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空間のひずみ

四 空間のひずみ


 夜になった。

 だけど、世界の方が眠ってくれない。

 屋根の上から聴こえる音。廊下を滑る気配。寝返りの下で軋む金属音。すべてが“いつもと違う”感じがした。いや、正確には、「昨日と同じじゃない」という感じだ。

 茉莉香はベッドの中で目を開けていた。

 すぐ隣で寝ている花森あゆが、時折寝言のように笑う。

 「うふふ」「だいじょうぶ、茉莉香ちゃん」と小声で言う。怖い。意味がわからない。けど、どこかで安心する自分もいた。

 ー時計の針が、音を立てて進む。

 秒針が、カチカチ、カチカチと鳴る。

 ─あれ?秒針って、戻った?

 そう思った瞬間だった。

 部屋が、軽く揺れた。

 ドン、という地響き。いや、揺れというより、“たわみ”だった。

 紙で作った世界を指で軽く押したように、全体がひしゃげて、また戻る。そんな感覚。

 茉莉香は、起き上がって窓の外を見た。

 ─風景が、少しズレていた。

 昨夜は、月が正面に見えた。今日も同じ場所に立っているはず。でも、月は位置が違っていた。樹の陰の形も変わっていた。おかしい。だって、部屋は同じなのに。自分の位置も変えてないのに。

 まるで─部屋ごと、どこかにズレているような。

 

* * *

 

 翌朝。全体レクリエーションの説明中、本郷が言った。

「今日は各班に分かれて、施設内探索をするぞー。地図は配るから、それを使って目的地のスタンプを集めるんだ」

 その言葉を聞いて、茉莉香は思った。

 (地図…?)

 配られた地図は白黒コピーで、やけに簡略化されていた。部屋の名前も、階段も、トイレも、なんだか雑。しかも─

 「これ…」

 目の前で影山漣がぼそりと言った。

「地図と実際の配置、合ってない」

「気づいた?」

「うん。たとえばこの“B-5教室”、地図では一番北だけど、実際は中庭の隣だ。階段の数も一つ多い」

 「俺、昨日の夜にスケッチしたんだ」と影山は言って、紙を出した。手描きの見取り図。異常に緻密で、芸術的に正確だった。

「廊下の角度が変わってる。窓の数も違う。扉の位置も微妙に…ズレてる」

 「気のせいだろ」と飛鳥は笑ったが、茉莉香は笑えなかった。

 影山の言っていることが、すべて自分の感覚と一致していたからだ。

 

* * *

 

 探索が始まった。班行動。だけど茉莉香は、勝手に列を外れていた。

 目指す場所があった。昨日、あの夢で、莉理香が立っていた場所。

 「地下への階段」。

 地図では「倉庫」としか書かれていない場所。だが、昨日開いた鉄扉はもう見当たらなかった。

 「…おかしい」

 そのときだった。背後で声がした。

「やっぱり、あなたも見てるのね」

 振り返ると、そこに花森あゆがいた。

 髪が風もないのにふわりと揺れていた。

「ねえ、茉莉香ちゃん。“この建物”、少しずつ変わってると思わない?」

「どうして、そう思うの…?」

「昨日の夜ね、ドアが三回、音を立てて勝手に開いたの。誰もいないのに。そして、カーテンが、風もないのに外に向かって膨らんでた」

「………」

「わたし、ずっと思ってた。ここの建物、呼吸してる。昼と夜で、空間の形が違うの」

「呼吸?」

「うん。吸ったり、吐いたりしてるの。人間みたいに」

 

* * *

 

 夜が近づくにつれ、“建物の呼吸”はさらに強くなった。

 たとえば、トイレのドアが、音もなく勝手に閉まる。

 廊下の突き当たりにあったはずの掃除用具入れが、なぜか反対側にある。

 ベッドの下の隙間に入れたスリッパが、部屋の隅に移動している。

 「みんな、気づいてないのか?」

 茉莉香は混乱していた。

 何かが狂ってる。でも、それをおかしいと思うのは“自分だけ”というこの状況。

 ─もしかして、自分が壊れている?

 でも、そのときだった。影山が、誰にも聞こえないような声で囁いた。

「部屋が…回転してるんだよ」

「え?」

「毎晩、少しずつ。時間とともに、空間が回ってる」

 影山は床を指差した。

「床の模様、ズレてる。照明の位置も変わってる。天井のシミの位置が、昨日とは違う」

「…誰がそんなことを」

「誰かがやってるとは限らない。構造そのものが、壊れてるんだ。あるいは、“動いてる”って言うべきか」

「なぜ?」

「さあ…でも、誰かがこの空間の仕組みを知ってて、利用しようとしてる。俺はそう思う」

 

* * *

 

 深夜0時すぎ。

 茉莉香は、またあの“気配”を感じて目を覚ました。

 廊下の外に、誰かがいる。いや、“誰かの形をした空間の歪み”が。

 彼女は静かにドアを開け、足音を消して廊下へ出た。

 廊下の奥、非常灯だけが緑色に光る場所。そこに、誰かが立っていた。

 ─トランキライザー莉理香。

 例の、白いワンピースの少女。自分の顔を持った“誰か”。

「あなたは、まだわたしを必要としていない。でも、もう時間がない」

 莉理香は言った。

「この建物は、“構造”そのものが狂ってる。誰かが空間を設計し直した。階層のズレ、重なり、反転…この密室は、ただの四角い箱じゃない。これは“回転する迷路”。そして、それを知っている者が、この中にいる」

「…どうして、そんなことを知ってるの?」

「わたしは推理のためだけに生まれた人格。見えるの、世界の裂け目が」

「それは、病気なの?」

「違う。これは知覚だよ、茉莉香。普通の人が見えないものを、わたしは視ることができる」

「…誰かが、殺されるの?」

「明日。最初の“ねじれ”が起きる。世界が悲鳴を上げる。そして、死が、空間の奥から這い出てくる」

 

 ─また、ぐらりと揺れた。

 世界が軽く傾き、天井がぐにゃりと溶けたように見えた。

 茉莉香は悲鳴を上げようとしたが、声が出なかった。

 莉理香は言った。

「“密室”は、誰かが作るものじゃない。時に、それ自体が“呼吸する生命体”になる」

「これは“事件”じゃない。“現象”なんだよ」

 

 その言葉を最後に、莉理香は霧のように消えた。

 茉莉香はひとり、明け方まで廊下に立ち尽くしていた。

 

* * *

 

 そして─翌朝。

 朝食の前、第一の死体が見つかる。

 それは、誰もが予想しなかった“ねじれ方”をしていた。

 首から下を、まるでタオルを絞るように捻じ切られた─

 教室の密室の中で、死体になっていたのは、飛鳥真だった。

 

 密室、捻れ、異常死。

 世界は、もう“事件”の中に入っていた。

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