第3話:情報の非対称性:苗字に隠されたタブー
「そんなことより、わざわざ俺を呼び出した要件を言えよ。鬼ババアが発狂してるのなんて、いつものことだろ」
「まあ待てって、すぐに説明するから」
「うるさい裏切り者。少しでも悪いと思ってんなら、最後まで付き合ってもらうからな」
俺は助手席に深く沈み込み、突き放すように言った。
あのクソ女が話の通じない暴れ方をしたら、迷わずこいつを盾にして逃げてやるつもりだ。
「そりゃ、そのつもりで来てるからいいけどよー。けど、俺だって大変だったんだぜ? 何度もしつこく、お前の居場所知らないのかって聞かれてよー」
「それを今になってどうしてだ?」
「いや、今、マジでヤバいことになっててよ。さすがにこのままにはしておけねーなって」
少し走るとすぐに人気のない旧道に出た。藤田はその道路脇に車を停めた。
周囲には、朽ちかけた蔵や、手入れのされていない竹林が並んでいる。閉鎖的な町の空気が車内まで侵食してくるようだ。
「具体的には? 俺に関係あんの?」
「大アリだ。俺も聞いたのはつい最近なんだけどよ。……お前ん家の『秘密』」
藤田は深刻そうな顔をして腕を組んだ。
「勿体ぶるなよ。早く言え」
「お前の家、……祟られてるらしいぞ」
「へー」
それで?と、目線で続きを促す。
「驚かねーのか?」
「いや、考えたこともなかったけど、あのクソ女の状態見てりゃあ、祟られてても不思議はねーなって。まさか、秘密って、それ?」
「まあ、そうだ」
藤田の言葉に気が抜けて、ぐったりと弛緩した体がシートに沈む。
狂った母親、早世した父。呪われていると言われても今更「へー、そうか」としか思えない。当時も相当に苦しんだが、大人になって世間を知ってから見えてきた実家の異常性には愕然としたものだ。
「困ってるだの、大変だの、いちいち勿体ぶりやがって。あの女がついに誰かをぶっ殺したのかと思ったじゃねーか……」
「いや、いつそうなってもおかしくない……いや、それだけじゃねーんだよ。悠斗があんまりにも帰ってこないからって、町長から親父に話が来て、俺にも……」
「やけに話がデカいな! なんだよ、その祟り!」
町長なんて、住んでいた時ですら縁のないお偉いさんだ。話の跳ね具合が意味不明すぎる。
────が、繋がった。
(そうか、町ぐるみだったのか……!)
すん、と悠斗が真顔になる。
「お、おい、悠斗」
「悪い、しばらく黙っててくれ」
(実家の異常な環境に対する違和感は、社会人になり客観的な視点を持つにつれ、確信へと変わっていった。────だが、俺は実家のことを忘れるために、あえて考えないようにしてきた)
立派とはいえないものの、戸建ての住宅。”たまたま”両隣は空き家だった。母は大抵家にいて、父は昼間はどこかに出かけていたけど、働いている様子はなかった。それなのに、食うに困った記憶はないし、壊れた壁や扉もいつの間にか修理されていた。粉々に割れた食器をあの女にしては機嫌よく片付けて、数日後には真新しい食器がテーブルに並んでいた。
俺は今まで祖父祖母と会ったことがない。父方も母方もだ。名前や生死すら知らない。それを言うなら、父の死因だって俺は知らない。死んだと鬼ババアが爆笑しながら俺に伝えてきた時「ああ、こいつが殺したんだ」と普通に理解していた。
いくら隣家から離れていても、泣き叫ぶ子供の声、破壊される家具や壁の音に、誰も気付かなかったはずはない。腫れ物に触らないようにしていたにしても、一度も警察や児童相談所からの訪問がなかったのはおかしい。そもそも客観的に見て、母は心神喪失だと診断されるレベルだろう。緊急避難で強制入院だって出来たかもしれない。臭いものに蓋をするというなら、放置しておくより隔離する方がずっと安全だろう。
子供だった俺はともかく、結果的に命を失うような凌辱を受けて、何故父は逃げなかったのか。大人の男なら、一文無しでも何とかなるだろう。例えホームレスになったとしても、あの鬼ババアに虐待され続けるよりはずっとましだったはずだ。
────それが、町ぐるみの監禁だったとしたら?
「藤田、俺の質問に答えろ」
「あ、ああ」
藤田は覚悟を決めたように頷いた。
今日の帰省を内密にしろ、と条件を出したのは俺だが、「その方が良い」と同意したのは藤田だ。
俺の心情を慮ってのことだと理解していたが、そもそもが町長や親の圧力から俺を呼び出したのだとしたら、報告するのがセオリーだろう。それをしなかったということは、藤田はまだ俺の味方として立っているということか。
町長や藤田の父親といった、俺を犠牲にしてでも現状を維持しようとする連中に動向を掴まれるのは、交渉決裂のリスクを最大化させるだけだ。アウェイでの単独交渉を完遂するためには、情報の隠蔽こそが最大の武器になる。
すなわち、藤田GJである。
「その祟りってのは、俺の家にかかってるんだよな」
「ああ」
「そのことによって、町に何かメリットがあるんだな」
「……ああ」
「なるほど」
悠斗はしばらく考えて、再会してから気になっていた違和感を尋ねた。
「ひょっとして、俺の苗字を呼ばなくなったことも関係してるか?」
「……ああ」
頷いて、藤田が理由を語る。
「お前の、その苗字が『祟り』の目印らしーんだよ。だから、祟りの影響を受けないように、お前の苗字を呼ぶのはタブーになんだと」
「? 普通に学校では呼ばれてただろ。お前だって……」
「全員が知ってる訳ねーだろ。知ってるのは、この辺りでも古い家だけらしいぜ。現に俺も親も知らなかったしな」
「胸糞悪いな」
俺を生贄という名のコストとして計上しておきながら、そのリターンを享受する連中にリスク情報を平等に開示しない……。この町の隠蔽体質と情報の非対称性は、もはや田舎だと容認出来るレベルじゃないな。
「藤田。祟りのことを教えろ。お前が知りうる限りの情報をよこせ。俺はあのクソババアと今度こそ縁を切る」
「いや、それは……」
焦ったように藤田が顔を上げる。
「俺だけ情報がないのはフェアじゃないだろ。情報の対価はやるよ」
対価などとうそぶくのであれば、本来は明確な条件提示をすべきだが、情報の全容が不明な現状では適切な値付けも不可能だ。
正直、現段階では信じるに値しない話だが、そう切って捨てるのは聞いてからでも遅くない。
「悪いようにはしないから、とっとと話せ。『祟り』とかいう不良債権、俺がまとめてどうにかしてやるよ」




