第5話:シズ:現場に潜む制御不能な「異形」
アルファルドが実家前に到着し、ゆっくりと停車した。俺は窓越しに見た光景に思わずギョッとした。
随分と帰ってきていないが、こんなに陰気な雰囲気だっただろうか。しかし、良く見てみると、家が少し古びた程度でこれといった変化は見当たらない。なのに、何と言うか、家を含めた周囲の空間が歪んだように暗く煤けて見える。
母に怯え、自宅が恐怖の象徴であったガキの頃でも、ここまで恐ろしく感じたことはなかった。
ゴクリ、と唾を飲み込み、覚悟を決める。
「藤田。これからどうなろうが、祟りは六代目で終わりだ」
「ええっ、それは……町が困るんじゃ……」
藤田はバツが悪そうに、でも、町の住人としての本音を見せた。
「俺はゲイだから、七代目は生まれねーよ」
「えっ、マジか? カレシいんの?」
「いる」
「ええと、……おめでとう?」
困惑しつつも、不快感を示さない様子の藤田に思わず笑う。
「はは、お前、いいやつだな」
「今さら!? 高校から親友やってたのに!?」
「ま、そういう訳で、祟りはここで打ち止めだ。必要なら、パイプカットでも何でもしてやるぜ」
「ガチだ……」
「じゃあ、行くぞ」
勢いをつけて車から降り、実家の玄関先に立つ。
肌が粟立ち、悪寒が背中を上がってくるが、根性で恐怖を握りつぶす。大丈夫。ここを出ていった頃の俺とは違う。
何度も捨てようとして捨てられなかった合鍵を取り出し、引き戸を開ける。
「…………」
ただいま、と言いそうになる口をグッと閉じ、敷居をまたいだ。
瞬間、空気が変わった。
ゴゴゴ……と地の底から響くような音、ではなく圧が廊下の先から伝わってくる。
「おかえりぃ~悠斗」
ダイニングの扉から、黒い塊が顔を出した。ドロドロとした不気味な煙のようなものが立ち込める。
(なんだ、これは……っ)
顔の輪郭は歪み、目鼻の位置もおかしい。髪も乱れているなんてものじゃない。風もないのに、ぐにゃぐにゃと奇妙に蠢いている。完全に人じゃない。母の服を着た化け物だ。
「あ、おばさん、こんにちは。今日はごきげんだね~」
「藤田……?」
藤田は玄関に入ってくると、驚愕に動けない悠斗の横に並んで化け物に向かって挨拶をしている。表情こそ緊張に強張っているが、なんて強心臓だと悠斗は感心した。
「あらぁ? 藤田くぅんが、つれれきてぇくれれたのぉ? 良かったら、あぁがててぇいってぇ」
化け物はゆっくりとこちらに近付いてくる。ずちゃ、と一歩歩く度に濡れた重い音がして、振動でボタボタと黒い塊が千切れて床に落ちては霧散していく。
(なんだ、この、悪夢のような光景は……)
蛇に睨まれた蛙がごとく動けなくなった悠斗の横を抜け、藤田が室内へと入っていく。
「それじゃ、お邪魔するっす」
「お、おい藤田」
藤田のとんでもない行動に釣られて、悠斗の体も動いた。
今すぐにでも逃げ出したくなるほどの恐怖を感じるが、意地だけで踏ん張った。見た目がどうあろうと、悠斗にとって母が化け物なのは変わらない。二度目があるくらいなら、今日ここで絶対にケリをつける。
二人して廊下を歩き出すと、化け物は先導するかのようにダイニングに戻った。
「うわ、すげぇ。これ、おばさんが作ったの?」
「そぅよ。ひさしぶぶりりだからぁ、ががんばったのぉ」
「うっ……」
食卓の上には、冷めてしまってはいるが、見慣れた料理が乗っている。しかし、その料理にも正体不明のドロドロとした黒いものが飛び散っている。
それ以上にダイニング内の空気が最悪だ。匂いとして鼻は感じていないのに、酷い悪臭を感じて息が詰まる。
「よかたたら、たべてぇね」
化け物がぶよぶよと気持ち悪く体をくねらせる。
「いや、食ってきたから……今はいい」
そう言うのが精一杯だった。
「じゃあ、俺もそうする。美味そうなのに、すんません」
「わかったわぁ」
化け物はぶにょぶにょと動きながら器用に料理にラップをしてキッチンに避けていく。その後ろ姿を冷や汗をかきながら、凝視して警戒していると、藤田がホッとしたような声色で囁いた。
「良かったな、悠斗。とりあえず、おばさん、今日はまともみたいだぞ」
「え……」
思わず絶句してしまったが、やっと気付いた。藤田には「見えていない」んだ。
「藤田、聞くが、お前には母さんが普通に見えてるんだな?」
「普通って、まあ、最近はうろついてたり叫んだりしてるとこばっかり見てたから……普通じゃね?」
「わかった。サンキュ」
「?」
はあ、と息を吐く。怯えていちゃいけない。言葉が通じる状態なのを幸運と思わないと。ここから俺が盤面を支配するんだ。
「なあ、母さん」
「んん? なぁにに、ゆぅと」
背中を向けたまま化け物が返事をする。
「本当の名前を教えてくれないか? 今日はちゃんと話し合いがしたくて来たんだ」
「ほ、ほほんとうの名前……?」
化け物が手を止めてゆっくりと振り返る。その姿は悍ましいままだったが、不思議と感情のようなものが感じられる。
「かあさん、の、名前、しっててるでしょぉお?」
「房子じゃない、俺を呪っているアンタの名前だ」
横に座る藤田が絶句して固まっている。黙っていてくれてありがたい。ここからは動揺や怯えを見せるわけにはいかない。
「…………」
ドキドキと心臓の音がうるさい。余裕そうに見えるように浮かべた笑みが引きつりそうになる。
「名前なんかか、知ってどうする、の……?」
よし、と悠斗は心の中で拳を握る。
「アンタは俺の名前を知ってる。なのに、俺がアンタの名前を知らないのはフェアじゃないだろう?」
「ふぇあ……?」
「ええと、公正とか、……んん、難しいな」
「ずりぃってことだよな」
横から見かねたのか、藤田が口を挟む。
「ずりぃ? ズルぃってことぉぉ?」
ザワッと黒い物体が不穏に蠢く。それが尖った形に伸びたと思った瞬間。
ひゅっ!
(ヤバいっ!!!)
咄嗟に腕を前に組んで頭を守る。立ち上がる暇すらなかった。
ドンッ!!!!
目の前でダイニングテーブルの天板が大きく凹み、その衝撃でテーブルの脚がガタガタと揺れる。
「ひえええっ!?」
黒い物体が見えていない藤田には、いきなりテーブルが凹んだようにしか見えなかっただろう。間の抜けた声を上げて、呆然としている。
「シズ、わぁ、ズルなんか、しないぃぃぃ」
ゆらゆらと立ち上がった「シズ」は、もう人の形をしていなかった。
「え、ええっ? おばさんっ」
見ると「母の体」はテーブルに突っ伏すようにして動かなくなっている。どうやら、目の前にある黒い塊が、「シズ」の本体なんだろう。
「ははっ、こんにちは、シズ!」
ここまで非現実的なことが起きると、恐怖がひっくり返っていっそ可笑しくなってきた。




