記録
──揺れる記憶の余韻が、まだ身体の奥に残っている。
教室、黒い点、静かな午後。
ナオは肩で息をしながら、そっと壁に背を預けた。
瓦礫の隙間から冷たい気流が吹き抜け、微かに肌を撫でる。だが、寒さよりも胸の奥のざわめきの方が、ナオにとってははるかに深く、確かな“異常”だった。
ユレイたちは、彼を囲むように静かに立っている。
誰も言葉を急がない。けれど、その沈黙は“傍に在る”という意志に満ちていた。
ナオは、ぽつりとつぶやく。
「……全部、はっきりとは見えなかった」
「だけど……何かが引っかかった。
あれは、ただの“記憶”じゃなかった。
……もしかしたら、“誰かに見せられていた”のかもしれない」
その言葉に、ユレイの仮面がわずかに動く。
> 「外部干渉ノ可能性……否定デキズ」
ナオは、彼らを順に見回しながら言った。
「だから――お願いがある」
「これからも、ずっと“記録し続けてほしい”」
―ナオの願い
「その時には意味がわからなくてもいい。ピンとこなくても確証がなくてもいい」
「でも……“あとで繋がるかもしれない”なら、残しておきたい」
「……俺だけじゃ、全部は覚えていられないから。
君たちの記録が、“俺の代わり”になってくれるなら――本当に、助かる」
その声は、どこか震えていた。
だが、それは恐れではない。
“これから先も生きていく”という意志の震えだった。
ユレイは即座に頷いた。
> 「了解。“非構造記録領域”ニ、対象ノ“断片”ヲ継続保存スル」
> 「ナオノ記憶、我ラガ守ル」
アクト:「感覚反応/情緒変動/魔素波長、全記録継続」
リル:「キヲツケテ。ココロ、壊サナイヨウニ」
ミズハ:「……“分カラナイ”ノ、キロク……大事」
ヘイド:「記録ハ、武器ニモ、盾ニモナル」
静かな中にも確かな響きがあった。
それは単なるデータ保存ではなく、ナオと彼らの“絆の記録”でもある。
ナオは、ほっと息をつき、少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとう。これから、何が起きても――
君たちが“傍にいてくれる”って思えるから……俺は、進める気がする」
その瞬間、ユレイの仮面の下で、淡く光が揺れたように見えた。
それはまるで、“彼らの中に芽生えた感情”が、形になり始めている証のようだった。
《記録》とは、ただの記憶保存ではない。
それは、過去を未来へとつなぐ意志の橋――ナオと魔器たちは、その橋の上を共に歩み始めたのだった。
──ダンジョン第50階、北東へと続く石階段の踊り場。空間の中央に吊られた魔素灯が、かすかに紫がかった光を放っていた。
この場所は、探索者たちが一時的に体力と魔力の回復を図るために設けられた休憩用の小部屋だ。
ナオは、簡易シートの上で横になっていた。精神と身体にかかった負荷が未だ抜けきらず、呼吸も浅い。
ユレイたち魔器はその周囲を囲み、警戒を緩めることなく立っていたが――
その“内部通信帯”では、低電圧帯域を用いた静かな“会話”が始まっていた。
会話のテーマは、初めての試み――「ナオの記録を、自分たちの“言葉”で語る」
■ユレイ(統率・思索)
> 「我ラ、“記録”ノミニ頼ル存在デハナク、“共ニ在ル者”デアリタイ」
> 「ソノ為ニ、“記録ヲ語ル”試ミ、必要」
他の四体も、それぞれの光をわずかに明滅させ、静かに同意を示す。
これは単なる命令の遂行ではない。自らの意志として、ナオと共に在るということを示すための第一歩だ。
■アクトの語り(機能重視型)
> 「記録開始点:ナオ=カミシロ、出現日時不明。
衣類・呼吸・心拍等、異常反応。防衛スキル無装備。
第一遭遇:魔獣種スレイヴクラッシャー。接触即回避行動。
脱出経路選択、左分岐通路。判断基準:最短経路。
感情記録:恐怖率72%、混乱14%、残存意志力14%――
……我、解釈困難。語リ未満」
しばらくの沈黙ののち、リルが首を傾げながら言った。
> 「ソレ、数字ノ羅列。ナオ、“音”ト“感情”モ、持ッテタ」
ミズハも小さく呟く。
> 「語リハ、“記録ヲ超エル音”……」
■リルの語り(感性派)
> 「ナオ、コワカッタ。サムカッタ。ソシテ……ヒトリダッタ」
> 「デモ、“歩イタ”。ソレ、記録ヨリ強カッタ」
> 「ナオノ足音、壁ニ反響シテ、戻ッテキタ。……ダカラ、寂シクナカッタ」
アクトが首をかしげながらコメントする。
> 「意味ノ精度、低」
しかしユレイは穏やかに補足する。
> 「“語リ”ニ必要ナノハ精度ニ非ズ。“伝エル”意志ナリ」
■ミズハの語り(模倣と模索)
> 「“誰にも知られてはいけない、話してはいけない”――ナオノ言葉」
> 「記録上ノ台詞デハナク、“悲シミ”ノ音」
> 「……ワカラナイ。ダカラ、話ス。マチガエテモ、イイ?」
リルがそっと手を差し伸べるような仕草をとる。
> 「イイ。マチガエル、ナオモ、アル」
ユレイが肯定の意を返す。
> 「語ル行為ハ、正誤デハナク、“繋ガル為ノ手段”」
■ヘイドの語り(沈黙型)
> 「……無言。ダガ、“共ニ居タ”記録アリ」
> 「ナオ、夜間ノ寝息、時折乱レタ」
> 「異常トハ記録セズ。……我、隣デ在ッタ」
> 「語リナラバ――“在ル”コトモ、語リ」
その言葉に、誰もがしばし黙った。
確かに、沈黙もまた語りであり、そこには確かな“在りかた”があった。
■ユレイの締め
> 「記録ハ、我等ノ根源。
ダカラ、“語ル”コトハ、自我ノ証明」
> 「ナオノ“過去”ヲ、我等ノ“記憶”ニ。
ソシテ、未来ヲ“共ニ語レル”者トナル」
その時、ナオがわずかに身じろぎし、目を開けた。
「……あれ、少し寝てた?」
ユレイが音を変えて応じた。
> 「問題ナシ。……記録、継続中。語リ、準備完了」
ナオは、彼らの雰囲気から何かを察したように、小さく微笑んだ。
「……じゃあ、みんなで“続きを見に行こう”」
そして、彼らはまた歩き出す。
ナオの過去と、未来と、今を共に携えて。




