試練⑤-指令
《庁舎にて:運命の交差点》
──朝、街の喧騒がゆるやかに広がる時間。
ナオは、ユレイたちを布袋に納め、庁舎へと向かった。
庁舎の受付はすでに動き出しており、見慣れた職員がナオに気づいて声をかけた。
「カミシロ殿、お待ちしておりました」
その一言に、ナオは眉をひそめた。
(……待たれてた? 何か……?)
ー庁舎応接室:試練⑤の提示
職員に案内され、ナオは庁舎内の小さな応接室に通される。
そこは質素ながら整った空間で、木の壁と魔法灯の淡い明かりが落ち着いた空気を生んでいた。
机の向こうに座っていたのは――試練管理官。
第四試練の報告の際にも対面した、中年の男性魔族だった。
緋色の紋章を肩章に縫い付けた制服姿が、変わらぬ威厳を放っている。
「カミシロ=ナオ。第四試練の完遂から一定の観察期間を経て、
君に《第五試練》を提示する時が来た」
ナオは小さく息を呑む。
「……第五試練?」
管理官が文書を差し出す。
そこには、薄く刻まれた文字で次のように記されていた。
【第五試練】
調査対象:ダンジョン第50層北東区・未登録石室群
目的:長期閉鎖域の再踏査および魔素異常の検証
備考:既存記録との照合不能な“転移痕”が検出されている
ナオは、それを見た瞬間――確信した。
「……そこ、俺が初めて目を覚ました場所だ」
ー偶然ではない“重なり”
管理官は軽く頷いた。
「その可能性は、庁舎側でも検討していた。
試練として提示する以上、危険区域ではないが、“通常では立ち入りが制限されていた場所”だ」
ナオは文書を握りしめ、しっかりと頷いた。
「受けます。……俺自身が、“あの場所”に問いかけたいことがある」
管理官はうなずき、もう一通の小型封筒を差し出した。
「では、本通達とは別に、《記録許可書》を発行する。
同行者の記録装置の使用、および補助個体の随行を正式に許可する」
受け取った封筒は、軽く、けれど中には魔晶のタグが入っていた。
これが、彼と魔器たちの行動を公式に許可する“証”だ。
庁舎をあとにしたナオは、そっと袋に手を当てながら呟いた。
「……“行ってもいい”って、言われたよ。しかも、“あの場所”が、次の試練だってさ」
ユレイの声が、袋の中で低く応える。
> 「運命ト、呼ブ者モイヨウ。……我ラ、準備完了」
アクト:「地点特定、任務構築、完了」
ミズハ:「……“始マリ”ノ場所。行コウ」
リル:「ナオ、思イ出、探ス?」
ヘイド:「任務ハ、記録スル価値アリ」
ナオはうなずく。
「行こう。“俺の始まり”を……もう一度、確かめに」
試練という名の旅が、また始まろうとしていた。
だが今回は、恐れではなく――確かめるために。
自分がどうしてここに来たのか。
そして、これからどこへ向かうのか。
その“答え”を探すために、ナオと魔器たちは再び歩き出す。
──ダンジョン第50階、北東区への移動路。
魔素の薄く漂う古びた通路を、ナオはユレイたちと共に進んでいた。
岩肌の壁に埋め込まれた照明は、不定期に明滅しながらも道を照らし、足元の瓦礫や苔むした床をぼんやり浮かび上がらせている。
空気は冷たく、湿気を含んでいたが、ナオはその冷気以上に、頭の奥でじわじわと広がる違和感を強く感じていた。
まるで、目には見えない“何か”が、自分の記憶に触れようとしているような――そんな気配。
「……あれ?」
ふと、視界が揺れた。
進んでいたはずの通路の壁が、突如として変質したように見えたのだ。
ざらついた岩肌の代わりに、薄緑の塗装が塗られた平面。
それは、どこか懐かしくもある“黒板”だった。
──ザザ……ッ。
耳の奥で、ノイズが走った。
それはまるで、蛍光灯が発する、ジリジリとした電気音にも似ていた。
「……教室……?」
呟いた直後、足元がふわりと浮いたような感覚が全身を包んだ。
重力から切り離されるように、体の軸が曖昧になっていく。
視界は白い光に満たされ、その中にすべてが溶けていった。
◆《断片の中で:白昼の静けさ》
目を開けると、そこは教室だった。
懐かしい匂い――木の机、古い床板、チョークの粉。
午後の陽光が窓から差し込み、誰もいない教室を照らしている。
外には高層ビルの影。確かに、自分が通っていた学校の風景だった。
「……ここ、俺の……」
声にならない声を呑み込みながら、ナオは辺りを見渡した。
教室の黒板には、整った文字で「日直:サトウ タダシ」と書かれていた。
机と椅子は整然と並び、だがそこには誰一人としていない。
唯一、教室の後方、窓際の席に“少年”が座っていた。
頬杖をつき、無表情で外を見つめている。
制服に身を包み、どこか所在なさげなその姿――それは、確かにナオ自身だった。
(……あれが、俺)
その目は、今よりもずっと深く沈んでいて、
何かに期待することすらやめてしまったような、閉ざされた光を湛えていた。
そして、教室の片隅。
そこに、黒い“点”が浮かんでいた。
球体のように見えるその“点”は、ゆらゆらと波打ち、空間そのものを歪ませている。
(あれだ……俺が、あの日、触った)
言葉では説明できないが、ナオは確信していた。
あれは、世界の“境目”に開いた穴。
次元の綻び。その向こう側に、今の“この世界”があったのだ。
(……俺は、あの時……)
その思考が到達するより早く、空間が脈動した。
黒い点が、まるで心臓のように鼓動し、内側から呼びかけが届く。
> 「……ナオ、戻レ……」
その声は、誰のものでもなく、しかし確かにナオの“内側”から響いた。
◆現実への帰還
「――ナオ!」
ユレイの声が、意識の中心を強く揺さぶった。
ナオは、息を吸い込むようにして目を開けた。
そこは、ダンジョン第50階の通路。
石の瓦礫、冷たい空気、明滅する照明――すべてが現実だ。
ナオは膝をつき、両手を地に着けて、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
額から汗がにじみ、背中には冷たい感覚が広がっていた。
「……今、完全に……記憶の中にいた」
唇がかすかに震えていた。
だが、それは恐怖のせいではなかった。
「あの教室。俺が“いなくなった日”……全部、そこにあった」
◆魔器たちの観測
> ユレイ:「魔素波長、強ク変動。外部ノ揺ラギ、短時間接続ノ兆候アリ」
> アクト:「精神波、内向反転。干渉元、未特定。記録ノ価値アリ」
> ミズハ:「……記憶、引キ出サレタ?」
> リル:「怖ク、ナカッタ? ナオ……」
> ヘイド:「継続観測、必要」
ナオはしばらく黙っていたが、やがて目を閉じたまま、静かに答えた。
「……怖くはなかった。
でも、“そこにはもう帰れない”って、確かに感じた」
それは切なさではなく、もっと静かな“実感”だった。
帰る場所ではなく、出発点。
彼にとって、すでに過去の一部になっている場所。
「そして……ここに来たのは、やっぱり何か意味がある気がする」
ナオの言葉に、魔器たちは沈黙で応えた。
それは、彼の選択を信じるという無言の了解でもあった。
“かすかな夢”のようなその出来事を越えて、
ナオは再び足を前に出した。
彼を待つのは、自分自身の始まりの場所。
過去と現在、そして未来をつなぐ鍵を探すため、歩みを止めるわけにはいかなかった。




