試練①ー闇に消えた者たち/前編
空間転移陣の前でナオは降りてくる前の事を思い出していた。
──出発前、ナオとミュアはダンジョン中層に拠点を構える支援部隊の元を訪れた。
「おっ、例の“人間くん”じゃねえか!」
声をかけてきたのは、軽装の青年だった。獣人族で、軽業と回避に長けた探索士だ。
「これ、補助用の結界珠な。47階みたいな“音の乱れ階層”では、これが耳を保ってくれる」
「助かる。……君も、以前47階に行ったことが?」
「ああ。あそこは静かすぎて“幻聴”が出る。自分の呼吸音すら他人の声に聞こえたりするんだぜ?」
グレンの言葉に、ナオは改めて緊張感を覚えた。
さらに、ミュアの友人である医術補佐が、簡易の体調診断札と“魔素濾過茶”を手渡してくれる。
「緊張すると、魔素の乱れも吸い込みやすくなるから、これを。……無事で戻ってきて」
最後に、地図担当の少年が、簡素な手描きマップを差し出した。
「現地の“空巻ノ書”の抜粋だよ。……音を信じるな。足と勘を信じろって書いてあった」
「ありがとう、みんな」
ナオは深く一礼し、支援班たちに見送られながら転移魔法陣に向かった。
ふと、ナオはミュアに提案する
「ミュア、言葉を使わない合図を決めておこう」
それは手話のような簡易的な合図。
「なるほど!これなら私でも覚えられる」
47階は音は無いが視覚はある空間。
二人は歩みを止めず魔法陣の中央へ。
転移魔法陣が淡く光り、ナオとミュアを静かに送り出す――彼らの最初の試練が、始まろうとしていた。
◇
ダンジョンの構造は特殊だ。基本的に一つの階層には“主”とも呼ばれるボス魔物が存在し、それを倒すことで次の階層への転移陣が発動する。
ナオたちはまず、50階の管理者に認可を得て、49階の転移陣へと向かった。
「ここから先は、魔物との“通過戦”になる。気を引き締めてね」
ミュアの言葉に、ナオは頷きながら愛刀・影刃を抜いた。
49階――《喰潰の沼》。水気を含んだ黒土と、ヌルヌルとした粘液の地面が広がる異様な階層。まばらな木々のように見える触手状の魔物が天井から垂れ下がり、獲物を待ち構えていた。
「くるぞ!」
ナオが声を上げた瞬間、数本の触手が音もなく振り下ろされる。
「《影縫い》!」
ナオの足元から黒い帯が広がり、触手の動きを一瞬止めた。
その隙にミュアが跳躍、持ち前の俊敏さで天井付近へと到達すると、爆符を投げつけた。
「……よし、効いた!」
粘液と煙が舞う中、ナオは一体の“根元”に斬撃を入れた。
切っ先がぶつかるのは岩のような装甲だが、スキル《見切り》により構造の“裂け目”を捉えていた。
一撃。
二撃。
三撃目で、中心部を斬り裂く。
叫び声のような異音が広がり、天井の触手が一斉に崩れ落ちる。
「ボス、沈黙……」
ミュアが静かに告げた。
粘液にまみれながらも、二人は顔を見合わせる。
「さすがだね、ナオ」
「いや、ミュアの爆符がなければ苦戦してた。ありがとう」
そう言って、拳を軽く合わせる。
背中を預けられるという信頼――それが、戦場のなかで少しずつ芽吹いていた。
49階の転移陣が発動し、二人は48階へ。
*
48階《粉塵の棚谷》。
切り立った岩場が迷路のように入り組み、地を這うような灰色の粉塵が風と共に舞う階層。
ここに潜むのは《群れ型》の小型魔獣“砂喰い犬”たち。
「視界が……最悪だな」
「でも、音は届く。47階とは違う意味で、ここは“騒がしすぎる”の」
霧のように舞う粉塵の中で、ナオは耳に集中する。
「右上から来る」
ナオが刀を構えた瞬間、岩陰から二匹が跳びかかってきた。
ミュアが横から蹴り上げ、ナオが一閃。背中合わせで呼吸を合わせ、十数体に及ぶ魔物の包囲を徐々に切り崩していく。
「次、左下!」
「任せて!」
どこか楽しげに戦うミュアに、ナオも笑みを浮かべた。
(この娘となら、どんな戦場でも抜けられる気がする)
やがて、最後の“砂喰い犬”=ボスが崩れ落ち、静寂が戻る。
「48階、突破完了」
呼吸を整えた二人は、転移陣を起動させる。
そしてついに。
*
──47階《音の乱層》
到着した瞬間、ナオは息を呑んだ。
まるで“音が消えた世界”。風も足音も、囁きも。ミュアが傍で何か話しかけているのに、それが空気にすら届いてこない。
(本当に……何も聞こえない)
視線を交わす。ミュアがゆっくりと頷く。彼女もまた、緊張を隠しきれていなかった。
ナオは腰を下ろし、呼吸を整えると、手のひらを掲げてステータスウィンドウを開く。
――表示されたのは、自身の現在情報。
【カミシロ・ナオ】
レベル:17 → 19(戦闘による上昇)
称号:仮市民(フィル=ノワ)/影通者
スキル:
・影縫い(Lv.3)
・静音歩法(Lv.2)
・見切り(Lv.3)
・気配探知(Lv.2)
・跳躍術(Lv.1)
身体ステータス:筋力C/敏捷B/感知A/精神B
スキルが僅かに成長しているのを確認し、ナオは静かに息を吐いた。
「……ここからが本番か」
すぐ傍にいるミュアが、小さく手を握り返してくる。
“音”が届かなくても、気持ちは通じている。
ナオは再び立ち上がり、前を向いた。
(遭難した探索隊は、この奥にいる。必ず見つけ出す)
闇に沈む47階の迷宮。その入り口に、ふたりの影が静かに溶け込んでいった。