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影の都《フィル=ノワ》

──戦いのあと、ミュアはナオの手をそっと引いた。

指先はかすかに震えていたが、それでも真っ直ぐに前を見つめていた。


「こっちだよ。街は、あっちの岩壁の向こう側……」


ダンジョン第49階の戦闘区域を抜け、そこからさらに奥へと進んだ先。階段を降りると空気は冷たく、岩壁の隙間からは仄かに風が吹き出していた。異様な静けさのなか、ミュアの歩幅は少しずつ速くなっていく。


(……何かを、見せたいんだ)


ナオは、そう感じ取っていた。

戦場ではあれほど落ち着いていたミュアが、今はどこか落ち着かない様子を見せている。胸の奥に隠された不安と期待。それが、掌の温度から伝わってくるようだった。


「ミュア……その、君が案内してくれるの、嬉しいよ」


何気なく言った一言に、彼女の耳がぴくりと揺れた。


「べ、べつに……案内役ってわけじゃ、ないからね! 迷われたら困るから、仕方なく……!」


ぷいと顔をそむけながら、しかし尻尾だけはゆらゆらと、隠しきれない感情を表していた。


やがて、二人の前の岩壁が終わる。その先――ナオは、思わず言葉を失った。


広がっていたのは、天井に魔光を灯した、果てしないほどの地下空間。まるで空そのものが閉じ込められているかのような規模だった。


岩肌に自然に穿たれた洞穴と、精巧な石造りの建造物が共存するように立ち並んでいる。街路はゆるやかに傾斜し、ところどころには水路が走っている。地上とはまるで異なる美しさと複雑さが、静かに息づいていた。


「ここが……私たちの街。《フィル=ノワ》。“影の都”って呼ばれてるの」


ミュアが胸を張ってそう言うと、ナオは目を大きく見開き、周囲をゆっくりと見渡した。


「街、っていうか……これ、もう国じゃないか? 地下にこんな場所があるなんて……」


「うーん、国ってほどじゃないけど……昔は“魔王様の側近たち”がいたらしいの。今は、種族も文化もバラバラな人たちが集まって、なんとか協力して暮らしてるって感じ」


街には、人間とは明らかに異なる種族たちの姿があった。

虎のような顔を持つ獣人、炎の瞳をした鬼族、黒翼を背に携えた飛翔種、霧のような輪郭を持つ影従属種。どの者も、それぞれの生活を営みながらも、ちらりと視線をナオへと向けていた。


(……人間が、珍しいどころじゃないな)


好奇心、警戒、敵意、あるいは――希望。

その目は、どれもナオを「外から来た者」として認識している。


「大丈夫?」ミュアが小声で尋ねる。


ナオは少し考えてから、そっと笑って答えた。


「……緊張してる。でも、君が一緒だから、大丈夫」


その言葉に、ミュアの耳はまたぴくりと揺れ、頬がほんのりと赤く染まった。


「な、なによそれ……そんなこと言っても、あたしはナオの……その、ただの案内で……!」


そう言いつつも、尾はふんわりと弧を描いて揺れていた。

彼女の中で、確かに“誇り”が芽生え始めていた。


二人が歩みを進めると、やがて街の中心にたどり着く。

そこには、黒曜石で造られた広大な広場があった。地面には複雑な魔法陣が刻まれており、中心には魔光を灯す塔。その奥、威風を放つ建物が一際高くそびえていた。


「……あれが“庁舎”。いちおう、フィル=ノワをまとめてる“議会”の本部。討伐の許可とか報酬の申請も、基本はあそこで処理されるよ」


ナオは少し眉をひそめた。


「魔物が出るって話だったけど……この街の周囲にも?」


ミュアは頷いた。


「うん、この50階は“居住階層”って扱いだけど、完全に安全ってわけじゃない。魔物は普通に出るし、油断してると街に入り込まれることもある。だから、ここの住人はみんな、自警団とか、庁舎の討伐部門とか、ギルドに所属してるんだ」


「なるほど……魔物討伐でお金を稼いで、生活してるってわけか」


「そう。討伐依頼をこなすと、魔素結晶や素材の納品で報酬がもらえるの。戦えない人たちは、後方支援や商業、修理担当って感じで、役割が分かれてる」


街には、鍛冶屋や素材屋、簡易診療所の看板も見えた。路地の先では、訓練中の若者たちが模擬戦をしており、その周囲で年配の獣人が厳しい目を光らせている。


ナオは静かに息を吸い、周囲を見渡した。


「ここには……“生きてる”って感じがあるな」


「うん。戦いもあるけど、それだけじゃない。ここには“暮らし”がある」


その言葉に、ナオはゆっくりと頷いた。


「ありがとう、ミュア」


二人はそのまま並んで歩いた。

魔族の街を、人間と獣人が肩を並べて歩く――それだけで、周囲に小さなざわめきが生まれていた。


ナオは、その視線を正面へと向けながら、そっと思った。


(……戦うだけじゃない。ここには、“生きる”っていう選択肢がある)


初めて触れる“異文化社会”。価値観も習慣も、人との距離感さえも違うこの場所で、自分がどうあるべきかはまだ見えない。


けれど、隣を歩くミュアの存在が、それを恐れから希望へと変えてくれていた。


小さな冒険の終わりと、大きな物語の始まり――

《影の都フィル=ノワ》。その地で、ナオの新たな日常が幕を開けようとしていた。



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