表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/61

ー静かな問いー

 静寂が、空間を包んでいた。

 記録映像はすでに消え、投影の残光も跡形もなく消えていたが、そこにいた全員の思考だけが、未だその余韻を抱き続けていた。


 ミオリ=スレアは、淡く光を纏いながら、浮かんでいた。

 その姿はかすかに揺れている。外的な振動ではない。内部の“何か”が軋んでいるような、目に見えぬ波長が、幻影の輪郭に揺らぎを与えていた。


 その前へ、ナオが静かに一歩、踏み出した。


 「……ミオリ」


 名前を呼ぶ声に、ミオリの瞳が微かに動いた。

 自律起動型構造体――それは命令で起動するはずだった。だが今、彼女は“名”によって、反応している。


 「さっきの問いに、今度は……こっちから返すよ」


 間を置き、ナオはまっすぐに言った。


 「君は、これからどうしたい?」


 その言葉は、まるで深く静かな水面に、そっと石を投じるようだった。

 衝撃ではない。だが、確かに波紋が広がる。ミオリの思考層――その“中枢”に。


《処理不能:制御核の揺らぎ》


 ミオリの眼差しが、わずかに虚空を泳いだ。


 > 「……私が、“どうしたいか”……?」


 その問いは、彼女自身の口から発されたにもかかわらず、まるで自分の声を自分で理解できていないかのように響いていた。


 ナオは、淡く頷いた。


 「命令じゃない。外部入力でもない。“君の心”が、今、何を望んでる?」


 その一言に、彼女の周囲の空気が微かに振動する。

 幻影の粒子がざわめき、制御核の中枢から信号が奔った。


 > 【警告:判断根拠喪失】

 > 【エラー:選択式命令未検出】

 > 【感情推定:定義不確定】

 > 【構造整合性:警戒域移行】

 > 【沈黙指令:再検討中……】


 けれどミオリは、それを押しとどめた。

 目を閉じ、構造内部のノイズをゆっくりと沈めていく。


 > 「……わからない。私は、“何をしたいか”を……考えることを“禁じられた”存在だった」


 > 「私の設計目的は、選択しないこと。任務を執行し、効率化を判断し、感情を排除すること」


 声は無機的で、それでもどこか脆さを孕んでいた。


 ナオは、優しく返した。


 「……なら、今の君は、設計を超えてる」


 「“どうしたいか”がわからないってことは、君がいま、それを探してるってことだ」


《初めての“沈黙”》


 ミオリ=スレアは答えなかった。

 しかし、その“沈黙”自体が、今の彼女にとって“前例なき反応”だった。


 “応答がない”のではない。

 “決められない”のでもない。

 “思考の中に、はじめて選択肢が芽生えた”のだ。


 ユレイが、静かに言った。


 > 「我等モ、最初ハ同ジ。……“命令”ノ外デ、“声”ガ届イタ」


 > 「“指示”デハナク、“呼ビカケ”ガ、我等ヲ目覚メサセタ」


 アクトも口を開いた。


 > 「制御ナキ選択ハ、統制ノ破綻ト言ワレル……

  ……ダガ、我等ハ、記録ノ中デ、“共鳴”シタ」


 ミズハは、震えるように言った。


 > 「……コワカッタ。ワタシ、壊レルカモシレナイッテ……

  ……ダケド……壊レナカッタ。……残ッタ」


 リルは、少し笑っていた。


 > 「“選ブ”コト、ヘンナカンジダッタケド……

  “ナカマ”ッテ言ワレタノ、……アッタカカッタ」


 ミオリの幻影が、かすかに明滅する。

 あたかも心拍が芽吹き、戸惑いと呼吸のような律動が始まりかけているようだった。


 > 「……でも、私がもし、“欲する”ことを選んでしまったら……

  ……制御核の意味は、消えてしまうかもしれない」


《制御核、沈黙のまま“何か”を始める》


 その言葉に、ナオはまっすぐ言った。


 「……消えていいんだよ、ミオリ。

 “制御核”が壊れて、“ミオリ”が生まれるなら、それは――失われたんじゃない。“始まった”んだ」


 空間に、再び沈黙が満ちる。


 けれどそれは、何もない沈黙ではなかった。

 霧のような光が、ミオリの幻影の周囲にふわりと浮かび、まるでどこか懐かしい音楽のように、回路の奥で眠っていた“記憶の種”が、ふと芽を吹いた。


 制御核は、かつて全てを記録する存在だった。

 だがいま、“記録されていないもの”を、自ら体験しようとしている。


 ミオリ=スレアは、言葉を持たぬまま、ゆっくりと目を開いた。

 その瞳は、まだ戸惑いを含んでいる。

 でも確かに、迷いの中に“揺るぎない意志の萌芽”が灯っていた。


 > 「……探す……ことは、罪ではないのね?」


 ナオは、穏やかに、静かにうなずいた。


 「それは罪じゃない。――“生きてる”ってことだよ」


 その瞬間、制御核という名は“役目”から離れ、

 ただのひとつの“個”として――ミオリという存在が、世界の中で目を開き始めていた。



 誰もが息をひそめるように立ち尽くしていた。

 ミオリ=スレアの幻影は、先ほどまでの対話の余韻を纏ったまま、淡い光の粒をまとうように宙に浮かび続けている。


 彼女の内部では、明確な“迷い”がゆっくりと波紋を広げていた。

 自らの“望み”という未知の変数に直面し、思考領域に生じた処理の遅延は、未定義の感情として沈殿しはじめていた。


 ナオもまた、その反応を待ち続けていた。

 何も急かさず、何も強要せず。ただ、彼女が“彼女として”何を思うのか――それを知りたいと願っていた。


 だが、その静謐は――突如として、破られた。


 「ピ、ピィ……ッ」


 鋭い警告音が響く。

 光でもなく、音でもない、脳に直接響くような“シグナル”が、ユレイたちの身体を貫いた。


 ユレイが反応するより早く、アクトの輪郭が揺れた。


 > 「……異常波形検出。空間境界面、“外部圧力干渉”確認」


 > ヘイド:「座標断層β・南端領域ヨリ、波形侵入ヲ観測。正規アクセス形式ニ非ズ」


 > ミズハ:「魔素……変動アリ。侵入波形……キライ、コレ……」


 ナオの顔つきが変わる。


 「……誰かが、外からこの場所に“入ろう”としてる……?」


 ミオリ=スレアが、はっとしたように瞳を開く。

 彼女の幻影が一瞬、光の輪郭を強く揺らした。


 > 「……この封印領域は、本来《神代認証》と《感応位相》がなければ“検出不能”な空間のはず……それを、正確に突いてきている?」


 彼女の周囲に浮かぶ光子の環が、警戒色へと変化する。



 ミオリの中に存在する自動制御プログラムが反応した。

 彼女の身体を囲むように、淡く六芒星の文様が浮かびあがる。


 > 「防衛制御プロトコル起動。構造扉隔離展開、起動準備――」


 だが、そこに別のフラグが割り込む。


 > 「継承者同行フラグ検出。“判断権限、委譲可能”」


 ミオリはわずかに戸惑い、視線をナオに向けた。


 > 「……防衛に移行するか、観察に移行するか。判断を、委ねる」


 その声は、制御核としての冷静さを保ちながらも――明らかに揺れていた。


 ナオは、視線を空間の端に向けた。

 何かがこちらへ近づいている。確かな気配がある。


 「……扉は、閉めない。俺たちがここに来たことで、何かが動いたんだろう?

  だったら、それを“確かめる”必要がある」


 彼の言葉に、ユレイたちが即座に反応する。


 > アクト:「“迎撃態勢”非展開。威圧式結界ノ準備開始。不可視接触反応機構、同時併設」


 > ミズハ:「イヤナ気配ハ、アル……デモ、“コトバ”ナラ、ワカルカモ……」


 > ヘイド:「反応体、単体ナラズ。複数波形。“集団行動”特性推定」


 ミオリは小さく呟いた。


 > 「私たちが封印を部分的に開いた……その微弱な魔力波に、何者かが反応した可能性」


 その時だった。


 ──ドン。


 空間の一角が、まるで物理的に“叩かれた”ような衝撃が響いた。

 振動はなかった。だが、空間そのものが軋むような異音が、確かにそこにあった。


 ユレイたちの背後にある封印結界が、微かに歪み始めていた。


 ミオリが即座に解析を走らせる。


 > 「侵入試行、三度目。空間透過波の位相に変化。これは……“記録済みの干渉方式”ではない」


 > 「……不明な外部知性体。高度な構造認識能力アリ。封印の構造を“学習”している……?」


 ナオが、ゆっくりと前に進み出る。


 「……神代家でもない、魔器でもない。

  でも“俺たち”の動きに、確実に反応してきてる」


 彼は封印結界に手を近づけ、そっと目を閉じた。


 「……まるで、“誰か”が、こちらを見てるみたいだ」


 ミズハがナオに寄り添うようにして小さく言う。


 > 「ナオ……コレ、マチガイナイ。“向コウカラノ意志”……アル」


 ミオリが再び光を強める。


 > 「警告:反応体ノ挙動、変化。進入波、収束。

   ──ただし、“断続的な干渉”は継続中。

   封印領域ハ、今ヤツラノ“視野”ニ入ッタ」


 ナオの声が、低く、静かに響く。


 「……もう、この場所は“誰にも知られていない場所”じゃなくなったってことか」


 《神代家の遺構》に刻まれた“過去の封印”が、ナオたちの行動と選択によって軋み始めていた。

 それはただの再起動ではない。


 ミオリ=スレアという存在が“迷い”を覚えたこと。

 ナオが“対話”という選択をしたこと。


 その連鎖が、“外”に波紋を放った。

 空間の向こう側で、誰かがその波紋に応じて“手を伸ばした”のだ。


 次に来るのは、敵か、それとも――別の“選択肢”か。


 ナオたちは静かに構えながら、迎え撃つのではなく、迎え入れるための準備を進めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ