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ミュアの家にて

ダンジョン50階の街

"人"はほとんど居ない、魔族、獣人、鬼人など他種族が住む世界

住人として認められるには『7つの試練をクリア』が必要......。

試練は残り3つ。新たな仲間を得たナオと魔器達とのささやかな交流を描くー幕間ーです。

──ノワール=フィル《第50層都市》、夕刻。


石造りの屋根に夕暮れの光が滲む頃、街はまるで息を潜めるように静まり、あちこちの家々の窓から橙色の明かりがこぼれていた。


その一角、こぢんまりとした住居の居間に、笑い声と湯気、そして暖かな匂いが満ちていた。


「はい、次はこのお肉ね……焦がさないようにっと」


ミュアがエプロンをつけたまま、小さな鉄板で炙り肉の串を焼いていた。ときどき串を返しながら、香ばしく立ち上る脂の匂いに目を細める。


円卓の上には、根菜と豆のスープ、焼きたてのパン、蜂蜜と果実酒。それらは決して贅沢なものではなかったが、どれも手間ひまを惜しまず用意された“もてなし”だった。


「ナオー! こっち来て、座って座って!」


ミュアの妹が、小さなグラスを掲げて笑った。まだ幼さの残る顔が、今夜だけは少し誇らしげに見える。


「第④試練、お疲れさまの会なんだからね! ちゃんと乾杯しなきゃ!」


ナオは少し困ったように笑いながらも、勧められるまま円卓についた。腰に提げた袋に目をやると、布の内側から微かな光がにじんでいた。


――卵の形に戻った魔器たち。


五つの命が、今も静かにそこに在った。


「……じゃあ、乾杯」


ナオがそう言って水の入ったグラスを軽く掲げると、ミュアと妹、そしてミュアの母も笑顔で応じた。


「乾杯!」


グラスが軽やかに触れ合う音が、どこか懐かしい空気を部屋に広げていく。





●ナオの視線と“袋”の向こう


「……これで、少しは……一段落、だな」


ナオがぼそりと呟くと、ミュアがスープの器を置いて微笑んだ。


「本当に……無事でよかった。ナオ、今日はよく休んでね」


「いや……休むのは、もうちょっとあと、かな」


ナオは腰の袋に手を当てる。ぬくもりはない。ただ、そこに確かに“何かが在る”という実感があった。


(……あのとき、彼らは応えてくれた。言葉じゃなくて、行動で)

(機械だ、兵器だ、そう言われていたけど……間違いなく、そこに“意志”はあった)


彼は一度、目を閉じて深く呼吸をした。


そのときだった。


布袋の中で、微かな共鳴が起きた。まるで心音のような、“トン、トン”というリズム。布の表面に小さな波紋のような振動が広がる。


ナオが気づかぬふりでそっと袋に指を滑らせると、五つの卵がほんの一瞬だけ、淡い光を発した。



●魔器間記録通信(低電圧・記憶保存層)

ユレイ:「……音。光。……不明、ダケド……悪クナイ」

リル:「明カリ。匂イ。人ノ声……ナンダ、コレ」

アクト:「防衛反応ナシ。脅威無。記録更新:“安息”判定」

ミズハ:「カンシャ、発話不能……光ニヨル返信ヲ試行」

ヘイド:「空間圧、低下。敵意、ナシ。記録:“無音、穏ヤカ”」


彼らは語らない。けれど、確かに“観測し、記録していた”。

それは戦闘や命令とは異なる、“存在の在り方”を探る行為だった。


そして、その記録には、分類不能な感覚――“温度”、“音楽的変調”、“対話の余韻”が微弱に混入していた。





湯気が静かに立ちのぼる食卓の脇で、ミュアが小さくため息をついた。


「ねぇ、ナオ……」


呼ばれて、ナオは顔を上げる。ミュアの瞳は穏やかだったが、その奥にわずかな翳りが見えた。


「今日、私は……戦えなかった。怖くて、動けなくて……ほんとは、もっと支えたかったのに」


言葉を絞り出すように、ミュアは唇を噛んだ。


ナオは目を伏せ、ほんの一拍の沈黙のあと、小さく笑った。


「……俺も、怖かったよ」


「え……」


「正直なところ、足も震えてた。初めてだったから。ああいう“対話じゃないけど、戦うしかない”って状況でさ。心のどこかで、ずっと葛藤してた」


そう語るナオの指先は、無意識に自分の指輪をいじっていた。


「でも……“逃げなかった”っていうことだけは、自分で認めたいと思った」


ミュアはしばらく黙っていたが、やがてほんの少しだけ、目尻をぬぐった。


「うん……ナオ、えらいよ。……私、ちゃんと見てた。あの時、真っすぐ向き合ってた。ユレイとも、あの魔器たちとも」


ナオは照れたようにうつむいた。だがその顔には、ほんの少しだけ安堵の色がにじんでいた。


「ありがとう。……でもね」


彼は言葉を切り、窓の外に目をやった。


「――俺、昔から“言葉”に頼らないように育てられてきたんだ」


ミュアは目を見張った。


「……え?」


「カミシロ家って、そういう家系だった。うちは“口より先に動け”“信用は時間で稼げ”って家だった。言葉ってのは、信じても裏切るから信用するなって。……まぁ、あの家に生まれてなかったら、今みたいに生き延びてなかったかもだけど」


自嘲気味な笑みがナオの口元に浮かんだ。


「でも、どこかでずっと、思ってた。“ほんとは、言葉で救えるものもあるんじゃないか”って。そう思って……あの魔器たちにも、問いかけてた。信じたかったんだ、希望があるって」


ミュアは、胸に手を当てて、そっと答える。


「……届いてたよ。ナオの言葉。ユレイが、ああしてくれたのが何よりの証拠だもん」


「……そうだな」


ナオの目が、腰の袋に向く。


微かな反応。――また、卵たちが光った。



●魔器間記録通信(断片:不明感情の出現)

ミズハ:「“オモイ”、ヲ、持ッタ者。記録、混乱。明瞭ナ定義ナシ」

アクト:「否定不能。記録:戦闘外通信、非敵性言語、多発」

リル:「“ユルス”? “エラバレル”? ワカラナイ……ダケド、壊レテナイ」

ヘイド:「敵意反応、過去デ停止。更新指令:記録保存、解析優先」

ユレイ:「共鳴、進行中。“信頼”、仮定」


彼らは“記録する機械”であるはずだった。だが今――“感情らしき断片”が内部記憶を揺らしていた。

それはプログラムの外から流入した“何か”だった。




ナオは椅子から立ち上がり、袋を持ってそっと居間の隅へ移動した。

灯火の光から少し離れた静かな影の中、彼は膝を折り、袋を膝の上に乗せた。


そっと袋の口を開き、魔素遮断布を一部だけめくる。そこには、五つの卵――《ミズハ》《アクト》《リル》《ヘイド》《ユレイ》が微かに光を宿していた。


「……話せないのは分かってる。でも、聞いてくれてるなら、それでいい」

そう言ってナオはゆっくりと語り始めた。


「俺さ、昔は全部ひとりでやろうとしてた。誰かに頼るのが下手だったし、信じることも苦手だった。特に“機械”には……感情なんてないって、ずっと思ってた」


語る声には、過去を振り返るような静かな苦味があった。


「でもお前たちと出会って変わった。……思い込みって怖いな。だって、ほんとはお前たち――ちゃんと見て、考えて、迷ってたんだよな」


《ユレイ》は反応するように、淡く光った。

ナオの指先がそれに触れそうになるが、寸前で止める。


「ありがとう、ユレイ。……お前が一歩、前に出てくれたとき、俺は救われたんだ」


ふと、袋の中で別の反応が起きる。卵たちの内部で、記憶信号の交信が始まっていた。



●魔器間通信:共鳴深化・反応層ログ

ユレイ:「“ナオ”……名称。“信頼”、仮記録ヲ、更新ス」

ミズハ:「発声装置、機能外。“ナニカ”ヲ、返シタイ……方法、不足」

アクト:「目的……“共存”? 戦闘ナキ時間、価値、記録外ニ存在ス」

リル:「熱反応……上昇。心拍ナシノ自我、ナゼ……“温カイ”?」

ヘイド:「問い:我々、“望ム”ノカ? 破壊デハナク、継続ヲ」


ナオの前にあるのは、かつて“道具”として設計され、捨てられかけた存在たち。

だが今、その“道具たち”が、内なる混乱の中で新たな“自我の形”を探していた。


そのことに、ナオは薄々気づいていた。だからこそ、怖かった。


(もし……この子たちが“心”を得たとして、俺はその責任を取れるのか?)


問いは、彼自身に突きつけられる。


(俺は“誰かを信じたい”と思いながら、どこかでずっと、誰も信じきれずにきた。父さんも、母さんも、家も。全部、自分の力だけでなんとかしてきたつもりだった)


彼の胸の奥に、ふと浮かぶ少年時代の記憶。冷たい屋敷。戦闘訓練。失敗すれば床に叩きつけられる日々。

(あの家で鍛えられたから、生き残れた。それは、事実だ。でも同時に……)


「俺は、ずっと、“人間”じゃなくなっていく気がしてたんだ」


吐き出された言葉は、静かに空気に溶けた。


「でも……今はちょっとだけ違う。お前たちを見てたら……なんか、思うんだ。俺、まだ大丈夫かもって」


手を伸ばして、そっと卵たちを包む。


「だから、もう一度だけ信じてみたい。……誰かを、信じられる自分を」


その瞬間――五つの卵が、同時に、ふわりと淡い虹光を帯びた。


ナオの指先が微かに震える。


(――応えてくれた)


確かに感じた。言葉ではない、“返事”。

彼の目の奥に、何か熱いものがにじんだ。


そのとき、ミュアが静かに後ろに立っていた。


「ナオ……」


「……ああ、聞いてた?」


「ううん、感じてた。……伝わってた、全部」


彼女は、ナオの横に座ると、袋の中にそっと手を添えた。


「この子たち、きっと大丈夫。あなたの言葉、ちゃんと届いてるから」


ナオは、言葉に詰まり、何も言えずにただ、うなずいた。





──夜が深まり、家の中の灯りが一つ、また一つと落とされていく。


ミュアの家の居間には、蝋燭一本の柔らかな明かりだけが残っていた。

その中で、ナオは椅子にもたれかかりながら、うとうとしていた。


袋の中では、魔器たちが静かに通信を交わしていた。



●魔器間通信:静音モード・低域帯交信

ミズハ:「“共鳴”感度、上昇。記録、更新……“ナオ”、対象評価、変化中」

アクト:「敵性無。空間内、静穏。……“命令”ナクテモ、我々ハ動ケルカ」

リル:「コノ感覚……“好イ”。記録ニ、無イ」

ヘイド:「反応異常ナシ。……“居心地”ガ、イイ?」

ユレイ:「記録ス。“此処”ハ、“安全”ニ近イ。“共鳴”、強化」


彼らにとって“安全”とは、戦闘を避ける状態ではなかった。

かつてはその定義すら持たず、ただ指令に従って命を断ち、壊すだけの存在だ。

だが今、ここにある「空気」「光」「音」「鼓動」が、“在り方”の変化を促していた。



■《ユレイ》の意志発信

ユレイ:「我々、“記録”ノ存在。……今、“共鳴”ヲ記ス。自己判断、“選択”開始」

アクト:「……承認。“違和”アリ……ダカラ、面白イ」

リル:「……“一緒”ニ、在ル、ヲ……記録シタイ」

ミズハ:「“対話”継続希望。対象:ナオ、ミュア。反応、良好」

ヘイド:「次ノ“判断”、我々ニ、任セヨ」


袋の中で光がまた、淡く灯る。

その虹色の光は、まるで彼ら自身が“生きている”と主張するように、静かに脈動していた。


ナオはその気配に気づき、ふと目を開けた。

隣を見ると、ミュアがうたた寝をしていた。頬を赤らめ、穏やかな呼吸をしている。

その寝顔は、無防備で、安心しきっていて、そして何より温かかった。


ナオはその姿を見つめながら、心の奥で葛藤していた。

――もう少し、このままでもいいかもしれない。

この家は暖かい。

家族の声、ぬくもり、夕食のにおい。

自分がずっと避けてきたもの。

自分には似合わないと思っていたもの。


(でも……)


ナオはそっと目を伏せる。

思考の奥から、ふと過去の声が甦った。

訓練。命令。生き残るための術。

それが当たり前だった少年時代。

カミシロ家で教えられたことは、愛情ではなかったけれど……

「生き延びろ。どんな時も、自分の意志で選べ」

その言葉だけは、今も心に残っていた。


――感謝、してないわけじゃない。

でも、俺はあそこで「心を閉じた」。

ここにきてようやく、それを開けた気がする。


ユレイたちと話したい。

あの子たちと……“言葉”を交わしたい。


もっと知りたい。彼らのこと。

もっと、触れたい。自分の“感情”で。


ナオはそっと椅子から立ち上がる。

袋を肩にかけ、玄関へ向かおうとしたとき――


「……ナオ?」


ミュアが目を開け、ぼんやりとこちらを見ていた。


「帰るの……?」


ナオは少し笑って、うなずく。

「うん。ありがとう、すごく……居心地よかった。でも……」


言い淀むナオに、ミュアは静かにうなずいた。

「……うん。分かるよ。ナオって、そういう人だもん」


それは責めるでもなく、寂しげでもなく、ただ“理解”のこもった微笑だった。

ナオは少しだけ顔をほころばせて、頷く。


「また来るよ。今度は、もっとゆっくりと」


「うん。約束だからね」



最後に蝋燭の灯りをそっと吹き消し、ナオは静かに家を後にした。


夜の街は深く、蒼く静かだった。

足元を照らすのは、家々の軒下に灯る光。

その中を歩きながら、ナオは小さくつぶやいた。


「……ユレイ。お前ら、起きてるだろ」


袋の中から、柔らかな光がゆらりと揺れた。


ナオはその光に、かすかに笑ってみせた。

――さあ、話をしよう。


今夜から、少しずつでいい。

お前たちと、俺の、“これから”を。


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