第12話:逆転のスキーム:ゲイの告白と現場からの離脱
「おい、悠斗、悠斗っ!」
ゆさゆさと肩を揺すられる感覚にいきなり意識が戻った。
「悠斗っ! どうしたんだよっ! おばさんもちっとも起きないしっ!」
「うるせーよ。耳元で怒鳴んな」
目を開けて、間近にあった藤田の顔を睨みつける。
「ゆ……悠斗ぉ、……ビビらすなよぉ……」
情けない声を出して、藤田がへなへなと床へと座り込む。
「嫌な話ばっか、聞いてたから、てっきり呪い殺されたのかと……」
「いや、まあ、当たらずとも、って感じではあるけど。……俺、どれぐらい落ちてた?」
体感で言えば、何日もあの世界にいた気がする。とにかく静の血まみれメモリアルシーンが長過ぎた。
「ええっと、10分くらいか? 計ってなかったけど」
「タイパ良すぎだな……」
はーーーっと長く息を吐く。
精神的にどっと疲れたが、フィジカルへのダメージは想定の範囲内だ。
(何とか、脱出できたか……)
とにかく、生還できたことが最大の収穫だ。
実態調査を徹底し、さらに契約条項の再定義(条件変更)まで勝ち取った。精神を監禁されるという致命的なリスクと引き換えに提示した対抗案としては、これ以上ないベスト・シナリオと言えるだろう。
あとは、このまま穏便に東京への帰還を完遂すれば、プロジェクトは完勝だ。
「ゔ、ゔゔ……」
突っ伏していた母がゆっくりと体を起こす。
「あ、おばさんも、大丈夫っすか」
「あ”りがとうー、だ、だいじょぶよぉー」
ダミ声は変わらずだが、機嫌は間違いなく良さそうだ。
まあ、正体を知ってしまえば、カウンタープランにリソースを割くことができる。長年のトラウマという実体のない恐怖を、対処可能な具体的リスクにリプレイスできたことは大きい。
そもそも、中年女が狂気に暴れても、鍛えた成人男性が遅れを取るはずがないのだ。加えて、「殺害不可」という条件まで判明すれば、こちらには圧倒的なマージンがある。
あとは、このまま東京に帰って、二度と戻って来なければ良いだけだ。母(静)も『黒いの』も、この町という地理的制約から出る権限を持たないのだから。
「じゃあ、母さん、俺は帰るよ」
「えっ、もう? 全然、話してないだろ?」
「ゆ”ゆ”っくり、しでいけばいいのにぃぃ……」
「もう充分したさ」
悠斗は母に笑いかけながら席を立つ。歪んだ天板が、ギィと音を立てた。
「じゃじゃあ……づぎは、お”お”正月ねぇ……」
ぎこちない笑みを浮かべた染みだらけの顔をじっと見つめる。今度こそ、今生の別れだ。
「ああ、そうだね。母さん」
今でも殺してやりたいぐらいに憎いけど。
アンタのおかげでどんな辛い時でも、実家に帰るよりはましだと耐えれたからな。
でも、感謝はしない。
どんな底辺な人生を歩むことになったとしても、俺は普通の家庭に育ちたかった。
「ぷ、ぷろ、プロポーズ、ずる、んでしょお”ぉ?」
玄関まで見送りにきた母さんがいきなり尋ねてきた。
当然、藤田が反応する。
「えっ! まじで!? さすが、都会は進んでんな! カレシ喜ぶんじゃねーの!?」
大声で地雷を踏み抜いてくれた藤田に、俺は満面の笑顔だけを向ける。
「カレジぃ? チガウわよぉ、悠斗は、お”、男の子だがらぁ、カノジョよぉ?」
肉体年齢にそぐわない少女のような純粋な笑みを浮かべて、母が藤田を見上げる。
藤田はその瞬間「しまった」という顔をする。
「藤田、先にエンジンかけて待っててくれるか。すぐに行くから」
「お、おう……」
このまま誤魔化すのが正解なんだろう。アウェイな状況で、わざわざ言う必要はない。────けど。
むくむくと悪意を多分に含んだ欲求が湧き上がってくる。
いけないと思いつつも、憎くてたまらない女の絶望の顔が見てみたくなってしまった。
「なあ、静」
「? な”、な”に、ゆ”ゔと」
バタン、とアルファルドの重い扉の音が遠くに聞こえた。
「藤田の言う通りだよ。俺の恋人は男なんだ」
「え”?」
母の目玉がぐるぐる動く。
「悠斗、ば馬鹿なのぉお”? 悠斗はお”お”男でしょお”? 男とぉお”、ゲッコンでできないわよぉ?」
「それが、都会では出来るんだよ」
(嘘だけどな)
正確にはパートナーシップ制度か、養子縁組。説明したってわからないだろうが。
「え”え”っ? じゃあぁ、どうやっで、こども……」
「さすがに男同士じゃ子供は出来ないな。俺、ゲイなんだよ」
「げいぃ……?」
母の姿をした静は、こてん、と小首を傾げる。
「あー、わかんないか。ええと、男色、衆道、陰間……?」
「男色!?」
静がクワッと目を見開いた。
「だめ、だだだめだ……悠斗、それは、だめ、だ」
見たこともない表情の母が、狼狽えている。
その姿に何とも言えない充足感を感じながら、悠斗はなおも優しく突き放す。
「静のおかげだよ? 俺、すっかり女が怖くなって、女じゃ立たないんだ」
「ゔっ、ええ”……?」
静がますます動揺する。そうだよな。何をどう頑張っても立たない男の相手は屈辱だっただろうな。だけど、それ、お前のせいだから。
「ぞんなの、すすすぐなおる……だから、悠斗ぉ”……」
「じゃあね。静、……母さん」
背中を向ける悠斗を追って、静はサンダルも履かずに玄関に降りる。
「悠斗、ゆ”ゔど、ゆ”ゔど、……よ、嫁っごは、ごどもは、……ゔちは、どうなるんじゃ……!」
最後まで自分のことしか考えていない静に、清々しさすら感じて、悠斗も明るく告げる。
「俺、ゲイだから、契約不履行確定でぇ〜〜〜す!!! ざんね~~~ん!!!」
最高に気分が良い!!
べろべろばーまでしたい気分だったが、深追いは禁物だ。さっさとアルファルドへ向かって走っていく。
もう、これで本当に最後だ、と感動を噛み締めていると、「悠斗、うしろっ!」と藤田の叫び声が聞こえた。
「はっ!?」
反射的に飛び退くと、顔があったところを母の右手が宙を掻いていた。昔、イヤというほど食らったビンタだ。思い出しただけでゾゾッと背筋に冷たいものが走る。慌てて足を動かして母から離れる。
相手はろくすっぽ運動もしていない中年女だ。たとえ喧嘩になったとしても負けるはずがない。
「ははっ、捕まるか、バーカッ!」
こちとら毎朝数キロ走ってるんだ。駅までだって余裕だ。怒りに任せて、息も絶え絶えに悔しさでむせび泣くが良い!
背後を窺いながら斜め走りをしていると、気の所為か段々と距離が縮まってくる。
「え……嘘、だろ……?」
相手はどこで買ったかわからないビミョーな柄のワンピースを着た裸足の中年女だ。こっちはばっちりスニーカーで、何より20代の健康な男だ。追いつかれるはずはない。
「……はっ、まさかっ」
鬼気迫る母から黒い陽炎のようなものが上がっている。あの化け物が力を貸しているのだ。
「やっべ……!」
本気で走らないと追いつかれてしまう。
しかし、気付くのが遅かった。母は狂気を滲ませた尋常ならざる走りでぐんぐんと距離を詰めてくる。
(ならば……っ!)
一瞬で方向を変え、母の視線を切って、民家の間をすり抜ける。母は悠斗を一瞬見失い、周囲をキョロキョロと見渡している。
悠斗はその隙を逃さず、元来た道を実家の方向へと走っていく。
「藤田っ! 車出せっ!」
「お、おうよっ!」
待ち構えていた藤田が、悠斗がアルファルドに乗り込んだと同時に、ドアにロックを掛ける。
「用心がいいな」
「あんなの見たらロックするっしょ!」
急発進して、すぐに実家が視界から消えていく。
思わず安堵のため息が漏れる。同時に藤田からも「ふひー」と間の抜けた声が聞こえてきた。




