試練⑤ー新階層
《第五試練:導線の封印と進入判定》
ナオは静かに、もう一つの“歪み”へと歩を進めた。
空間の奥――石室の壁面に近い床の部分、そこに微かにうねる“違和感”があった。
目を凝らさなければ見逃すほどの揺らぎ。だが確かに、そこには“下”へと向かう力の流れがあった。
「ここか……」
ナオはしゃがみこみ、掌を床に添える。ひんやりとした感触。その奥に、かすかに脈打つような“通路の気配”。
「ユレイ。こっちは……何か、通じてるのか?」
即座に通信帯が応答する。
>「空間歪曲:深層方向ニ継続。力流安定セズ。遮断率:67%」
>「構造上、“封印”アリ。内部ヨリノ可視化ハ困難」
「封印、か……」
ナオは壁面を軽く叩く。響きは鈍く、どこか“詰まった”ような反応。
ミズハが波長照射を行い、リルがその解析結果を共有する。
>「コノ範囲、“文様”アリ。古イ、魔器ノ記録ニモナイ形式」
>「封印式ノ構造、外部解除ニ非ズ。“内部カラノ応答”要求」
ユレイの声が静かに告げた。
>「此処、“内カラ開カレル鍵”ヲ待ツ場所」
「鍵……」
ナオは手のひらを握った。
(内部から? それって……誰が?)
そのときだった。
床面に敷かれた石の一部が、わずかに光った。ナオが思わず見つめると、そこにうっすらと浮かび上がる模様。
それは“扉”を象る意匠。そして、その中央には見覚えのある文様――カミシロ家に伝わる、非常封印式の変形だった。
「……家の印……?」
アクトがすぐに補足する。
>「一致率78%。現代符号ヨリ派生スル“古式記録型”。同時ニ、魔素波形ニ“応答”反応アリ」
「じゃあ……開くかもしれない、ってことか」
ナオは立ち上がり、ゆっくりと深呼吸をした。
目を閉じ、自身の魔素を緩やかに掌に集中させていく。
静かな時が流れる。
そして――
彼の手から放たれた魔素が、扉の文様に触れた瞬間。
カチリ、と何かが外れるような音。
続いて、淡い光が床一面に広がった。
文様は、まるで脈打つように鼓動し、魔素が“通路”のように形を成す。
中央の石が、静かに沈んでいく。
「開いた……」
ナオが呟いた。
目の前に現れたのは、細く深く、地下へと続く暗い石階段だった。
その奥からは冷たい風と、かすかな金属のにおい。
ユレイが即時、警戒通信を展開する。
>「魔素圏、下層ハ未知領域。記録ナシ。外部装置通信遮断圏突入前ニ、最低限ノ準備ヲ推奨」
ナオは頷く。
「行くよ。……この先に、“何か”がある。間違いない」
彼は背後にいる魔器たちに視線を向けた。
「ここまで来たのは、俺一人じゃ無理だった。……みんなのおかげだ」
ヘイドが短く頷き、ミズハがそっとナオの袖に触れる。
リルが明るく告げた。
>「“先ノ見エナイ道”、一緒ニ行ク」
そしてアクトが静かに記録を更新する。
>「第五試練、対応フェイズ:新階層ノ調査・進入開始」
ナオは階段の前に立つ。
深く、果ての見えない暗がり。
けれどもその先にあるのは、確かに“彼自身の物語”の続きだった。
「行こう。ここが……俺たちの次のステージだ」
魔器たちと共に、ナオは静かにその第一歩を踏み出した。
──石室の隅。肉眼では捉えられないが、魔素感知とユレイの多層解析により、その“存在”は明確になっていた。
そこには、ただの歪みではない、“接続された境界”が揺らめいていた。
ナオは一歩前に進み、歪みの前で立ち止まった。
「……この先に“階層”があるとしたら、地図にも記録にも残ってない。俺たちで“最初に踏み込む”ことになる」
その声は静かだが、どこか確信に満ちていた。
魔器たちはすでに転移対応モードへと移行。五体がそれぞれ小型形態をとり、ナオの周囲に警戒陣を構成する。
ユレイ:「歪曲座標、安定。転移圧:低。干渉、最小限」
アクト:「未知階層。座標定義外。記録フェーズ開始」
ミズハ:「……深イ。底、見エナイ。空気ガ硬イ」
リル:「ナオ、手、繋イデテモ、イイ?」
ヘイド:「進行可能。命令、待機中」
ナオはわずかに頷き、リルの小さな手をそっと握る。
「行こう、“下へ”」
深呼吸とともに、一歩を踏み出す。歪みの中心に足を入れた瞬間、空間が大きく“折れ”た。
《転移描写》
光と影が交錯する。
世界が静かに回転し、視界は白と黒の縞模様に引き伸ばされていく。
足元が抜け、体はふわりと浮いたかと思えば、一瞬で引きずり込まれるような重力の感覚。
(落ちてるんじゃない……沈んでる)
ナオの意識ははっきりしていた。
空間に引き込まれながらも、彼は自分の存在を保ち続ける。
体の感覚がずれ、音が遅れ、皮膚感覚が遅行する。
全てがほんの数秒の出来事だった。
《未知階層:出現》
──足元に、“地面”が戻る。
着地は静かだった。
そこは、色を持たない空間。
光がないのではなく、“光という概念”そのものが希薄な場所。
柱、壁、通路……構造物の輪郭は確認できるものの、それらはどこか“未完成”で、「途中で放棄された建築物」のような印象を残す。素材の質感も曖昧で、石とも金属ともつかず、指先で触れれば脈打つような微細な振動を帯びていた。
ユレイ:「環境光無し。魔素拡散型。制御不能」
アクト:「重力安定。大気組成:居住可能レベル」
ミズハ:「……音ガ……帰ッテ来ナイ。空気、深ク、重イ」
リル:「ナオ……コワイ……デモ、傍ニイル」
ヘイド:「全機、機能正常。行動可能」
「ここ、まるで……造りかけの、箱庭だ」
ナオは低く呟きながら、静かにしゃがみ込む。
掌を床にあてると、ひやりとした感触が皮膚に伝わり、微かに震えた。
「……この地面。整地されてる。人の手か、何かの意志が働いてる」
彼の指が岩盤のわずかな段差をなぞる。そこには明らかな人工の刻印があり、精密だが途中で止まったような途切れがあった。
「造ろうとした……けど、止まったのか? それとも――“造らせてもらえなかった”?」
その言葉に、ユレイが沈んだ声で応じる。
ユレイ:「記録照合。記述ナシ。“造作中断”ノ形跡。……目的、未解析」
リル:「ナオ。……ココ、“作リ損ネタ実験場”? ナニカヲ閉ジ込メル場所……?」
「……その可能性もある」
ナオの声は慎重だった。
「この空間、何かを“創造する試み”と“隔離する意図”が混在してる。見た目以上に深い。目的が重層化してる感じがする……」
リルがナオの背中にぴたりとくっついた。
リル:「ヤッパリ、怖イ。コノ静ケサ、キモチワルイ」
ミズハ:「静寂ニ、潜ムモノ。ソノ多クハ、“考エル”前ニ、“来ル”」
ヘイド:「注意領域拡張。異常検出ナシ。……ダカラ、逆ニ、警戒必要」
アクトが静かに周囲に視覚索敵フィールドを展開した。
アクト:「前方通路、“最モ安定”。未知座標通過処理開始。“F-01-Λ”ト名付ケ」
ヘイド:「道ハ分岐スル。奥ヘ進ムホウガ、“音”ノ反応アル」
ナオは一度立ち上がり、みんなの顔を見る。
「未知の場所だけど、今ここにいるのは、俺たちだけだ」
「だからこそ、意味がある。ここから先が、“俺たちの試練”になる」
ミズハがわずかに首を傾けた。
ミズハ:「ナオ、心拍。上昇。“怖イ”? “楽シミ”? 反応、混在」
ユレイ:「“心”ノナカ、トテモ複雑。……ダカラ、人間、面白イ」
リル:「ナオ……ワタシ、ココ居ルヨ。何ガ来テモ、大丈夫」
ナオはリルの手をもう一度強く握り、微笑みを返す。
「ありがとう。俺も、みんながいるから大丈夫だ。……行こう」
その瞬間、ミズハが何かに気づいたように振り返る。
ミズハ:「奥、“気配”。……ユレクナイ。消エカケテル。ダケド、“ナニカ”居ル」
ナオは眉を寄せ、警戒態勢に入った。
全員のフォーメーションが自然と防衛型に変化する。
「この階層には、俺たち以外の“何か”がいる……?」
彼の足音が静寂の中に響く。
だが、その音すらすぐに吸収されるように消え、ただ空気がわずかに震えるだけだった。
ナオは低く、しかし明確に告げた。
「みんな、準備。“これ”が、第五試練の本番だ」
――静寂の奥へ。
ナオと魔器たちは、光なき通路を進み始めた。
──通路の奥は、次第に狭まり、そして突然、開けた。
半球状の広間。その中心には、まるで“根を張った巨大な心臓”のような物体が鎮座していた。
岩と金属が融合したような構造。その表面には無数の“管”が絡まり、空間中の魔素をゆっくりと吸い上げている。
アクト:「中央対象、固定。自律稼働体。熱源ナシ。鼓動反応、低周波」
ヘイド:「敵性行動ナシ。ダガ、“構成成分”、通常ノ魔導素材ト異ナル」
ミズハ:「……コレ、“器”? 中ニ、何カ……寝テル?」
ナオは息をひそめ、慎重に前へ進む。
「……心臓、じゃない。これは“核”だ。……なにかの、情報中枢……あるいは記憶装置」
足音が広間の中央に向かって伸びていく。そのたびに、周囲の魔素粒子が反応するようにわずかに揺れた。
リルが立ち止まり、何かを感じ取るように眉を寄せた。
リル:「ナオ、“声”聞コエル。低イ、低イ、“声”」
ミズハ:「……再生信号検出。“過去ノ音声”、模倣開始──」
その瞬間、“核”の表面から微かな音が漏れた。
「──記録、開始……第五観測……想定未満……対象、未定義……“観測者”ハ、ヒト……」
ナオの全身に鳥肌が走る。
「これ……誰かの、声……? いや、“魔器”の記録音?」
再び、音が走る。今度はより人間的な響きがあった。
「──問いを持つ者へ。ここは、選別と淘汰の境界。意志ある者のみが、“次”へ進め」
ユレイ:「記録ニアラズ。音声、“生キテイル”。リアルタイム反応ノ兆候アリ」
ナオは広間の中心に立ち、明確に言葉を投げた。
「ここにいる“君”は、何者だ。何のために、これを残した?」
──沈黙。
だが、核の鼓動のような低い振動が、わずかに“返答”のように鳴った。
(応えている……けど、言葉じゃない)
ナオは目を閉じ、自らの内に意識を沈める。
次の瞬間、彼の思考に、柔らかい“印象”が差し込んできた。
――問い。
――記録。
――喪失。
――再生。
――可能性。
「……君は、“誰かを残したかった”んだな」
ナオが呟いたそのとき、魔器たちが一斉に反応した。
ユレイ:「反応値上昇。記憶反復開始」
アクト:「魔素構造変化。……何カ、渡サレル」
ミズハ:「中、“目覚メカケテル”。……呼バレテイル?」
広間の空間が一気に歪む。
核の下部が開き、そこから“人型”の輪郭が姿を現した。
だがそれは、明確な肉体ではなく、魔素の影と光が形作った存在――かつての魔器か、それとも“試作され、忘れられた影”か。
その存在は、ナオの前で立ち止まり、口を開かぬまま、視線だけで彼を見つめた。
ナオは一歩踏み出す。そして、まっすぐに言葉を紡ぐ。
「君の問いに、俺は答えられるか分からない」
「でも、俺には“残したいもの”がある。“継ぎたい意思”がある」
「……それでも、前に進む。共に、問いを持ったままでも」
沈黙が満ち、やがて“その影”がゆっくりと消えた。
まるで微笑んだように、わずかに頷きながら。
ヘイド:「……“扉”、開放開始」
アクト:「新規座標、出現。“F-02-β”。接続安定」
ミズハ:「ヨビゴエ、止マッタ。……受信、完了?」
ユレイがそっと前へ進み、ナオの隣に並ぶ。
ユレイ:「アナタ、問イ続ケル者。“答エ”ヨリ、“問イ”ヲ手放サナイ者」
ナオは笑った。
「それが、俺のやり方だからな。……そう、教わったんだよ」
そして、魔器たちと共に、現れたばかりの新たな通路へと、ナオは歩を進めた。
未完の空間を背にしながら、彼らは次なる“深奥”へと向かう。
そこには、まだ誰も知らぬ「問い」が待っていた。




