試練④ーラグラス遺構
──庁舎・朝の報告の間。
庁舎の最上階《報告の間》には、高窓から差し込む淡い光が石床を照らし、空気にはまだ朝の冷たさが残っていた。
壁の紋章旗がゆるやかに揺れる中、ナオとミュアは無言で椅子に腰掛けていた。第三の試練を終えたばかりの身体には疲労が残っていたが、緊張の色はどこかに消えていた。
部屋には、長老ミスラ、記録官シルア、そして今回の試練の責任者である羽根族の軍技官代理が姿を見せていた。鋭い目を持つセヴィオは、軍務で磨かれた筋の通った気配をまといながら、無言で巻物を机に広げた。
「ナオ・カミシロ。君に与えられる第四の試練は――《遺構の調査》だ」
その一言が空気を変えた。
■試練④:魔器工房跡での異常調査
任務名:試練④《遺構調査・旧魔器工房ラグラス》
対象地点:50階西端、石窟の奥地に封鎖された《旧工房区画》
内容:
かつて魔族によって“魔器”を製造していた地下工房跡にて未知の魔力波が観測された。
音のない爆発痕と、局所的な“重力異常”が報告されている。
遺構内に残された“実験記録”および“魔器の起動痕跡”を調査、可能であれば回収せよ。
目的:
1. 構造調査と魔素濃度の記録
2. 魔器の残骸、または稼働反応の回収
3. 「発動源」が残存している場合、封印/破壊の判断を現場で行うこと
「“魔器”って……武器なんですか?」
沈黙の中でナオが発した問いに、セヴィオは視線を向けただけで答えなかった。
代わりに記録官シルアが、そっと一冊の古びた記録簿を手渡す。
「これは、封鎖直前まで工房で使われていた《魔力変質記録簿》です。あくまで参考に。現地で判断してください」
それ以上、庁舎の誰からも魔器についての具体的な説明はなかった。
ナオはその場を下がった後、庁舎の資料室へ向かった。
薄暗い書架の奥、埃の積もる棚から、彼は関連しそうな文書を手に取った。だが、魔器に関する記録は意図的に抜き取られたように欠落しており、得られる情報は断片的だった。
「……わからないことが、増えたな」
呟くナオの背に、そっと近づく足音があった。
「ねえ、大丈夫?」
ミュアだった。彼女は静かにナオの隣に腰を下ろした。
「今回の任務……なんだか、変に思わない?」
「……ああ。いつも以上に、説明が少ない」
ナオは資料の束を閉じ、深く息を吐いた。
「それでも行くんだね」
ミュアの声には、不安と、それ以上に強い決意が滲んでいた。
「行くよ。俺たちが何と向き合うのか、見極めたい」
「じゃあ、私も一緒に行く。……何があっても、ちゃんと隣にいるから」
ナオは彼女に目を向け、短くうなずいた。
──その夜。
ふたりは支度を終え、翌朝の出発に備えて静かに眠りについた。
夜明け前。
庁舎の前に立つナオの指先には、緊張の冷たさが残っていた。
新たな試練、未知の存在。魔器。
すべてが、彼の覚悟を試すものだった。
その横に立つミュアが、そっと手を握る。
「緊張してる?」
「……まあね」
「ふふ、顔に出てる」
そう言って笑ったミュアの瞳も、わずかに揺れていた。
だがその手の温もりは、確かにナオを支えていた。
「行こう」
ナオの声に、ミュアが頷く。
夜明けとともに、ふたりは静かに庁舎を後にした。
魔器という存在が何をもたらすのか。
それを知るために。
──第四の試練が、幕を開ける。
西区境界を越えた先。
かつての搬入通路をなぞるように、ラグラス遺構へと続く道は、岩壁の影に縫い込まれたような細く長い小径だった。
頭上には沈黙した天井が続き、光源も風もほとんど届かない。魔石灯の類いはなく、壁の苔がかすかに淡く光っているのみで、足音だけが規則正しく反響する。
ナオとミュアはその静寂の中、並んで歩いていた。けれど、完全に“並んで”はいなかった。ナオの歩幅に、ほんのわずか遅れを取るミュアの足取り。
耳は伏せぎみで、尾は力なく揺れていた。
(……怖い)
それは、誰にも言っていない感情だった。試練③の後、ようやく夜の街で安心できるようになったはずなのに、いま胸の奥を満たしているのは違うものだった。
工房跡――そこは、何かが壊れた場所。意思なきものが意思を持ったかのように動き出し、人を傷つけた過去。
「……無理してない?」
不意に、ナオの声がした。
ミュアは小さく肩を震わせた。
「え?」
ナオは立ち止まり、振り返ってミュアを見つめていた。
「しっぽの動き。すごく固い。……前に、踏ん張ってるとき、そうなってたよね」
指摘された瞬間、ミュアの頬がわずかに赤らむ。
「……怖いんだ」
言葉にした瞬間、胸の奥が少し軽くなった気がした。
「工房って……“動かないはずのもの”を無理に動かしてたんでしょ? 意思がないのに、勝手に動くなんて……なんか、それがすごく、こわい」
ナオは頷き、小さく笑んだ。
「……正直、俺も怖いよ」
驚いたように、ミュアが彼を見た。
「けどさ。俺、昔から意味のわかんない訓練ばっかやらされてて。
音を消して歩け、影から出るな、目を閉じて敵の気配を感じろ……とか」
「正直、何の役に立つんだって思ってた。忍者ごっこかよって、子どもながらに」
「でもさ。今ここに来て、ようやく思うんだ。
あの人たちは、“それが必要になる日”を見越してたんじゃないかなって」
ナオの声は静かだった。けれど、その瞳の奥には、確かな熱が宿っていた。
「だから、俺は確かめたい。あの訓練が、今の俺に何を残したのか。俺がここに来た意味が、何だったのか......。怖いけど……それでも、進みたい」
ナオの一歩が、音もなく石を踏む。
その後ろ姿を、ミュアはじっと見つめていた。
(この人は、怖さを否定しない。けど、その怖さを“超えるもの”を、ちゃんと持ってる)
胸の奥に、小さな火がともるようだった。
それは憧れ。尊敬。
そして、それだけではない感情。
「ナオ」
「ん?」
「……無茶はしないでね。あんたがいなくなったら……私、困るから」
言葉の最後は、少しだけ震えていた。
けれどその想いは確かなもの。
ナオは目を丸くして、次に小さく照れたように笑った。
「うん。ちゃんと帰ってくるよ。君と一緒に」
並んで歩き出す二人の間に、少しだけあった“歩幅の差”が、やがて重なる。
──それからさらに数十分。
道はやがて途切れ、苔に覆われた岩壁の裂け目が現れた。
鉄の匂いが、空気に微かに混ざる。苔に沈んだ鉄製の扉が、傾いたまま立っている。
そこにはかつて、“造られし力”が眠っていた。
ここが《旧魔器工房ラグラス》。
過ちと、技術と、そして“止まったはずの時間”が今も脈打つ場所だった。
──50階西端、断層の奥。
苔に覆われた裂け目を抜けたナオとミュアは、《旧魔器工房ラグラス》の前に立っていた。
眼前に現れたのは、かつて無数の物資と試作機が出入りしたという巨大な鋳鉄の扉。全体に黒錆が浮き、表面には数多の魔法陣と封印文様が刻まれていた。だが、その大半は風化し、崩れ、何の意味も読み取れなくなっていた。
「ここ……ほんとに、使われてた場所なんだね……」
ミュアがつぶやいたその声さえ、扉の前では不思議と重く響いた。
ナオは扉にそっと手をあてる。その感触は、冷たく、そしてどこか内側からじんわりと“熱”を放っているようにも思えた。
「開くよ」
鉄と鉄が擦れ合う重苦しい音を立てて、封鎖された扉がゆっくりと開いた。空気が一変する。外界とは異なる密度と気配が、二人を迎え入れた。
◆第1区画《搬入口》
空間は高く、かつて大型の器材が行き交っていたことを物語っている。
壁のあちこちは黒く焼け焦げ、裂け目のように走るひび割れが露出した鉄骨を見せている。床の一部は崩落しかけており、所々で苔と灰が混じったような物質が積もっていた。
「音が……響かない」
ミュアが呟く。
その通りだった。声を発しても、反響が極端に抑えられている。まるでこの空間そのものが“音”を飲み込んでいるかのようだ。
ナオは歩みを止め、周囲の魔素濃度を確認する。
「……約3.5倍。通常の環境下じゃ考えられない数値だ」
ミュアの耳が不安げに伏せる。
「こんなに濃いと……魔器とか、反応しちゃったりしない?」
「可能性は高い。だから観測と記録を慎重に」
二人は足音すら控えめに進む。ナオが《命視》を起動するが、生体反応は感知されなかった。
しかし――
(……魔素の流れが、揺れてる?)
不規則な鼓動のような揺らぎ。目に見えぬ“魔の息吹”が、この遺構を包んでいた。
◆異常現象①:重力の揺らぎ
搬入口の中央を越えた瞬間、ナオの身体がふっと浮いた。
「……!?」
重さが消え、続いて瞬時に何倍もの重力に押し潰される。
「ナオっ!」
ミュアが駆け寄ろうとするが、彼女も同様の現象に飲まれる。
「っ……足が、うまく踏ん張れない……!」
ナオは膝をつきそうになりながらも、《零重歩》の要領で足裏の魔力を調整し、地を“払うように”体を浮かせ、平衡を取り戻す。
「これは……重力場そのものが、揺れてる」
彼の視線は、床の下、奥の奥へと向けられていた。
「この真下に……稼働中の“魔器の残核”があるかもしれない」
ミュアは息を呑み、震える声で尋ねた。
「動いてるの……? 止められたはずの魔器が……?」
「いや、完全に“止めきれなかった”んだ。この空間そのものが、“造られしものの余熱”を残してる」
◆視覚的異常:発光痕跡
しばらく歩を進めた先、壁際に紫がかった痕跡を発見した。
それは一見すると“焼け跡”だが、淡い光を放っている。
「魔力放出の痕跡……しかも、数週間以内のものだ」
ミュアが青ざめた顔で言った。
「じゃあ、誰かが……ここに?」
「あるいは、“起動信号”が自動的に再送されてる。制御核が、まだ完全には死んでない」
ナオは記録簿を開き、照合を始めた。
「……この痕跡、記録簿の《失敗例C-23》に似てる。高濃度魔素下で起動した個体。抑制環の暴走が原因とある」
ミュアはぎゅっと手を握った。
「止められる……の?」
ナオは息を整える。
「……まだ、何も始まってない。これは“目覚め”の予兆に過ぎない」
視線を奥へと向けた。
「この先、たぶん……“止めるか、認めるか”を、俺たちが決めることになる」
ミュアは黙ってナオの背を見つめ、そして静かに頷いた。
「……行こう。あんたが前に進むなら、私も、止まってるわけにいかない」
二人は、再び歩を進めた。
闇の向こうにはまだ見ぬ“造られしもの”が、静かに息を潜めて待っていた――。




