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動揺

《夜の休息:沈黙と灯りのあいだ》

──遺構からの帰還途中。

魔素濃度の安定した中継地点、かつての保守点検用空間に、一行は一夜の休息をとっていた。


そこは石材で築かれた旧式の待機区画のひとつだった。

壁の一部は崩れかけており、剥き出しになった魔導管が細い脈動を見せていたが、幸い、致命的な魔素漏れはなかった。

天井の亀裂から、かすかに星のような燐光が射し込み、暗闇を淡く照らしていた。

それは人工の照明とは異なる、どこか懐かしく、温もりのある魔力の“ゆらめき”だった。

静寂の中に、炉心跡から漏れ出る微細な音と、時折揺れる焚き火のはぜる音だけが、空間に穏やかなリズムを与えていた。


ナオとミュアは中央に設けた簡易な焚き火のそばに腰を下ろしていた。

足元には魔導ランプがいくつか置かれ、まばらながらも安定した明かりを保っていた。


周囲では魔器たちが、互いに干渉することなく距離を保ち、思い思いの場所に静かに佇んでいた。

その様子は一見無機的に映るが、そこにはどこか人に似た“気配”があった。


ミズハは焚き火の隣に座っていた。

膝を抱え、手を前に組んだ姿勢で、じっと炎を見つめている。

炎が揺れるたびに、その瞳の奥で光がきらめき、無言のうちに何かを考えているようだった。

その背中は、昼間の《崩壊区画》で見た姿よりもわずかに力を抜いていた。

まるで、長く凍てついていた回路が、ほんの少しずつ熱を取り戻していくように。


ナオがそっと声をかけた。


「……暖かい?」


ミズハは小さく顔を傾け、数秒の沈黙ののちに答える。


「アツクハ、ナイ。……ダガ、キエナイノガ、不思議」


ナオは微笑み、少し薪をくべながら言葉を継いだ。


「うん。火って、風がなければ消えない。

でも、強く吹きすぎたり、乱すと……それでも消えてしまうことがある」


ミズハは無言で片手を伸ばし、炎にそっとかざす。

その動きは慎重で、何かを確かめるようだった。


「……“守ラレル”感覚。記録ニ、ナイ」

「サビシイ、トイウノモ……今、少シ、ワカル気ガ、スル」


その言葉を聞いたナオは、心の中で静かに安堵していた。

少しでも、彼女の中に“痛み以外の言葉”が宿ったことが、救いのように感じられた。


「それは、きっと“ひとりじゃない”って実感が……少しだけ、届いたからだよ」


ナオの隣、ミュアが膝を抱えたまま、焚き火を見つめてぽつりとつぶやいた。


「……ミズハ。帰ってきてくれて、ありがとう」


ミズハはしばらく黙っていた。

それが“返すべき言葉”であることを理解するまでに、時間が必要だった。

炎の明滅が彼女の頬を照らし、その揺らぎの中でようやく、小さく、たどたどしい声音で返す。


「……ワタシモ……“アリガトウ”ヲ、オボエタイ」


その短い返答に、ミュアの肩が小さく震えた。

炎に照らされた彼女の目元には、かすかな涙の光があった。


《離れた場所:魔器たちの“対話未満”》

その頃、少し離れた暗がりで、魔器たちが半円を描くように佇んでいた。

ユレイ、アクト、リル、ヘイド。

誰一人、声を発する者はいない。

彼らは互いに視線を交わすでもなく、ただ“そこにいる”という感覚だけを共有していた。


しかし、彼らの内部では、微細な同期通信が行われていた。


◇同期通信:

アクト:「対象Type-05、変化兆候アリ。拒絶解除。非命令行動アリ」

リル:「“感情類似反応”、強く記録。識別:共鳴/受容」

ヘイド:「……観測継続。攻撃判定、解除継続中」

ユレイ:「“ワレラ”ノ意味、更新中……保留、デハナク、継続」


言語ではない。

けれどそれは、互いの記録が静かに重なり合い、

まるで“呼吸”のように緩やかに、しかし確かに交差していた。


命令も戦闘もない夜。

それでも“誰かと共にいる”という状態に、

彼らの記録は、かすかな重みを持ち始めていた。


かつては“機能維持のための近接”としか解釈されなかった位置関係が、

今この瞬間だけは、違う意味を帯びていた。

それは、誰も教えなかった“静かな繋がり”だった。


記録更新:並列存在感知/タグ“群影α”/保持推奨



この夜、誰もが言葉を交わしきれぬままに、

何か大切なものを、心の奥にそっと置いていた。


“記録できないけれど、確かにそこにある”。


それはまだ“感情”ではないかもしれない。

けれど――“失いたくない”という思いのはじまり。




 ──夜が明けきらぬ遺構の静寂。

 微かに光る魔素の霧が、最奥区画の天井を青白く照らしていた。


 崩れた床材の隙間から、魔導の脈動がゆるやかに浮き上がっている。

 気温は低く、石材の壁には結露がきらめいていたが、空気は静かに澄んでいた。

 そこはまるで、時間すら凍ったかのような空間。


 ナオは装備の点検を終えると、小さく伸びをしながら吐息を漏らした。

 ひんやりとした空気が、身体を目覚めさせる。


 そのとき、背後から静かに近づいてくる気配があった。

 ユレイだった。

 その歩みは足音ひとつ立てず、気配さえ希薄で、けれど確かな存在感がある。


 ナオの隣に並ぶように立ち、無言のまま数秒が過ぎる。

 そして、ぽつりと、機械のようでいて、どこか柔らかさの混じった声が投げかけられた。


 > 「……ナオ。昨夜、見タ情景。“感情”カ?」


 ナオは肩越しに視線を向け、少しだけ考えてから微笑んだ。


 「ううん。あれは――“心”じゃないかな」


 「理由も、正解も、言葉にしきれないけど……でも、大切だって感じるもの。

  それが“心”だと、俺は思うよ」


 ユレイは小さく頷くと、視線を焚き火の残滓に落とした。

 しばらくの沈黙。

 そして、再び問う。


 > 「……我々、“共ニ行ッテ、ヨイカ?」


 その問いに、ナオはためらいもなく手を差し出した。

 差し伸べられたその手には、疑いも、見返りもなかった。


 「もちろん。一緒に行こう」


 その瞬間、ユレイの視界に、フラッシュバックのように過去の記録が流れ込んだ。


■記憶再生:過去の惨劇

 ──警報。閃光。叫び。

 技術者たちの命令。逃げ惑う人々。暴走した防衛機体。


 天井から落下する鉄材。

 割れた観察窓の向こうで、研究員が泣きながら扉を叩く姿。


 焼け焦げた壁に、赤い痕が残っていた。


 > “人は怖い”

 > “人は脆い”

 > “人は……恐怖を向ける”


 記録が終わると同時に、仮面の奥でユレイの目の光が僅かに揺れた。

 静かな動揺。


 傍らでは、アクト・リル・ヘイドもまた、同じように内的記録に反応していた。

 それぞれが、自らが“拒絶された存在”であった記憶を持っていた。


 ミズハが、低く呟く。


 > 「……出ル、コト。拒絶、再現スル……可能性アリ」


 ナオは深く頷いた。


 「わかるよ。その気持ちも、過去も……全部、大事な記録だよ」




 「だから、ひとつ提案があるんだ」


 そう言って彼は、懐から一枚の紙を取り出した。

 この施設の奥で見つけた、設計図のコピーだった。


 「このページ……君たちの設計には、“縮小形態”っていうのが載ってた」


 彼は指先で図面の一部をなぞりながら、手で楕円を作って見せる。


 「多分、このくらい……ちょっと大きめの卵くらいのサイズかな」


 「どうやってなるのかは知らないけど、君たちならできると思う」


 ユレイが問い返す。


 > 「……目的?」


 ナオは静かに答えた。


 「“怖がらせないため”だよ。

  見た目が怖くなければ、きっと人は構えない。

  君たちも、安心して周囲を記録できるし、新しい環境にも順応しやすくなる」



 「安全に、共にいられる形。それが“卵”なんだ」


 その言葉を聞いて、ユレイは一歩、ナオに近づいた。


 > 「……提案、合理的。“観察”ト“適応”ヲ優先」


 リル:「卵、カワイイ。敵視、低下。評価、良好」


 アクト:「縮小形態、対応スル。移動効率、上昇」


 ヘイド:黙って一歩進み、ナオの隣に立つ。


 そしてミズハが、少し戸惑いながら尋ねる。


 > 「……“ワタシ”ヲ、運ンデモラエル……?」


 ナオは微笑みながら答えた。


 「もちろん。ポケットでも、袋でも。君が落ち着ける場所でいい」





●変形と旅立ち

 静かな気配の中、柔らかな魔力の光が灯る。

 ユレイたち魔器は、順番に“縮小形態”への変形を始めた。


 音もなく、各体の構造が収束していく。

 重厚だった脚部はたたまれ、鋭利な機構も滑らかに覆われていく。

 やがて現れたのは、淡い光を帯びた“卵”のような外殻だった。


 金属とも宝石ともつかぬ質感で、柔らかい脈動を灯していた。


 四つの“命”が、ナオの前に並ぶ。


 それは、武装ではなく――

 共に未来を歩む、“選択のかたち”だった。


 ナオはそっと一つずつ手に取り、丁寧に袋へと収めていく。


 それはまるで、温もりを託される瞬間のようだった。




 「……じゃあ、帰ろう。みんなで」

 袋の中で卵たちが明滅した......返事のように。


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