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うちの次男が長女になりました

作者: 矢野たつ

 身も蓋もない話です。オチも笑いも燃えも萌えも入れてない、淡々と情景描写が行われる邦画のような小説です。

 「にいやん、早くしてよ」

「あ、あぁ……」

慣れない俺は、まだまだタクヤのスカート姿に違和感を覚えてしまう。

 それに対してタクヤは、まるで以前からそうであったかのように、ごくごく慣れた様子で、頭を指でなじる。

「手続きしないといけないんだから、早くー」

タクヤはツンとした目付きで、いじけたような素振りを見せる。

 俺が玄関を出て、タクヤの横につくと、甘い匂いが漂ってきた。それは服が揺れるたびに巻き立ち、それは髪がなびく度に広がる。

 昨日と同じ背丈、昨日と同じ顔のはずなのに、その髪が違う。その服が違う。その仕草が違う。今日はどうしても女の子だった。そう実感させられざるをえない。もう、昨日までの暗い少年のタクヤは戻ってこない。

 タクヤは白と紺のセーラー服を着ているし、髪もショートには変わりないのだが、それは昨日よりも遙かに整えられている上、今日はかわいい赤のピンがくっついている。

 「そりゃ!」

タクヤは思いっきり反動をつけて、学生カバンを振り回し俺の腰にぶつける。

「痛って!」

俺にぶつかった反動でカバンはぽよーんと大きく跳ねる。同時にそれにへばりついたクマのぬいぐるみが下や上やに激しく暴れる。

「何をそんなにちんたら支度することがあるの」

「……いろいろあるだろ、書類とか。」

「あぁー、そっか」

 昨日、女宣言をかました弟と面と向かうのをためらっていたからだなんてとても言えない。

「兄やん大学は大丈夫なんだよね?」

「うん。一日ぐらいだったら何の問題もない」

「悪いやつ」

「母さんには言うなよ」

「どうしよ」

こぼれるような笑顔でタクヤはそう言って、くるくると回り始めた。

 俺も笑って車にキーを突き刺す。


 区役所での手続きは、タクヤがほとんどやってしまっていた。最後の説明を受けて、書いてきた書類を提出するだけでことは済むらしい。役所の人とタクヤが話す中、俺はその横に座って眺めていた。

 「学校の方から転送書類も受け取りましたので、あとは保護者の同意になります。そちらのお兄さん? サインをお願いします」

「はい」

俺が同意書へ実名でのサインを書く。未成年が性転換を悪用した犯罪を行った場合、その民事的責任を私が負いますうんぬんとの内容だった。本来なら親が負っとくべきだろうが、どうせ成人まで4年くらいだし、別に悪いこともしないだろうということで、家族で平日唯一暇で、かつ免許も持っている俺が、市役所に送るついでにサインもしてくるという話になったのだ。

 「以上で手続きは終わりです。あとは申請報告書が自宅に郵送されると思いますので、そちらをまたご確認の上、保管の方をお願いします」

「わかりました」

とは言いつつも、俺はタクヤのうなじばかり見ていた。思った以上に細い髪で、やっぱりまた甘い匂いがしてきた。タクヤはこの方がいいんだろう。タクヤが今日から女装してるというより、タクヤは昨日まで男装させられていたという方が自然なんだろう。セーラー服の袖に通る腕は細く、袖から出る手も、毛が剃られていて真っ白だ。俺の手とは全く違う。

 タクヤがくるんと振り返ったので、俺はつい目を逸らし、役員さんをじっと見つめてしまう。けれど役員さんとも目があって、今度はそっと目を伏せてしまう。

 「兄やん、どっか行こ」

「うん」

 これで、俺の弟だったタクヤはとうとう妹になってしまったのだということになる。だがそんな書類上の現実よりも、目を輝かせて俺を急かすタクヤのほうが、よほどリアルな現実として俺の記憶を底から揺さぶる。書類上の現実は、所詮文字の話なのだ。

 俺はタクヤだったタクヤの後に付いていく。

「どこ行くんだ? 学校は大丈夫か、間に合うか?」

「間に合うよ。昼からだもん。まだ十時前でしょ?」

そう言ってタクヤは助手席に乗った。俺も運転席に乗る。タクヤが膝の上に乗せたカバンにぶら下がるクマのキックが、こつこつと俺に当たる。俺はクマを指ではじき飛ばして、車を発進させた。

「喫茶店とかでいいか?」

「ううん、せっかくだし違うとこ行きたい」

「どんなとこだ?」

「スイーツパラダイスとか、あとは……買い物したいなぁ」

「じゃあ先に買い物するか」

「うん」

 俺は動き出す前の車両を見ていたが、タクヤは遠いところを見ていた。行く先のさらに遠く、ずっとずっと、タクヤにしか見えないくらい遠くのさらに先を、ただぼうっと。

 タクヤはどこを見ているのか、俺にはわからなかった。タクヤが昨日どうしてこんな決断を思い切れたのかわからない。俺がどうして十六年もタクヤの本心に気づいてやれなかったのかも、悲しいかなよくわからない。俺が遠くのずっと先、せめてその半ばまででも、連れて行ってやれるなら、俺は連れて行ってやりたい。

 俺はまだ、タクヤのことをほんの少ししか知らない。

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