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試練①ー闇に消えた者たち/後編

 ──地下47階、魔素異常層《沈黙の縫道》。


 静寂が支配する空間に、ふたりの影が音もなく進んでいた。

 ナオとミュアは互いに目を見交わし、短く頷き合ってから再び前進を開始した。


 ここでは、音という音が“消える”。足音はもちろん、息遣いすらも周囲に吸い込まれ、霧のような空気に紛れてしまう。壁面には“音喰い苔”が張り付き、わずかな反響すら奪っていく。


 《空巻ノ書》にあった通りだ。異常な魔素密度が空間を歪め、幻聴や錯覚を生む。迷いの霧は、視覚ではなく“聴覚”を曇らせる。


 (だが……それにしてもおかしい)


 ナオは足を止め、天井付近を仰いだ。どこかで風が抜ける音がしたような“気がした”。だが、それすらも確証はない。錯覚か、現実か。


 そのとき、ミュアがすっと手を上げた。

 その指が示したのは、通路の奥で微かに揺れる淡い光――【発光式符】だ。


 (庁舎の探索隊……!)


 ナオはすぐさま影に身を溶かし、慎重に歩を進める。

 ミュアも尻尾を低く伏せ、地を這うような姿勢で後を追った。


 光は崩れかけた祠のような小空間の中で、震えるように揺れていた。


◆遭遇──祠の中の影


 その場所には、三つの影があった。

 衣服は裂け、血に染まり、呼吸も浅い。だが、命はある。


 ナオが一歩踏み込んだとき、そのうちのひとり――獣人の青年がかすかに目を開けた。


「……来て、くれたのか……」


「喋るな、無理するな。ミュア!」


 呼ばれた彼女はすぐさま薬包を取り出し、応急処置に入る。傷は深いが致命傷ではない。


「残りの二人は?」


 ナオの問いに、獣人青年はかすかに首を動かす。


「……夜妖の術士が……あっちで……」


 ミュアがその方角に駆け寄ると、祠の奥、影に沈むように倒れていたのは、青白い肌の少女だった。彼女の名前はセレナ。夜妖族の幻術使い。


「……呼ばれたの……“影の門”に……私たちは……」


 かすれた声が、空気に溶けていく。意識は混濁しているが、ただの怪我ではない。精神そのものが、何かに触れて“揺れて”いる。


 ナオは彼女の傍らにしゃがみこみ、奥の壁へと目を向けた。


 そこには、黒く焦げたような“印”があった。

 かつて自分が転移したとき、教室で見た“黒い点”に似ている。


 (……門。やはりここでも、同じ現象が……?)


 魔素が渦巻く。波動が、空間そのものを震わせていた。


◆異変──“形を定めぬ影”の出現


 突如、空間にひびが走るような“気配”が生じた。

 ナオが素早く立ち上がり、ミュアに手信号で警告を送る。


 ──来る。


 空気が揺れ、祠の中央に“影”が出現する。

 それは、視認できるはずのない存在。

 だが、確かに“存在”している。


 触れた岩が音もなく崩れる。

 その一歩ごとに、空気が悲鳴をあげるように震える。


 ナオは静かに、だが確実に構えた。


(……これは“番犬”だ。門の奥にあるものを守る存在)


 殺気も敵意も、伝わらない。ただ“存在の圧”だけが、肌を刺す。


 ミュアが身を寄せる。彼女の瞳も恐怖ではなく、集中に満ちていた。


 ふたりは一歩も退かず、数秒の沈黙の後、ナオが口を開く。


「ミュア、撤退する。今は情報を持ち帰る方が先だ」


 彼女はこくりと頷いた。抱えられる者には負傷者を背負わせ、ミュアはセレナを背に乗せる。


 影の存在は、彼らが離脱するのを止めなかった。


 まるで“見逃した”かのように、ただそこにいた。


◆脱出──静寂の中の帰路


 霧の中を戻る道。ナオは何度も後方を確認しつつ、探索隊を護りながら進んだ。


 47階の出口に近づく頃、霧が少しずつ晴れ、再び音が戻ってきた。


 誰かが、かすかに息を吐いた。


 それは、ほんの少しだけ、世界が“戻った”証だった。


──影の門。

 あの異形の存在。

 そして、セレナの言葉。


 謎は深まり、確信だけが残った。


(やっぱり……“こっち側”の世界にも、あの“点”がある)


 ナオは、歩きながら懐の符を握りしめた。

 次の一手は、慎重に。だが、恐れてはいけない。


 これは“試練”であると同時に、自分自身の“起点”なのだから。

 




祠の奥。

 探索隊の応急手当と帰還準備が整いつつあったそのとき、空間が再び“ざらり”と波打った。


 ──来る。


 ナオの背筋が凍りついた。

 視線を向けた先、空間の一点がぽっかりと“裂け”、黒い液体のような影が床へと染み出すように流れ始めていた。


 裂け目から這い出たのは、黒霧をまとった四足の異形──その姿は犬に似ているが、眼も毛も存在せず、代わりに鎖のような金属音が絶えず周囲に鳴り響いていた。


■47階階層ボス:《影の門の番犬ヴォイドハウンド

 種別:未知級魔獣

 外見:毛も目もなく、霧と鎖の残響に包まれた黒き四足獣

 能力:

 - 《影喰らい》:影に潜み、対象の“動作の予兆”を喰らって先手を取る

 - 《鎖声》:音を吸い、代わりに鎖音で行動を攪乱

 - 《反射壁》:一定周期で術や道具の効果を逆流させるバリアを展開


 その存在が放つ圧だけで、祠の空気がねじれ、影が軋む。


 「ミュア、別れて戦う! 俺が囮になる、君は彼らを守りながら観測を!」


 「了解!」


 ミュアが短く返事を返し、すぐに背後の探索隊員たちの側に移動。

 ナオは腰の忍具袋を締め直すと、黒霧のなかに跳び込んだ。


 ──瞬歩術《閃移》。


 疾風のごとき速度で間合いを詰めるナオ。

 しかし、ヴォイドハウンドはまるでそれを読んでいたかのように、尾のような鎖を一閃させてきた。


 「っく──!」


 ナオは身をひねり、体重の流れを変えて《零重歩》を発動。

 一瞬、重力から逃れたような動きで鎖の軌道をかわし、逆に反対側から影に潜り込む。


 一方のミュアも、冷静に動いていた。

 探索隊員の状態を確認しながら、壁面に音干渉用の《錯乱符》を仕掛け、手早く《反射粉》を床に撒いて霧の濃度を測る。

 

 「ナオ、鎖音の外では、あいつの影が“固定”されてるわ!」


 「つまり、“影喰らい”を使うとき、影から一瞬でも離れている……」


 ふたりの意識が即座に交差した。


 「罠を使う。合図で爆破して!」


 ナオは《双影分身》を発動。

 影から自らの残像を作り出し、まるで複数の存在が同時に動いているかのように視覚と感知を撹乱。


 ミュアが符に小さく魔力を送り、配置していた罠が“爆音”を生む──その瞬間、祠全体を包んでいた沈黙が裂ける。


 “鎖声”がかき消え、ヴォイドハウンドが一瞬の“虚”を晒した。


 「今だ!」


 ナオは影を蹴って飛び出し、刀を逆手に持ち替える。

 霧を切り裂き、魔素の渦を読み、ヴォイドハウンドの胴体中央──核に相当する部位へ一直線に突き込む。


 「──斬っ!」


 闇を裂く斬撃が、影の核を貫いた。


 次の瞬間、ヴォイドハウンドの姿が霧の中で軋み、崩れ、やがて鎖の音と共に霧散した。


 黒霧が晴れ、空間に再び“本来の静寂”が訪れる。



■戦闘後



 ナオとミュアが深く息を吐いたそのとき、祠の奥にあった地面が“鳴いた”。

 かすかな振動と共に、円形の床が音もなく左右に開いていく。


 その奥から現れたのは、魔石が淡く光を放つ“円形の階段”。

 だがその階段は、“下”ではなく“奥”へと続いているようだった。


 「……あれが、“門”かもしれない」


 ナオは呟きながら一歩、階段へと足を向けかける。

 しかし──


 「ナオ」


 ミュアの声が、彼を引き止めた。

 振り向けば、彼女は微笑みを浮かべながら、探索隊の仲間たちを背負う準備をしていた。


 「今は、戻らないと。彼らを無事に連れて帰るのが、今の“試練”でしょう?」


 その言葉に、ナオも肩の力を抜いて頷いた。


 「……ああ。帰ろう。必ず、また来ればいい」


 ナオは倒れていたセレナを背負い、仲間たちと共に再び47階の出口を目指す。


 道中、ミュアが小さく笑った。


 「……ナオ、ちょっと“らしく”なってきたかも」


 「そうか? 自分じゃ分からないな」


 「うん。でも、なんか……安心した」


 ほんの短い会話だったが、静寂の中で確かに心は通い合っていた。


◆試練達成と収穫

《試練①:達成》

 ▶ 目的:探索隊3名の回収・帰還 → 達成

 ▶ 条件:47階階層ボス《ヴォイドハウンド》撃破 → 達成


《ナオの習得》

 ▶ スキル:《影読み・初段》:対象の影に潜む“違和感”を察知可能(今後の“察知系スキル”の前提)

 ▶ 魔力痕跡:影門に関する未知の魔素構造を記録(後の研究素材)


 この戦闘を経て、ナオは“人間でありながら未知の敵に対抗できる者”として、庁舎に明確に認識されることとなる。


 その名はまだ小さなさざ波にすぎない。

 だが、影の門を巡る物語の“始まり”に、確かに火が灯った瞬間だった。



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