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桜の下で会いましょう

作者: 花宮 翠

「おまえ、その不思議さが楽しいな。名はなんという。」





私が目覚めた所は、まるで知らない世界。


天のようで、地のようで、空のようで。



ここに来た意味も、何もかもがわからない。


ただわかるのは、目の前にいる変な奴が、気になると言う事。





「その手を伸ばして、掴んでみよ。」



差し出された手を掴んだら、どうなるのだろう。


そこにはしあわせが待っているはず・・・

きっと














白い霞が掛かった世界に、さわさわと風が吹く。


やわらかな春の花の香りもしている。



けれど、私はなんでここにいるのか、わからない。

いつからいるのかも、わからない。


わかるのは、ついさっき目が覚めたと言うことだけ。


でも、こうしたことを何回も繰り返しているような気がする。



「あ、目ぇが覚めはった?」



声のする方をぼんやりと見ようとしたら、そこは薄い水色の空ばかり。





「大丈夫かぁ? 嬢ちゃんなかなか起きひんかったから、うち困ってしもてー。 せやけど、よかったわぁ。」



話をしている人を見ると、見ると…



「鳥?」


「いややわぁ、鳥やなんて。 そないな露骨にいわんかていいんやないのー。」



いや、鳥にしか見えない。 喋る鳥。



「ところで嬢ちゃん、どないしてここへ来られました? なかなかすんなり来れるところとは違いますのに。」


「わたしは、なにも  …わかりません。」


「それは難儀やわぁ。困った、困った。」



体を揺らしながらぶつぶつ言い出した鳥。

鳥と言っても、不思議な姿で人の様だし、羽は青いし。

なんだかゆったりと話しているし。



「…て、聞いとりました?」


「あ、いえ…」


「ん、もう。 私ではどうにもできしまへんよって、主様に聞きに行きましょ。」


「主様?」


「そや、主様や。 この辺りの一帯を守られているお方やし。」


「この辺りって?」


「そやなぁ…。見える限り全部と、そのまた向こうの向こうまで、やろねぇ。」



その鳥さんと見渡す限りだという周りの世界を見る。


見渡す限り果てしなく広い世界。


私はなんとも不思議な所へ迷い混んだらしい…のだけはわかった。






その青い羽を持つ鳥の人に連れられて、なんとも不思議な景色の中を歩いた。


右側は空ばかり。

左側は森が果てのないかのように続いていた。

その境を、青い鳥の人と歩く。



「飛んだら早いんやけど、嬢ちゃん羽持ってないしなぁ。飛ばれへん。」


「羽は付いてないもの」


「まあ、そうなんよねー」



あははははーと笑うけど、私は笑えない。

だって、そんなの。

笑えるはずがない。

羽ってどんな人にもあるものなのかしら。



「さ、こっちや。」



森が少し切れた辺りに、広い空間があって、不思議な建物のような物体があった。


木で被われて。


「巣、みたい」


「巣ってなんやの? まあいいかぁ。主様はこの奥におるんよ。」



言われて奥へ一緒に進んでいくと、木々の隙間からぽっかりと広がる空間が見え始めた。

そのまま行くと、広く広がる空と木々の柔らかな揺れが心地よい感じがする空間に出た。


「主様。嬢ちゃんが目ぇ覚まされましたー。」


「お、そうか。 なら、会うか。」


声がするほうを見ると、不思議な姿をした男の人がいた。

この人は鳥ではないみたい。


「くくく・・・ そうだな、鳥ではないな。」


そう、鳥ではない。

白銀の長い髪を後ろで括るわけでもなく、そのままにしているのに、こう言ってはおかしいかもしれないけど、美しい人。

全体的に白っぽいその人。


静かにぼーっと見ていたら、その人が近づいてきて


「おまえ、その不思議さが楽しいな。名はなんという。」


「え? えっと 思い出せない・・・です。」


「思い出せない?」


「主様。この嬢ちゃん、なーんにも覚えていないみたいなんよ。 どうやってここに来たかもわからんのやっていうてはるし。」


「ほう、それは難儀なことよの。」


本当に難儀な事だと思ってはいなさそうに、含み笑いをしているその人。


「あなたは誰なの?」


思い切って聞いてみる事にした。


「我はここを守るもの。きっとお前たちの世界でいうとしたなら、神となろうか。」


「神様?」


「そうかもしれぬ。」


「神様なら私がここへ来た理由も、誰なのかも、みんなわかるでしょ?」


「いや。」


「そんな、じゃあ私は誰なの?」


瞬間期待したものが、儚くも一瞬で砕け散るようで、自分の存在すら何のためのものなのかわからなくて、胸がギューっと押しつぶされてしまうような気がしたら、ぽろぽろと涙が出てきてしまった。


「あー嬢ちゃん、泣いてしもた。 主様!こないないたいけな嬢ちゃんを泣かしたら神様の片隅にも居られんようになりますやん。」


鳥の人がなんとかなだめてくれようと、私の傍で「大丈夫やからね、なんとかなるんやから、ね?」と励ましてくれている。


「おまえ、名がないのは辛いであろう。我が名を授けよう。 そうじゃなー・・・ヒナギクとしようか。」


「ヒナギク?」


「おまえたちの世界に咲く花のひとつだ。優しげな可愛らしい花よ。」


「ヒナギク。」


「今日からおまえはヒナギクだ。 よいな、名を授けたぞ。」


「はい。」


主様という方はにっこりと頷いて、それでよいと言いながら私の頭を撫でで言う。

横で鳥の人が目を見開いてびっくりしている。


自分に名前をつけてくれた人が居たことで、少し安心している不思議な自分が居る。

その名前を付けられるという行為がどういうものなのかは、この時まったくわからなかった。

ただ、そうして名づけてくれたその美しい人が、この上なくまぶしい存在だという事以外、心の中にはなかった。





そのあと居所もないということで、主様の住まいにそのままいる事になり、鳥の人はまた来るからと帰っていった。

途端に寂しくなってしまったが、主様の所にいるお付の人がいろいろとしてくれる事になった。

夜であろう帳の中。

静かすぎて怖いようなはずなのに、頭の中には名前を付けてくれた男の人の姿ばかりが過っていった。



一夜明けて、朝。

寝所だと言われて静かに寝ていたはずなのに、起きてみると横にはなぜか主様が寝ていた。


言葉が出なくてびっくりしていると、


「起きたのか?」


と、静かな声が耳元に広がるから、目を覚ましたらしい事がわかった。


「あ、あの、なんで主様がここにいるのですか?」


「意味は無い。」


いや、意味は無いかもしれないけど、意味は無くても、


「意味は無くても、こ、こまります・・・」


「なにゆえ?」


「え? だって、その、よくないでしょ?」


「なにが?」


「なにがって、その、えっと、主様はきっと男の方で、私は女だし。」


「よいではないか。」


「え?」


「よいではないか、我が男でおまえが女で。 われがおまえに名を授けたのだ。もうこの先は決まっておる。」


「この先が決まっている?」


「おまえ、昨日はあの者が居たゆえ言わなかったが、我の元に嫁に来たのだぞ。」


「嫁?」


「うむ」


「お嫁さん?」


「そうじゃな。」


「なんで?」


「んー。我がそうしたものだからだ。」



寝所の布団の上にぺたりと座り、まだ横になっている主様と向かい合ってそうして話をしていると、主様がおもむろに私の手を取ってきた。


「おまえのことは昔から知っている。 小さき頃から知っている。 おまえが欲しいと言ったのは我だ。」


「なんで? なんで私?」


「何故だろうな。それは我にもわからぬ。ただおまえが生まれ落ちた時から、おまえをずっと見てきた事は確かだ。」


「主様は神様でしょ? 私は人でしょ?」


「たぶんな。」


「なら、お嫁さんにはふさわしくないのでしょう?」


「そんなことはない。我が良いと思うのであれば、誰も何も言わぬ。」


すごい法律。

だけど、真っ直ぐに見つめられる目でそういわれてしまえば、そうなのだとしか思えない。


「ヒナギク。 我の嫁になれ。」


「嫁。」


「そうだ。 この先、永劫、我の嫁になれ。」


「・・・はい。」


つないでいる手が温かい。

それだけでもう、この神様らしい主様でいいと、心が言っているようだった。


「我の名を伝えよう。」


「主様の名前?」


「さよう。他の者の前では声に出してはならぬ。互いの時だけだ。よいな。」


「はい。」


「花銀だ。」


「かぎん?」


「そうだ、花銀。」


「花銀。」


「おまえだけに我の名を呼ばせることを許そう。」


「花銀。素敵な名前ね。」


「・・・ありがとう。」


ふふふと笑えば、花銀はなぜか目をそらしてぶつぶつ言い出した。


「花銀?」


「なんでもない。 ・・・ヒナギク。 我の嫁になったということは、命があるようでないようなもの。 ずっと今のままの姿だ。」


「このまま?」


「そうだ。ずっとこのままだ。」


目を逸らしていたはずの花銀はすっと体を起して私と同じ目線になって近づいてくる。

頬に手が添えられたかと思うと、その指が熱い。


「待っていたのだ、ずっと。おまえが我のところへ来る事を。幾度もずっと待っていた。 おまえに我の命を分け与えよう。」


そう小さく優しくつぶやいて、そっと唇が塞がれた。


「ヒナギク。これでおまえは我のもの。未来永劫、我のものだ。」


唇から伝わる温かさが心地よくて眠りにつきそうになる。


「ヒナギク、我の嫁。」


そう何回も聞こえたあと、温かく包まれて眠りに落ちてしまった。





次に目が覚めたらもうあたりは日が暮れて夜のような装いになっていた。

傍には花銀がいない。

そうなると不思議に不安になってしまう。

知っている人が極端に少ないためだろうけれども、どうにも困るくらいに不安になってしまった。

なんだか嫌な予感もする。


「花銀・・・」


呼んでもその声は寝所の中で静かに響くだけだった。




「ヒナギク様?」


突然に名を呼ばれて振り向くと、細々と世話をしてくれている女の人が出てきた。


「なにか。」


「なぜにここへおいでになられました。あれだけ縁を切らせようと飛ばしましたものを。」


この人は何を言っているの?

怖い顔をして近づいてくるその人は、まるで私を知っているようで、そして憎んでいるような顔をして睨みながら、どんどんこちらへ近づいてくる。


「なに? 来ないで。」


「またどこぞへ飛んでいただきましょう。」


「何を言っているの?」


「あの方は私のもの。他の誰にも渡してなるものか。」


目の前に近づいた女の人は、私に向かって銀色の刀のようなもので切りかかってくる。


「いやぁ!」


「去れ! 古の時に流れてしまえ!」


叫んだ声に目をやれば銀の刀のようなものから光が広がり、目の前が真っ白になってしまった。


いや、

花銀・・・。

また話がしたかったのに・・・。



そのまま私は暗闇の中に落ちてしまった。







暗闇の中から光がさして、ぼんやりと気がついたら桜の木の下に座っていた。


見上げるその桜は満開らしく、まるでほのかに薄紅色づいた真綿をちりばめたような、柔らかなつくりで空いっぱいにその姿を膨らませていた。



「そなたは花の精か?」



声を掛けられたらしい方へ顔を上げると、見た事もない不思議な服を着た目鼻立ちがスッとしている男の人がいた。


その人は私の前にしゃがんで、私の手をその手に取った。


「うぬ。 少しひんやりしているが温かなものだ。死人ではないな。」


と、にっこりして話しかけてくる。

それをぽかんと見ていると


「桜の季節とはいえ今日は肌寒い。ささ、中へ入らぬか?女房に菓子でも持って来させよう。」


そう言いながら私の手を引き、立ち上がらせようと自分が立ち上がり私の手を引いてくれた。


「そなたはほんに不思議ななりをしておるの。何処から参ったのじゃ? ま、それはのちのちでよかろう。 ささ、こちらへ。」



私は言われるまま手を引かれ、板の間のような広い所へ上がらせられた。


誰か菓子と白湯を。とその人が言うと髪の長い人がさっと現れて、どこかへ行ったかと思うと不思議な入れ物に不思議なものを乗せて持ってきた。


「干菓子じゃ。口に甘くてほっといたすぞ。召し上がれ。」


目の前に座るその人に勧められて、小さな固い物を口に入れたらほんのり甘くて嬉しくなった。


「やっと笑ったの。」


その人を見ると嬉しそうにしていて、同じ様にその小さな固い物を口に入れていた。


「そなた、名は何と申すのじゃ?」


名前。


名前?


私・・・


「私は誰?」


何も思い出せない。

何でここにいたのかも。

ここに来る前に何をしていたのかも。

なにもかも。


「何も覚えていない。」


「なんと。それは難儀な事じゃ。しかしながらそなたの声は可愛らしいのう。 まるで小さき鈴を転がしたようじゃ。」


「鈴?」


その人を見るとにこやかで、怖いとかまるで思わないし、安心する。昔から知っていたかのように。

でもまるで知らない人なの明らかだった。


「何もわからぬとは悲しき事ぞ。暫くはここに住まうがよい。私も不思議なるそなたと語らいたいしの。」


やんわりと微笑んでそう言うその人と、誰かが重なって見えたような気がした。

その人はまるでお日さまのような優しい笑顔だった。


「そなたの名を決めねばなるまい。」


名前。

なんだか、誰かにもそうして名前を付けられたような・・・


「ひなぎく。」


「お? なにか思い出したかの?」


「ひなぎくってなあに?」


ひなぎくって聞こえる。

この人みたいに優しい声で、そう呼ばれていたような・・・


「花の名前じゃ。 可愛らしき野に咲く花だが。それがそなたの名になるのかの?」


「はい。そうだと思います。」


「では、そなたはひなぎくじゃ。 ではひなぎく。 他の事は何か思い出したか?」


思い出したくても、なにもかも真っ白いままで、なにも浮かんでこない。


「なにも・・・名前だけ思い出しました。」


「そうか。まあよい。じきに何かを思い出すであろう。ゆるりと構えて過ごそう。」


柔らかく微笑むその人に安心感を覚えた。


「私は秋仁と申す。気軽に呼んでよいぞ。」


「秋仁さん。」


「うむ。よいな。」


にこにこと話しながら干菓子をまたひとつ口にした。








1年が過ぎ、また桜の花が咲く季節になっていた。

庭にはまたあの大きな桜の花が零れんばかりに満開になっている。



「ひなぎく。 しばしよいか?」


御簾の向こうから声を掛けられ、秋仁だとわかって 「はい。」と答えた。

ひなぎくは離れに住まい、特に誰とも接する事もなく、心静かに暮らしていた

来るのは女房と秋仁くらい。

その秋仁が来る時は女房も特に気にせず迎えていた。


御簾を上げて入ってくる秋仁は相も変わらず、雅な香り漂わせている。


「いかがなさいました?」


「ほう、言葉も少しようなったのう。」


座りながらそう答える秋仁は、ひなぎくの横に来て手を取る。

手を取るから何かをするとかではなく、ただそれだけ。

柔らかく微笑むひなぎくに、心惹かれつつも守ることのみに徹している。

いつかこの思いを伝える事ができたなら、そのときは・・・と。



「今宵、桜の花が美しきゆえ、宴をいたすのじゃ。そなたも御簾の中で良いから宴に参らぬか?」


「宴にございますか。」


「うむ。なに、母君が参ってしばし琴を聞かせてくれよう。 あの方は琴がこの上なくすばらしき奏をいたす。なに、小さき宴なれば家の者だけのもの。さすればそなたも心穏やかでよかろう。」


「はい。ならば伺いましょう。嬉しいです。」


ひなぎくは嬉しげに返事をした。

その姿に心が温かくなる。

本当に不思議な娘だ。


秋仁は嬉しそうにひなぎくの手を撫でて、しばらく話をして「ならば、夜にの。」と、母屋へ戻っていった。






夜。


今宵の月は半月。

桜の花や枝に見え隠れしながら、綺麗な月夜を見せていた。

外では宴の用意がされて、いまかいまかと女房が出入りしている。


ひなぎくは折角だからと御簾を少し上げて、桜を見ていた。

まだ誰もいない庭に、桜の花びらがひらひら舞い散っていく姿をうっとりと見ていた。

記憶の中にぽっかりと開いたものがなんなのかわからないまま、1年が過ぎた。

自分の中になにがあったのかさえも、なにもないままだ。

しかし、心の中では誰かに会いたいと、会っていたのにという気持ちだけが残っていた。






『ヒナギク。』


え?

秋仁様の声ではない。

私を呼ぶ者などいないはずなのに。


突然に聞こえた声に、心がざわめいた。



『ヒナギク。探したぞ。 我じゃ わかるか?』


懐かしく聞こえる声がどこから来るものなのか、御簾をすべて上げて庭へ出てみた。

宴に行こうと呼びに来た秋仁が、その姿を見つけて慌てて近寄ってきた。



「ひなぎく、どうしたのじゃ?」


「秋仁様、声がいたします。」


「声とな。」


「はい。」


慌てるひなぎくに心が穏やかでいられない。

なにがこんなにひなぎくを驚かせているのか。



『ヒナギク。こちらだ。』


声のするほうへ向かうと、そこは大きな桜の木のところだった。



「ひなぎく、いかがいたしたのじゃ、こちらへ戻られよ。」


気持ちの焦る秋仁だが、ひなぎくは何かを求めて探すような顔をしている。



「声が、私を呼ぶ声が。」


「ひなぎく、何も聞こえぬ。私には聞こえぬぞ。」


秋仁はどこかへ行ってしまいそうなひなぎくの手を取り、自分の胸の中に納めようとしたが、一陣の風にそれは叶わなかった。


ひなぎくの袖も掴めない。

風はまるでひなぎくに触るなとばかりに邪魔をしてくる。



「ひなぎく!」


『ヒナギク、我だ。 思い出せ。』



桜の木の元へいくと、美しい男の人が枝に腰掛けてヒナギクを呼んでいた。


『ヒナギク。』


「あなたは・・・」


見上げるその姿には見覚えがある。

心の中でずっと探していたものが合わさったような気持ちが膨らんでいく。


会った事がある。

約束も交わした。


あの人は・・・

私の・・・



『おまえの名をつけたのは我だ。 そうだろう、ヒナギク。』


「か・・・か ぎん。  花銀っ。」


『思い出したか。 ヒナギク。』


「花銀。 花銀。」


涙で声が震えてしまうが、その名を呼ばずにはいられなかった。

ぽろぽろと涙が零れようとも、その姿に向かって動かずにはいられない。



「ひなぎく! こちらへ! なぜにそなたはそこで。誰と話をしておるのじゃ。 そなたは私が見つけたものを。」


「秋仁様。 私はこの方のものなのです。」


「なんと。 なんと申した。」


「私は この方のもの。この方の嫁なのです。」


「私には見えぬ。見えぬものを認めることなどできるものか。」


見えない姿のものに取られてなるものかと、ひなぎくを求めて風を追いやるように近づいていくも、ひなぎくはどんどん離れていく。


「ひなぎく!!」


一陣の強い風が吹いたと思ったら、桜の木の幹に一人の男が立っていた。


『秋仁。』


「おまえは・・・一条の・・・」


見た事がある。

一条邸の奥に控える、あれは・・・もはや人ではあるまい。


『そうだ。 秋仁、すまぬがこやつは我の嫁。 神の名において貰い受けし者よ。』


「そんな、ひなぎく・・・」


『ヒナギク、いかがする。』


「か・・・あ、あなたのもとへ、行くの、行くの!」


『ならば、その手を伸ばして、掴んでみよ。』


「ひなぎく!!」



花銀・・・と小さくも強くつぶやくひなぎく声。

その横顔は今まで見たものとは違う喜びに満ちた顔で、こぼれる涙も花びらのようだった。


その神だという男の伸ばした手を掴もうと、ひなぎくの手が差し伸べられていく姿が、月の明かりと涙でぼやけていく。


「ひなぎく・・・」

私はそなたが・・・

そなたの事が!



ひなぎくに向かって差し伸べる手は、空を切るだけで、もはや届くものでもない。




『秋仁。すまないな。』


神と名乗る男の儚げな顔がみえる。

ひなぎくの嬉しげな横顔も。


その一言と二人が手を取り抱き合う姿が、桜の花びらが舞い散る中にしだいに消えていった。



「ひなぎく・・・」




もう手の届かないひなぎく。

もう会えないのか。


その神と名乗るものとしあわせになるのか。





桜の花は涙のように花びらを散らしていく。


その桜の下では、秋仁が声を殺して俯いていた。

それでも好きになったものを恨むまいと、顔を上げて舞い散る桜を見上げる。



またいつか・・・

そなたと 花の咲く季節に

桜の下で会いたい。


いつか、またきっと。






・完・


























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