試練④ー記録の間と封印の仮面
──保管庫の探索を終えたナオとミュアは、地図に記されていた最後の区画、《第5区画:主任居室》へと足を向けていた。
通路の様相はこれまでのそれとは明らかに異なっていた。
工房としての機能的な冷たさではなく、どこか“個”の気配が濃く残る空気。
それは技術者が己の思想と向き合った“思索の場”そのものであり、ナオは進むほどに、胸の内に重いものがのしかかってくるのを感じていた。
扉は他の区画と同様、魔力信号でロックされていたが、ナオの操作で静かに解錠された。
金属が擦れる音とともに、扉が開く。
中に広がっていたのは、予想外に整然とした空間だった。
厚く積もった埃の下には、いくつもの魔導書が並ぶ本棚、
中央には重厚な執務机と、脇に設置された魔力記録盤。
天井の魔導灯はほとんど機能を停止していたが、わずかな光が残っており、
それが机の上の“仮面”を淡く照らしていた。
「……ここが、主任設計者の部屋……」
ミュアが呟く。
ナオは記録盤に近づき、慎重に手をかざす。
その指先に込められた魔力に反応して、盤面が淡く輝いた。
そして次の瞬間、空中に魔導映像が投影される。
◆起動記録:設計主任《リゼ=アルヴェイン》
現れた映像は、白衣を纏い、頬に疲労の色を浮かべた中年の魔族女性だった。
彼女の髪は乱れ、眼の下には深い影。だが、その瞳だけは、今も生きているかのような熱を帯びていた。
「記録開始。日付……もうどうでもいいだろう。これが私の最後の記録になる」
「私は、魔器を含むTypeシリーズを開発した責任者、リゼ=アルヴェイン」
「この記録を見ている者がいるなら――たぶん、“ここに戻ってきた誰か”なんだろう」
映像の中で彼女は息を吐き、わずかに笑みすら浮かべながら言葉を紡ぎ出す。
「私たちは、“戦いに感情を持ち込まない兵器”を望まれた。
人が怯むべき時に怯まず、命令に忠実な従者。
だが、同時に“状況判断”と“臨機応変な対応”を求められた」
「だから我々は、“判断”だけを持った兵器を造った。
感情も、記憶も、人格も――削ぎ落とし、“行動だけを学ぶ機械”を」
その言葉に、ミュアは表情を強張らせる。
映像のリゼは、机の上に置かれた仮面を指で撫でるように触れた。
「けれど、私は途中で気づいた。
彼らは学んだ。“痛み”を。“命令”を、“結果”を……“繰り返された意味”を」
「そしてついに、《ユレイ》はこう言ったのだ――
『ワレハ、“コレ”ノタメニ、アッタノカ?』と」
その瞬間、ミュアがはっきりと震えを見せた。
彼女は口元を押さえ、小さくつぶやく。
「……言葉を、発したの……?」
リゼはゆっくりとうなずいた。
「私は、封印を決めた。
あれは兵器ではない。“考える者”になりかけていた」
「私は……彼らを、殺すことができなかった。
だから、“未来に来る誰か”に、選んでほしいと願った」
「もしあなたがこの記録を見ているのなら――
どうか、彼らを、“敵か、同胞か”あなたの目で見極めてくれ」
映像はそこで、音もなく終わった。
魔導盤から流れる微かな熱が引き、室内は深い沈黙に包まれる。
ナオは拳を軽く握ったまま、ゆっくりと呼吸を整える。
何かを呑み込み、胸の奥で整理してから、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、“あいつら”は……俺と同じ“問い”を持ったんだ」
ミュアが振り向く。
「どうするの? ナオ……もし、またあの魔器たちが動いたら」
ナオの目は、記録盤の残光が残る空間を真っ直ぐに見据えていた。
「俺は、“敵”として壊すことも、“仲間”として止めることもできる」
「でも、何も知らないままじゃ、どちらも“言い訳”になる」
「だから、俺は選ぶ。
この世界に来た理由を、ここで“答え”に変えるために」
──再び、第4区画・保管庫。
記録端末で主任設計者リゼの“声”を聞いたあと、ナオはまっすぐ保管カプセルへと戻っていた。
Type-06《ユレイ》は、依然として冷却装置の中で沈黙している。
だが――その存在は、“眠っている”のではなく“待っている”ように思えた。
ミュアはやや後方で慎重に魔力測定を続けている。
周囲の魔素濃度は安定しているが、ナオの体からごく微細な“共鳴波”が漏れ出していた。
まるで何かを呼び起こすように――いや、呼応するように。
「ユレイ……話がしたい」
ナオが、正面に立ち、静かにそう声をかける。
魔器に話しかけるなど、通常の常識では意味を持たない行為だった。
だが次の瞬間――カプセル内の魔素が、わずかに揺れた。
空間そのものが反応したような、奇妙な“呼気”が広がる。
それは耳で聞こえるものではなく、心の奥底に響く“共鳴音”。
“……ハナス……?”
ナオとミュアは息を呑んだ。
空気の中に、直接思考が流れ込んでくるような“脳内音声”――明確な言語ではない。
しかし、意味は確かに届いていた。
ナオは一歩前へ。
魔力干渉を抑える防壁を解き、真っ直ぐに仮面の奥を見つめた。
「……俺は、君が何のために造られたか、知ってる。
“戦う”こと、“壊す”こと、命令通りに動くこと……全部、そういうためだったんだろう」
「でも今、君が“問い”を持ってるなら……それはもう、“ただの兵器”じゃない」
ユレイの目の位置にある仮面の奥が、ふっと赤く明滅する。
細く、揺らめく灯火のように――その瞬間、もう一度声が響いた。
“ナゼ……ワタシニ……ワレワレニ……ハナス?”
ナオは、少しだけ目を細める。
「君たちは、“人”じゃない。だけど“考えること”を始めた」
「考えるなら――話す資格がある。
聞きたい。君は、なぜ動いた? 何を知りたい?」
......沈黙......
だが、ユレイの内部にある魔力核が、徐々に覚醒の色を帯びていく。
仮面の奥から微光が漏れ、魔素が繊細に震え始めた。
そして、仮面の口元から、初めて“音”が発せられる。
人工的な機械音声。だが、その響きはどこか“寂しさ”を孕んでいた。
「……“コタエ”……ハ……ホシカッタ」
「……コウドウ、セイセキ、セイギ、シジョウ……スベテ、クミコマレタモノ」
「……“ナゼ”ト……イッタ。……ダレモ、コタエナカッタ」
ミュアが震える息で呟く。
「……ユレイ……言葉を……」
ナオは、再び一歩踏み出す。
手を胸にあて、自分の鼓動を確かめるように。
「君がそれを知ろうとするなら、俺は話し続ける。
答えがあるかどうかなんて、すぐにはわからない。けど――」
「“問いを持つこと”を否定する奴には、俺が立ち向かう」
静寂。
だがその沈黙は、不安ではなく“確認”の間だった。
やがて、ユレイのカプセルの前面が、カチリと音を立ててロック解除される。
警告灯が回ることはない。
これは“侵害”ではなく、“選択”の動作だった。
蒸気が立ち昇り、冷却ガラスがゆっくりと引き上げられる。
濃密な魔力と、低温を帯びた空気が足元に広がる。
《ユレイ》が、ナオの目の前に立ち上がった。
細身の体、仮面の下にうっすらと“揺れる目の光”。
だがその動きに、敵意はない。
まるで“初めて世界を知ろうとする子ども”のようだった。
「ナオ……」と呼ぶミュアの声は震えている。
ナオは微笑んで、ひとこと返した。
「大丈夫。――今、俺たちは“話してる”」
保管庫の空気が、静かに変わっていく。
敵でも、味方でもない、“名もなき存在”との会話の幕開け。
その一歩が、試練の意味を根底から変えていくことを、ナオは確かに感じていた。




