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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あなたが私を捨てたのも、こんな寒い日でしたよね

まあまあ胸糞悪い話なので閲覧は自己責任でお願いします。

 鳥兜二凛(ちょうかん にりん)は激怒した。


 必ずや、かの邪知暴虐な浮気女を除かねばならぬと決意した。


 二凛には政治は分からぬ。しかし、恋人への愛情は人一倍重かった。




 …………そういう風にでも表現出来そうな雰囲気を見せる目の前の女性は、悲しみと憎しみを混ぜた様な瞳で、俺を刺すように睨みつけてくる。金色の瞳にハイライトは一切灯っていない。おお怖い。本当に刺してきそうな気迫だ。


「…………別れたいって、どういう事ですか……!」


「そのままの意味だよ。婚約を解消したい」


 二凛の恋人である俺、剣魚蔵人(つるぎうお くろうど)は、静かに、だが、はっきりと言った。


 ファミレスの一角で、そう許婚への別れ話を無慈悲に告げた俺は、溜息をつくと、コーヒーを一口啜る。


 寒い、冬の事である。


 ***


 二凛と俺は子供の頃からの許婚である。


 よくある話……なのかどうかは分からないが、父親が親友同士であり、家族ぐるみで付き合いのあった両家で、同じ年に男女の子供が生まれたので、なんとなく将来結婚させようか、という話になり、ゆるい婚約関係が子供の頃から形成されていたのだ。


 幸い俺達は仲が良く……というより、二凛の方が俺にベタ惚れしていたのもあり、何をするにも二人一緒。幼稚園から大学まで同じ所に通い、社会人になっても二人の関係は続いていた。


 さて、二凛の方が一般の企業に就職したのに対し、俺はというと、昔から世の中の不平不満に対し敏感な子であった為、政治家を目指す事にした。


 社会問題を全て、とまでは言わないまでも、一つ二つを自分の力で解決してみたいという気持ちがあったのだ。


 幸い、自分で言うのもなんだが、俺は優秀であったので、とある政治家の秘書として採用され、彼の元で勉強をしながら、日々を忙しく送っていた。


 そんなある日の事。俺は上司であり、師匠でもある政治家のオジキから、とある女性を紹介された。


 名を管狐蒼華(くだぎつね あおか)という女性は、オジキの娘であった。曰く、父の傍で働く俺をみているうちに、恋心を抱いたそうで、結婚を前提に付き合って欲しいと告白してきたのである。


 さて、困ったのは俺だ。惚れられたのは良いが、俺には既に許婚がいる。


 だが、


「……君には恋人がいたね。勿論、無理にその子と別れて蒼華と付き合え、とは言わない。…………だが、親として娘の恋は応援してやりたいのだよ。それに、君の事も気に入っている…………君は将来政治の世界に入りたいと言っていたね。私はこれでも色々とコネがあってね。私の義理の息子になるなら、それはもう全力でバックアップをしてやろう」


 そんな事をオジキは囁いてきた。……使役された主の指示に従って動き、富をもたらすという妖怪、管狐(くだぎつね)の名前の通り、食えないおっさんだ。


 熟考の末、俺が出した答えは、二凛を捨てて、蒼華さんと付き合うという選択だった。心苦しくはあるが……メリットを考えると、二凛よりも蒼華さんを取るべきと判断したのだった。それに、俺と二凛は、歳は二十五歳。彼女はまだ、十分新しい恋人を探せる歳だ。


 というわけで、俺は仕事帰りの二凛を近所のファミレスに誘い、そこで別れ話を切り出したのだ。長い付き合いだ。それにお互いの実家の事もある。出来るだけ円満に婚約解消としたかったのだが、案の定、少し拗れそうな雰囲気になっている。


「理由はさっき言っただろう。俺は、その蒼華さんと付き合う事にする。政略結婚、ってやつだ」


「そんな事認められない。私は蔵人君の事、大好きなんですよ? そんなふざけた理由で!」


「慰謝料が欲しいってんなら払う」


「お金の事じゃない!! 私の初めてのキスも、Hだって蔵人君だったんです! そんなぽっと出の相手に……許さない許さない許さない。その蒼華って女……」


「俺は正直、お前のそういう重い所、昔から苦手だったんだよ」


 もう、かれこれ数時間は話している。だが、いつまでたっても話し合いは平行線。小田原評定、会議は踊る。気付くと時計は夜の十一時を回っている。そろそろ、店も閉まる時間だ。


「二凛。もう勘弁してくれ。この話し合いで、逆に俺はお前に冷めた。もう終わりにしようぜ」


「私が良くないんです!」


 濃紺色の髪を逆立てつつ、光の無い目で、ブツブツと呪詛の言葉を吐く二凛。俺は溜息を一つ。これは一度、また時間を置いてから話すべきだろうか。


「……ひとまず、この話は一度終わりにしよう。もう店も閉まるし、また今度だ」


「…………」


 俺は残ったコーヒーを一気に飲み干した。もう随分冷えてしまっている。


「…………分かった」


「は?」


「良いですよ。お別れしても」


 突然、そんな事を言い出す二凛。どうしたのだ急に。


「……蔵人君、私の事そんなに嫌いになったんですよね? もう、良いですよ。このまま付き合い続けても、蔵人君から愛されないんじゃ、意味ないじゃないですか」


「……婚約解消、で良いんだな?」


「うん」


 力なく頷く二凛。……やっと分かってくれたか。


「……私を裏切った事、後悔させてやる」


「……聞こえているぞ」


 そう不気味な事を言ってくる二凛。なんだ、雰囲気が怖いぞ。


「ヒヒヒヒヒヒ……」


「に、二凛……?」


 力なく、ハイライトの消えた目で不気味な笑い声をあげる彼女を、俺は少し怯えながら見るしかなかった。


 ***


 婚約解消の報告は、あっさりと終わった。俺の両親も二凛の両親も、報告を聞いた時は残念そうにしていたが、二人で話し合った末の事ならば……。と、子供たちの気持ちを優先した。もともと、そこまで厳格な婚約でも無かったというのもあるだろう。


 さて、晴れて二凛と別れて、俺は蒼華さんと付き合う事になった。


 蒼華さんは俺や二凛と同い年で、良くも悪くも、おっとりとした、のんきな性格だった。喜ぶ時はゆるふわな雰囲気でのんびり笑うし、怒りを覚えた時も、怒気を露わにすることは少ない。控え目だった二凛とはまた違った性格で、当初は戸惑う事も多かったが、少しずつ、彼女の性格にも慣れてきた。二凛と同様に、浮気したら絶対に許さないという部分だけは共通していたが。


 そんな風に一か月ほどが経ったある時の事、事件が起こった。


「……剣魚君。君に対して、なんというかな……。多数の怪文書が届いている」


「は、はぁ……」


 仕事終わりに、管狐のオジキに呼ばれた俺は、そんな事を聞かされた。


 怪文書……? それも、俺の? どういう事だ?


「うちの事務所に、差出人不明の妙な手紙が届いているんだ。それも数十通も。曰く、君が横領を行っているだの、浮気をしているだの……」


「は、はぁ?」


 なんだそれは、全く身に覚えがない。


「……オジキはそれを信じているんですか?」


「まさか! 君は十分すぎる程に尽くしてくれている。疑いはしないよ。……ただ、少し誰かから恨みを買っているのではないかと思ってね」


「恨み……」


 思い出すのは、一か月前に別れた()婚約者の事である。……まさか、あいつが嫌がらせに? いや、まさか……。


「……その件、私が調査してあげよっか~?」


「蒼華さん……?」


 いつの間にか、部屋にいた蒼華さんがそう言ってきた。間延びした喋り方は彼女の独特なものだ。


「蒼華、来ていたのか」


「ええ~。お父様が私の蔵人君とお話していると言うので。てっきり婿をいびっているのではないかと心配になりまして~」


「おいおい。私はそんな偏狭な男じゃないぞ……」


「ふふふ~」


 蠱惑的に笑みを浮かべる蒼華さん。


「それより調査……ですか?」


「ええ。政治家の娘ですもの。配下の者を使えば、それくらいは出来ますとも~」


 そう言った蒼華さんは、ほの暗い笑みを浮かべた。


「私の蔵人君を貶めようとするとは、良い度胸しているじゃない……犯人は少し、怖い目にあってもらいましょう」


「……ほどほどにね」


 あまり、過激な事をしなければ良いのだが。


 ***


 さて、それからしばらく経って、怪文書が送られてくる事は無くなった。それとなくオジキに聞いたら、蒼華さんが、上手い事処理してくれたらしい。


 犯人について聞いたら、「ん……まぁ、ちょっと分からせて(・・・・・)やったわ~」と言うだけで、それ以上の言及はしてくれない。


 少し心配なのは二凛の事である。当初、毎日の様に病んだメッセージが通信アプリの『線』に来ていたというのに、最近はまったく連絡が来ない。こちらからフッておいて何を、と言われるかもしれないが、長年一緒だった幼馴染でもある。もしも件の怪文書の犯人が彼女だとしたら、蒼華さんに相応に制裁されたのかも……と考えて、少し不安になる。


 そう思いつつも、こちらから連絡するのもどうかと思って、また、忙しさも相まって、今日まで放置していたのも事実だが。


 さて、珍しく残業無しで今日の業務が終わり、事務所の入っている建物から出た時である。


 相変わらずの酷寒で、コートは羽織っているが身体が強張る。


 そんな中、何気なく、空を見ると、夕焼けの空がかかった空を背景に、隣のビルの屋上に人が立っているのが見えた。


「……?」


 何となくそれを見ていると、人影はおもむろに屋上のフェンスをよじ登りはじめた。


「え……?」


 俺がその光景を呆然と眺めていると、人影はそのまま、空へと飛んだ。


 人が空を飛べるはずもない。人影は、そのまま重力に引かれて、井戸に落ちる釣瓶の様に落下していく。


 そのまま、人影は狙いすました様に、俺のすぐ隣に叩きつけられた。頭からいった事もあり、嫌な音と共に、地面に血の花が開いた。必然、俺にはその生暖かい血と肉片、そして飛び散った脳の一部がかかった。


「わ! わ! わ!」


 一瞬遅れて、起きた事が理解できて、思わず馬鹿の様な声を上げてしまう。周囲にいた通行人達も、それは同様だったようで、至る所で悲鳴があがった。


「……?」


 俺は、半分錯乱状態に陥りながら、死体を眺めると、奇妙な事に気付いた。


 死体は若い女性だった。髪の色は濃紺色。虚ろな瞳は金色である。


「まさか……」


 俺は恐る恐る、その顔を覗き込んだ。


「っ!!」


 息を飲む。それは、ほんの一か月前まで一緒にいた幼馴染であり、()許婚の顔だった。虚ろな瞳で虚空を睨む頭が砕けたそれは、俺の知っている彼女のものとは大きく違って見えた。


「二凛……どうして……」


 誰かが呼んだのだろう。サイレンの音がする。警官が来て、目撃者である俺を保護するまで、俺はただ茫然とその場に立ち尽くすだけだった。


 ***


「葬儀に出る事を拒否された……」


「……あの子が勝手に絶望して、勝手に飛び降りただけでしょ。蔵人君のせいじゃないよ」


「……そうは言っても、責任は感じるよ」


 俺は、指でグラスをいじりながらため息をついた。


 ここはオジキの事務所のある飛輝鐘(ひきがね)市の市内にある、とあるバー。そこで俺はというと、蒼華さんを伴って、やけ酒をあおっている。


 あの衝撃的な出来事から、数日が経った。


 二凛の死は、自殺として処理された。屋上に遺書が残されていたのだ。


 曰く、恋人に捨てられた他、色々な事があり、人生に絶望した事が書かれていたらしい。警察署で、目撃者、そして、当事者としてそれを聞かされた俺はただただ、彼女が命を捨てる程に追い詰められていたという事実に、さめざめと心を曇らされるしかなかった。


 わざわざ事務所の隣のビルから飛び降りた事、そして、俺が出てきた直後に飛び降りた事からも、どう考えても、俺に対する当てつけを込めた死に方というしかない。


 よくよく思い出すと、あの最後の時に、彼女が俺に向けて微笑みを浮かべた気がする。無論、地面に叩きつけられるまでの短い飛行時間(・・・・)の中の事だ。見間違えた可能性も無くは無いが、彼女は最期の瞬間、一体、何を思ったのだろうか。


 彼女の葬儀に、俺は呼ばれなかった。


「蔵人君は悪くない。死を選んだのは娘自身だ。だが、蔵人君が原因なのは事実だ。頼むから式には来ないで欲しい」


 そんな風に向こうの両親が言っていたと、こちらの両親から言われた時は、改めて自分のせいでこうなったのだ。と見せつけられた様で、いよいよ心がえぐられ、やけ酒に付き合ってくれる様に蒼華さんに頼んで、今に至るという訳だ。


 ロックで頼んだ梅酒を一気にあおる。既に何杯かグラスを開けているが、気は晴れない。


「こんな事なら、別れるのでは……」


「…………」


 そこまで言いかけて、蒼華さんが冷たい視線をしている事に気付いた。……流石に、それを彼女の前で言うのは駄目だ。


「それ以上言うなら、怒るわよ? 私、怒らせると、と~っても怖いんだから」


「……そうだな。これ以上はいけない」


 それから、数時間、蒼華さんは俺の隣にいて、落ち込む俺を慰めてくれた。


「蔵人君は悪くない。こう言ったら酷だけど、恋人に振られた程度で死を選ぶ様な心の弱い人なら、遅かれ早かれ、この生き馬の目を抜く社会に潰されて、心を病んでいたでしょう」


 そんな感じに、自責の念に捕らえられそうになる俺を、彼女は慰めてくれた。いくらかは彼女自身も責任を感じて、ある種の自己正当化もあったのかもしれないが、それでも、俺の心を癒してくれたのは事実である。


 そうこうしているうちに、あっという間に時間は過ぎて、いい時間になってしまった。


「……夜道は危険よねぇ。蔵人君、どこかに泊っていかない?」


 俺にもたれかかって、そう蠱惑的に蒼華さんは呟いてくる。


「…………それは、どういう」


「もう、分かっている癖に~。そういう事(・・・・・)よ~」


「でも、今日はあいつの……」


 流石に、不謹慎過ぎやしないだろうか。迷う俺の手を彼女はとった。


「この日だからこそだよ~。あの子への未練を断ち切らなきゃ。その為に、今日という日にするんだよ~」


 口調はおっとりしているが、目元は笑っていない。それに、心なしか、彼女の口元は、まるで、手負いの獲物を狙う虎のそれに似ている。


「…………二凛に悪い」


「私がしたいって言ってるの」


 ゾクリとする様な口調で蒼華さんが言う。いつものおっとりさはどこへやら。有無を言わさぬ様な圧がある。


「…………ん」


 ………………どうせ、いくら後悔したとしても二凛は帰ってこないのだ。死人に口なし。しぶしぶ、俺が頷くと、蒼華さんは満足げに頷いた。


 ***


 ざっまぁぁぁ! イエーイ、地獄のストーカー女ちゃん見てるぅぅぅ? 自分の葬儀の日に大好きな元彼が別の女の上で、ヘコヘコ腰振ってるのってどんな気持ち?


 私、管狐蒼華はそう叫びたい衝動を抑えた。


 ここは、先ほどまで彼といたバーの近くのホテル。私達は散々に交わった後、シャワーもそこそこにベッドに倒れこんでいる。


 ふふ……蔵人君の寝顔、可愛いなあ。私は寝ている彼の頬にキスを一つ。二つ。それから何度も何度もキスしてあげた。こんなに顔中ベトベトにしてるのに、気付かないなんて、相当疲れているんだね。お父様に、少し仕事を減らすように言ってあげなきゃ。


 ……それとも、あのストーカー女のせいかな? あんな人の為に思い悩むなんて、蔵人君ってば優しいんだね。でも、その優しさは私だけに向けてくれれば良いんだよ。





 彼と知り合ったのは本当に偶然だった。お父様の職場に来た私が、彼に一目惚れしたのだ。


 それまでそんな都合良く、一瞬で相手を好きになる、なんて事フィクションの中だけだと思っていた。だが、事実は小説より奇なりなんて言葉がある。その通りになってしまった。


 それから、私はお父様に、彼が欲しいとおねだりしてみた。お父様は私に昔から甘い。大体の我儘は叶えてくれたが、今回はあまり積極的では無かった。曰く、彼には結婚を前提にお付き合いしている女性がいるそうだ。流石に筋が通らない、なんて言う。


 だが、それで諦める私ではない。


 最初は難色を示したお父様だったが、何度もお願いして、ついに折れた。彼をお父様も気に入っていたらしく、今の恋人を捨てて、私と一緒になるのなら、コネを使って、政治家の道に進める様にしてやろうと誘ってくれたのだ。


 そして、彼は彼女を捨てた。


 おっと、最終的にその決断をしたのは蔵人君自身。それについては、私は非難されるいわれはない。ここで毅然と断っていれば、私だって、それで諦めていたよ?


 でも、彼は私を取った。ああ、なんて可哀想な元カノちゃん。でも、私は悪くない。彼を繋ぎ留められなかった、自身の魅力の無さを恨んでね?


 それなのに、哀れな元カノちゃん。未練たらたらで困っちゃった。


 別れた後も、色々と彼に嫌がらせをしてきた。とは言っても、そのほとんどは、彼に届く前に、私が全て止めてあげたけどね。権力者の娘の力があれば、ストーカーの小娘の嫌がらせなんて、火がつく前に消すのは簡単だ。


 なんと優しくて優秀な彼女なのだろう、私は。さながら彼の守護霊の如く、悪霊みたいな元カノちゃんの怨念を消してあげていたのだ。


 安心してね、蔵人君。貴方は私が一生守ってあげるからね? そう、一生、ね? 裏切ったら許さないけどね。


 だけど、そのうち、私のガードをすり抜けた悪意が彼の元に届いてしまった。差出人不明の怪文書、彼が横領や浮気をしていたっていう事実無根の誹謗中傷が書かれたビラが、お父様の事務所のポストにねじ込まれていたらしい。


 本当に困っちゃう。蔵人君はもう貴女のモノじゃなくて、私のモノなんだよ? いい加減、新しい恋を見つければいいのに……。


 とはいえ、私は自分が情けなくなった。彼に、悪意を向けさせてしまった。攻撃を届かせてしまった。私は彼を守る絶対に無敵の最強の盾(イージス)じゃないといけないのに。


 あの元カノ、許さない。


 許さない。


 許さない。


 許さない。


 許さない。


 許さない。


 許さない。


 そりゃあ、元々は横恋慕した私にも非はあるよ? これでも、少しは負い目もあるんだよ? だから、大人しく退くっていうなら、見逃してあげたのに。しょうもない攻撃をしてきたのはあなたなんだからね? 撃って良いのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、っていう言葉だってあるんだよ? 国際法でも、戦争は先に撃った方が悪いって決まってるんだよ?




 反撃されても仕方ないよね?




 だから、私はキレちゃって、ちょっと過激なやり方で、身の程を分からせてやった。


 ちょっとしたコネを使って、あの子を拉致して、女の子の尊厳を踏みにじるのが大好きっていう、ちょーっと倫理観のおかしいお兄さんやおじさん達をSNSで集めて、散々に辱めてやった。


 これで精神的に再起不能にしてやって、頭のおかしいストーカー女は無事に退治されました。ハッピーエンド! といけばよかったんだけど。あの女、よりにもよって、蔵人君の目の前で自殺しやがった。しかも飛び降り自殺なんて、醜い死に方で。


 きったない血と脳漿が蔵人君にかかったじゃないか。どうしてくれるんだ。


 それに、あの調子だと、嫌でも蔵人君の記憶には残っただろうし。


 もうお嫁に行けない身体だからって、せめてことあるごとにトラウマとして思い出して、嫌な気持ちになって欲しいってか? 性根がどこまでも腐った負け犬の思考だ。


 そうはいくか。


 私がそんな記憶、すぐに忘れさせてやる。私の愛で、そんな女がいた事なんて、あの人の中から綺麗さっぱり忘れさせてやる。


 最期の最期まで、みっともなく足掻きやがって。見ていろよ。あの人の中で生きていくなんて認めない。


 そうだ。洗脳とマインドコントロールで、あのストーカー女の事、記憶からさっぱり忘れさせてあげよう。彼だって、辛いだろう。これは彼の為にもなるのだ。


 なんと優しいんだろう、私は。


 そうと決まれば、早速準備しないとね。




 ***


 俺は、目の前の男の子を抱き寄せた。3歳の少年は、くすぐったそうに顔をほころばせる。可愛らしい。見ているこちらも癒される。


 俺、管狐(・・)蔵人が、妻、管狐蒼華と結婚して早5年。俺は幸せの絶頂期にいた。


 オジキのコネもあって、若いながらにして政界入りを果たし、新鋭の若手として、先輩議員の先生達や有権者達からも期待をかけられ、忙しいながらも充実した日々を送り、私生活では子供も生まれた。


 名を晴嵐(せいらん)という。


 子供ながらに美形で、中性的な雰囲気で、将来は大した美少年になるのではないかと、今から成長するのが楽しみだ。


 俺の親友の子供達とも非常に仲が良く、そこの子供達は皆女の子なのでモテモテである。将来はハーレムもののラノベ主人公だな、などとアホな事を抜かして嫁にどつかれるのは我が家の日常の光景である。


 悩みがあるとすれば、晴嵐の発語があまり上達していない事だ。うー、とか、あーうー、とかは言うが、もう3歳だというのに、まだ言葉が出てこない。


 小児科の先生にも相談してみたが、「個人差があるので、もう少し観察してみましょう。しばらく経っても言葉が出ないなら、然るべき医師や団体を紹介します」と言われてしまった。少し不安である。


 ………気になる事といえば、もう一つ。


 彼の外見。濃紺色の髪と金色の瞳。この組み合わせを見ていると、何故か申し訳ない様な、悲しい様な、不思議な感覚に陥ってしまう。


 何故だろうか。原因は……分からない。何か、重要な事を忘れている様な……。


 無理に思い出そうとすると、まるで脳が考えるのを拒絶する様に、記憶に靄がかかった様にぼやけてしまう。よほど、思い出したくない、酷い記憶由来なのだろうか。


「……蔵人君、ぼーっとしているけど、大丈夫」


「あ、ああ……」


「少し、疲れているんじゃない? 早く休めば?」


 そう、最愛の妻が言ってきた。時間を見ると、9時前くらいだ。まだ、休むには早い気もする。


 まだ息子は起きている。あまり夜更かしし過ぎるのは考え物だが……少しずつ寝ている時間よりも起きている時間の方が長くなっている息子である。


「いや、もう少し子供と遊びたい。普段、なかなかゆっくり遊ぶことも出来ないから」


 そう言って、しばらく晴嵐と遊んでいると、そのうち、彼がもごもごと口を動かして声を出そうとしている。


 む……。と思っていると、なんとそのまま言葉を放った。


「……お外」


「?!」


「お外行きたい」


 喋った。喋ったのだ。息子がついに。


 俺と蒼華は顔を見合わせ、ガッツポーズをした。心配が一つ消えた。


「もう明日にしましょう。もう遅い時間だから」


 蒼華はそう言うが、晴嵐はそれが面白く無かったのか、涙目になってぐずり始める。


 仕方がない。一瞬だけ外の空気を吸わせようと、防寒をして家を出る。季節は冬。今年の冬は随分寒い。吐く息も白くなるが、息子は家の前で元気にキャッキャとはしゃいでいた。


「元気だね。晴嵐」


 しばらく、はしゃぐ息子を眺めていたが、やがて彼は落ち着いて、じっとりとした視線になって彼は俺を見てくる。


 それから、驚いた事に、ゆっくりと口を開いて、話しかけてきた。







「パパが私を捨てたのも、こんな寒い日でしたよね」






「!?」


「もう、私の事、捨てちゃダメですからね?」


 そう言うと、晴嵐は元の無邪気な笑顔に戻っていた。だが、彼がそう言ったのは現実だ。現に、蒼華も呆然としている。


「あ、あ、あ、あ…………」


 どうして、今まで忘れていたのだろう。幸せ過ぎて? それとも、辛すぎて?


 俺は、この金の瞳を知っている。濃紺色の髪を知っている。


 …………かつて捨てて、今まで記憶に蓋をしていた女の事を知っている。


「二凛、お前なのか…………? 俺たちの子供に生まれ変わって……? まだ、俺に執着して……?」


 まだ呆然としている蒼華を庇う様にしながら、俺は息子に聞いた。


「……」


 息子は肯定も否定もせずに、いつも通りの微笑みを浮かべるだけだった。


元ネタは古典怪談の六部殺し。


読了、お疲れさまでした。これにて、本作は完結です。


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