仮市民枠
──静かな昼下がり。
淡い光が差し込むナオの住まいでは、乾いた布の音とほうきの擦れる音が心地よく響いていた。
床に腰を下ろしながら、ナオは棚の隙間を拭いていた。
と、そのとき──
コン、コン……と、木の扉を叩く音が静寂を破る。
「……はい」
扉を開けると、整った制服姿の若い文官が立っていた。
深藍の服に、庁舎の紋章を織り込んだ腕章。手には、銀糸で封がなされた魔素封筒。
「ナオ=カミシロ殿へ。
庁舎よりの通達、正式にお届けいたします」
その言葉にナオが受け取ると、文官は一歩下がって姿勢を正す。
「第四試練の完了により、
あなたは《第50層自治街・ノワール=フィル》における正式な“仮市民枠”登録資格を得ました」
「明日以降、指定日時に庁舎にお越しください。
登録後は市民番号が与えられ、街での契約・施設利用・居住支援などが正式に許可されます」
礼儀正しい一連の説明を終えると、文官は深く頭を下げた。
ナオも思わず背筋を伸ばし、真面目な声で応じた。
「……ありがとうございます。伺います」
●静かな午後に差し込む一通の通達
文官の足音が遠ざかり、再び部屋に静寂が戻る。
ナオはそっと封筒を見つめ、テーブルに置いた。
部屋の中では、ユレイたち魔器五体がそれぞれの“居場所”から、じっとナオを見守っていた。
「……“仮”だけど、正式に“ここの住人”ってことになるらしい」
リルがぴょこっと跳ねるようにして言う。
「ナオ、“ヒト”ニ認メラレタ?」
アクトは静かに肯定する。
「市民登録、制度上ハ“所属”ノ証明。居住権、保護対象含ム」
ミズハはしばし考えるように沈黙し、ぽつりと呟いた。
「“居場所”……記録上、確定?」
ナオは頷き、封筒の封を丁寧に割る。
中には、登録予定日、必要書類の記載された公式文書と、登録に伴う特典リストが添えられていた。
「うん。……ようやく、“ここ”が俺の場所になる。君たちと一緒に」
その言葉に、ユレイがわずかに前へと歩み出る。
■ユレイの応答
「我ラ、“所属”ノ意味、記録未完。……ダカラ、共ニ行ク」
「“ナオノ場所”ガ、“我ラノ場所”トナル可能性――探求スル価値アリ」
●心の変化──魔器たちにも芽生える“在処”
ナオは、机の角に手を置いてつぶやいた。
「……この封筒、重く感じるな。書いてあるのは言葉だけなのに、何かが詰まってる」
リルがナオの足元にぴょんと降りる。
「ナオ、“重イ”ノ、ココロ?」
「かもな……。でも、その重さは、たぶん悪くない」
ヘイドが、珍しく口を開いた。
「“個”トシテノ認可……ノワール=フィル、市政側ニ“記録”サレル。……存在証明、進行中」
アクトも静かに頷いた。
「記録装置ニ記載サレタ“市民”ハ、魔物指定ノ対象外トナル可能性アリ」
ナオは小さく目を細め、魔器たちを見回した。
「……俺たち、変わってきたのかな」
「少しずつ、少しずつ。何かが“前に進んでる”って、今は思えるよ」
窓の外では、昼の陽光が石畳に光を落とし、街の喧騒が遠くに広がっていた。
──翌朝。
ナオは身なりを整え、腰に布袋を提げて自宅を出た。
今日は、庁舎での正式な住民登録手続きの日。
陽の光はやわらかく、街の空気にはささやかな期待が混じっていた。
袋の中には――
ユレイ、リル、アクト、ミズハ、ヘイドの五体が、
卵のような縮小形態で静かに収まっている。
彼らは“見るため”に同行している。
言葉はなくとも、“今この瞬間を共に記録したい”という意思で。
石畳を踏みしめる音に混じって、街の朝は穏やかだった。
清掃員の魔導ほうきがカラカラと路面をなで、開店準備の露店から香辛料の香りがこぼれる。
ナオは歩くたびに、袋の中から微細な魔素の揺れを感じた。
「……みんな、ちゃんと見ててくれ」
独り言のようにそう呟く。
●庁舎内:市民登録窓口
庁舎に到着すると、入口の受け付けにいる職員がナオの顔を認めて微笑む。
「ナオ=カミシロ殿ですね。第四試練完了をもって、
あなたには《仮市民資格(特定外来枠)》が与えられます」
「これより登録処理を開始いたします。どうぞ、手をこちらに」
ナオが水晶端末に手をかざすと、
淡い光が走り、本人の魔素と識別情報が記録されていく。
端末に浮かぶ文字列と文様。
まるで、ナオの存在そのものが街の“記憶”へと刻まれていくようだった。
「続いて、居住区記録、職能枠暫定登録……」
少し離れたベンチに座りながら、袋の中で魔器たちが反応していた。
リル:「光……優シイ色。街ノ色?」
アクト:「識別文様、安定。街トノ同調率、検出中」
数分の処理のあと、職員が深く頷いて言った。
「登録完了しました。
本日より、あなたは《ノワール=フィル第50層自治街・仮市民No.7432》として正式に認定されました」
ナオは静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
そして、すぐ脇の布袋をそっと撫でる。
「聞いてたか? 俺たち、ちゃんと認められたぞ」
■袋の中の反応
リル:「ナンカ、光ッタ! 面白イ」
ミズハ:「……ナオ、“居場所”得タ。……記録スル」
アクト:「登録=保護範囲拡張。今後ノ行動制限、緩和」
ヘイド:「……記録:安定。異常ナシ」
ユレイ:「確認完了。“在ルコト”ガ、記録ニナッタ」
彼らはその瞬間――“誰かの手で記録される”という新たな体験を得た。
それは「機械として登録された」のではない。
ナオという一人の存在を通して、「この街に認められた」という感覚だった。
彼らが“存在”を通してこの世界と接続される――その最初の鍵が、今開かれた。
●登録証の交付と予告
職員が小型の刻印魔晶と封筒を手渡す。
「こちらが登録証になります。
また、後日《職能試験登録(希望制)》および《市民交流会》への案内が届く予定です」
「あなたのような方が、“今後どうこの街に関わっていくのか”――
庁舎としても注目しています」
ナオは静かに礼を返した。
「……俺も、自分で考えていきたいと思っています。
この街で、自分に何ができるのかを」
建物を出ると、朝よりも少し強まった風が、ナオの髪を揺らした。
袋の中、ユレイたちは微かに光を帯びていた。
それは――たしかに「存在を記された者たち」の光だった。




