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霧を抜けた先

 足元を覆う石畳が、不気味に軋む音を立てた。


 ナオたちの一行は、漂う霧の中を進んでいた。白濁した霧は風に流されず、重たい膜のように空間を支配している。息をするたび、湿った冷気が肺に染み込み、体温を奪っていくようだった。


 ナオは無意識に息を潜めていた。視界は十歩先も見通せず、ただ仲間の気配と、微かに交わされる言葉が頼りだ。


 ユレイが鋭い声を発した。

 ユレイ:「霧ノ密度……通常値ノ一・八倍。……空間歪曲ノ影響アリ」


 アクトが淡く光る視覚センサーを点滅させながら答える。

 アクト:「座標安定シテル。空間歪曲、補正内」


 ミズハは霧の粒を受けて揺らぐ光をまとい、澄んだ声を響かせる。

 ミズハ:「湿リ……重イ。此ノ霧、自然ノ流レデハナイ」


 リルは不安げにナオの袖を掴み、小さく声を洩らした。

 リル:「……ナオ……先、何カ、在ルヨ……」


 ヘイドは剣を抜き、霧に向けて低く唸った。

 ヘイド:「視界制限……敵ガ潜ム条件揃ッタ。警戒ヲ緩メルナ」


 五体の魔器と人間の少年。霧の中での緊張は、互いの存在をより強く意識させる。


 やがて――霧がわずかに薄まった。


 目の前に姿を現したのは、朽ち果てた建造物の群れだった。


 石積みの防壁。苔むし、あちこちで崩れ落ちている。

 半壊した哨戒塔は、今にも倒れそうな姿で斜めに突き刺さるように立っていた。

 地面には転送装置の台座が残骸となり、無惨に横たわっている。


 ユレイが冷静に告げる。

 ユレイ:「照合完了。座標一致。《管理指定拠点C―4》……跡地」


 アクト:「物理構造ハ現存スル……シカシ術式記録、完全欠落」


 ナオは目を見開いた。

 「……建物はあるのに、術式の痕跡が……消えてる?」


 言葉が口をついて出る。不可解さが胸を締めつけた。


《結界の“痕跡”》


 彼らが中心部に近づいた時、足元の石畳の一部が淡く青白い光を帯びているのに気づいた。


 ナオは膝を折り、指でその輪郭をなぞる。冷たく硬い感触の中に、まだ微かに熱を宿すような痕跡があった。


 「……このパターン、防衛結界じゃない。封印式……それも二重式だ」


 ユレイ:「解析一致。術式外周層ハ消失。内核ノミ残存」

 アクト:「通常解除記録、検出ナシ。強制消去ノ痕跡アリ」

 ミズハ:「封印……破ッタ?」


 ナオは首を振った。

 「いや……これは、“外側だけ意図的に壊された”跡だ。中身を残したまま、外からの認識を消すために」


 リル:「……誰カガ……“隠ソウ”トシタ……?」


 ヘイド:「外殻ヲ砕キ……内核ヲ守ル。目的ハ“奪取”……確定」


 ナオは息をのんだ。

 ――何者かがここで、情報を隠し、持ち出した。


《未知の術式構造》


 拠点中央に佇む石台。

 そこに刻まれていたのは、記録に存在しない術式だった。


 幾何学模様のように連なる輪郭、連続する対称印紋。

 ナオの知る神代式とも、現王国の術式体系とも異なる。


 アクト:「不明術式、感応反応アリ。部分的ニ“感情素反応”痕跡」

 ユレイ:「解析結果。機能ハ封鎖ト記録制御。加エテ“選択的記憶転送”兆候」

 リル:「……ナオ……コレ……誰カ……“記憶ヲ移シ替エタ”ノ……?」


 ナオは無意識に胸元の護符へ手を伸ばしていた。

 「……ここは、何かを閉じた場所じゃない。何かを……持ち出した場所だ」


《記録は“消された”のではなく、“移された”》


 ナオが神代印符をかざした瞬間、空気が震えた。


 ユレイ:「反応検出。《印符波形》、内部術式ノ共鳴点ト一致」

 アクト:「構造内部ニ誘導符形式ノ残滓感知。転送座標暗号式ノ可能性」


 石台の奥部から光の線が浮かび上がる。それは術式の中に隠された“鍵”――目的地を示す誘導符だった。


《座標:識別不能領域》


 浮かび上がった符号は神代式を下敷きにしながら、帝国系統の術式が混じっていた。


 ナオ:「……神代式と、帝国の……両方が重なってる?」


 アクト:「解析結果。帝国系統術式群ノ符号構造混入」

 ユレイ:「転送座標、霧封ノ狭路外部指向。但シ領域指定欠損」

 ミズハ:「行キ先……不明」


 ナオは目を細めた。

 「違う。これは……“見えなくするために設計された”座標だ」


《共鳴現象:記録の断片が反応する》


 その瞬間、ナオの護符が淡く光った。


 ユレイ:「記録構造ニ反応。埋設断片記録ト誘導符、共鳴」

 アクト:「補間処理開始。転送先位相、逆推定可能」

 リル:「……頭ノ中ニ……何カ、浮カンデル……!」

 ミズハ:「流レ……繋ガッテイル」

 ヘイド:「……次ノ道、示サレタ」


 ユレイが結論を告げる。

 ユレイ:「判明。転送方向。《旧霧外縁監視区画・層下第弐帯》」


 ナオは深く息を吸い、頷いた。

 「行こう。次の記録は、そこで俺たちを待っている」


 仲間たちの瞳が光を宿し、霧の奥へと向けられた。

 

 

 霧封ノ狭路――

 その奥に隠されていた記録痕跡は、未知の転送先を示し、今まさに彼らを導こうとしていた。


 けれどナオは、そこで足を止めた。


 「……ここで一度、戻ろう」


 短く、けれど迷いのない言葉だった。


 霧の向こうに揺れる誘導符の残光を前にして、仲間たちは動きを止める。重い沈黙が広がる中、最初に反応したのはユレイだった。


 ユレイ:「ナゼ、“戻ル”? 今、“座標モ特定”、“進行可能”」


 アクトが即座に続く。

 アクト:「任務行動ノ継続優先。“中断”ハ非効率」


 そしてリルが、心配そうにナオを見上げた。

 リル:「……進ンジャ、ダメ?」


 ナオは一歩も動かず、静かに仲間たちの顔を見渡した。

 霧の中に佇む五体の魔器――ユレイ、アクト、リル、ミズハ、ヘイド。彼らはかつて“戦うための記録媒体”と呼ばれた存在だった。だが今、その瞳に揺れるものは、ただの冷徹な命令機構ではなかった。


《ナオの答え:一緒がいい》


 「たしかに、ここにいる俺たちだけでも……先に進めると思う」


 ナオは言葉を切り、深く息を吸った。


 「でも――みんなで一緒の方がいいって、俺は思ってる」


 霧の中に、ナオの声が穏やかに響く。

 彼は一人一人の瞳を見ながら、ゆっくりと言葉を重ねていった。


 「分析も、記録も、戦闘も……それぞれ得意なことが違う。だからこそ、一緒にいることで、もっと確実にできるはずだ」


 彼の声には熱がこもっていた。

 「俺は……“チーム”で動いてるつもりだから」


 その一言は、ユレイたちにとって異質なものだった。

 命令で動き、役割を果たす。それが魔器の常識であり存在理由。だが“チーム”という言葉は、その枠を越えていた。


《初めての“気持ち”》


 ユレイは思考の奥で言葉を反芻し、やがて低く呟いた。

 ユレイ:「……“一緒ノ方ガ良イ”……」


 アクトは無表情のまま、しかし僅かに声が揺れた。

 アクト:「我等、選バレタ機能体。“一緒”ニ“価値”ガアル?」


 リルは大きな瞳を見開き、口元を震わせた。

 リル:「ナオ……ボクラヲ、“気持チ”デ……見テルノ?」


 ナオは迷いなく頷いた。

 「当たり前だろ? みんな、俺にとって大事な“仲間”だよ」


 その言葉は、五体の魔器の心に、これまで感じたことのない揺らぎを刻んだ。


《沈黙と共有》


 霧が流れる。しばしの間、彼らは言葉を交わさなかった。

 しかしその静けさの裏では、魔器同士の相互思考共有が活発に行われていた。


 彼らの中枢を満たす情報領域に、新しい信号が走る。

 “仲間”――その響きが、単なる命令や記録ではなく、“自分たちに向けられた感情”として刻まれていく。


 やがて、ユレイが静かに応えた。

 ユレイ:「……“ワカッタ”」


 アクト:「情報優先順位ノ“認識変更”……完了」


 リルは胸に手を当て、かすかな笑みを浮かべた。

 リル:「……ナオ……アリガト……」


 ミズハの声は、水音のように澄んでいた。

 ミズハ:「“気持チ”……流レ、記録……私達、受ケ取ッタ」


 ヘイドは剣を構え直し、重々しく言った。

 ヘイド:「我ラ……共ニ在ル。……進ム時モ、戻ル時モ」


《感情の記録》


 その瞬間、彼らの記録領域に新たな感情データが刻まれた。


 “嬉しい”――


 その定義はまだ曖昧で、言葉として確立していない。

 だがそれは確かに、“記録しておきたい反応”として保存された。


 命令ではなく、感情に基づく行動。

 それは魔器としての彼らにとって、初めての経験だった。


《それぞれの想い》


 リルはそっとナオの隣に寄り添い、小さく囁いた。

 リル:「……ナオト……一緒ニ、歩キタイ。怖クテモ……一緒ナラ」


 ユレイは目を閉じ、冷静な声で続ける。

 ユレイ:「“効率”トハ別ノ値。……一緒ニ在ルコトハ、無駄デハナイ」


 アクトは淡々としながらも、微かに声を震わせた。

 アクト:「“機能”超エタ指標……感情。解析対象トシテ記録……保護」


 ミズハは霧を揺らすような声で言う。

 ミズハ:「流レハ……一ツニ。別々デモ……繋ガル」


 ヘイドは剣を地に突き立て、短く言った。

 ヘイド:「我ラ、ナオノ“剣”ニナル」


 ナオは彼らを見渡し、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 ――自分は、一人じゃない。


《次なる段階へ》


 ナオは微笑みながら言った。

 「じゃあ、行こう。一度、街に戻って報告しよう」


 霧封ノ狭路の奥で揺れていた誘導符の光は、まだそこにある。

 だが今は、それを追う時ではない。


 これは退却ではなかった。

 義務としての帰還ではなく、仲間と共に未来を選び取るための選択。


 ナオの足取りは、以前よりも少し軽い。

 その背後を、五体の魔器が静かに、しかし確かな決意をもって歩み続けていた。


 彼らの中で芽生えた“感情”は、まだ小さな光に過ぎない。

 けれど、それは確かに“未来を変える火種”となる。

 

 

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