二 仲間たちの紹介
二 仲間たちの紹介
飛鳥が笑ったとき、世界がほんの少しだけ“現実”になった気がした。
「よーし、班長は俺な!不満ある奴、ジャンケンで勝ってから言えー」
そう言って、朝礼台みたいな岩に飛び乗る。演劇部所属、学級委員長で学年一のリーダー気質。といっても、嫌味がなくて明るい。ノリがいい。言葉にキレがあって、喋ってるとつい楽しくなる。なぜか周りの空気まで整えてしまう。
飛鳥真は、そういう少年だった。
「真、そういうとこだけ積極的よねー!」
ツッコんだのは、大沼冴子。艶のある黒髪に整った顔立ち、成績は常に学年上位、教師ウケは抜群。ただ、その裏でクラスメイトに対するマウンティングが常態化していて、影で「エリ女」なんて呼ばれてる。
「いいじゃん、別に?あたしが仕切ったら、あんたのこと真っ先に下働きにしてやるよ」
冴子は笑いながら毒を吐く。飛鳥は苦笑してその場をやり過ごすが、何かと言葉の端にナイフが仕込まれてるのが彼女の特徴だった。
「俺、班長とかどうでもいいです」
と、ポツリと呟いたのは影山。
影山漣。理数系に強くて読書家、他人と話すのが極端に苦手。けど観察力が鋭くて、妙に周りの空気を読むのがうまい。何かと「見てた」ってタイプで、彼の一言が事件の証拠になったりする─そういう立ち位置。顔は悪くないのに、常にフードを深くかぶっていて、必要最小限の言葉しか発さない。
「漣くんはいつも傍観者だねー。小説とか好きそう」
「…好きです。ホラーとか、空間理論のやつとか」
「ふぅん」
そのとき、花森あゆがふわりと割って入った。
茉莉香の唯一の“話しかけてくれる友達”。いや、友達と呼んでいいのか、よくわからない。花森あゆという少女は、端的に言えば「ふわふわしてる」し、「何を考えてるのかわからない」。でも、悪意がない。底の知れない笑顔で、突然妙なことを言い出す。
「ねえねえ、あたし、昨日ね、夢で見たの。ここのお風呂、床が開いて海に落ちるんだって」
唐突すぎて誰も反応できない。
「でね、そしたら魚の群れが泳いでて、その中に、飛鳥くんいたの。魚になってたの」
「おいおい!」
飛鳥がノリよく笑って、皆もつられて吹き出す。
冴子だけは苦笑いして、髪をかきあげていた。あゆの言動がどうにも理解できないらしい。
その時だった。
「…おい。集合ぉーっ!」
大声が施設の端から響いた。
引率教師、本郷。
ジャージ姿にホイッスル首から下げて、いかにも「熱血教師になりたかった人」感をまとっている。けどどこか抜けてて、雑。いろんなことが雑。生徒に無理やりニックネームを付けて距離を縮めようとするタイプ。
「おい、オマエらー、もう班分けできたかー?男子こっち、女子あっち!スケジュールは今から読み上げっぞー!」
「もー、本郷先生、声でかい!」
「耳キーンなる」と文句を言いつつも、みんなはなんだかんだで本郷に逆らえない。
それはたぶん、彼が“真正”だからだ。
よくも悪くも、“まっすぐ”なところに嘘がない。本気で「楽しい林間学校」をやろうとしてるのが、わかる。だから笑える。イラつくけど、許せる。
─だけど。
茉莉香の中には、別の感情が湧き上がっていた。
(この中に…犯人がいる)
そう、誰が何をしたとか、まだ何も起きていないのに。
彼女の脳の深層で、何かが警鐘を鳴らしていた。
「名前を、覚えろ」
「声を、表情を、仕草を。全部が証拠になる」
耳元で囁くようなその声は─彼女のものじゃなかった。
* * *
午後の自由時間。施設の裏手にある展望台で、花森あゆがまた変なことを言った。
「ねえ、茉莉香ちゃん。あたし、時々考えるんだ」
「…何を?」
「あたしたちの中で、“本当にここにいる”人って、何人くらいかなって」
「…」
「ほら、たとえば。人間の体って、心がないと動かないでしょ。でもさ、見た目だけあって、ほんとは心が別の世界に行っちゃってる人がいたら、どうする?」
「怖いこと言わないで」
「ううん、怖くないよ。あたしは、そういうの、信じてる」
まっすぐな目で見つめてくる。まるで、誰かの中身を見通すかのような、異常な透明感。
そして、花森はそっと囁いた。
「ねえ茉莉香ちゃん…あなたは、どこから来たの?」
* * *
その夜、夕食の席。飛鳥が皿を片づけながら、ふと口にした。
「このメンツ、面白いよな。全員、方向が違う」
「どゆこと?」
茉莉香が問うと、飛鳥は指を一本ずつ折っていく。
「まず俺。リーダー気取りの明るい男」
「自分で言うか、それ」
「大沼。成績優秀、性格キツめ、権威好き。けど、たぶん寂しがり」
「影山」
「観察者。世界を外から見てるやつ。人間ってよりセンサーだな」
「花森は?」
「…異物」
「異物?」
「あいつは、何か違う。俺たちと生きてるレイヤーが一段ズレてる。バラバラの世界を繋げる触媒っていうか。あいつだけ、こっちのルールに従ってない気がする」
「……わたしは?」
茉莉香のその問いに、飛鳥は少し考えてから笑った。
「君は、まだ“誰でもない”。…いや、違うな。“誰かになろうとしてる”のかも」
「………」
その言葉が、茉莉香の胸に妙に残った。
─“誰かになろうとしている”。
もしかして、彼は見抜いていたのか。自分の中に、“誰か別の人格”がいることを。
* * *
消灯時間、すこし前。
教師の本郷が各部屋を回っている。
彼の声が、廊下に響く。
「おいー、消灯すっぞー。電気消してー、スマホは枕の下に入れてー、あーイヤホン外せ外せ、朝は六時起きだぞー」
女子部屋に入った彼は、何やら満足そうに笑って言った。
「今日はいい日だったな。全員、ちゃんと生きてる。ちゃんと起きて、動いて、笑ってる。それだけで、なんか安心するよな」
「…先生?」
「いや、こっちの話。おやすみ」
そう言って本郷は部屋を出ていった。
でもその背中に、どこか哀しげな影が差していたように見えた。
* * *
全員が“揃った”。
けれど、誰一人、本当の姿ではなかった。
明るいリーダー。毒のある優等生。観察者。不思議系。そして教師。
誰もが仮面をかぶり、誰もが、どこか嘘をついていた。
その“嘘”が、一つずつ剥がれ落ちるまで─あと少しだった。
─始まる。
夜の帳が、施設全体を静かに包み込んでいく。
最初の悲鳴が、まだ響いていないことが不思議に感じるくらいに、空気は濃密だった。
類巣茉莉香は、ベッドの中で目を閉じながら、はっきりと“何かの到来”を感じていた。
その胸の奥で、誰かが目を覚ましたような気がした。
─莉理香が、微笑んでいた。