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第五試練

 庁舎の石壁は昼光を受けて白く輝いていたが、ナオの胸中には重たい影があった。

 封印の裏から戻ったばかりの彼は、布袋にしまったミオリの卵を胸元に抱えたまま、受付窓口に向かっていた。


 「……報告に来ました。“X12断層”に関して、異常が発生しました」


 受付の審査官は一礼ののち、静かに頷き、端末に手を伸ばす。


 「お名前と認証符を確認します……確認。ナオ=K38、仮市民権・第三段階。記録空間に関するアクセス記録、および認可証、確認済み。では内容を」


 ナオは封印空間での出来事――ミオリとの接触、外部からの干渉、そして脱出までの一連を、簡潔に、だが決して曖昧にせずに話した。


 沈黙ののち、審査官が小さく息を吐いた。


 「……確かに本日未明、庁舎の感知魔紋に“微弱な位相ノイズ”の通報記録があります」


 「通報……? 誰かが、“知らせた”ってことか?」


 「はい。ですが通報者は未登録。身元記録もなく、入域ログにも名前が存在しません。つまり――正式な来訪者ではない」


 ナオは無意識に自分の胸元に手をやった。ミオリの卵が、温もりとも違う、何か確かな存在感を持ってそこにあった。


 「……俺も、そうだったのかもしれない」


 気づいたときには、街の外にいた。記憶はあっても、記録はなかった。

 もしあのとき誰かが報告していたら、今の自分も“通報者”と呼ばれていたのだろうか――。


《街に入る者、生きる者》


 審査官の声は、少しだけ和らいだ。


 「そう、ですが――あなたは現在、仮市民権を取得し、三つの試練を通過済み。そして先日の“地下調査任務”においても、回収・報告ともに極めて優秀な結果を残しています」


 ナオは思わず目を伏せた。

 自分が“優秀”だなどとは、到底思えなかった。ただ、目の前にあることに手を伸ばしてきただけだ。


 「この街は、外から見ると“入りやすい”ように見えるかもしれません」

 「しかし……“生きていく”ことは、決して容易ではありません」


 その言葉には、どこか深い実感が滲んでいた。

 ナオもまた、心の中でそれを噛みしめていた。


 ――確かに。

 仮市民権を得てから、街の住人の態度は変わった。

 視線は計るように、言葉は選ばれすぎていた。誰もが、試される存在を前に“評価する者”へと変わるのだ。


 「……あなたの報告は正式に受理されました。外部干渉についても、調査命令が近日中に出るはずです」


《次の試練:問いかけ》


 審査官は再び端末を操作し、静かに言った。


 「ところで――次の試練を、受けますか?」


 短い問いだった。


 けれど、その中には選択のすべてが込められていた。


 ここで止まることも、できる。

 ただの通報者として、身を引くことも――だが、それはきっと、自分の“今”を否定することだ。


 ナオは小さく、だがはっきりと答えた。


 「……はい。受けます」


 審査官は頷き、指先を走らせて情報を表示した。


 「次の試練は、《第五試練:霧封ノ狭路きりふうのきょうろ》――」

 「街の北端、旧境界線沿いに広がる霧封地帯。“記録回収”と“封鎖管理の再確認”が任務となります」


 端末に浮かぶ文字列には、こうも記されていた。


 > 特例指定任務:第四段階未満の仮市民による進行を許可。

 > 通常の試練指定に基づかず、前回までの試験報告および行動結果により割り当て。


 「この試練は、あなた個人に対する“信頼と期待”を含んだ特例です」

 「……よって、今回は“同行者の指名”が可能です。希望しますか?」


 ナオは少し考えたあと、小さく頷いた。


 「はい――指名します」



「……同行者の指名が可能です。選びますか?」


 受付官の問いに、ナオはわずかに目を伏せ、沈黙した。


(誰を、連れて行くか――)


 その問いは、かつての自分なら「もちろん全員で」と即答しただろう。けれど今は違う。

 任務の目的と条件、仲間たちの体調と特性、そして街に残すべき力。そのすべてを、考慮する必要がある。


 今回の任務は、《第五試練:霧封ノ狭路》。

 霧に満たされた地帯での、記録回収と封鎖管理の再確認任務。


 《霧》――魔素濃度が高く、空間認識に影響が出るとされる地帯。

 何が潜んでいるかは不明で、過去には迷い込んだ者の記録が途絶えたという噂もある。


 (戦闘があるかもしれない。解析も必要になる。視界が制限される環境で、即応判断が求められる……)


 ナオは目を閉じ、深く呼吸を整えた。


「……指名は、あとで決めます。仲間と相談してから」


「承知しました。今夜中までに申請を。明朝、転送班が境界前へ配置されます」


 その応答は、形式的だった。けれど、その背後には明確な責任があった。

 “選ぶ”ということ。それは、“選ばれなかった者の想い”をも受け止めることに他ならないのだから。


《外へ出て、仲間たちと》


 庁舎を出ると、夕暮れの風が街を包んでいた。


 石畳の隙間に生える藍色の苔が、淡く輝く。

 街灯が一つ、また一つと灯され、ノワール=フィルが夜へと歩みを進めている。


 庁舎の裏手、低い壁にもたれながら、ナオは仲間たちと再び顔を合わせた。


「相談、開始スル?」


 ユレイがすっと隣に現れ、微細な光素を散らしながら問いかけてきた。


「ああ。今回は“誰を連れていくか”を決めないといけない。全員ってわけには、いかないみたいだ」


「限定行動カ……判断ハ?」


「まだ迷ってる。だから、みんなの意見を聞かせてほしい」


 仲間たちは静かに頷き、ひとり、またひとりとナオの周囲に集まった。


 アクトが先に口を開いた。


「任務内容ハ、霧中記録回収・旧封鎖管理ノ確認……複合任務」


「必要要素は、“解析能力”“空間安定化処理”“機動補助”の三つ」


 ミズハは首を傾げながら、少し不安げに口を開く。


「霧……魔素、強イ。私、少シ……影響受ケル、カモ」


「でも、リル、補助デキルヨ?魔素調整、習ッタ」


 リルはそっと手を挙げて、瞳を光らせた。


「リル、視界制御結界、準備アリ。ナオ、安心シテ」


 ヘイドは腕を組んだまま、小さくうなずいた。


「我等ノ力、街ノ裏モ必要。……潜在的不穏アリ」


「“残る者”モ、任務ヲ背負ウ」


 ナオはその言葉に深く頷いた。


(そうだ……街に残る者たちにも、意味がある。これは“留守番”じゃない。仲間としての、分担だ)


「ユレイ。行けるか?」


「問題ナシ。“空間観測・反応記録・魔素遮断対応”スル」


「アクトも、頼りにしてる」


「了解。“霧中解析・構造情報抽出”実行可能」


「リル。頼んでもいいか?」


「任セテ。リル、サポート全開!」


「ミズハ、ヘイド……悪い」


 ミズハは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに微笑んだ。


「……ナオ、霧ノ向コウ、見ツケタラ、私ニ教エテネ」


「リル、ナオノ顔、戻ッテキタラ、笑顔デ見セテ」


 ヘイドも静かに、言葉少なにうなずいた。


「街、守ル。戻ル場所、用意シトク」


 ナオはゆっくりと立ち上がり、夕暮れに照らされる仲間たちを見渡す。


「……決めた。ユレイ、アクト、リル。この三人で行く」


 それは、信頼に基づいた判断だった。

 能力や相性だけではない。そこにあるのは、共に歩んできた“時間”が育てた絆だった。


 静かに、しかし確かに。明日からの試練へ、彼らは歩き出す。

 霧の中に何があろうとも――背中を預けられる仲間がいる限り、ナオは前に進める。


 庁舎での手続きを終え、ナオは自宅へ戻っていた。

 すっかり日は沈み、窓辺には月の光が落ちている。


 


 玄関を開けると、既に仲間たちは各自の定位置に落ち着いていた。

 ミオリの卵は棚の上、光を帯びて微かな揺れを繰り返している。



 ナオは外套を脱ぎ、小さく伸びをして床に腰を下ろした。

 


 そのとき――


  「ねぇ、ナオ」


 


 声をかけてきたのは、リルだった。

 クッションの上で丸くなっていたが、顔だけナオの方を向けていた。


 「ナオってさ……なんで、選ぶとき、そんなに迷うの?」


 


 ナオは少し目を瞬かせてから、苦笑を浮かべた。


 


 「……見えてたか」


 


 リルはこくんと頷く。


 


 「だって、ナオ、すぐには“これ”って言わないで、

  ちょっとだけ目を細めて、誰かの顔、順番に見るんだもん」


 


 その口調は責めているわけではない。

 ただ純粋に、不思議に思ったのだ。


 


 ナオは視線を落とし、少し考えてから口を開いた。



 「……たぶんね、俺、“誰かを選ぶ”っていうのは、

  “誰かを残す”ってことでもあるから……怖いんだ」


 


 「誰かを信じて、一緒に行くって決めることはできる。

  でもそのとき、行かない誰かに――“ごめん”って思っちゃう」


 

 リル:「……それって、ナオが“全部守りたい”って思ってるから?」


 

 ナオは少しだけ、肩をすくめた。

 「……そうかも。けど、たぶんそれじゃ足りないんだよな。

  全部は守れないし、全部を一緒に連れて行けるわけじゃないから……」


 リルは、しばらくじっとナオを見ていたが、やがて小さく微笑んだ。

 「ナオ、そういうところ……ボク、すき」


 


 ナオ:「……ありがと」


 リルはくるりと身を丸めながら、ぽそっと付け加えた。

 「でも、ボクが“選ばれた”のは、ちょっとだけ――うれしかったよ」


 


 その言葉に、ナオは小さく笑った。

 その笑みは、きっと明日の霧の中でも思い出せるだろうと思った。


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