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第8話:不当契約の締結:魂のM&Aと血塗られた連鎖

 

「マツキチさんっ、マツキチさんっ!」

 

 お静のヒステリックな声が静かな神社に響き渡る。いまだ手に持つナタを激しく神木に向かって振り下ろしている。足元には、マツキチのものだろうか、ズタズタに切り裂かれた布きれが散らばっている。

 

「許さん、許さん……!」

 

 空気が振動するように、静の怒りが伝わってくる。興奮のあまり、髪も着物も乱れ、ナタを持つ手に血管が浮いている。前のめりの姿勢で顔は見えないが、間違いなく鬼のような形相になっていることだろう。

 

 じわりと、周囲に不穏な気配が漂い始めた。不快極まりない、よく知った気配。実家に住んでいた頃に何度も感じていた、コレの正体が今の悠斗にならわかる。

 視界が墨が滲むように染まり始める。静の過去を覗いているだけのはずなのに、悠斗は悪寒に震えた。

 

(マツキチさん、憎い……あの女、横取りしおって……憎い……)


 静はなおも、ナタを振り上げては、神木を切りつけ続けている。ガツッ、ガツッと、太い幹が傷付けられる音は鳴り止まない。

 

(うちだけ、どうして……マツキチさん……悔しい……!)

 

 ガツンッ! ゴッ!

 

 これまでとは違う鈍い音が聞こえ、次の瞬間、視界が一瞬真っ赤に染まった。

 

「あ……ぐ、ぐぐ……?」

 

 静のくぐもった声を最後に、再び視界は闇に閉ざされた。

 不穏な気配は、すぐ側にあった。

 

 

 

 

 うぉぉうぉぉおぉぉん……

 

 うぉぉおぉん……

 

 不穏な気配が何かを伝えようとしているようだが、空間が振動しているとしか悠斗には感じられない。

 

 黒い渦の中心に、胸から血を流して倒れているお静が薄らと浮かんでくる。体はピクリとも動かないが、口からも流れ出る血で痙攣するようにむせた。その瞳にはもう光が宿っていない。

 

「ごぼっ……ごふっ、」


 うぉぉおぉん……

 

「……ひゅー、……ひゅー……」

 

 うぉぉおぉん……

 

『……? 願い、聞いてくれるん……?』

 

 おおぉぉ……うおぉぉん……

 

 口が動いていないのに、静の声が聞こえてくる。気配の声はやはり分からないが、静との間に意思疎通が出来ているようだ。

 

『……応。恨み、晴らす……』

 

  おぉん……  

 

『うちの魂魄……? 命まるごとで、ええか? ええよ、そげなもん……七代? 男の魂魄……? ……応、ええよ』

 

 うぉぉおぉん……おぉん……うぉぉうぉぉ…… 

 

『わかった。苦しめて、殺せばええんじゃな……』

 

 静の体はピクリとも動かなくなってしまった。

 

 うおおおおぉぉぉぅおおおん……!!!!

 

 空間が激しく振動する。

 不穏な気配に、何かがゆっくりと混じり合っていくのを感じる。

 

(バカが、このガキっ! なんで、こんな怪しいもんの怪しい誘いに、あっさりと乗ってんだ!)

 

 過去の出来事を見せられているとわかっているのに、悠斗は思わず怒りが爆発しそうになる。目の前にある落とし穴に自分から突っ込んでいく馬鹿は大嫌いなのだ。

 

『七代……うちの、女子のまごころを弄んだ、報いを払わせてやるわ……!!!』

 

 うぉぉん……!!

 

 どんっ!と奈落に堕ちるように、一気に視界は黒に塗りつぶされた。

 

 

 

 

 ぴちょん……ぴちょん……

 

 微かな水音とともに、次に見えてきた光景は最初から不穏な気配の中にあった。

 

「ひ、ひひひ……」

 

 顔面蒼白で、人相すら変わったマツキチが、壁に背中をつけて尻もちをついたような格好で見上げている。体中に切り傷があり、派手に血が流れているが、致命傷になりそうな場所ではない。

 余程恐怖なのか、壁が後ろにあるというのに、足が必死で後ろに下がろうと床を蹴っている。股間とその下にある床が濡れていて、失禁しているのが見てわかる。

 

「た……たすけて……」

 

 マツキチのすぐ側に、血に濡れた包丁を持つ女が立ち尽くしている。

 

「うちの痛みが、苦しみが、わがるがぁー?」

 

 耳を塞ぎたくなるようなダミ声。

 トラウマが湧き上がってきて、感覚のない体が震えそうになるが、それでも必死に観察を続ける。

 

「おまえのガキ……そのまたガキ……七代末まで、祟ってやるからのう……」

 

 カラン、と音を立てて包丁が床に落ちて、ついていた血が飛沫となってマツキチの顔にも飛ぶ。

 

「ふ、ふへへへ……っ、あはははははははははっ! 楽しみじゃのう! ぎゃはははははははははは……っ!!!」

「ひいいいいいいっ!」

 

 ダミ声が愉快そうに哄笑を上げる。

 いつ聞いても不快極まりない、人間離れしたゲラゲラという笑いに悠斗は必死で堪えた。

 

(落ち着け、ここで折れたら何が起こるかわからない……!)

 

 地に足がついてる気がしない。静の過去を見ている時点で、理性だけでは理解できない場所にいることはわかっている。夢でも見ていると思った方がまだ納得も出来るのだが、今はただ観察し思考を回し続ける。

 

 自分が意識だけのあやふやな存在になってしまっていることを自覚しつつ、悠斗は神経を研ぎ澄まして指の感覚を呼び覚ます。

 じわり、と微かな温もりが指先に触れている。それが、ダーリンにもらったお守りだと実感して、やっと少しばかりの余裕が出来た。

 

(大丈夫だ。絶対に帰るからな、ダーリン……!)

 

  

 いつの間にかまた真っ黒になった視界が、次の場面へと切り替わろうとしている。

 

 そこからは、静、もしくは静が取り憑いた女の凌辱の記憶だった。

 苛め抜いて殺すために、マツキチへの精神的、肉体的暴力は目を逸らしそうになるほど、陰湿でしつこいものだった。

 マツキチは殺さないようにいたぶられたが、それ以外の人間には容赦がなかった。相手が誰であろうと、女は不快に思えば殺し、機嫌が悪いと殺した。

 しかし、全く関係のない者には興味が向かないのか、被害に遭うのは、マツキチに関わった者ばかりだった。

 

(なるほど、これがヤバいヤツが消えた真相か)


 静が「見せたい」と思った場面を摘んで見せているんだろうが、それでも人ひとりの一生分の凌辱の歴史を見せられるのは、完全に拷問だった。こうしていると時間の感覚はないが、それでも永遠に続くのではないかと思えるほどに長い苦痛の時間だった。

 

 悪霊に取り憑かれた女に「目を覚ましてくれ」と泣き縋るマツキチ。それを甚振り続ける女。やがてマツキチの目から希望の光が消えていった。

 明治の夜明け、戸籍を編纂しに来たという青白い顔の役人が書状を読み上げ、マツキチに『留守』(とめ)の苗字を強制的に割り当てた。周囲が新しい時代の到来に沸く中で、マツキチだけが呪いの管理という名の『役職』を相続させられたのだ。「七代、その場を動かず役目に励むべし」役人は忌々しげにマツキチを見下ろし、そそくさと去っていった。

 残り少なくなった髪が全部白くなり、げっそりとやつれ頭を下げるマツキチの横で、マツキチの女房に取り憑いた静が「留守、のう」とニイッと邪悪な笑顔を浮かべていた。

 

(なるほど、留守の苗字は明治政府のどさくさに紛れた、国家レベルの押し付け契約(不当な割り当て)だったんだな)

 

 やがてマツキチの一人息子が成長し、「少々虐めても死なないだろう」と判断した静は、子供を虐待し始めた。それと時を同じくして、マツキチは枯れ枝のようになって死んだ。

 悠斗にはその姿が、今は亡き父親の姿とダブった。

  

(そうか、惚れた女を見捨てられなくて、そのうち気力もなにもかも奪われて……)

 

 マツキチを哀れに思いながらも、子供の虐待シーンにはどうしてもトラウマを刺激されてしまう。

 あまりの惨状に悠斗が意識を背けた瞬間、背後に立っていた『誰か』と目が合った。




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