守る側に
──午後の庁舎。石造りの通路に、ナオの足音が響く。
朝から差し込んでいた光は西へ傾き、窓際の影を長く伸ばしていた。空は晴れているのに、庁舎の中にはどこか重苦しい気配が漂っている。それは、ナオ自身が持ち帰ったものなのか、それとも……。
庁舎の奥、《報告の間》と呼ばれる一室にて、三名の人物がナオを待っていた。
五柱の中から集まったのは、街の維持と調和を担う監察官ミスラ、記録官シルア、そして戦術管理を任されている鬼族のガルド。
石床の上に置かれた円卓を囲むように座る彼らの前に、ナオは静かに一礼し、廃屋で得た記録結晶と、探索内容を詳細に記した報告文を差し出した。
「確かに受け取った」
シルアが書面に目を通しながら呟く。
■報告内容(要点)
・旧市街・廃屋にて、魔素汚染による空間構造の異常を確認
・周辺にて音響異常および幻聴を伴う“擬似記憶具現”を複数回感知
・《影の住人(仮称)》と命名された存在との接触記録を取得
→対象は個人記憶と魔素の融合による擬似知性体であり、自律行動を有する
・精神的干渉は限定的。ナオ個人の精神状態に重大な変調なし
・構成核への直接干渉により消滅。魔素濃度の一時的安定を確認
沈黙のなか、書面の内容が読み上げられる。
ナオは背筋を伸ばしたまま、静かに立っていた。だがその心は、まだ《影》の残滓と向き合っていた。
“母の声を持つもの”。それに刃を向けたことを、後悔してはいない。
だが、心のどこかに痛みは残る。それが“本当に必要だったのか”という問いとして、身体の奥に沈んでいる。
報告を聞き終えたミスラが、低く呟いた。
「“影の住人”。それは、人の心に寄生するものか……」
「あるいは、私たちが過去に“見なかったことにした何か”が、姿を変えて現れたのかもしれません」
記録官シルアが、書面から顔を上げて応じる。
「君が遭遇したそれは、“存在の境界”が崩れた結果、記憶と魔素が融合して形成された、極めて特異な疑似生命体です」
「……記録にはあるな。過去、魔素汚染地帯で“音の模倣”や“空間の揺らぎ”が報告された事例は複数あるが、実体化までは……」
ガルドが低く唸った。
「つまり街そのものが、記憶を写し取り、形にしはじめている……それが“人間”の記憶を使ってきたというのは……あまりに示唆的すぎる」
「この現象が“外部から来た異分子”の記憶に反応したということは、魔素そのものが街と対話をはじめている可能性がある」
シルアの言葉に、空気が張り詰めた。
「だが……この一件、街にとって“異物”が引き金になった可能性は排除できん。つまり……」
ガルドの眼差しが、鋭くナオを見据える。
ミスラが静かに巻物を広げ、筆を取る。その動きは淡々としていながらも、確かな重みを帯びていた。
「ナオ・カミシロ。君の試練③――完遂と判断する」
■庁舎記録:更新
・カミシロ・ナオ ― 試練③《魔素汚染地区調査》:完遂
・擬似存在との遭遇と詳細な記録に成功
・構成魔素の安定化確認
・街と個人記憶との交錯傾向、初確認として記録
筆を置いたミスラは、しばしナオを見つめたまま言った。
「……この街は、変わり始めている。
そして君は、その変化に“触れられる”者だ」
「次なる試練は、“街の未来”に関わるものとなるだろう。
その前に――君自身が、今ここにどう在りたいかを見極めなさい」
その言葉は、命令ではなかった。
だが、ナオにとっては指針にも似た響きを持って届いた。
廊下へ戻る足取りは、静かで、しかし確かだった。
背中に残る“影”の記憶。
胸に灯る、小さな炎のような“感謝の言葉”。
彼が通ってきた路は、もはや“ただの試練”ではなかった。
それは、己のために歩く路。
──そしてその足取りの中に、ふいに記憶の断片が差し込んだ。
(……あれは、いつだったか)
白い蛍光灯に照らされた、無機質な教室。
机に頬杖をつき、窓の外をぼんやりと眺めていた。
周囲の声、黒板に書かれた英単語、教師の説明。
すべてが遠く感じられて、けれど穏やかだった。
昼休みにはパンを片手に階段に腰を下ろし、部活の話をする友人たちの声に頷きながら、どこか心は別の場所にいた。
(あの頃の俺は、“何か”を探してた。
けれど、それが何かなんてわからなかった)
窓の外の空を、ただずっと眺めていた自分。
特別な力もなく、ただの一人として、平凡な日常の中にいた自分。
──けれど、今は違う。
ナオは深く息を吸い込んだ。
(……俺は、この場所で、変わった)
その変化は、まだ途中かもしれない。
けれど、それでも。
ナオは、ゆっくりと拳を握りしめた。
(次の試練が“俺の未来”に関わるのなら......)
影を越えたナオの心には、今、新たな決意が灯っていた。
廃屋での対峙──“影の住人”のことを思い出す。
記憶に絡みつく黒い霧。母の声を模した影。
けれど、あの場所で立ち向かったのは確かに“今の俺”だった。
(俺が誰であれ……あそこにいたのは、俺自身だった)
火の明かりが揺れる。
ふと、窓の外に映った影の重なりが、“父の背中”と“母の手”のように見えた。
幻覚ではない。
記憶が、今の自分に重なったのだ。
「俺は……“守られてきた”。今度は、“守る側”に回らなきゃな」
誰に向けたとも知れぬその呟きは、静かな決意となって夜に溶けていった。




