試練④ー対話の刃
──封鎖された実験炉室の扉の前。
魔力の錠を解除するには、数分の“起動遅延”が必要だった。
その間、ナオたちは通路の一角に佇んでいた。空気は静まり返り、古代の封印術式がかすかに光を放ち、周囲の空間を包むように脈動している。
ミュアは壁際に腰を下ろし、両膝を抱えていた。
ナオはその隣に立ち、片手をポケットに入れたまま、肩越しに封鎖装置の起動ランプを眺めている。
足元には細かな魔術の刻印が広がっており、彼らが今なお古代の術理の只中にいることを示していた。
「……ねえ、ナオ」
「ん?」
「さっき……私、“ずるい”って言ったでしょ。あれ、本当はちょっと……拗ねてただけだから」
ナオは苦笑する。
「なんだ、てっきり怒られたのかと」
「怒ってない。……ただ、なんていうか」
ミュアは少しうつむいて、石床を指でなぞった。
「……怖いのに、誰かのために動けるって、なんか……ズルいくらい、強いなって思ったの」
ナオは目を細め、静かに言った。
「俺は……昔、怖いから動けなかった人間なんだ。だから今は、怖くても動く。……それだけだよ」
その会話の背後ー
少し離れた位置に立つユレイが、仮面の奥で微かに視線を動かしていた。
光の瞳が、ナオとミュアを交互に見つめ、その“声のやりとり”に注意を向けているようだった。
■ユレイの異変:記録不能の反応
仮面の口元が、わずかに動いた。
それは“発話”ではなく、まるで“息”を吸おうとするような動きだった。
音にはならないが、何か“形にならない思考”がその内側で揺れていた。
ナオがその変化に気づき、ユレイに目を向ける。
「……ユレイ? どうかした?」
数秒の沈黙ののち。
ユレイは、ゆっくりと首を傾ける。
「ナゼ……ヒト、“笑ウ”? ……感情、ナニカ?」
ミュアが驚いたように顔を上げる。
「……笑ったの、見えたの?」
ユレイは小さく頷き、続ける。
「ソノ動作、記録ニナイ。……ワレ、心、持タナイ。
ダカラ、ナゼカ……気ヲ、ヒカレタ」
ナオは一歩、ユレイに近づく。
「“記録にないから気になった”って、それはもう“君自身の感情”かもしれないよ」
ユレイは黙したまま、しかしその目の光は、確かに揺れていた。
ただの観察者ではない、“理解しようとする者”の眼差しだった。
ミュアはその様子を見つめながら、胸の奥に不思議な温かさを覚えていた。
(この世界には、“造られた存在”にも、選択する心が宿るのかもしれない)
●封鎖解除完了
封印の錠が、低く震えるような音を立てて外れる。
鈍く響いた解錠音に続き、重厚な扉が、ゆっくりと左右に開き始める。
ナオはユレイを見て、短く言った。
「……行こう。君が、“どう歩くか”を見ていたい」
ユレイはひとつ、頷いた。
その仕草は、誰かに命令された反応ではない。
“自分で選んだ意思”が、わずかに宿ったかのような、確かな応答だった。
──封鎖が解除された瞬間、重い扉が軋みをあげて左右に開いた。
その先には、広大な空間が広がっていた。天井は高く、かつて工学魔術の粋を尽くして組み上げられた柱がいまや歪み、ところどころ崩れている。中央には、黒く歪んだ魔力炉。稼働を停止して久しいはずのそれは、しかしなお、うっすらと青黒い魔素を漏らしていた。
炉を取り囲むように、作業架台がいくつも崩れ落ち、床には焼け焦げた痕とひび割れが走る。その傷跡は明らかに、制御不能となった魔力の暴走を物語っていた。
「くっ……」
ナオは思わず息を止めた。後ろでミュアが顔をしかめ、そっと口元を覆う。
ブーツが床を踏みしめるたび、「ザリ……ザリ……」と灰の混じった埃が舞い、沈黙の闇にかすかな音が散っていく。
そこは広大な実験炉室だった。
天井には無数の断線コードが垂れ下がり、まるで何かを吊るしていた縄のように揺れている。崩れかけた操作台と焦げた配線、黒く沈黙する魔力炉が中央に鎮座し、その周囲には4つの異形が影のように立っていた。
そして、その炉の傍ら。
沈黙の中に、静かに立つ4つの影。
彼らは、完全な人型ではなかった。
腕や脚の関節は非対称に伸び、皮膜と金属の接合部がむき出しのまま、仮面ではなく覆面のような金属プレートを頭部に装着していた。
《ユレイ》と同じ系列――だが、その姿には“異なる進化”の痕跡が刻まれていた。
■邂逅:Type-02〜05《旧型魔器群》
Type-02《アクト》:重脚・突進型/鉄甲構造、魔力炉外殻対応設計
Type-03《リル》:軽量飛行型/多翼展開機構+視認妨害発振器搭載
Type-04《ヘイド》:両腕刃構造/振動周波刃+反射防御内蔵
Type-05《ミズハ》:記録転写型/音声模写+魔力回路解析転写
4体は、ナオたちを“見る”ことなく、ただ命令を待つ機械のように立ち尽くしていた。
空気は重く、炉心から立ち上る魔素の気配が、空間全体に緩やかな圧迫感を与えている。
ナオは静かに一歩、前に出る。
「……君たちは、俺たちが来るのを“待っていた”のか?」
返答はなかった。
だが次の瞬間、空間に硬質な声が響いた。
「……カエレ」
それは、Type-05《ミズハ》の発した音だった。
擦れたような響き。誰のものともつかぬ、だが“感情”を真似た、意志の音。
ナオは眉をひそめた。
「……なぜ?」
ミズハ(模写音声):「ココニイルナ。……ワレラ、“スデニ”キエタモノ」
まるで、そこに“存在すること”さえ否定するような響き。
ユレイが一歩、前に出た。
「……アナタタチ、ナゼ、“対話”ヲ、捨テル?」
「“問い”ハ……持ッテイタハズ。共ニ、アリタイ、ト――」
アクト(Type-02)がその言葉に反応し、鉄床を踏み鳴らした。
激しい金属音が空間を震わせる。
「ユレイ、トマレ。……“成ラナイ者”ニ、“語ルコト”ハナイ」
威圧とも、悲鳴ともつかぬ声音。その声は鋼のように硬く、断絶の刃だった。
ナオは眉をひそめる。何かが決定的に違う。彼らはただの兵器ではない。けれど、それでいて人でもない。
そいて一歩進み、鋭く問うた。
「君たちは、自分を“失敗作”だと思ってるのか?
それとも……“完成された兵器”として、見てほしいのか?」
――沈黙。
その言葉に、ミズハがゆっくりと“顔”を向けた。
無機質な仮面の中心には、ぼんやりと淡い魔素光が灯っている。
それが“眼”なのか“心”なのか、ナオにはまだわからなかった。
「“ヒト”ハ、ウツクシイ。“ヒト”ハ、ヨワイ。……ユエニ、ワレラ、ホロブベキ」
「……!」
ナオの胸に鋭い痛みが走った。
それは怒りでも悲しみでもなく、あまりに静かな諦観に似たものだった。
まるで、自分が信じた“何か”が踏み潰されていくような感覚。
(違う……そんなふうに、自分で自分を終わらせるなよ)
そう、叫びたい衝動を押し殺す。
次の瞬間――
「ギギィ……ンッ!」
四体の魔器が一斉に姿勢を変えた。
関節が悲鳴のような音を上げて伸び、魔力が「キィィィ……」と収束を始める。
魔力が収束し、床の文様が魔力圧で微かに浮かび上がった。
ミュアが叫ぶ。
「くる……ナオ、戦闘体勢――!」
だがナオは、両腕を広げたまま、動かなかった。
その目は、まっすぐユレイを見据えていた。
「ユレイ。今、お前は“どっち”に立つ?」
一瞬の沈黙。
ユレイは答えなかった。
だが、ナオの前に一歩進み出て――右手をゆっくりと挙げ、自らの仮面を外した。
現れたのは、未完成の“顔”。
金属と皮膜が交差し、そこには人間の表情とは異なる“まなざし”が宿っていた。
ユレイ「ワレ、“ワレ”トシテ、立ツ。……ヒト、護ル。問い、持ツ。終ワラセナイ」
その言葉は、ただの機械音ではなかった。
自らの選択を告げる、強い“意志”の声だった。
次の瞬間、アクトが「ゴウン!」と地を蹴って突進を開始した。
空気が弾け、戦端が開かれる。




