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第13話:本日付、契約不履行(デフォルト)確定

 

「悪かったな。おばさん、お前がゲイって知らなかったのか」

「構わねーよ。良い意趣返しになったし。ざまあみろだ」

 

 はは、ひひ、とふたりで苦笑いをしているうちに、駅前まで近付いてきた。

 

「……は!?」

 

 車が五台も停まればスペースがなくなってしまいそうな狭いロータリーの入口に、仁王立ちする母の姿があった。

 

「ど、どうやって、あの短時間でここまで……っていうか、俺の車より速いっておかしくないか!?」

 

 あまりの状況に理解が追いつかない藤田のハンドルは、真っ直ぐに駅に向かっている。車に乗っているとはいえ、このままでは母と再びやり合う羽目になる。

 

「藤田! 左だ! ハンドルを切れ! あっちなら信号がない。ぶっちぎるぞ!」

「あ……お、おう!」

 

 信号が変わるギリギリで侵入した交差点を急ハンドルで左に曲がっていく。母は目を剥いたまま、目で追いかけている。

 これまた見慣れた、完全にブチ切れている表情だ。

 

「捕まったら面倒なことになりそうだし。悪いがこのまま次の駅に……」

「お、おい、悠斗、後ろ……っ!」

 

 ルームミラーを覗いた藤田が頓狂な声を上げる。

 まさか、と振り向いた悠斗が見たものは……髪を振り乱し、信じられない速度で足を動かし追いかけてくる母の姿だった。

 間違いなく人間の動きじゃない。メーターは時速40キロを示している。

 

「嘘だろ……っ!」

 

 さすがの悠斗も軽くパニックに陥る。

 ただの虐待母だと思っていた時より、人外の化け物に取り憑かれていると知って楽になった部分はある。

 だけど、こういう場面に遭遇すると、過去の悲惨な状況ですら「命拾いした」と思ってしまう。圧倒的な力の差を見せつけられた。

 

「藤田! アクセルベタ踏みしろっ! このまま真っ直ぐだ!!」

「駄目だ! このままじゃ追いつかれちまう~~!」

 

 そうこう言ってるうちに、母はすぐ後ろに迫っている。

 

 ガンッ!

 

 何かがぶつかったような音とともに、車体が振動する。

 見ると、ついさっきまで背後に迫っていたはずの母の姿がない。

 

 ギチッ、ミチッ、……ギチギチ……

 

 車中ではあまり聞きたくない種類の音が聞こえてくる。

 藤田の顔色はもう真っ青だ。

 

「え……まさか、俺の車から……?……チガウよな……?」

 

 バキッ! バキバキッ!

 

 天井から激しい音がして、思わず見上げるとサンルーフから乱れた髪が見えた。そのサンルーフがバキャッとイヤな音を立てて内側に凹んだ。

 

「ぎゃああああっ!! やめてぇ! 5年ローンで、まだ46回も残ってるんだぞ! 車がなくなっても払い続けなきゃいけないんだぞおおおおおおーっ!!!」

  

 怪異現象よりも、ローン残高が気になる藤田に突っ込む余裕もなく、悠斗は前を見て叫ぶ!

 

「いいからっ! 車ぐらい買ってやるからっ! 前を見ろおおおおおおっ!!!」

 

 パニックでハンドル操作がおろそかになってふらつくアルファルドの前に、高台にある畑の法面が迫っている。

 

「ふんぬっ!」

 

 悠斗は横からハンドルを掴んで反対方向に切る。しかし、そちらには用水路が口を開けている。

 

「わあっ! 落ちるっ!!」

 

 今度は藤田がハンドルを切り、法面が抜けたところにある小屋に突っ込みそうなる。

 

「馬鹿っ! 急ハンすぎんだろっ!」

「はーっ、はーっ、はーっ、あ、あっぶねぇー!」

 

 何とか車体を真っ直ぐに戻し、藤田は前方を注視した。今の蛇行運転で随分とスピードが落ちてしまった。

 

「そういえば、母さんは?」と、サンルーフを見上げようと思った瞬間。

 

 バキャッ! パキッ!

 

 フロントガラスのど真ん中上部に、真っ白い放射線状のひびが走った。

 それが屋根の上から現れた指が突き刺さって出来ていると認識した途端、再び藤田がパニックになる。

 

「は、はあ……!?」

 

 ガキッ! メキッ!

 

 激しい音とともに、指とひび割れは下へと降りてくる。やがて瞳孔の開ききった母の顔が姿を現した。言うまでもなく、怒りに我を失っている。

 

 すでにフロントガラスはひび割れで真っ白になっていて、視界の確保が難しくなっている。このまま走り続けるのは危険だが、止まると母に殺される。

 

「前が見えねぇ! サイドウィンドウ開けるなよ! 侵入されるっ!」

 

 ここまで来たら、アルファルドが文字通りの最後の砦だ。棺桶かもしれないが。

 

「くそおおおっ!」

 

 藤田がひび割れの隙間から必死で前方を見つつ、ハンドルを握る。側面の窓から見える風景が森を映し出した。

 

 ドォンッ!!!!

 

「はっ!?」

「うわっ!?」

 

 車全体が揺すぶられるほど強烈な衝撃。

 何かにぶつかったのか、と藤田の顔が強張った。

 

「いや……違うな」

 

 ゆっくりとはいえ、車はまだ走り続けている。

 確認のために振り返った後部窓からは、ワンピース姿の女が倒れているのが見えた。

 

「た、助かった、……のか?」

 

 呆然とする藤田は、ルームミラーを見ながら、ゆっくりとブレーキを掛ける。

 しかし、そのタイミングは遅かった。

 

 山道に入った途端、急カーブを描いていた道は、真っ直ぐ走るアルファルドを崖下に誘った。

 

「おわわっ!?」

 

 ガクン、と車が揺れ、すぐにゆらりと前方に傾き始めた。

 

「え、え、え? 嘘だろ……」

 

 地元の道である。前方が見えないながらも、何が起きているのか藤田にもわかったのだろう。

 

「藤田! 降りるぞ! ロック外せ!」

「えっ、あっ、うそ、まじか」

 

 思考が停止したまま、悠斗の言う通りにロックを開けた藤田はギリギリで脱出することができた。

 

「あ、ああ、あああ……っ、俺の、アルファルド……」

  

 バキバキバキッ!……ズズズズーー、ドォン!

 

 藤田の目の前で、アルファルドは崖下に落ちた。(と言っても5メートルほどだが) 

 プァープァープァープァー! プァープァープァープァー!

 

 激しいセキュリティ警告音が辺り一面に響く。 

 

「ああ、ああああ……」

 

 俺と愕然とする藤田が並んで、僅かに上がった土煙の中、横倒しで動かなくなったアルファルドに目を奪われていた。

 しかし、すぐに直前までの状況を思い出して、母が倒れていた方向を見る。

 母はのろのろと立ち上がり、這う這うの体で来た道を戻ろうとしていた。もう追いかけてきそうには見えない。

 

「なんで、急に? さっきの衝撃と何か関係が……」

  

 しかし、ブラフかもしれない。多少の距離ぐらい、さっきの走りならすぐに追いつかれる。周囲を窺い、隠れる場所や目眩ましで逃走できそうなルートを想定しながら、ちらりと藤田を見る。

 

(こいつに逃げる気力はなさそうだな……万一の時はデコイになってもらうか)

 

 ずるずるとその場にしゃがみ込んだ藤田に掛ける言葉はない。

 

(しかし、やはり大失策ブランダーだったな……)

 

 『子作り不可』と開示すれば、静が俺を絶対に逃さないのはわかっていたのに。出口戦略において、余計で感情的な意地エモーショナル・アウトプットを優先した結果、決定的な対立を招いてしまった。


 七代目という収益見込みがゼロになった以上、相手は六代目の俺という『既存資産』を、即座に回収(殺害)にかかるだろう。静を介した『黒いの』への支払利息として、俺の魂を最大効率いたぶりで強制回収(処刑)されるリスクが極大化してしまった。何が起きても殺されることだけはない、という契約上の免責事項が消失してしまったのだ。

 

 正直、アルファルドがなければ詰んでいた。

 自分の失策の結果、アルファルドに全損レベルの甚大な物損害を発生させてしまった。

 

 自分の身体の優位を確信してしまったのが敗因だ。完勝コンプリートサクセスを目指すなら、黙って東京に戻って籍を抜き、携帯番号の変更を淡々と進めるのが、論理的に導き出される唯一の正解だったというのに。

 

(俺もまだまだ甘いな……)

 

 自省しながら、いつでも逃げられるように静の動向を監視していて、ふと気付いた。

 静が今にもたどり着きそうになっているアルファルドが衝撃を受けた場所。畑にある見通しの良い交差点。

 

「──そうか、旧村の村境!」

 

 どういう理屈かは不明だが、『黒いの』の行動可能範囲は、行政上の境界ではなく、契約締結時の古いドメイン(旧村境)に準拠しているらしい。合併による村名変更などは、オカルト的な呪いのリーガル・プロトコルには影響しないというわけか。

 元の村と隣り合った2つの村が合併したのは30年近く前だったはずだ。俺も藤田も旧村境なんて意識したこともなかった。

 

 やがて、静は交差点にたどり着くと、すくっと立ち上がった。

 

「化け物の力が戻ったか……」

 

 ビシッビシビシッ!

 

 空間を切り裂くような音がする。きっと実際に『黒いの』が力を振るっているのだろう。だが、悠斗と藤田の所には音しか聞こえない。

 

「ゆ”ゔどぉぉお”お”お”~~~~~~ぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 おぉおおおおおぉぉぉぉぉん…………

  

 立ち上がった母の姿は酷いものだ。ワンピースは裂けてブラジャーが見え、太腿が剥き出しになっている。

 何より、その顔が、もはや人間の顔には見えないほどに歪んでいる。

 

「ユ”、ヴ、ドォォォ~~~~おおおおおぉぉぉぉ~~~~」

 

 顎が外れんばかりの口腔から、地獄の底のような慟哭が響く。

 恐ろしくて堪らないその声が、悠斗には静の悔恨の念が籠もって聞こえた。

 


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