父と母
朝。
木窓の隅間から差し込む柔らかな光が、室内を静かに照し出していた。
ナオは、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
布団の中で一度深く息を吐き、首を傾ける。
視界の先――テーブルの上。壁際。窓辺の影。布団のそば。
かれらはそこにいた。
昨夜と変わらぬ配置。けれど、何かが違った。
整然と“道具のように”ではなく、
まるで“見守るように”散らばっていた。
ナオは寝ぼけた声で、ぽつりと告げた。
「……みんな……起きてたのか?」
ユレイ :「ナオ、睡眠、安定維持。異常ナシ」
ミズハ :「夢…見タ?」
リル :「寝転リ、8回。ナオ、重ソウ」
ヘイド :「呼吸変動ナシ。安心反応記録」
アクト :「起床時ノ反応、正常。魔素安定」
ナオは、ふっと笑った。
「……報告が手厚すぎるよ。でも、ありがとな」
ゆっくりと起き上がり、寝癬を手で整えながら、目を細める。
「なぁ…昨日、あのあと、何か話してた?」
少しだけ間があった。
ユレイ :「……我群、“在り方”ノ確認ヲ行ッタ」
ミズハ :「ナオト…一緒ニ居タ記録、振リ返ッタ」
リル :「“仲間”……快シカッタ、ヨ」
ヘイド :「次ノ行動ニ向ケ、思考ノ整合ヲ取ッタ」
アクト :「記録上、“自律ノ振レ”アリ。未分類、続行解析中」
ナオはしばらく黙って聞いていたが、やがて、
少しだけ伏し目がちに、小さく言った。
「……ありがとう。俺、たぶん……一人でいたら、途中で折れてたかもしれない」
「でも、みんながいてくれるから……ちゃんと“次”を見に行けるよ」
ユレイは静かに、確認のように応えた。
ユレイ :「我群、共ニ在ル。選択ハ、ナオノ手ニ」
カーテンの隅間から、日が差し込む。
ナオは立ち上がり、伸びをしながら笑った。
「さて…顔洗って、食事にするか。今日は“準備の日”だ」
ミズハ :「オ茶、準備スル?」
リル :「ナオ、甘イ物好キ?」
アクト :「栄養補給、“糖質”ト“塩分”ノバランス重視」
ヘイド :「水分管理、初動判断ニ影響アリ」
ユレイ :「全体、“通常行動モード”移行」
ナオは、どこか快くそうに肩をすくめた。
「……あー、にぎやかだな。
でも、これが“いつもの朝”になってくといいな」
午前の陽が、窓辺に柔らかく差し込んでいた。
ユレイたちは、それぞれ静かに動いている。
移動用の簡易符を整え、魔素安定材を確認し、外套に必要な處置を施す。
ナオはぼんやりと椅子に座り、
ふと、何かに呼ばれたような気配に、顔を上げた。
「……今…誰か、呼んだ?」
答えはない。だが、耳の奥に残る気配は、確かに“名前を呼ばれた感覚”だった。
(……気のせい、か?)
窓の方へ目を向けた瞬間――視界がユラリと、振れた。
―幻覚:神代の家
そこは――見覚えのある縁側だった。
木造の廊上。風に揺れるすだれ。
畳の奥から、二人の人影が立ち上がる。
顔は輪部しか見えない。
だが、声が、香りが、手繋きが――記憶が、確かに告げていた。
「……父さん……母さん?」
影の一人が、柔らかな声で言う。
> 「開祖の教えを忘れるな……
常に目立たず……“月を眺めよ”」
もう一人の声――母と思われる声が、優しく重なる。
> 「……あなたなら、できるわ……」
風が吹き抜ける。
揺れる白い布の奥で、ナオの口が自然に動く。
「はい、父さん――
母さん……俺は、ここにいます」
自分でも、なぜ言葉が出たのかはわからなかった。
ただ、それが“返すべき言葉だった”と、体が知っていた。
視界がまた揺れ――光が変わる。
次の瞬間、ナオは再び、自室の窓辺にいた。
ユレイがすぐに気づき、淡く声をかける。
> ユレイ :「ナオ、魔素反応、乱レが観測サレタ。……異常ナシ?」
ナオは目を瞬かせ、ふっと笑んだ。
「……あぁ、大丈夫。ちょっと、夢を見てた」
「でも……そうだな。目立たず、月を眺めろ、か……」
ナオは小さく頂ずき、椅子から立ち上がった。
「行こう。俺たちの次の“足跡”をつけに」
夜。
街はすでに静まり返り、住人たちの灯りもぽつりぽつりと消えていった。
ナオは一人、家の裏手にある小さな石畑の5床に立っていた。
空には丸い月が、雲の合間からひっそりと顔を出していた。
風は涼しく、魔素も稳やかに流れている。
「……“月を眺めよ”……か」
小さく口にしたその言葉は、すぐに夜気に吸い込まれていった。
―自問自答ー
ナオは、手をポケットに入れたまま、じっと月を見上げていた。
「目立つな。背を守れ。気配を殺せ……それが、神代の教えだった」
「でも……俺は今、戦って、動いて、人の前に出てる。
あの人たちの教えとは――ずいぶん、違う場所にいる」
「……なのに、“継承者”だなんて。俺が?」
「こんなにも迷って、振れて、まだ“答え”を探してるような人間が……
誰かの意志なんて、継げるのかよ……」
黙って見上げた先にある月は、
形も変えず、ただそこにあった。
いつか、父が言った。
「目立つなというのは、目を伏せろという意味じゃない。
月は黙って照らしてる。ただ、それだけで十分だ」
そして、母がささやいた。
「見られていることを意識するな。
見守る覚悟だけを、胸に持ちなさい」
その声は幻だったかもしれない。
けれど、ナオの胸に残った“教えの形”だけは、確かにそこにあった。
「……俺が継ぐべきものは、“術”でも“役目”でもないんだろうな」
「きっと、“誰かを守りたい”っていう、この気持ちそのもの――
それが、神代の血なんだって……今なら、少しだけ思える」
ナオはふっと息を吐き、目を閉じた。
「たとえ、そこに何があっても……俺はもう、月から目をそらさない」
ユレイたちは気配を悟っていたが、声をかけなかった。
今、ナオが“ひとり”で月を見ている時間が、
かれにとって必要な時間であると――知っていたからだ。
そしてそれが終わったら、
また“6人”で歩き出せばいい。




