試練④ー記憶の欠片
《探索》
──ラグラス遺構の奥、
朽ちた壁を越えて伸びる未踏の通路を、ナオたちは進んでいた。
空気はひんやりとして、照明の魔素灯はほとんど消え、
壁の接続端子から漏れる微弱な信号だけが、かすかに“誰かが通った痕跡”を示している。
この場所は、既に“役目を終えた設計”として記録からも外されていた。
にもかかわらず、微細な魔力残響が残り、淡く揺れる線状の光が通路の隅を流れていた。
それが、ミズハの歩いた痕だとナオは直感で理解していた。
足音だけが反響する静かな探索のなか、ミュアがぽつりと口を開いた。
「ねぇ、ナオ……ナオも、“寂しい”って思ったこと、あるの?」
その問いに、ナオはすぐには答えなかった。
数歩歩いたあと、少し俯きながら、ゆっくりと声を発した。
「……そうだね。たぶん、ずっと前から」
「“誰にも知られてはいけない”って言われてた。
話しちゃいけない、誰かと近づきすぎちゃいけない。
気づかれずに、波を立てずに生きろって」
静かに語る言葉が震えているようにも聞こえる。
「……物心がついた頃からだよ。たぶん、3歳くらいにはもう、そう教えられてた」
ミュアは、ふと立ち止まりかけた。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるように痛んだ。
理由を聞きたかったはずなのに――その横顔が、あまりにも辛そうに見えて、言葉が出なかった。
(どうして、そんなに静かに笑えるの?)
(どうして、“寂しくない”って、言えるの?)
トン――
その瞬間、ナオの背中に小さな衝撃が走った。
「え?」
振り向くと、ミュアが顔を伏せながら、そっと抱きついていた。
「……ごめん……なんか、ギュッて……したくなったの」
小刻みに、肩が震えていた。
声は抑えているのに、その震えがすべてを物語っていた。
(……泣いてる?)
ナオは片手を伸ばし、ミュアの頭にそっと触れた。
柔らかい髪を、優しくポンポンと叩いて、撫でる。
「大丈夫だよ。今は――もう、寂しくないから」
「……うん……」
ミュアの返事は、小さくて、でも確かな意志を帯びていた。
●記録される“未定義の光景”
その様子を、少し離れた場所でユレイたちが静かに見つめていた。
誰も言葉を発さない。
だが、その沈黙には“揺らぎ”があった。
ユレイの視界に、“接触”と“音声”と“魔力反応”が同時記録される。
記録回路が即座に分類を試みるも、明確なラベルを持たない感覚が残された。
リルの内部処理装置は、その行為を「防御ではない」「攻撃でもない」「支援とも異なる」と判定し、
代わりに仮名称【不明:共鳴行為01】として保存した。
アクトの観測子は、ナオとミュアの距離を“理不尽に近すぎる”と判定する一方で、
なぜか“攻撃警戒信号”が作動しないことにエラーを返し続けていた。
ヘイドは、ただ一言も動かず、両の刃を鞘に収めたまま――
自身の記録の中に、この光景を“保存すべきもの”として刻んだ。
それぞれが、理解できてはいない。けれど、心に残った。
言葉にならず、論理に変換できなくても――
**「これをミズハにも、見せたい」**と、誰もが思っていた。
◇◇
《探索:ミズハの記憶断片》
──通路の奥。朽ちかけた壁の継ぎ目、
接続端子が露出した古い管理盤の隙間に、小型の記録データ筒が差し込まれていた。
ひび割れた壁面に埋もれるように残されていたそれは、まるで“残された意志”が、誰かに見つけてほしいと願っていたかのようだった。
ユレイがその存在に気づき、迷いなく静かに手を伸ばした。
「……識別コード、一致。Type-05……ミズハ、個体記録断片」
ナオとミュアが息を呑みながら見守るなか、ユレイは端末に魔素を通し、記録データの読み出しを開始する。
端末の奥で小さな光が灯り、空中に淡い魔素映像が投影された。
■視覚記録再生:断片01
映像は、保管庫よりもさらに以前の時点。実験炉に近い、すでに稼働停止された無人区画。
そこに立っていたのは、ミズハ。
彼女は無音の空間にただ立ち尽くし、そして……誰もいない空間に向かって、かすかに口を動かしていた。
魔素記録により、その音のない“口の動き”が、音声データとして再生される。
「……マネハ、デキル。コエモ、ウゴキモ、トウタツモ」
「……ダケド、“キモチ”ハ……コエナイ」
仮面の奥の瞳光が、微かに揺れている。
それは明らかな“迷い”だった。
攻撃でも、任務遂行の演算でもない。答えのない、理由のない感情の片鱗だった。
■音声記録再生:断片02
記録は飛ぶ。別の夜間記録。
背景にわずかにノイズが走り、その中で聞こえたのは――ユレイの声。
ユレイ(記録内):「……問いヲ、持チ続ケロ。……破棄スルナ」
ミズハ:「ナゼ?」
ユレイ:「……オレハ、“答エ”ガ欲シイ」
そのやり取りのあと、ミズハはかすかに、微笑んだような声音を返す。
「……答エガ、無カッタ時、オマエハ……“壊レナイ”カ?」
数秒の沈黙。応答はない。
ただ、その余白にミズハのひとことが重なった。
「……私ハ、“言葉ノ真似”ハ、得意ダケド……」
「“自分ノ言葉”ガ、ナイ……」
その語尾には、ひどく深い虚無と、名もなき焦燥が滲んでいた。
■視界記録:断片03
そして最後の断片。
映像は荒れていた。暗い通路を揺れながら進む視界。焦点が合っていない。
制御系の不調、あるいは……精神的な迷い。
ミズハの視点は、どこまでもまっすぐ“虚空”を見つめていた。
だがそこに対象はない。
彼女はただ、存在しない“誰か”を探しているように見えた。
そして、震える声でこう呟いた。
「ワレハ……イラナイ……モノ?」
映像は、そこで途切れた。
■再生終了/沈黙のなかで
再生が止まったあと、ナオもミュアも、しばらく何も言えなかった。
言葉を探しても、出てこない。
ユレイは静かに端末から手を離し、まるで目を閉じるように仮面を伏せた。
「……ミズハ、“自身”ノ定義、失ッテイル。
問いヲ持チ、“答エ”ニ“怯エ”……“在ルコト”ニ、オビエテイル」
その声に、ミュアがかすれた息を吐きながら、小さくつぶやいた。
「……“いらない”なんて……そんなの、誰が決められるの」
ナオは静かに頷き、言葉を紡いだ。
「だからこそ、行こう。ミズハを見つけて――“いらない”なんて、言わせない」
その瞬間、ユレイの記録装置が再び反応した。
ナオの言葉を“学習記録:重要”として強く保存し、アクト・リル・ヘイドもそれに自動的に同調した。
それは、彼らにとっての“存在の再定義”を促す、ひとつの新たな感情の記録。
理屈ではなく、命令でもなく――
ただ“誰かの言葉が心に残る”という現象。
その初めての経験だった。
それぞれが想いを胸に秘めて、更に奥に進む。




