第7話:過去情報の精査:マツキチへの執着の源泉
「おっとう……」
「おっとう……おっとう……」
暗闇の中、悲しそうなシズの声だけが聞こえてくる。
「おっとう……!」
ふわっと、目の前が明るくなって、青々と育つ稲と雑草の生えた畦道という風景が見え始めた。そこには農民らしき男がふたり。ひとりは手ぬぐいに包んだ農作物を片手に歩いている。
「おっとう!」
澄んだ声が響き渡る。
映画を見ているかのような視点の光景に、黒髪の少女が走り込んできた。シズだ、と感覚的にわかった。
「お静、そげに走ると、コケるど」
振り返った男は、日に焼けた顔で、愛しそうに静を見つめた。
後ろ姿で静の顔は見えないが、荒い布地に赤い模様の入った着物と色のついた帯、髪に挿した草花で、精一杯のおしゃれをしているのがわかる。
「おわっ」
雑草に足を取られた静が見事に転んだ。
「ほら、そげなこと言うたそばから……」
手ぶらだったもう一人の男が笑いながら近付いてきて、静を抱き起こした。
「うう……」
「ほうほう、泣かんのう。お静は強い子じゃ」
静の父親より幾分整った容貌の男は、着物に付いた土を手早く払ってやる。
「マツキチさん、だんだん」
「気にするな。怪我はねぇか?」
静の照れた声音のお礼に、マツキチはにっこりと笑った。
(この男がマツキチか。まあ、悪い顔じゃないが、……言うほどイケメンか?)
悠斗は祟りの元凶となったであろう男を、斜め上という視点からまじまじと眺める。六代前とはいえ先祖だ。自分と多少は似ているかもしれない。
しかし、食糧事情のせいか、体は筋肉も脂肪もなくひょろりとして、肌は日に焼けて荒れ、おそらく実年齢より老け見えしている。
どう見ても俺の方がずっと良い男だろう。ゲイだが。
「マツキチさん、……おらをマツキチさんの嫁っこにしておくれ」
「ほう、お静をかい? こりゃあ驚いたのう」
田んぼの端まで歩いて、手を振って別の方向へ向かおうとしていたマツキチに、静が思い詰めたように声を掛ける。
「お静、なんでマツキチなんじゃ。昔はおっとうの嫁さんになると言うとったのにのう」
「いつの時の話してんのよぉ」
茶化すような口調の父親に、静が口を尖らせる。
「まだまだガキじゃ。お静が大人になる頃にゃ、わしゃあ、しわくちゃのじじいになっとるわい」
マツキチも会話に合わせるように、笑う。
「左様じゃ。走って顔からコケとる間は、まだ早いわい」
「んもー! おっとうもマツキチさんも、うちをガキ扱いしてからに!」
わいわい言いながら、ふたりの親子とひとりの男は別々の道に離れていった。
「おっとう、おら、マツキチさんの嫁っこになるだぁ」
父親と歩きながら呟く静の声はうっとりとしている。
やっと見えた静の顔は純朴な田舎娘といった容姿だが、その声色に狂気の片鱗を感じて、悠斗は身震いする。
「んー、マツキチなぁ……」
「おらが転んだら起こしてくれたじゃろ? 優しかよぉ」
「おっかあに抱きつかんでも、寝れるようになってからだのう」
「寝れるわい!」
ははは、と男の笑い声が聞こえて、風景が霞んでいく。その風景にオーバーラップしていくかのように、次の風景が現れた。
それからは、家族やマツキチとの他愛もない会話や、静とマツキチの穏やかな場面が浮かんでは消えて流れていく。
これが静の記憶だと、悠斗は早々に気付いた。
しかし、他人のホームビデオほどつまらないものはない。自分の正体もわからなくなっている現状では退屈を紛らわす手段もない。
(あー、だりぃ……早送り機能とかねーのかよ)
しかし、悠斗がない口で欠伸を噛み殺しているうちに、段々と雲行きが怪しくなってきた。段々と静がひとりでマツキチを眺めるシーンが多くなってきたのだ。
マツキチはその時々で仕事をしていたり、飲食をしていたり、女が側にいることも増えてきた。
やがて、マツキチが静を見る時の表情から、笑顔が消えていった。
(あれ、これって、まさか、ストーカーじゃね?)
風景が揺らぎ、また消えて、次の光景が現れる。今度は夕暮れの村中のようだ。
一日の仕事を終えた村人たちが帰っていく家々からは、かまどの煙が上がっている。親の帰宅を喜ぶ子供たち、夕餉の支度に忙しくしている女房もみな穏やかな表情を浮かべている。そんな中。
「マツキチさん!」
さっきより声が大人になった静の声。はっきりとした意思の強そうな声音には怒りの色が滲んでいる。
歩いていた村人の一人が振り返る。こちらもさっきより少し老けたマツキチだ。表情は随分と厳しい。
「お静か……」
「近頃ちっとも会うてくれんではないの」
「悪い、悪い。近頃は隣村での仕事が多くてのう」
「うち、寂しい。もっと会いたい……」
「お静も、年の近いおのこ(男)と遊んだ方がええぞ」
「なんで、そげなこと言うん。うちはマツキチさんがええのに!」
「お静……」
「もう知らん。マツキチさんの、いけず!」
静が走り去っていくが、マツキチは無言で反対を向いて歩いていってしまった。走り去ったはずの静は、足を止めて去りゆくマツキチの背中を眺めている。握りしめた拳が、怒りに震えている。
また風景が変わる。
今度は、隙間の開いた小さな民家の前だ。木の引き戸の前でマツキチが家を守るように立っている。
そのマツキチと対峙している静は随分と大人になっている。とはいえ、中学生か高校生か、その辺りに見える。
「……マツキチさん、さっきの女、誰……」
「わしの女房じゃ」
「えっ」
「腹の中に、子もおる。もう来るな」
「嫁っこにしてくれるって……言うた……」
震える静の声に、マツキチは気まずそうに横を向く。
「本気にするとは思わなんだ。お前はまだ、ガキじゃねぇか。もう迷惑じゃ、ツラ見せんでくれ」
「……うそ、じゃ」
静は呆然と立ち尽くしたまま、その場から動こうとしない。
「ちっ」
マツキチはそんな静を置いて家の中に入っていく。
「あんた、何があったんね?」
「なんでもねぇ。勘違いしとるおなごが来ただけじゃわい」
「あらぁ、そりゃあ気の毒に。あんたが誰にでもええ顔するけぇよ。じゃが、ととさんになるんじゃ。ええ加減、性根を据えてもらわにゃあな。ふふふっ」
艶のある大人の女の声がする。
「マツ、キチさん……」
静は居た堪れなくなって、やっとその場から逃げるようにして離れた。
「……うそじゃ」
最初よろよろと覚束ない足取りだったのが、段々と力強い早足に変わっていく。
「嘘じゃ、嘘じゃ、嘘じゃあっ!」
静は自宅横にある納屋に飛び込むと、適当に掴んだナタを手にして飛び出した。
「嘘じゃ、マツキチさん、約束……したのに……」
来た道を引き返し、再びマツキチの家へと向かって走り出す。
「あの女じゃ……。あの女が、マツキチさんをたぶらかしたんじゃ……!」
怒り心頭の静は、不穏なことを口にして走るが、しばらくすると息を整えるために足を止めた。途端、周囲の目線に気付く。
「なんじゃ、そげな物、持って」
「どうしたんね、お静ちゃん。危ねぇけぇ、そげなもん振り回して走るなよ」
近所の住人たちが静を見て心配そうに声を掛けてくる。
「な、なんでもねぇ……」
静は回れ右をして、引き返していった。しかし、自宅には戻らなかったようだ。次に場面が切り替わると、静は夜の神社にいた。
(どうやらここが、150年続く「不良債権」の契約会場らしい)




