試練⑤ー到達
──ダンジョン第50階・北東区、封鎖解除済み領域。
崩落しかけた通路を抜けた先に、その石室は静かに佇んでいた。
道中、魔素の密度は不安定に揺れ、時折、空間が微かに軋むような音を立てた。
ナオたちは慎重に歩を進め、ついに目の前に現れたそれを見つめた。
苔むした石造りのアーチ。
古い時代の意匠を思わせる刻印。
半壊した天井からは、砕けた魔素結晶がかすかに青い光を漏らしていた。
それはまるで、深い眠りの中に閉じ込められたまま、未だ目覚めぬ“記憶”のようだった。
ナオはその場に立ち尽くす。
息をのみ、ゆっくりと口を開いた。
「……ここだ。間違いない。俺が……最初に目を覚ました場所だ」
●視覚記録との照合
五体の魔器たちは即座に記録装置を起動。
ナオが最初に発した魔素反応の断片を元に、記憶ログと現地環境を照合しながら石室内を走査していく。
アクト:「床ノ石紋一致率87%。壁面刻印劣化アリ。位置座標、記録済」
ヘイド:「魔素残留、微量ニ感知。時間経過ノ影響ト推測」
ミズハ:「ナオノ魔素、此処デ最初ニ記録サレタ。波長、一部一致」
ナオは中央へと歩み出て、静かに膝をついた。
「たしか……ここで目を覚ましたんだ。
右手に傷があって、左には……黒い影が見えた。
あのとき、何もかもが……怖くて、でも……逃げられなかった」
その言葉は途中で途切れた。
けれど、彼の沈黙は充分すぎるほど雄弁だった。
ユレイたちは、その沈黙を“理解”しようとしていた。
●リルの観測と発見
石室の奥、湿気と苔に覆われた壁面に、リルが目を留める。
リル:「ココ……削ラレテル。魔素密度……高イ。浮キ上ガッテル」
ナオが手を伸ばし、そっと触れる。
指先に感じたのは、石の冷たさに混じる、ざらりとした線の感触。
「……文様、か? それとも……」
ミズハが分析波長を走らせ、微細な魔素残痕から文字列の解読を試みる。
ミズハ:「断片抽出。語:『視点』『結界』『外部由来』。構文、古層言語系」
ナオ:「“外部”って……まさか……」
ユレイ:「魔素由来転移痕。此処、“内カラノ魔法”ニヨルモノデハナク、“外部ヨリ侵入セシ痕跡”ト判定」
ナオの心拍が速くなった。呼吸も浅くなる。
「……やっぱり……俺は“呼ばれた”んじゃない。
“落とされた”んだ、この場所に」
●空間構造と違和感
アクト:「天井ノ魔素結晶、破損点ニ於イテ波長記録断絶アリ。瞬間的上書キ現象ト一致」
ヘイド:「空間ノ構造、極メテ不安定。外部干渉形態ト整合」
リル:「……音、違ウ。空気、濃イ。ココ……ズレテル」
ナオは立ち上がり、石室全体を見渡す。
壁の線、床の紋、剥がれかけた天井の結晶。
そして自分が最初に倒れていた場所を、無意識に見つめていた。
「……この場所は、確かにダンジョンの一部にある。
でも……世界そのものの“外れ”にある気がする。
ここは……“境界”だ」
それは確信だった。
彼がこの地に存在する意味、その出発点。
この石室は、単なる起点ではない。
ナオ:「この空間は、“裂け目”だ。
俺がこの世界に落ちた穴であり……そして――“次”に進む鍵かもしれない」
ユレイが静かに応える。
ユレイ:「追加探索ヲ推奨。結界構造、再解析中」
ミズハ:「文様……一部、未発動。可能性、アリ」
ナオ:「……やろう。俺は、もう……目を背けたくない」
再び目覚めた“最初の場所”で、彼は自らの足で踏み出す。
この先に何があろうと、自分自身を知るために。
仲間と共に、歩みを止めることなく。
ー歪みの記録
ナオは、改めて石室を見渡した。
掌を広げ、足元の感触を確かめながら、ふと天井を仰ぐ。
(広さは……六畳くらいか。こうして見ると……“部屋”というより、“観察されてる空間”に近いな)
重く静まり返った空間。壁にはかすかに苔がつき、天井の魔素結晶はひび割れている。湿気の混じった匂いと、どこか異質な気配が空間全体に滲んでいた。
「ユレイ。この空間に“歪み”はあるか? あった場合、いくつある?」
ユレイの魔素視界が淡く光を帯びる。すぐに返答があった。
> 「空間歪曲、三箇所」
> 「内一箇所:痕跡ノミ。観測不能」
> 「残ル二箇所:一方ニ微細振動アリ。他方ハ“下降方向”ノ力流感知」
ナオは迷いなく、“振動”を感知した方の歪みに近づいた。
その歪みは、空気が水面のように波打つような、ごく薄い揺らぎとして目に映る。
集中し、スキル〈異常可視化〉を展開。
淡い光の縁取りが揺らめいた、その瞬間だった。
「……あれは……?」
歪みの前に、ひとつの小さな物体が“浮いている”のが見えた。
掌ほどの細長い筒。金属製のように見えるが、質感は皮膜と硬質を併せ持つような不思議な素材。
ナオはゆっくりと右手を伸ばし、それに触れた。
カチャリ、と小さな音。
それは――カミシロ家で非常時に使用される、通信用のカプセルだった。
伝書バトの足に付ける足缶のような形状。
目を凝らすまでもなく、明確に“家族”の記録装具と判別できる意匠が施されていた。
ナオは、静かにカプセルの蓋を開いた。
中から現れたのは、小さく丸められた巻物状のメモ。
慎重に、それをほどいていく。
現れた文面は、一見するとただの挨拶だった。
『お元気ですか?』
だがその行間の符号と筆跡は、ナオが幼少期から訓練されていたカミシロ家伝来の“暗号形式”だった。
その意図は明らかだった。
「君を観測している」「無理に戻す気はないが、生存確認は続けている」
ナオの手が、小さく震える。
「………父さん………」
心の奥底が、かすかに緩んだ。
(知ってたんだ……。俺が、この場所に落ちたことを……)
静かに深く息を吸い、道具袋から小さな紙と符号筆を取り出す。
メモの中央に、小さな記号をひとつ――
“無事”と“観測継続中”を意味する記号を記す。
それを再び丸め、カプセルに戻し、そっと歪みの中心へ近づけた。
スッ――……
音もなく、カプセルは歪みに吸い込まれていった。
わずかな気流だけが、空間の揺らぎを残して消える。
その瞬間、ユレイたち五体は一斉に警戒波を発した。
ユレイ:「警告:未確認経路ニ対スル送信行為」
アクト:「反応分析中」
ミズハ:「転送反応……強制起動ナシ」
だが、ナオは左手をゆっくりと横に伸ばして“制止”を示した。
「……ありがとう。心配してくれて。でも、大丈夫」
その言葉に、ユレイたちは順に魔素波を下げていく。
ナオは、ふぅと小さく息を吐いた。
「事情は、あとで話すよ。
それよりも――」
言いながら、ナオの視線はもう一つの歪みへと移る。
“下降方向”の力流を検知したという、もう一つの歪み。
石室の中央に近い床面に、それは存在していた。
地面の石紋にわずかなズレ。
空気の流れも微かに違う。
ナオは、その感覚を確かめるように一歩、また一歩と踏み出す。
「ここが……下に繋がってる?」
ユレイ:「感知継続中。座標安定性:未確認。進入ノ際ハ、分隊構成見直シ推奨」
ナオは頷き、ポーチから記録装置と携帯魔素灯を取り出して足元にかざす。
微かに見える、“亀裂”のような線。
それは、まるで“扉の継ぎ目”にも見えた。
ここは、ただの石室ではない。
転移の“始点”であり、
そして――
“まだ開かれていない次の扉”の、鍵なのかもしれない。
ナオの目に、静かな決意が宿る。
「……行こう。この場所の“続きを、見つけに」




