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試練③ー鬼門

 ──庁舎、調査室。


 ナオが呼ばれたのは、朝の冷たい霧が街を包む時間だった。

 庁舎の石造りの廊下を抜けた先、「調査室」の扉をくぐると、そこには記録官シルアが待っていた。


 彼女は無言で手を動かし、巻物を一振りで広げた。

 淡い魔素光が紙面を照らし、浮かび上がる文字はまるで刻まれた意志そのもののようだった。


■試練③:魔素汚染地区の調査

任務名:試練③《旧市街・魔素汚染域の調査記録》


対象エリア:50階北東区画、通称《鬼門きもん》と呼ばれる旧市街


内容:

 > 数十年前に放棄された市街地にて、近年“魔素の濃度上昇”と“物理空間の歪み”が観測されている。

 > 一部の廃屋にて“物音”や“模倣する声”の報告あり。

 > 原因不明につき、単独の調査が望ましい。


 シルアは巻物を閉じ、静かに言葉を紡いだ。


「この任務は、“街の内側に潜む外界性”の検出を目的とする。異界干渉が進行している可能性がある」


 その言葉に、室内の空気が一瞬、緊張を帯びた。


「……街の中、なのに“ひとりで”?」


 同行していたミュアが眉をひそめる。


「対話ではなく観測。反応を探るためには、余計な魔素の干渉を最小限にすべき……とのことらしいよ」


 ナオは小さく息を吐き、苦笑した。


「まあ、忍び足で歩くには静かな方がいい」


 けれど、内心では確かに、わずかな不安も渦巻いていた。

 “鬼門”――その響きは、異世界に来る前からなぜか肌に馴染んだ、忌避すべきものの名残を感じさせた。


ー出発前ー


仕立屋《糸の月》にて

 支度のために立ち寄った仕立屋では、思いがけぬ準備が整えられていた。


「ちょうど良かった」


 羽根族の姉妹、ペルとルルが、淡い灰青の外套をナオに差し出す。


「防霧符と魔素散布層を二重に縫い込んでる。簡易だけど、汚染には強い」


「試作品だけど、君にぴったりのができたのよ。“軽くて、走れる服”って、君が言ってたやつ」


 ナオが外套を手に取ると、指先に伝わる布地の滑らかさと、微細な魔術繊維の感触に目を見張った。

 それはただの衣ではなく、願いの形だった。


「……こんな、すごいのを……」


 ペルはふっと笑い、ルルが続けた。


「うちの服は“帰ってくる人”のために作るの」


 その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなった。


 その時だった。

 仕立屋の扉がバタンと開き、外からざわめきが流れ込む。


「ナオー! これ、非常食用に干し肉!」

「うちの家でいらなくなったけど、包帯と薬草の予備!」

「これ……鈴。音がね、歪むと鳴るんだよ。危ないとき使って!」


 続々とやって来る住人たち。

 子どもから年配の魔族、通りがかりの職人までが、ぽつりぽつりと手に持った物を差し出していく。

 それは命令された支援ではなかった。見返りもなかった。


 ただ、心からの贈り物。


 ナオは思わず立ち尽くした。

 言葉が出ない。

 かつての世界で、自分のためにこんな風に誰かが何かをしてくれた記憶が、ほとんどなかったから.....。


 そっと、ミュアが肘で突いた。


「……ナオ、ちゃんと言いなよ」


 ナオはゆっくり頷き、皆の方を向いた。

 そして、言った。


「……ありがとう」


 その声は大きくはなかったが、ひとつひとつの心に染み入るように響いた。


 その場にいた誰もが、静かに、しかし確かに微笑んだ。






――《フィル=ノワ》北東。香りの薄い朝。


街の末に立ち返るその地は、他の区域とは明らかに線を張られていた。


石の上に成り立つ耐災建築。しかし人の気配はなく、壁面には深いヒビと黒ずみが漏れ、「風」も「音」もここでは止まっているようだった。


「鬼門」――


ながらく名前さえ禁じられていた、魔素汚染の残留地。


ナオは、支給された外套の頭頂部を整え、その境界に足を止めた。


……空気は、涼しい。だがその後ろに、重く、粘っこい体温のような「気配」が伸びてくるのがわかる。


皮膚にさわり、木葉をゆらすることもなく、風の跡さえ縮む。


「……魔物の気配は薄い。だけど、それより…」


ナオはまっすぐに歩を進めた。


そこは、「魔の気配」の深まる地。

他者の魔力による展開を阻むため、「対話ではなく観測を優先する」と事前に聞かされていた。

この位置に近づくと、空間の光が「木漏れ日」のように見える。

少しだけ光度がぶれるような現象。

「時間」の流れさえも、ずれ始めているようだった。





街の通りの中ほどで、ナオは「壁を仕切るように」止まった。


古い衣料屋の前。

割れたガラス、みだれた家屋。


そして……壁に漏れた、一つの「手形」。


「外から押し付けられたような」、非常に現実感の薄い跡。


そこへ足を踏み出したその瞬間――


「…ナオ…」


ぼそっと、背後から「声」が聞こえた。


びくりと振り向く。

だが、そこには誰もいない。


「……ミュアの声?」


誘うような音調。

そして、彼女とは異なる「輝き方」の無い、しみついたような声。


ナオは椅子を使うように壁に背をあずけ、身体を低くした。

「音の跡象が不自然だ…『方向』が定まっていない」




――「模仿する声」


それは、他人の言葉を真似し、人心を惑わすための現象。

ナオは、ルルから手渡された「鈴」を取り出し、静かにふるわせた。


「…チリン」

小さな音が、すき通る空気を切り開いた。


その瞬間――


視界の角、家の陰から、「不定形のなにか」がシュルと変形したように見えた。


視覚、音、記憶。それらを使って「ここになにかがいる」ことを、ナオは確信した。


「帰ろう…ナオ…」


何度も、その声は繰り返される。

ただのゴミのような真似。しかし、想いに混じりこんで、心を引きこむ。


「……俺は、帰る場所を、選びに来たんだ」

その思いだけを胸に、ナオはゆっくりと前を向いた。


気配の深まる先に進んでいく。



通りの奥に、大きな扉の建物が現れる。

そこだけ、風が止まっていた。


空間は沈んでいる。

まるで「誰かの記憶」がその地に闭じ込められているかのように――




──旧市街・中央廃屋





 扉を押し開けた瞬間、空気が変わった。 外界よりも静かで、音も光も、そして感情すらも押し込められたような、圧迫感のある沈黙が支配していた。


 壁には古びた家具が並び、床には転がったままの椅子。 けれど、不思議なことに、それらはどこか整えられているように見えた。 まるで“誰かが暮らしていた”痕跡が、そのまま時の中に閉じ込められているかのように。


 ナオが一歩踏み入れると、それを待っていたかのように、天井に淡い光が灯った。


 ──パチッ。


 ランプの類はないはずの天井に、白く揺れる灯りがともる。 その光は、ナオの記憶にある“実家の玄関灯”に、どこか似ていた。


 次の瞬間、奥の部屋から物音がした。


 「ナオ、帰ったの?」


 女の声―― それは、紛れもなく……


 (……母さん?)


 震える足で、ナオは奥の扉へと近づいた。そっと覗くと、そこには“再現された日本の居間”が広がっていた。


 畳のような床。ちゃぶ台。壁に掛けられたカレンダー。 見慣れた光景――いや、“記憶の中にしか存在しない”場所だった。



 中央に、“影の女”が座っていた。 姿は曖昧で、顔までは見えない。 けれど、その声も、所作も――ナオの記憶にある“母”そのものだった。


 「ご飯、温めるね。冷蔵庫にあるから。……ほら、手洗って?」

 女は何もない空間に向かって立ち上がり、エプロンの紐を結ぶ仕草をした。


 ナオは言葉を失い、視界がかすかににじんだ。 胸の奥で何かが軋む。足元は震え、吐く息が浅くなる。



 (これは……幻覚か? 違う……“この場所”が、俺の記憶を読み取っている……?)



 その瞬間、女の声が変質した。


 「ずっと、待ってたのよ、ナオ。……帰ってきてくれて、うれしい」

 女の影が、ぬるりと振り返った。


 目のない顔、ゆがんだ口元。 全身が黒い霧で構成されたような、不定形の魔素の塊――



 ――《影の住人(Memory Fog)》が姿を現した。


■敵情報:影の住人(Memory Fog)正体:ナオの記憶を素材として形を成した、魔素の擬似知性体。


性質:攻撃はしてこない。ただし“逃げようとすると”影が襲う。


能力:


《模倣会話》:記憶にある人物の言動を再現し、精神を揺さぶる。


《共鳴封鎖》:一定時間ごとに魔素の流れを遮断し、スキル発動を妨害する。


《影縫い》:対象の“記憶”に基づいた幻影で足を止める。







 「どうして……お前が、その姿で……!」


 声が震え、胸が軋んだ。 これは、本当に戦うべき相手なのか? それとも……拒絶すべき“過去”なのか?


 だが、ナオは深く息を吸い込み、ゆっくりと前へと進んだ。 脈打つ心臓の音が耳に響く。指先には汗が滲み、短剣を握る手に力がこもる。


 「……ありがとう。ずっと……俺の中に居てくれて」


 「でも、もう俺は――ここには残らない。俺は……前に進むんだ」


 そう言い放った瞬間、ナオの全身から魔素が光を帯びて広がった。 肩口から背中にかけて、熱い波が走る。肌の下に眠る力が、今、目を覚ました。


 《影読み・初段》――その術式が再び発動し、“擬似記憶の構成核”が視界に浮かび上がる。


 (あそこだ……あの中心が、“俺の心の迷い”の核)


 ナオは掌に短剣を構え、足元の影を蹴って駆け出す。 ブーツが床を打つたび、鈍い音が部屋に反響する。


 「俺の記憶は……俺のものだ! お前のものじゃない──!」


 一閃。光の刃が影を裂いた。 ――ギシャァッ!!


 断末魔のような歪んだ声とともに、母の姿を模した影は、光の中で霧散していった。




■戦闘終了/記録完了《試練③達成条件:異常魔素反応の中心確認》《影の擬似知性体・情報サンプル》を記録結晶へ収納完了。


 精神汚染・スキル干渉:一時的な影響のみ。ナオは正気を保っている。


 ナオはゆっくりと深呼吸し、静かにその場を後にした。

 扉を閉じ、振り返る。 そこには、もはや“影”も“声”も存在しなかった。


 ただひとつ―― 彼の胸の内には、“確かに乗り越えた”という、静かな実感だけが残っていた。


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