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はじまりの場所へ

 ──夕方、帰宅したナオは、いつものように灯りをともした。


 薄明かりの室内に、柔らかな琥珀色の光が広がる。

 昼間の喧騒が遠ざかり、部屋にはゆっくりとした静けさが戻っていた。


 肩にかけた布袋の中から、五つの卵が音もなく取り出され、

 やがてゆっくりと光を放ち、縮小形態の彼らが姿を現す。


 ユレイ、リル、アクト、ミズハ、ヘイド。

 それぞれが、軽く視線を合わせるようにしてナオを見上げていた。

 その目には光が宿り、ただの記録装置ではない“何か”を感じさせる気配があった。


 ナオは、自分の背より少し高い窓のそばに腰を下ろす。

 石枠の窓辺には小さな風の鈴が吊るされており、吹き込む風が微かに音を奏でていた。


 小さな木箱の上に、庁舎で受け取った登録証をそっと置く。

 それは淡く青い光を放ち、確かに彼の“居場所”を示していた。


 「……手続き、無事終わったよ。これで、俺はもう“仮”とはいえ、この街の一員だ」


 五体の魔器が無言のまま、記録用の光を一瞬だけ点滅させた。

 ナオはその様子を見ながら、ふっと笑う。


 「……でさ、改めて思ったんだ。これから、俺は……何をしていきたいのかって」




 言葉にすると、胸の奥にあった靄がゆっくり晴れていくような感覚があった。


 「“帰る場所”はできた。

  “話せる仲間”も、こうしている」


 ナオは魔器たちに目を向けた。

 彼らはまるで言葉を待つように、静かに、しかし確かにそこに“在る”ことを示していた。


 「だったら次は――誰かに“してあげられること”を探したい」


 「この街には、まだ困ってる人もいると思う。

  魔器じゃない存在が、苦しんでることだって、きっとある」


 窓の外では、街灯に火が灯り始め、家々に帰る人々の声が小さく響いていた。


 「俺の力は、戦うことじゃない。

  でも、“知ろうとすること”と、“話しかけること”なら、できるかもしれない」


 「そうやって、少しずつ……この街に“居場所”を広げていきたい」


 「君たちと一緒に」




●魔器たちの応答


 ユレイが最初に応えた。


 > 「ナオ、“記録スル側”デハナク、“意味ヲ作ル側”ヘ進ミタイ?」


 ナオは笑ってうなずいた。


 「そうだな……たぶん、それが“生きる”ってことだと思うから」


 続けて、他の魔器たちもそれぞれ反応する。


 リル:「“一緒ニ”ナニカスル、ノ、好キ」


 彼女の羽根飾りが、風にそよぐ。

 その声は、純粋な好奇心に満ちていた。


 アクト:「都市ノ情報、探索任務対応可。支援モ可能」


 彼の言葉には、効率と警戒心がにじむ。

 だが、その奥には「関わりたい」という意思が隠れていた。


 ミズハ:「……“言葉”ヲ、使ッテ、誰カト話シテミタイ」


 ミズハは胸部の発音装置を微かに震わせ、誰かの歌声を再現しようとしてやめた。


 ヘイド:「……未知ハ多イ。……ダカラ進ム。選択ハ有効」


 その短い言葉の裏には、これまでの旅路の中で彼自身が得た“納得”のような重みがあった。


 ナオは小さく息を吸って、目を閉じる。

 そしてゆっくりと口を開いた。


 「じゃあ――次は、街の人たちに“こんにちは”って言ってみようか。

  戦うんじゃなくて、関わるために」


 その言葉に、ユレイがひとこと呟いた。


 > 「……我ラ、“在リ方”ノ記録。……更新開始スル」


 その瞬間、部屋の灯りの色が一瞬だけ変化したように見えた。

 誰も言わなかったが、そこに“始まり”の気配が確かにあった。


-----


《再訪:はじまりの部屋へ》


──夕刻、落ち着いた部屋の中。

ナオは、小さな灯火の揺れる光の中で、五体の魔器たちをぼんやりと見つめていた。

ユレイ、リル、アクト、ミズハ、ヘイド――それぞれが思い思いの場所に在りながらも、彼の視線を受け止めるように静かにしていた。


ふと、思い出したようにナオの口から声が漏れる。


「……俺がいた場所に行ってみたら、何かわかるかな」


問いかけというより、独り言に近いその声に、ユレイが代表して応えた。


「何ヲ、知リタイ?」


ナオは目を伏せ、小さく息をついて答えた。


「……俺がこのダンジョンの50階に初めて来た場所。

 何があったのか、自分でもちゃんと確かめたいんだ」


その言葉をきっかけに、彼はゆっくりと、自分の過去を語り始める。


「俺は……元々、このダンジョンにも、この街にもいたわけじゃない。

 別の世界に居て――気がついたら、ここにいたんだ」


「教室の隅に現れた黒い点に触れた瞬間、意識が飛んで……

 次に目を覚ましたのが、あの薄暗い石の部屋だった」


「気づいた時には、すぐ近くに魔物がいて……必死に逃げた。

 だから、あの場所をちゃんと調べる余裕なんて、なかったんだ」


語りながら、ナオの指先が震える。


ユレイたちは、それぞれの感知器で彼の微細な変化を捉え、静かに見守った。


「……ナオ」


誰ともなく、その名が呼ばれる。

次の瞬間、五体の魔器が、彼の周囲へ自然に集まった。

それはまるで、“寄り添う”ということを本能で理解しているかのようだった。


──沈黙のなか、魔器たちは光や振動のない通信領域で協議を交わす。


アクト:「初期起動領域。魔素反応調査ノ価値アリ」

リル:「“思イ出ノ場ショ”……優シクシテアゲタイ」

ヘイド:「記録不明部分ノ確認ハ、“存在証明”ニ繋ガル」

ミズハ:「ナオ、“知リタイ”ノ、本当。……大事」

ユレイ:「我ラ、“共ニ在ル”意味。行ク価値アリ」


すべての結論が合致する。


「一緒ニ行ク」


ナオは、胸の奥に温かいものが灯るのを感じた。


「……ありがとう」




日が落ちかけた空の下、ナオは軽装の上着を羽織り、腰には最低限の道具と非常食を結わえた布袋を下げていた。


ユレイたちは再び卵状の小形態となり、彼の携行袋に整然と収まる。


静けさの中、ナオは扉の前に立ち、そっと振り返って部屋を見渡した。


「帰ってくる場所があるって、不思議だな……」


扉を開けて、夜の帳が降りかけた街へと歩き出す。



―はじまりの場所へ


かつての足跡をたどるように、ナオは50階層の一角にある崩れかけた小さな通路を進んでいく。

そこは、都市部の安全圏からわずかに外れた、探索記録の少ない未調査区画。


魔素濃度は高く、空気はひやりと湿っていた。

長い回廊の果て、かつて彼が目覚めた“あの部屋”に辿り着く。


薄暗い石壁。天井には小さな魔石灯。

床の中央には、今はひび割れた魔法陣の痕跡。


「……ここだ」


ナオは、足元の石の模様を指先でなぞる。

その感触に、言葉にはできない懐かしさが宿る。


「最初は怖かった。

 でも、ここが俺の“始まり”だったんだな」


ユレイたちが順に姿を現す。

小さな身体を静かに配置し、部屋の四隅に分かれて魔素の流れを計測し始める。


アクト:「残留魔素:異常ナシ。空間構造安定」

ミズハ:「……何カ、記憶ト響ク、カンジ」

ユレイ:「ナオノ魔素、ココニ最初ニ記録」

ヘイド:「起源記録、確認終了。……再記録中」

リル:「ココ、意外ト、落チ着ク」


ナオは微笑む。


「またここに来れて、よかったよ。

 ……ありがとう。一緒に来てくれて」


彼らの記録装置は静かに光り、まるでその言葉を“心の記録”として受け取るようだった。





ナオはしばらくの間、中央の床に腰を下ろし瞳を閉じる。

かつての自分と、今の自分。


逃げることしかできなかった“少年”から、誰かを守り、支えたいと願う“存在”へ。


「これからの俺は、ここで生きていく。

 君たちと共に、ここで“意味”を作っていく」




ひとときの静寂のあと。

ナオは立ち上がり、足元の魔法陣にもう一度手を当てる。


「じゃあ、帰ろうか」


ユレイたちは、順に彼のまわりへと集まり、再び携行形態へ戻っていく。


小さな部屋の扉が、静かに閉じられた。


過去と向き合い、いまを見つめ、未来へと踏み出す。

そのすべてを胸に、ナオたちは再び歩き出す。


《記録:再訪完了/主の意思、確認》

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