From お嬢様
〝親愛なるキャサリンへ
季節も変わり目。生憎僕のところの国ではあまり感じることができない。君の方はどうかな? もうそろそろ、ラベンダーが咲く頃ではないのかい?
季節の移り変わり、初夏を感じさせる一面紫色の花畑。そんな光景が目に浮かぶよ〟
「去年書いた手紙のこと覚えてくれていたんだ……」
マリーは若干頬を紅くさせ、うれしそうに手紙を読んでいた。
その内容は、マリーが住む屋敷がから一望できるラベンダー畑の話が書かれていたのだ。勿論、相手はその花畑を見たことはない。それは、去年マリーが相手の手紙に書いたことだったのだ。
相手はその内容を覚えており、今回そのことを書いて手紙を送ったのだ。内容の端々から感じる相手の教養の高さと気遣い。マリーはどこか胸が温かくなり、ウットリとしてしまう。
しかし、手紙を読み続けるうちにその温かさがどこかに吹き飛んでしまう。震える手。マリーが手紙を落とさなかったのは幸いだった。
書かれていた内容というのは……。
〝実は、来月そちらの首都に行くことになったんだ。その際、良ければ、君の家に寄りたいのだが。どうだろうか?
返信を待っているよ。
ロイドより〟
「お嬢様っ! お嬢様っ! キャサリンお嬢様っ!」
いつもは静かで大人しいマリーだったが、 珍しく今はとても急いでいた。
右手には手紙を握り、左手は転ばないようにスカートを掴み、屋敷の中を走る。そして、肩で息をしながら、ドアの前に立っていた。
真面目な性格なのか、急いでいたわりに、きちんとマリーはドアをノックする。
「どうしたの? 早く入りなさいよ」
「失礼します、お嬢様」
頭を下げ、メイドらしく頭を下げ部屋の中に入る……もとい、突撃したマリー。
そんな慌てているマリーの姿は珍しいらしく、この屋敷の一人娘であるキャサリンは目を丸くしていた。
「その手紙は……あの文通の?」
「そうなんです、お嬢様」
「いつも言ってるじゃない、キャサリンでいいって」
「駄目です。そういうのはきちんとした線引きが必要ですから」
マリーが握っていた手紙を見て、すぐに感づくキャサリン。そして、いつものやり取りをしながら、マリーは手紙の一件を説明したのだった。
「ふーん。やっと、向こうも動き出したってわけね。よく二年も文通だけで過ごしていたものね」
面白半分、関心半分といったご様子のキャサリンは、自分のご自慢な髪を弄りながら話を聞いていた。
綺麗で長い金髪。そして、髪に負けないような綺麗な顔立ち。この屋敷の一人娘、キャサリン・ブルボンは誰が見ても美少女と認める容姿をしていた。
しかし、その見た目に反して、いや、負けないぐらい性格も強烈だったのだ。活発すぎるお転婆娘。これが、キャサリンに対する両親含め屋敷に住む一同の評価だったりする。
それに対して、マリーは派手ではないが綺麗な茶色の髪に顔立ちもそれなりに整っている。実家が裕福な商家で、読み書き、礼儀と一通り身につけており、おっとりとした性格もあったので、キャサリンよりもお嬢様っぽといわれるほど。
そんな、正反対な二人であったが、妙に馬が合ったのか仲良くしていた。
キャサリンも同世代の友達が近くにいなかったため、友達ができて嬉しがっていたのだった。それでも、マリーはメイドとして一応控えめ程度だが、一歩後ろに引いていたが。
「どうすればいいでしょうか、私……」
「そんなの決まってるじゃないっ! お呼びするに決まってるでしょう」
さも当たり前のようにキャサリンが言うが、マリーは困ったような表情を浮かべる。
「でも……それじゃあ、バレちゃいますよ? その手紙、私が書いたことが……」
マリーの視線は、手に持っている手紙に向かう。手紙のあて先はキャサリン。
しかし、その手紙を一番に読むのはマリーであり、そもそもいつも返事を書くのはマリーだったりする。
キャサリンと名乗っているが、実際はマリー。複雑になっている変な関係。
ことの発端は、二年前キャサリンが文通を始めたことだった。その頃、文通が流行っており、新しいものに目がないキャサリンはすぐにそれに飛びついた。そして、知り合いの知り合いの紹介で、ロイド・アンゼルセンという少年と文通することになったのだ。
しかし、流行に敏感な割に飽きやすいキャサリン。文通も例外ではなく、数通程度で止めてしまう。とはいえ、相手に失礼だと感じたマリーはキャサリンにお願いして、文通を続けてもらった。
そして、適当に切り止めるだろうっと思っていたキャサリンの思惑を裏切るように、今もマリーはロイドと文通を行っているのだった。
「普通に会ったら、ばれるわね。二年間も文通したんだから、私が話しちゃうとすぐにばれる。だから、私に良い考えがあるの」
ニヤリとキャサリンはマリーに笑いかける。
その笑みを見てマリー若干嫌な事が頭の中を過ぎった。キャサリンがお転婆と呼ばれる由来、何か変な事を考えるときに出る笑みだからである。
「大丈夫、私に任せなさいっ!」
胸を叩くキャサリン。
ここは、マリーのためにも協力したいと思ったのは本心。文通のやり取りを通して、マリーが文通相手のロイドに恋心を抱いていることに気づいたからである。
親友のために、人肌脱ぐのは当たり前。それに、面白そうだしっとキャサリンは心の中で頷く。
「カッコよかったら、いいわね」
「うっ……私は別に……」
「心の中じゃ、すでに理想な王子様像ができてるくせに」
顔を真っ赤にするマリーに向かって、キャサリンはニヤニヤしていた。
「あの……やっぱり、やめませんか?」
「何言ってるのよ。似合ってるじゃない」
困り顔のマリーは、満足気なキャサリンを見てため息をつく。
黄色のパステルカラーのドレス。季節を感じさせ、中々マリーに似合っている。対して、キャサリンは動きやすいエプロンタイプの服……俗にいうメイド服を着ていた。
「私は遠くから見守ってるから、頑張るのよ」
「でも、騙すのは良くないと思います」
マリーがキャサリンの名前を使い、この屋敷のお嬢様としてロイドと会う。これが、キャサリンが考えたことで、今日までキャサリンは色々と手を回していたりする。
「今更、遅いっ! 午後には来るんだから……」
「だって……教えてもらったの昨日じゃないですか」
「言うと、断るじゃない。話に乗ればいいのに」
「でも……さすがに、家名を偽るなんて。爵位もある由緒ある家系なんですよ?」
「爵位って、別に男爵でしょ? あんまり、気にしなくてもいいわ」
ブルボン男爵家。爵位としては低いが、領地は広く、領民によく慕われている家である。それを、実家が大きいとはいえ商家の娘程度がブルボン男爵の一人娘として騙るのは問題があるのではないのか。
キャサリンはあまり大事として考えていないが、マリーは胃が痛くなってくる思いになる。
「でも……」
「でもじゃないのっ! これしかないでしょう? マリーはこれからも文通続けたいんでしょ? もし、ばれちゃったら続けられなくなるかもしれないわよ?」
キャサリンにそういわれると、反論できないマリー。
「大丈夫。似合ってるわよ。私よりもお嬢様っぽいから」
安心させるかのようにパチリとキャサリンは、マリーにウィンクをする。
実際、マリーのおっとりとした性格もあり、綺麗なドレスを着るとマリーは本当にお嬢様に見えている。元々、大きな商家の娘なので、お嬢様といっても当たり障りなかったりするが。
「ばれたらどうしよう……」
「もう、そんなに不安そうにしないのっ! 屋敷のみんなも協力してるんだから」
「やっぱり、そうなんですか?」
最近屋敷のみんなに色々と視線を送られていたことに気づくマリー。
マリーが知らないうちに色々と話が進んでいる。
「マリーが良い子だから、協力してくれるの。だから、大丈夫」
「でも、旦那様は?」
「うっ……パパは知らないけど。平気よ。だって、今出かけてるもの。ママは知ってるというか、パパを遠出させるのに協力してくれたから」
「お、奥様……」
マリーはキャサリンの母親の顔を頭に思い浮かべながら、ため息をついた。
キャサリンの父親であるブルボン男爵は、キャサリンとは似ていないお堅い性格で有名なお人。きっと、キャサリンがやろうとすることには、反対するだろう。家に泥を塗る可能性があるのと、相手側に失礼だからだ。
逆に、キャサリンの母親のブルボン男爵夫人は、キャサリンの母親といった様子で、乙女趣味が入っているもののそういうイタズラが好きだったりする。きっと、キャサリンの話を聞いてすぐに飛びついたのだろう。
男爵夫人の協力の下、男爵は夫人を連れて首都まで出かけることになった。帰ってくるのは明後日。
厄介な男爵がいなくなったので、キャサリンの計画はほぼ成功したといえる。あとは、マリーがロイドにばれなければ問題もなし。
マリーの胸が激しく鼓動する。緊張もするし、固まってしまう。
太陽はすでに真上を過ぎている。もうそろそろで、ロイドがやってくる時間になるのだ。
「マリーッ! 馬車が見えたわ。来るわよっ!」
キャサリンの声が上の部屋から聞こえてきた。キャサリンは二階の部屋から、外を見張っていたのだ。
外にはすでに、屋敷の使用人……マリーの仕事仲間がロイドの到着を待っており、マリー自身は玄関ホールで静か佇んでいた。
コツコツッと外から聞こえてくる足音。屋敷の使用人が案内する声。そして、静かに玄関の扉が開かれる。
マントを羽織った男性達が屋敷に入ってくる。
「ようこそおいでになりました。キャサリン・ブルボンと申します。遠路はるばる、お疲れ様でした」
ドレスの裾を持ちながら、キャサリンの名を使い一礼するマリー。その様はどこから、どうみてもお嬢様そのもの。
「お出迎えありがとう。ロイド・アンゼルセンです……お会いできて、光栄です。お手をどうぞ、レディ」
マリーの前に静かに差し出される手。マリーは恐る恐る手を重ね、顔を上げた。
短く切られたハニーブラウンの柔らかそうな髪。聡明で深い茶色の瞳。凛々しく端整な顔立ち。しかし、人を寄せ付ける人当たりの良い笑みを浮かべた青年がそこにいた。
ロイドの顔を見て、マリーの胸がドキリっと高鳴る。それは、マリーは心の中で描いていた王子様像にとても近かった。そして、ロイドの手を触ると、思っていたよりもロイドの手が硬いことに気づく。ペンを握るだけではできない、硬い手。剣術を心得ているのか、節々にタコのようになっている。
「……あれを」
少しの間、視線が合う二人。その沈黙を破るように、ロイドは後ろに控えていた自分の使用人命じる。そして、何かを片手で受け取りマリーに向かって差し出した。
「どうぞ」
「とても……綺麗です。ありがとうございます」
色とりどりの綺麗な花束。マリーが両手で持っても、持てないほど量が多い。
「ラベンダーではないが……中々綺麗な花々。きっと、君に似合うよ」
笑みを浮かべてロイドはマリーに花束を贈る。
甘い花の香りが辺りを漂う。マリーはこうして、花束を男性から送られるのは初めての出来事。その初めてがこんな良い人から貰ったので、マリーは内心喜んだ。
「花瓶に生けてくれますか?」
マリーは屋敷の使用人……同僚に向かって声を掛ける。すると、中年の女性がマリーから花束を受け取り別の部屋に運んでいく。少しだけ視線が合うと、目で頑張るのよっと言われているような気がした。
その使用人は男爵夫人と仲が良い。このことから分かるようには、キャサリンの協力要請にすぐに乗ったのは目に見えていた。
「これも贈り物です。紅茶に詳しかったので、珍しいものをお持ちしました」
続けてロイドは小さな小箱をマリーに差し出した。昔、紅茶について談義したことを思い出すマリー。内心、覚えてくれたんだあっと嬉しくなる一方、少しマリーは複雑だった。
それは、実家の商家で紅茶も取り扱っていたので、マリーはそのお陰で紅茶に詳しくなったとはいえない。少しぎこちなさを感じをさせながらも笑顔で受け取った。
「昼食の準備ができております」
初老の男性の声。この屋敷の家令であり、この屋敷の中でも一番の古株。男爵が幼い頃から知っていることから、男爵も中々頭が上がらない。そんな使用人のトップまでもが、今回の件に絡んでくるとは……マリーは苦笑するしかなかった。
「私がご案内します。誰かお荷物を」
マリーは何とも言えな感じに家令に貰った小箱を預け、ロイドを昼食の準備がされている食堂に案内する。
「隣国からお疲れ様でした。快適な旅でしたか?」
「道は舗装されていたからね。中々快適な旅だったよ。ところで、ご両親にも挨拶したいのだが……」
食堂までの道のりで少し会話をする二人。
ロイドはキャサリンの両親が見当たらないことに気づく。年頃の女の子一人で、出迎えるのは中々ないからだ。
「父と母はちょうど、首都の方へ出掛けています」
「そう……なのか」
ロイドが虚を疲れたように少し驚くのが分かる。
「ここが、食堂となります、続きは昼食を取りながらでも」
食堂のドアが開き、マリーはロイドに中に入るのを促した。
「凄いですね」
「いや……この国の方が凄い。自由連合国は小さな都市国家の集まり。ここの領地だけで、一つの都市はありますよ」
会話が弾むマリーとロイド。主の話が産業……農業や工芸品と残念ながら、その会話には色気がなかったりするが。
手紙のやり取りを通して、お互いの趣味などが合っていることは知っている。しかし、手紙を通すのと実際に話してみるとではかなり違う。
手紙では書ききれない、遠慮していた所も多く、会話は白熱し、議論といってもいいほどになっていた。
「本当に詳しい。経済や政治にもご興味が?」
「あっ……可笑しいでしょうか? やはり、女性の身で……」
ロイドは感心するように尋ねると、マリーは少し表情を曇らせた。白熱する余り、話しすぎたと思ったのだ。
実家にいるときは、他国の人と話すことが多かったマリー。しかし、この屋敷にくるとそういう機会はめっきり減った。マリーは面と向かってこういう話をするのは、久々で熱が入ってしまっていたのだ。
「全然。女性が社会進出をするのは、悪いことじゃない。こういう話ができて嬉しいよ」
ロイドは横に首を振りながら、笑みをマリーに送る。
その笑みを見て、マリーはホッとした。
「……昼食が終りましたら、中庭をご案内します」
マリーはキャサリンが考えた予定通りに事を運ぼうとする。
「たしか、手紙にも中庭のことが書いてあったね」
「はいっ! とても、綺麗なのでロイド様にも見て欲しいのです」
手入れが行き届いた屋敷の中庭。
そこには、四季折々の花々が可憐に咲いている。
「花を贈って良かった……」
嬉しそうに中庭のことを語るマリーを見て、ロイドはまた小さく微笑んだ。
「本当に綺麗だ……良い庭師を持っている」
「昔からこの屋敷にいる方なんです」
中庭を歩く二人。花の大きさ、色も考慮した中庭の庭園。
「ロイド様の屋敷にも庭園はあるのでしょうか?」
「うーん、家の方では……あんまり。母は花に興味を示さなかったのでね」
「そうですか……残念です」
国が違うと見れる花が変わってくる。どういう花があるのか聞きたかったマリーはロイドの話を聞いて肩を落とした。
「商売をする家系なので、形が残るものの方に興味があるみたいで」
「ロイド様もなんですか?」
「……こうやって、可愛らしい女性に送るのは好きですよ」
赤い花を一輪、マリーに差し出すロイド。
「黄色のドレスに栄える、赤い花。似合いますよ、キャサリンには」
「ロイド様はうまいですね。そういうの」
妙に芝居掛かったロイドの仕草。マリーは顔を真っ赤にさせながら、まるで本にでも出てくるみたいっと心の中で思った。
「いや、本当にそう思うんだ……伝わらないかな」
ムムッと首を傾げたロイド。マリーはそんなロイドを見て口元に笑みを作った。
「是非また来たい……戻り次第手紙を送るよ」
「はい。お待ちしています……お気をつけて」
ロイドたちの見送りで玄関に集まるマリーと屋敷の使用人たち。
午後のティータイムが終ると、ロイドが帰る時間になったのだ。それまで、二年間もの間積もりに積もった会話を繰り広げていた二人。
寂しげにロイドを見上げるマリー。そんなマリーに向かって、ロイドはマリーの手を取った。
「えっ!? あ、あの……」
「絶対また来ます。今度も大きな花束を持って」
そして、手の甲に口づけをして、ロイドはマリーに微笑んだのだ。
マリーは顔を真っ赤にさせながら、ロイドを見送る。また来たいと言われても、寂しいものは寂しいのだ。
「ふー、行ったわね。無事にばれなかった模様だし、上出来っ!」
「お、お嬢様……」
いつの間にか、マリーの背後にいるキャサリン。
キャサリンは満足げに大きく頷いている。首尾は上等。かなりうまくいったからである。
「にしても、良い男だったわねえ。顔は良いし、口も良い。私と話すよりも楽しそうにしてたし……」
「そ、そんなことはないです」
ロイドが来ている間、マリーはキャサリンを見なかった。しかし、キャサリンは始終マリーとロイドの様子を観察していたらしい。
「どうだか……まあ、それはおいといて良いけど。それよりも、部屋に来なさい。一つ話すことがあるわ」
それまでのマリーを冷やかす表情を一転させるキャサリン。キャサリンにしては珍しく、小難しい表情をしている。何か悪いことでもあったのだろうか。
「分かりました、お嬢様」
服装はドレスのままだが、心はいつものメイドに戻るマリー。
「私、二人の様子を見ながら向こうの使用人の人たちと話したんだけど……」
そこでキャサリンは一度言葉を切り、マリーの顔を凝視する。
「ほら結構良い家の人って感じでしょう? 身なりも、言葉遣い、仕草も上等」
「そうですね。手紙のやり取りから知ってましたが、実際会ってみてもロイド様の博識はすごかったです」
「そうよね……で、私自身ロイド・アンゼルセンと文通をする際、相手の身分知らなかったのよ。そもそも、気軽に文通をするために身分を隠して多少偽名でする人もいるみたいだったし」
「それが、どうかしたのでしょうか?」
首を傾げて、今度はマリーがキャサリンを凝視する。
「自由連合国の伯爵家系だそうよ。良い家系ね……うん」
「は、伯爵様?」
「そう伯爵……思った以上ねえ。うーん」
男爵の上が子爵で、その次が伯爵。男爵の家系であるキャサリンとしては、格上の相手になる。
「応援したいけど……ママが好きそうなロマンスよね」
「私はロイド様と話せただけでよかったですから……」
マリーは小さく首を振って、キャサリンを安心させるように笑みを浮かべる。
「なんて、マリーは良い子なの……文通は続けるんでしょう?」
「はいっ! で、できればですけど」
「大丈夫よ。ふー、今日は疲れた。パパとママが帰ってくるのは明日のお昼。それまでのんびりできるわ」
「いつも、のんびりしていますよ?」
ムムッとキャサリンは口を尖らせながら、不満げな表情になったのだ。その様子が可笑しくて、クスッと笑ってしまうマリー。
「そうそう、そうやって、笑えば良いの」
キャサリンは安心したようにマリーを見たのだった。
ロイドが屋敷をあとにした次の日。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」
キャサリンの計らいに乗ったキャサリンの母は、夫を連れて首都まで出かけていたのだ。
そのブルボン家当主が今日帰ってきた。予定よりも少し遅くなり、屋敷に着いたのは夕方だった。
屋敷の使用人一同が玄関ホールで待ち構える。
「うむ、ご苦労……何か変わったことは?」
「いえ、特には」
帰宅早々、男爵は問題が起こってないか聞くが、家令は昨日の出来事には触れずに涼しい顔で答えたのだった。
「……そうか。ところで、キャサリンはどこにいるのか?」
「お呼びしましょうか?」
「いや、いい。夕食時にもなあ?」
「ふふ、そうですわね」
男爵は隣にいる夫人に目配せすると、婦人は口を隠して笑ったのだ。
男爵の表情はいつもとあまり変わっていない様に見えるが、付き合いが一番長い家令は男爵がどこか面白がっているように感じた。何か首都で面白いことでもあったのだろうか。
しかし、使用人として一歩後ろに控えている家令は気づいたものの特に男爵に聞くようなことはしなかった。
「パパ、ママお帰りなさい……向こうはどうでしたか?」
使用人に遅れてキャサリンが玄関ホールにやってきた。
「それがねえ、キャサリン」
「その話は後だ」
キャサリンが首都の様子を聞くと、婦人は目を輝かせ口を開こうとする。そのとき、男爵が間に割り込んだ。
珍しい男爵の行動を見て、首を傾げるキャサリン。首都で何かがあったらしい。
「パパ、何で教えてくれないの?」
「夕食時にでも話す……夕食の準備はできているのか?」
「はい、旦那様。あと半刻もあればご準備が完了します。旅でお疲れだと思うので、別室にてお茶の準備をご用意しました」
「分かった。行くぞ」
どこかウキウキ気分でキャサリンに話したい様子の夫人をつれて、男爵は行ってしまう。
「何かあったのかしら? ねえ、マリー?」
キャサリンよりも早く、玄関ホールで男爵夫妻を持っていたマリー。
キャサリンはマリーの姿を見ると、今あったことの感想を求めたのだ。
「少しご様子が可笑しかった様な気もしなくはありませんが……良く分かりません」
「まあ、パパは表情あまり変えないものね。夕食には話すだろうから、いいけど」
首を傾げる二人。しかし、夕食時に男爵が話した内容は二人の斜め上をいっていた。
「それで、パパ一体どうしたの?」
二日ぶりの家族揃っての夕食。
夕食が始まって早々、キャサリンから話を切り出した。
「いや、お前にも女らしいマメな一面があるとはなあ」
「えっ? な、何のこと?」
「月に数度手紙が来ているのは知っていたが、まさか二年も文通をしているとは。意外だったなあ?」
「ええ、そうですわね」
男爵は夫人に同意を求めた。
月に数度の手紙、二年も文通……表情は穏やかなままだったが、男爵の話を聞いた途端キャサリンの背中に冷や汗が出てくる。
「な、何で知ってるの?」
表情はそのまま。焦っていることを両親に悟らせないようにキャサリンは言葉をつむぐ。
「いや、しかし、隠れて男と会うのは感心しないな」
キャサリンはすぐに自分の母親、夫人の顔を見た。チラッと視線が合うが、向こうは顔を横に振ったのだ。
どうやら、婦人経由でばれた訳ではないらしい。
「こういうのは、きちんと親と相談してからにしなさい。まあ、お前もやはり女の子。恋愛なんて別に今は興味がないとかいいながらなあ……フム、あれはカモフラージュというやつか」
男爵は軽く説教をするように、キャサリンにそう言った。あまり怒っていないことが分かる。
そして、男爵はマリーがキャサリンとして振舞っていたことには気づいていない様子。まだセーフ。キャサリンは心の中で安堵する。
「だから、どうして知っているのパパ?」
「首都で会ったからだ。ロイド君にな」
「はいっ?」
今まで表情を変えないようにしていたキャサリンだったが、さすがに今の発言を聞いて驚きが顔に出てしまう。
「中々良い若者だったな?」
「そうですわね。話し方も礼儀がなっていましたし……それに、ハンサム」
夫人の最後の方は私事が混じっているが、ロイドに対する男爵夫婦の好感度が高いことが伺える。
お堅い事で有名な男爵も頷く、その素養。思っていた以上にロイドができることをキャサリンは知ったのだ。
しかし、それよりもこの場は早く切り上げたほうがいいとキャサリンは直感した。長引くと余計なことを聞かれ、答えなければならない。それに、このことをいち早くマリーに伝えなければ……。
「それで、また良ければお邪魔したいと言っていたんだが」
「はい、そんなことも言っていましたわ」
「その際は、私も居よう。日程は、来月の頭にしようではないか?」
来月といっても、二週間もなかったりする。
「いえ、ロイド様もお忙しそうでしたので、もう少し間をとったらどうでしょうか?」
「いや、すでに空いてる日程を聞いておる。向こうに問題はないはずだ」
とんとん拍子に話が進んでいる。キャサリンは握っているナイフとフォークに思わず力が入ってしまう。
「そうですわね。パパにお任せします……私は少し用事があるので、お先に失礼します」
この流れは危ない。一刻も早く、ここから離れなければ。テーブルマナーが悪いと知りつつ、キャサリンは食堂を後にする。
そして、向かう先は……マリーの部屋。この時間マリーは休憩しているので、いつも部屋に居るはず。
「マリー、マリー、マリーッ! 大変よっ!」
夕食を食べた後、すぐに動きのはきつい。しかし、キャサリンは気にせずに屋敷の中を走っていた。
キャサリンの両親、男爵夫妻はまだ夕食中。そのこともあって、特に気にせずに目的地まで走ったのだ。
「ど、どうかしましたか?」
ノックもせずに、マリーの部屋に駆け込むキャサリン。マリーはその様子を見て、ギョッとしたように目を見開いた。
「どうもこうも、何かあったから急いだのっ!」
キャサリンの慌てように、マリーは何か気づいたのだ。
「だ、旦那様のことですか? 首都で何かあったのでしょうか?」
「そう、それっ! 向こうで会ったみたいなの」
「会ったみたい?」
首を傾げて聞き返すマリー。しかし、内心マリーは一つだけ心当たりがあったりする。
そして、そのことがキャサリンの口から出ないように祈っていたが……。
「ロイド・アンゼルセンよ。パパたちと偶然会ったみたい」
天に祈っても無駄だった。キャサリンから聞かされることは、マリーが予想していた最悪の結果だったのだ。
「ば、ばれたのですか?」
「それは大丈夫……いや、逆にばれた方が良かったかも」
ばれてないと知り、ひとまず安心するマリー。しかし、キャサリンの様子がどこか暗いことに気づく。
「お嬢様どうかなさいましたか?」
「それがねえ、パパが気に入ったらしいの。ロイド・アンゼルセンのことを」
「あー。ロイド様は素敵な方ですから」
大きく頷くマリーを見て、ため息をつくキャサリン。
「分かってないわねえ。あの堅物なパパが気に入ったのよ。それで、二週間後ぐらいにまたこの屋敷に招待するみたい。そのときは、勿論パパが屋敷にいること前提で」
「えっ!? そ、それじゃあ、ばれてしまいますね……早めに謝った方が」
「はー。マリー、事の重大さに気づいていないみたいね」
軽くため息をつきながらキャサリンは眉間に皺を寄せ、怖い顔をしてマリーの顔を見つめた。
だが、マリーはキャサリンが言おうとすることに気づかない。
「貴族が相手の両親に許可を取って、家に行く。または、相手の子を自宅に招待する……これって遠まわしに、縁談の一種なの。分かる?」
「た、たしかに……えっ! キャサリンお嬢様縁談するんですかっ!」
「しないわよ。それに、好きなのはマリーでしょ。なんで、私が……分かった? パパは私が"二年間も"女の子らしく文通を続けて、その相手のことが気に入ったの。これは、危ないわ。どうにかしなきゃ」
キャサリンは身に降りかかるであろう出来事を思い浮かべると、肩が重くなっていく。身代わりをしていたが、まさかここでその反動が返ってくるとは……キャサリンにとって予想外の出来事であった。
救いは身分差。向こうは伯爵。こっちは男爵。家の関係で、拗れる可能性も高い。しかし、近年の自由恋愛の空気もあるため、本人達がよければみたいな可能性もある。それに、ブルボン男爵家は男爵という爵位にしてはそこらの貴族よりも資産は多い。油断できない状況だ。
それもこれも、ロイドとキャサリンが実際に会ったらすべて終るわけだが。
「わ、私はそれで一体……」
「だから、二人で考えましょう」
「奥様は?」
「ママはダメよ。役に立ちそうにないし、黙っているだけマシよ」
実の母親に向かって凄い言い様である。しかし、キャサリンの言い分は正しく、無闇にここで男爵夫人が出てくると話が拗れる可能性がある。キャサリンの母親だけあって。
「正直に話した方がいいのではないでしょうか?」
「最終手段ね。それをやったら、今までの苦労が水に……文通もなくなるわよ? 下手したら、クビだし」
「そ、それは困りますけど、やっぱり……」
「一番良い方法を考えましょうっ! ねっ?」
良心がチクチクしているであろうマリーの手をキャサリンは取って、念を押すように言ったのだ。半分脅迫染みていたりする。
「手が進まない……」
ロイドに手紙を書こうとするマリー。最初は ロイドと話した感想を書き、向こうに感想を求めたところで止まってしまう。
屋敷に来る日にちをずらして欲しい、そう書けば早いのだがマリーはそれが書けないでいた。
「さっさと、旦那様に言った方がよかったのに……」
マリーはため息をついてしまう。急な用件が入ってしまった男爵は日中忙しく、マリーが声をかける暇もない。そして、泊り掛けで出かけることも多くなっているので、疲れている男爵の様子を見るとマリーは声を掛けることさえできないのだ。
それでも、男爵は楽しそうに二週間後ロイドが来る日のことを話している。普段は表情が硬いブルボン男爵。付き合いが短いマリーでも、一目で機嫌が良いことが分かる。
実はロイド様と文通していたのは私で、あの時もお嬢様に成り代わってロイド様と会ったんですとマリーは告げることができず、心に重く圧し掛かっていた。
キャサリンの方はというと、そちらも全然駄目であった。屋敷の使用人全員が共犯のこの状況。
半ば事情が漏れているので、屋敷内がぎこちない。
「あんなにパパが機嫌いいなんて……」
稀に見る父親の機嫌の良さ。それには、キャサリンも悪いことをしてしまったと深く反省してしまう。
ロイドが訪れる一週間前。結局マリーは当たり障りのない手紙しか、ロイドに出せなかった。
最終手段。直談判。男爵が忙しいとか関係ない。怒られたり、首になるのも仕方ない。意を決してキャサリンとマリーは夜遅く帰った男爵の部屋に向かったのだ。
「ふー、大丈夫、大丈夫よ。マリー……多分」
「最後小さく呟いたのしっかり、聞こえていますから……」
トントンっとノックをするマリー。
いつもよりも静かに感じる廊下。バクン、バクンっと自分達の心臓音だけが聞こえてくる。
「ま、マリー? それに、キャサリンも」
ドアは向こうから開いた。男爵は夜遅く珍しい来訪者に目を見開いている。
「実は旦那様、一つお話しがあるのですが、大丈夫でしょう?」
「そう、パパ大事な話があるの」
熱心にお願いをしてくる二人を見て、男爵は難しそうな表情になったのだ。何か、悪いことでもあるだろうか。
「いつもなら、いいのだが……すまない。これから、出掛けなければいけなくなった」
マリーはそこで、男爵がコートを着ていることに気づいた。今すぐにも出掛けることができるということが、一目で分かる。
「悪いが、また来週にな。一週間は戻って来れない」
「ま、待ってっ! パパ。すぐ終るから」
「旦那様。馬車のご用意ができました」
家令の声が聞こえ、男爵はキャサリンの願いに応じ、階段を下りてしまう。
「パパ、いつ帰るの?」
キャサリンが最後に投げかけた質問に対して、男爵は二人を振り向いた。
そして、そこから出た日付は……。
「えっ!? そ、それって」
「ロイド様が来る日ですよね」
男爵はそれ以上答えず、玄関に急いでいってしまう。
二人は顔を見合わせると、お互い顔面蒼白になっていることに気づく。
男爵が戻ってくる日は、ロイドが屋敷に再び来る日。そのことから、二人は男爵に本当のことを言えるチャンスを失ってしまったのだ。
「これはチャンスよっ!」
「お、お嬢様……」
ロイドが来る当日。キャサリンはテンションを上げるように声を上げる。
「なに言ってるの。チャンスよ。だって、パパまだ帰ってないんだから。マリーが私の代わりをしても、バレナイ。途中でパパが帰ったときは私がどうにかするわよ。どうにか」
男爵は朝の段階ではまだ帰ってきていない。ロイドが来るのは前回と同じ、昼頃。このまま行けば、ロイドが到着したときには男爵がいないことになる。
「お嬢様。やっぱり、駄目です。この際、言わなきゃ駄目です。それに、奥様も今日はいるんですから」
「マリー……今日を乗り越えれば、後は適当にお茶を濁せるの。違うわね。どうにかして、濁すの。これが私たちに残された道」
「先ほどからどうにかするっというばかりで……やはり、こういうことを積み重ねすぎるのは」
「だって、行くところまで行ったわけだし、もう走り切るしかないでしょう?」
ここまでやったのなら、最後まで騙す方が向こうも自分達もいいだろうっとキャサリンは言っているのだ。
たしかに、引くに引けない状況にはなっている。結局手紙に書けなかったマリーは自分の非もあるためうまく反論することができない。
「乗り切るの。マリーには悪いけど、もう文通もお終い」
「……それは分かっています。本当なら、ロイド様に合わす顔なんてないです」
俯きながら話すマリーの姿を見て、キャサリンは何ともいえない顔になった。
「キャサリン、お着替え大丈夫? マリーちゃんも今日は可愛い服着ましょうね?」
そんな悲しい沈黙を破るかのように、満面の笑みで夫人がノックもせずに入ってきた。
「ママッ! ちょっと、今は大事な話をしているの」
「ほらほら、後にしなさい。ロイドさん来るわよ。うふふ」
夫人は楽しげに何着もドレスを持ってきている。今の二人にとって、男爵以上に夫人は謎だったのだ。
「わ、私は何でここに……」
「いや、それなら私がここにいたら駄目でしょう。隠れなきゃな」
「駄目よ。キャサリンもマリーもここにいるの。ねっ?」
玄関ホールでロイドたちの到着を待つ、マリーとキャサリン。
そして、二人とも何故か飾られており、綺麗なドレスを着ていた。
二人はこの状況を理解できていない。そんな様子をにこやかに見つめる夫人。
「ママ、何か企んでる?」
「あら、私は何も企んでいないけど?」
キャサリンがそう聞くと、ウフフッと笑いながら返答する夫人。
「私は? お、奥様……」
「馬車がお見えになりました」
マリーが聞き返そうとした瞬間、使用人の一人がロイドの馬車が見えたことを告げる。
「や、やっぱり、私後ろに下がりますっ!」
慌てたようにマリーはキャサリンを見るが、キャサリンは首を横に振った。
「最後までここにいるしかないの、分かる? 諦めなさい」
キャサリンがマリーに言ったその一言。それは、半ば自分に向かって言ったものだと、マリーはキャサリンの表情を見て気づいた。
マリーもキャサリンも色々な後悔をして、ここにいる。
始まりはただの気まぐれみたいなものだった。それが、今やこんな大事にまで発展している。どちらにせよ、責任を取らなければいけないことには変わらない。
マリーとキャサリンは静かにロイドたちが玄関に入ってくるのを待つのみ。
そして、静かに玄関のドアが開く……。
「あっ……」
その光景を見て固まるマリーとキャサリン。
そこには、マリーを見つけて微笑み黒髪で青年ロイドと、お堅いことが見て分かる……この屋敷の主であり、キャサリンの父親であるブルボン男爵がロイドと一緒に玄関から現れたのだ。
「みんなでお出迎えとは」
「パパ何で……一緒にいるの?」
「たまたま偶然会ってだな」
「そうですね」
固まる体を一生懸命動かすようにキャサリンは男爵に聞いたが、男爵は素知らぬように答えるだけだった。ロイドも男爵の意見に同意するように頷いている。
明らかに怪しい二人の様子。しかし、キャサリンはそれどころではなかった。今の一言に言ってはいけないものが入っていたからだ。ロイドの前で男爵のことをパパといってしまったのである。これは、痛恨の一撃。
思ってもいない男爵の登場で、キャサリンは焦りすぎていた。
一方、マリーはキャサリン以上に固まるしかない。
心臓がバクバクと鳴っており、脳裏では最悪なことしか思い浮かばない。顔面蒼白状態であった。
「どうかしましたか、マリー?」
「何でもな……ロイド様っ!?」
自分の名前を呼ばれ、顔を上げるとそこにロイドが立っていた。
「ろ、ロイド様……何で私の名前」
そして、ロイドは明らかにキャサリンではなくマリーと名前を言っていたのだ。ロイドはこのカラクリに気づいているということ。
そもそも、男爵と一緒に来た時点でばれている可能性は高かったので、ある程度マリーは諦めていた。こうして、ばれてみるとロイドの前に立っている自分がとても卑しく思えてくる。
「な、何で泣くんだ。僕は君……マリーに会いに来たんだ」
ロイドは俯いて静かに泣き始めるマリーに向かって、花束を贈る。
それは、前回ロイドがまた屋敷に来るときにも花束をマリーに贈るといっていた。その約束の花束。今回は前回よりもマリーが持てるぐらいの小さな花束だが、センスが良く、マリーが好きそうな色の花でまとめられている。
「私は……ロイド様を騙してたんですよ? う、受け取れません」
「関係ない。そもそも、文通を始めて三通目で書き手が変わっているぐらい、気づいてた。それぐらい、すぐに気づく」
ロイドは花束を受け取らないマリーに向かって、花束を押し付けようとする。その花束をマリーは逆に押し返そうとするのだ。
「で、でも……」
「でもじゃないっ! 俺はマリーに会いに来たんだ。俺と二年間文通をしてくれた子に。この花束もマリーに贈りたいんだ。だから、受け取ってくれないか?」
文通を続けていた二年間、その積もり積もった思い一気に解放するかのようにロイドは大声を上げたのだ。
「あっ……いきなり大声を上げて悪かった」
ビクッと肩を震えさしたマリーを見て、ロイドはすまなそうに頭を下げる。しかし、マリーは横に首を振った。
「そ、それではありません。ロイド様……手紙だと僕って言ってませんでしたか?」
「それは外聞用だ。マリーは手紙どおりの可愛らしい子でよかった」
悪びれもせずロイドはマリーに微笑むと、マリーは耳まで顔が真っ赤になっていく。
「ということで、パパ説明してくれるかしら?」
それまで、二人の様子を見守っていたキャサリンは男爵に詰め寄った。
この状況を作ったのは……紛れもなく男爵であるとキャサリンは気づいていた。
そもそも、この二週間の忙しい日々もこの日のために仕込んだ嘘だった可能性もある。
「首都で、ロイド君と出会ったのは本当だ。そこで、一つお願いされたので、一芝居打ったということじゃな」
男爵は愉快そうにロイドとマリーを見てそういったのだ。
「一つお願い? それじゃあ、その時点で私とマリーのことに気づいてたの?」
今度はロイドの方を見るキャサリン。その視線に気づいたようでロイドも振り返った。
「君は覚えてないのかな。二通目の手紙で自分の髪の毛を自慢していたから。だから、会ったときこの子金髪じゃないなって。そもそも、二通目と三通目で書いてる人が違うからね。今会ってる子はやっぱり、三通目以降の子だと気づいて安心したよ」
「安心って何よ……私そんなこと書いたっけ?」
「わ、私を見ないでくださいお嬢様」
首を傾げるキャサリンだったが、全然記憶がなかった。
「首都でたまたまブルボン男爵にお会いしたときに、茶髪の女の子はそちらにおられないでしょうかとお聞きしたわけだ。それで、完璧に謎が解けた。その際、男爵には色々と怖い顔をされてね。この際だから、全部話して一つ頼もうかと思ったんだ」
少しずつピースが埋まり、謎が解けてくる。
それにしても、お堅い事で有名なブルボン男爵を味方にするロイドの手腕は素晴らしいとしかいいようがない。
「あの……」
「どうしたんだい、マリー?」
マリーは顔を上げ、ロイドを見上げた。
先ほどから会話で出てくる一点。マリーはそれが気になっていた。
「旦那様にお願いした一つのことって何でしょうか?」
「マリーから言ってくれるなんて、うれしいね」
ロイドはニヤリとして、懐から小さな箱を取り出した。
「どうか……お、僕と」
「俺で大丈夫です」
ロイドは一人称を変えようとするが、すかさずマリーはいつも使っている方で良いと言ったのだ。
「じゃあ、もう一回……どうか、俺と結婚を前提にお付き合いしてくれないでしょうか?」
ロイドは箱の蓋を開き、マリーに差し出した。そこには、銀色に輝く……指輪が入っている。所謂、婚約指輪といわれるものが。
「えっ!? あ、あの……私はロイド様と違って……」
「マリーは知ってるでしょう? 自由連合国の爵位について」
マリーは驚きで目を見開かせながら、頭の中を回転させる。こんなことがあったら良いと思っていたときもあるが、そもそも身分が違うのだ。
ロイドはマリーの言葉を遮り、何かを伝えようとする。
「自由連合国の爵位……それは一つの勲章でしかなく、あまり大きな力にはならない?」
「正解。良くできました」
マリーの答えに賞賛を贈るロイド。
自由連合国内において、爵位はあまり役には立たない。立つのは自分の力のみ。
「俺の家も勿論、結婚相手の身分なんて気にしない。だから、その点大丈夫」
「いや、でも……」
「でもじゃない。マリーは受け取ってくれるよな?」
念を押すように、ロイドはマリーを見つめた。
意外と押しが強いというロイドの一面がみれたマリー。
「すごいことになってる」
「本当ねっ! こういう光景が見れるなんて」
キャサリンは隣でとてもハシャイでいる夫人を尻目に、再び男爵と向き合った。
「頼まれたの?」
「そういうことだ。マリーは良い子だからな。お前に付き合っていたら、婚期が逃れてしまう」
「どういう意味よ」
男爵はここで小さな笑みを浮かべる。久々に面と向き合って、お互いの意見を言える機会にめぐり合えたから。
「今回の件は不問にしておく。お前の友達思いな一面が見れたからだ。しかし、大事にしすぎだ。そもそも、私にまで黙っておくな」
最後の一言は、男爵の隣にいる家令に向かっていったものだった。家令はこの状況にもなって素知らぬ振りをしている。そのポーカーフェイスはかなりのものだ。
「昔の旦那様を思い出したので……ここは一つお嬢様の誘いに乗ったわけです」
「あら? パパ昔何かしたの」
「それは……」
「もう、下がってよい。ロイド君の歓迎の準備をしてきなさい」
家令が何かを答える前に、男爵が間に入ってきた。
すごく面白そうなことが聞けそうになっていたので、キャサリンはつまらなそうに口を尖らしてしまう。
「一つだけ言いますと、お嬢様は"旦那様似"でございます」
男爵は去り際の家令に向かってものすごい形相で睨んでいる。
「あれって、どういう意味よ」
あまり意味を理解できなかった、キャサリンは首を傾げるだけだった。
〝親愛なるロイド様へ〟
マリーはそう手紙を書き始める。
結局のところロイドの婚約は一次保留になった。
しかし、このことはマリーの両親の耳にも入っている。
そもそも、マリー自身、結婚相手を探す際に貴族の屋敷で働くと箔がつくため、ブルボン家で働いていた節がある。なので、ロイドとの婚約はマリーの両親にとって朗報。
マリー自身も心の中ではとてもうれしかった。しかし、心の整理がつかないこともあり、保留に。
マリーは手紙を書きながら、自室に飾られている花瓶に目がいく。ロイドが贈ってくれた花々である。
次、ロイドから婚約をお願いされたら快く承諾しようと思うマリー。
それまでは……。
「マリー入るわよ。いいこと聞いたの?」
面白いことでも聞いたのか、ニヤニヤと笑いながら部屋に入ってくるキャサリン。
「はい、何でしょうかお嬢様」
それを見て、いつものように答えるマリー。
「お嬢様は堅苦しいの。キャサリンでいいのよ?」
「それは駄目です。キャサリンお嬢様」
顔を見合わせ笑いあう二人。マリーはもう少し、この屋敷でメイドとして働こうと思っている。
ロイドに送る手紙の最後には、キャサリンではなく……from マリーと書かれていた。




