第16話:M&A(養子縁組)の完了:ダーリンとの聖域
「ただいま~」
「悠斗ーおかえりー」
悠斗がダーリンの待つ自宅マンションに帰り着いたのは、深夜に差し掛かろうとしていた時刻だった。
「実家が遠いって聞いてたから、まさか日帰りだとは思わなくてさ。メッセージをもらった時は驚いたぞ。ゆっくりしてくれば良かったのに」
「いや~早く、ダーリンの顔が見たくなってさ♡」
持っていたバッグを受け取り、ダーリンが奥へと歩いていく。
その後ろ姿を見て、はっと気づく。右手に包帯?
「ダーリン、これっ」
「えっ、……ああ、これ? ごめん、包丁でやっちゃって。どんくさいよな。最近はマシになったと思ってたんだけど、油断するとすぐにこれだよ。も~恥ずかしいなあ」
バッグを室内に置いて、ダーリンが右手を擦っている。
ダーリンの両腕にある切り傷。それを俺は勝手にリストカットの跡だと思い込んで、込み入ったことは聞いたことがなかったが。まさか。
「なんか、刃物と相性悪いのか、すぐに怪我しちゃうんだ。家では刃物持つなってずっと言われててさ。こっちの足の傷なんか、小学生の工作の授業でノコギリが折れてさー」
「ノコギリって、折れるのか……?」
じわじわと冷や汗が滲んでくる。
「……えっ」
ふと、視線に気付いて玄関方向を見ると、閉めた筈のドアが僅かに開いている。その隙間から、複数の目がこちらを睨んでいる。
「……ダーリン!」
「え、なに」
慌てて首から下げていたお守りを取り出して、ダーリンの手に握らせる。
横目で見た玄関に、もう目玉はいなくなっていた。
(これが、今までダーリンを守っていたんだ)
「ごめん、これ、ずっと握ってたから汚れちまった……凄い効いたよ。助かった」
「うん、そっか。悠斗を守ってくれたんだな」
ダーリンは手にしたお守りをじっと見つめて、嬉しそうに微笑んだ。
「ダーリン、これ、どこで買ったんだ?」
「え……? これは、人にもらったんだけど」
ダーリンの目が一瞬泳ぐ。聞かれたくないことなんだろう。
「その、俺も同じもの欲しいしさ。ダーリンにも新しいもの買ってあげたいから、画像撮っていいか? 探してみるよ」
「あ、うん。もちろん」
天然木のダイニングテーブルにお守りを置き、スマホのシャッターを切る。
「中も見る? なんかお札みたいなのが入っててさ」
ダーリンがお守り袋を開けて、折りたたまれた小さな紙片を取り出した。
「あれ? 焦げてる? 前はこんなじゃなかったんだけどな……」
取り出した紙片は、ところどころが焦げたように茶色く変色していた。その紙片は確かにお札に似ているが、よく映画なんかで見る「~急々如律令」とか書かれているようなタイプじゃなく、墨字で中央に大きく文字が書かれ、周囲に細かい字が配置されている。漢字のような文字と記号にしか見えない文字が混在しているが、全く読めない。紙片の一番上の部分に朱色のハンコが押されている。デザインだけなら……御朱印に似ている気もする。
そのお札も画像に収め、紙片は再びお守り袋の中にしまわれた。
「さて、悠斗、ご飯はちゃんと食べたか? 手がこんなだから、凝ったものは作れないけど」
「大丈夫、新幹線の中で駅弁食った。それより、ダーリンとぎゅっとして寝たい。マジで疲れたんだ~もう田舎はイヤだ~~」
「よしよし、疲れたな~」
「田舎には、ラデュレもないし、SHIBUYA109もないんだよ~ピエール・エルメも、ブルーボトルもないんだよ~!」
「そうだな~」
すりすりと頬を寄せてくる悠斗を撫でながら、ダーリンの口元が緩む。
「東京ならさ、キルフェボンとか、ふらっと行けるのにさ~」
「よしよし、今度行こうな」
すぐに田舎をディスって都会マウントを取ろうとする悠斗が可愛いと思っているダーリンであった。
「じゃあ、お風呂に入っておいで。疲れが取れるぞ。それから、ゆっくり寝よう♡」
「うん♡」
しばらく愚図愚図とダーリンに懐いてから、やっと機嫌を直した悠斗はダーリンが用意してくれた湯船へと向かった。
「はい。確かに受領しました」
悠斗が生まれ育った町と実家をまとめて切り捨ててから一ヶ月後。悠斗とダーリンは役所に養子縁組届を提出した。
「あんなに呆気ないもんなんだ」
「なんか普通だったな」
二人して役所の出口を出た瞬間、悠斗は開放感で一杯になった。柔らかく照りつける太陽も爽やかに頬を撫でる風も、全てが二人を祝福しているように感じられた。
今日から悠斗は那間倉悠斗となった。もうこの世に『留守』の名を持つ男はいない。
嬉しくて、普段は目立つからとやらないのに、ついダーリンと手を繋いで駅までの道を歩く。しかし、さすがは都会、そんな二人を見咎める者は誰もいない。
「なぁ、せっかく出かけたんだし、何か食べていく?」
「うんん、やっぱり外は緊張するから、帰りにスーパーに寄ろう。ちょっと良い材料使って、腕を振るうし」
「そうだね。じゃあ良いワインでも買おっか♡」
「はは、あんまり飲めないくせに~」
ダーリンの笑顔が眩しい。
俺の事情で今日という日になってしまったが、特に何かの記念日だったわけでもない。だが、これから一生、この日を忘れることはないだろう。
「じゃあ、急いで帰ろう」
「うん♡」
その日の晩、二人はたくさん食べ、飲み、笑い合って、人生最大の慶事を二人だけで大いに祝った。
目一杯、イチャイチャもした♡
――同時刻。
この幸福の『対価』を、遠く離れたあの町が、一括で強制徴収されているとは。この時の悠斗は、まだ知る由もなかった。




