが達成できなくてもおかしくはない。
ならば無駄に気負うよりも最善を尽くすことだけ考えてもらればよい」
すこしの安堵と、膨らむ疑問。
一体どうしてオレなんだろうか、という問いが頭を過ぎる。
「世界が味方しておるからじゃ。
運を持っている、と言い換えてもよい。お主にとってはこの現状は不運なことかもしれぬが、わらわにとってどのような力よりも、その運こそが眩しく映る」
そして気づいてしまった。
オレに無用な重圧をかけまいと口ではああ言っているものの、この人はもう疲れきってしまっているんじゃないだろうか。それこそ目の前に現れた運なんてものに縋ってしまうほどに。
過去に何度も失敗しているから気負うことはない。
それは裏を返せば何度も何度も、それこそ1度失敗すれば長く取り返しがつかない挑戦をやってきたということ。つまり数千年、もしかすれば万を数えるかもしれないんだ。
永久に近い徒労が彼女から様々なものを奪っていったのではないか。
「だから答えておくれ」
ゆっくりと手を差し出してオレに向けた。
その手首にあった金属の輪が淡く光る。
まるで穏やかな湖面のように、静寂の裡に決意を湛えた瞳から目が離せない。
淡々と怜悧に続けていた彼女の言葉が揺らいだように聞こえたのは気のせいじゃない。
―――お主、わらわをこの軛から解放してくれぬか?
こんなにも切ない願いを、オレは知らない。
だから、頷く以外に出来るはずがない。
こうしてこの日。
三木 充というNPCは死んだ。