105.目覚めと収穫
びくん、とまるで断末魔のように一際震える充の体を見つめ、
「ああ、残念。耐えられることなく死んでしまったか、ああ、なんて哀しい」
少しもそう感じられない口調で眼帯の男、伊達政次が告げる。
芝居がかった、それでいて少しも清々しさを感じさせないそんな動作で。
「さて、今回も諸君らのお陰で無事に終了することが出来た。礼を言おう」
振り返って室内にいた部下たちを労う。
この場において彼は王であり主君。
その行為を否定する者はいない。
満足のいく結果だったのだろう。
伊達の表情には陰りは微塵もない。
どれほどの絶望を与えた上で殺したのか、それをこの上なく自覚して尚、その笑みを深くしている。
「ではボクは引き上げるとしよう。ああ、それは廃棄しておいてくれ」
指示したのは、テーブルの上のファーストフード、そして先ほど吹き出したハンバーグ、そして床に転がった腕時計のされたマネキンの手首だ。
彼が幻術をかけるために使用した小道具。
彼の片目に嵌っているその瞳の名は“傲慢なる門”。かの世界最高の魔女モーガンの研究室にあった魔術遺物である。
瞳自体が極小の“門”として機能しており、そこから様々なものを呼び出すことが出来る。例えば、幻であったり、見えない動力であったり、“無限の矢”と呼ばれる見えない爆散する矢もそれに当たる。
使用可能な外部条件がひとつだけあるものの、使い方次第ではかなり使える品だ。
ただこれにはとても万能とはいえない欠点が二つ。
まず呼び出すものの大きさによって霊力を消耗する。
精巧過ぎる幻や、巨大すぎる攻撃など、規模が大きければ大きいほど加速度的に。そのため余程膨大な魔力を持った魔術に長けている者でなければ、呼び出せるものは限定的になる。
そして次が使い手の技量である。
例えば幻を呼び出したとすれば幻術の能力、魔物を呼び出したのなら魔獣使いといったように、それぞれ使いこなすのは技能に依存する点だ。
伊達政次の場合、その卓越した狙撃と弓術、投擲能力から、“無限の矢”に関しては完全に使いこなすことが出来る。だがもしこれがそれら射撃系の技能を持たない者であるのならば、召喚したはいいものの真っ直ぐ飛ばなかったり、最悪すぐ目の前に落ちて爆発、なんてことも有り得る。
ではそれをいかにしてクリアするか。
前者について、魔力の最大量は鍛えるしかないが、連続使用に関しては魔水晶と呼ばれる結晶化した霊力を常に持つことでいつでも補給が出来るようにすればいい。
そして後者については、技能で使いこなせないのならば、他の要素で補えばいい。
それが“千殺弓”の出した結論だった。
彼も幻術技能は持っているが微々たるもの。耐性を持っている相手はもとより、耐性のない一般の相手であったとしても確率によっては途中で解けてしまうレベルだ。
だからそれを他で補った。
実体のないものを実体で見せるよりも、実体のあるものの認識をズラすほうが簡単だと判断して小道具を。そして実物の和家綾の腕時計という、ひとしずくだけの真実を混ぜることでかかりやすくさせる。勿論拷問の最中に薬物を摂取させて認識を曖昧にさせることもやった上で。
それが見事に上手くいった結果が今。
もっとも本来であればわざわざこんな回りくどいことをする必要はなかった。
本物を連れてきて、目の前で陵辱するなりなんなりしてやれば済んだ話。だが予想外の上位者の参入により誘拐部隊は人質を確保できなかった。
ゆえに次善の策として、茶道部に忘れていた腕時計を使いバラバラにした遺体を偽装する必要に迫られたわけだ。伊達政次があっさりと人を殺す、死体を弄ぶ、という先入観を植え付けるために敢えて仲間を殺して死体を操ったり、張った伏線は実に多岐に及ぶ。
バラバラにせずに別人を連れてきて幻術で騙そうかとも思ったが、幼馴染であれば些細な挙動の癖や何かで察知される危険性もあった。ゆえに必要に迫られた上での設定である。
まぁ苦労の甲斐はあったようだ。
少なくとも伊達政次はそんな顔をしていた。
ゆっくりと階段へ向かう主君を見ながら、無事に作戦を終了させた“三日月梟”はほっと胸をなで下ろした瞬間―――
―――それは起こった。
ガタン…ッ。
最初はそんな些細な物音ひとつ。
変化は一瞬。
されどそれはこの上無い激変。
突如として椅子に座ったまま息絶えたの男の頭が跳ね上がる。
重力に引かれて俯いていたその顔が持ち上がり、室内を見回すように視点を動かしている。
じわり……。
まるで予想していなかった、その行動に思わず隣にいる“屍齧り”を見るが彼は狼狽しながら首を振った。自分は何もしていないのだ、と。
じわり……。
室内の温度が下がったような錯覚。
「な、んだ、アレは……」
思わず“三日月梟”は息を飲んだ。
椅子に座らされた男の体から赤黒い気流が吹き出す。
先ほど正門で見たときのように左腕から、ではなく、全身から。
いや、あれは本当に気流なのだろうか?
どろどろと粘性を帯びながら、まるで水中の油のようにごぼごぼと密度と体積を増していく。
ロクな死に方をしないだろう。
そういう自覚はあった。
彼はあの主君に仕えた時点でそれを覚悟していた。
まぁ所詮はこの世界での死は現実の死ではない。
死んだのであれば、次は清廉な生き方をすればいいだけのこと。
だが現実は最悪の展開を伴って無慈悲に訪れる。
「な、にが起こっている……!?」
珍しく狼狽える主君の声だけが耳に響いた。
□ ■ □
静かだ。
本当に静かだった。
思うことはそう多くない。
ああ、乾く。
ああ、餓える。
がっくん、と垂れ下がっていたオレの頭を急に持ち上げる。
視界がおぼろげながら回復していく。
室内には4人。
死体を含めれば5人。
ああ、どちらでもいい。
どちらでも構わない。
とろり…。
脳が割れその隙間から何かが吹き出し頭の中を満たしていくような、そんな感覚。
だが思考そのものは驚くほど冷静。
羅腕童子と戦ったときのような激情ではない。
思い返せばあれは違うとわかる。
無様に情念を垂れ流しにしていただけ。
今は全く感情を出さないほど冷静だ。
かといって、あの激情が無くなったしまったのではない。
ただぶつける相手以外に無駄にしなくなったのだ。
ごぼごぼぼっ、ごぼごぼごぼ……ッ!!
脳から吹き出した何かが内部を完全に満たしきり、いよいよ外に漏れ出す。
体から赤黒いモノが吹き出していく。
まだ足りない。
もっと。
もっと。
もっと。
もっと濃く。
もっと深く。
まるで頭から水でも被ったかのように、ゆっくりと全身を濡らしながら“簒奪帝”が暴れ狂う。
左手に打ち込まれた杭が邪魔だった。
固定されたままでは動けないので右腕を黒い霧に変化させて拘束を解除。
そのまま右手を実体に戻して、左手に刺さった杭を抜く。
と、そこで視界の端に何者かが刃を振るってくるのが映る。
三日月なんとか…だったっけ?
彼が振るう刃がオレの首に食い込み―――
ガインッ!!!
―――そのまま、透り抜けて首輪の金具に弾かれた。
あまりの衝撃に金具が弾け飛ぶ。
「…っ!!?」
丁度いい。首輪の金具が壊れたので首も自由になった。
……?…ん?
どうしてそんな驚いた顔が出来るのだろうか。
“簒奪帝”を自在に使役できる今となっては、取り込んだ使い魔であるワルフに出来ることはオレでも出来ることに過ぎないのに。
ごぼ……、
さぁ続けよう。
ごぼごぼごぼごぼぼぼ……っ!!!
赤黒いモノに覆われたオレの全身は足先から黒く染まっていく。
まるで黒い甲冑を着込んだかのように光沢を帯びた色に。
「ああ……でもちょっと遅いや」
鬼の再生能力はフル稼働中。
ようやく喉が治ったのか、声が出せるようになった。
とはいえ、再生能力は結構弱い。そのせいで一定以上の傷を治そうとすると霊力をバカ喰いする。まぁ要するに効率が悪いのだ。
なら、ある場所からもらおう。
そうしよう。
ガッ!!
ふと、驚いたままの男の顔をおもむろに掴んだ。
オレの肩口から伸びた赤黒い気流の腕が。
奪う。
視界が完全に回復した。
それどころかまるで夜目でも効くかのように、部屋の隅とかテーブルの下の暗闇まではっきりする。
男はもがく。
気流の腕を切ろうと刃を振るうが生憎物理攻撃は無効だ。
奪う。
意外に霊力を奪えた。
ああ、勿論吸い尽くさない。
わかっている。
そのまま男を投げ捨てた。
ちゃんと受身を取ったようなので一安心だ。
奪った霊力で全身を一気に霧に変化させ立ち上がり、完全に拘束から抜け出す。
キン…キ、キキン。
腕やら足やら胴体やら頭やら、オレの体の至るところに突き刺さっていた針とか釘とかが床に落ちる。
回復した視界から驚きの表情を浮かべた伊達が階段を登っていくのが知らされる。
構わない。
どうせ逃がさない。
それよりまずやることがあった。
身構える天小園聖奈。
意思を忠実に実行し、オレの足先からその足元に赤黒い気流が伸びる。
「…っ!?」
うつろな目をしたまま、足元からの奇襲に飛び退こうとするも遅い。
どっぷん…っ。
そのまま足元から飲み込むように赤黒い濁流に包まれた。
人間サイズの濁流の塊が聖奈を包んだまま、ごぼごぼとゆらめく。
その間にも三日月なんちゃらが白刃を振るい、骸骨頭巾に操られた遺体がショルダータックルを敢行してくる。刃は全て空を切り、タックルはオレをすり抜けて背後の椅子にぶつかった。
その一瞬の接触の際に左右の手でそれぞれ二人に触れておくことも忘れない。
ごぼん……ッ。
無事に目的を果たし、聖奈の体が解放された。
赤黒い濁流はそのまま床を伝いオレの中に戻る。
気を失い力を失った聖奈はがくんとその場に崩れ落ちた。
オレの中に流れ込む魅了の魔術。
それを握り潰す。
これで咲弥への義理は果たした。
そう、せめてまだ幸せになれる人にはそうなって欲しい。
我ながらひどく歪な感傷ではあるけれど。
だがこれが最後だと思うと、すこし名残惜しくも思う。
三日月…ああ、そうだった。“三日月梟”だ。
彼は奇妙な顔を浮かべている。
感覚がおかしくなったことに気持ちがついていっていないのだろう。
彼の三日月刀を使う武器技能を半分奪ったのだから。
ああ、忘れていた。
礼を言おう。
「絶望を、ありがとう」
自らの口の端が歪に曲がるのがわかる。
今度はオレが教える番だ。
さぁ飢えを満たそう。
さぁ乾きを癒そう。
どれだけ奪っても。
地の果てまで。
この世の全てを奪っても。
もう決して満たされることがないと知っているのだとしても。
ごぶ…っ、ごぼん…っ!!
完全に“簒奪帝”がオレを覆い尽くした。まるで身に纏うかのように体を護る。
さぁいこう。まずは目の前の相手から。
攻撃はしない。
敵もさる者。
たじろぐことなく、“三日月梟”と鎮馬の死体は攻撃を続ける。
一度。
相手の戦闘技能の半分を。
二度。
さらに半分を。
三度目。
さらに半分を。
こちらに攻撃を仕掛ける度に奪っていく。
どんな気持ちだろう?
自らがどんどん弱くなっていく。
敵がどんどん強くなっていく。
自分が虫けらに近づく。
少しすつ、確実に。
じわりじわりとその実感を与えながら奪い続ける。
四度目、ついに戦意が折れた。
敵わないことを悟って敗走しようとして。
固まる。
“三日月梟”も、“髑髏頭巾”も、彼が操る死体も。
足元に伸びた気流が脚力を奪った。
「ひ、ヒィィィっ!?」
ついに骸骨頭巾が悲鳴をあげる。
三日月梟も顔を恐怖に歪めている。
這いずって逃げようとする彼らを―――
「さようなら」
ごぶんっっ!!
放った“簒奪帝”の塊が被った。
しばらくもがくも溺れて動きを止めていく。
そこからギリギリまで全てを吸い上げる。
技も、力も、技能も、霊力も。
そして主人公さえも。
「……………」
静かに見上げる。
地上へ続く天井。
きっとあの用心深い伊達のことだ。
最悪を想定して上に主人公たちを集めてあるだろう。
もしかしたら上位者もいるかもしれない。
さぁ、はじめよう。
例え誰が立ちはだかろうとも。
最早今のオレを止めるなど不可能だ。
ぞぞぞぞぞぞ…ッ!!
足元から伸ばした赤黒い影が四方八方に散らばり、床から壁、壁から天井へと、まるで蜘蛛が巣を張るかのように一瞬で到達する。
「ぉ……あぁぁぁぁぁぁっぁ…ッ!!!!」
突き上げた拳。
鬼の膂力、重心制御、鎮馬の腕力、三日月梟ら主人公の能力、何もかも。
奪った全てを使い放った一撃。
それは轟音と共に天井を軽々と突き破った。
さぁ逃げろ、伊達。
絶望が、来たぞ。




