8 我慢をやめた日
乾いた破裂音が、連続で鳴った。
銅貨が六枚分。六回。
「ぎ、ぎゃあぁぁ!?」
その瞬間、衛兵たちが一斉に苦悶の声を流し、剣を落とす。
ガランガランと、その音は酒場中によく響いた。
「……は?」
俺を泥棒に仕立て上げようとしたクラインの連れは、何が起こったのかわからない、というような顔をして、呆然と俺を見つめている。
酒場にいる他の客も同様だった。メルシーも、そのお友達も皆、事態が把握できていないようで、フリーズしている。
「があぁ……!」
「い、痛ぇ、痛ぇよお……!」
そんな中で、衛兵たちはそんな風に呻きながら、剣を持っていた自分の手を庇うようにして、うずくまっている。
手からは痛々しいほどの血が流れ出ており、そこにはしっかりと、『はじく魔法』で放った銅貨が埋まっていた。
見回してみると、六人の衛兵全員が、同じような体勢になっている。
貫通したり外したりで、衛兵以外に怪我人はいなそうだった。
上々、ちゃんと狙い通り、衛兵だけをダウンさせたみたいだ。
「な、何だこれ、話が違う……どういうことだレイナ!? この男、魔法もスキルもない無能者のはずだろう!?」
衛兵のうちの一人、恐らくリーダー格であろう男が、痛みに耐えながらクラインの連れを睨んだ。
「わ、私だって知らないわよ! こ、こいつが攻撃魔法なんて使えるはずないんだから!」
「現に使ってきただろうが! クソ、無能のクズで点数稼ぎできるって話だったのに、なんでこんな目に……」
すると、彼女と言い合っている衛兵から、そんな言葉が漏れた。
……なるほど、大方読めてきた。
恐らく、あのレイナがこの衛兵に話を持ち掛けたのだろう。
俺の罪を適当にでっちあげるから、検挙率の点数稼ぎにでも利用しろとか、恐らくそんな感じのことを。
彼女がなんで俺をそんなことまでして陥れるのかはわからないが、正直もう、どうでもよかった。
人の悪意に真っ当な理屈を求めるだけ、時間の無駄だ。
そんなことよりだ。いつまでもここにいるわけにはいかないだろう。
ここが騒ぎになれば、衛兵が増援を連れてくるかもしれない。
そうなる前に、ここから逃げなくちゃいけない。
なにより、行かなくちゃいけない場所がある。
「ごちそうさん。酒、美味しかったよ」
社交辞令でそんなことを呟いて、俺は金をテーブルに置いた。
このくらい置いておけば、まあ足りるだろう。
「ま……待て貴様!」
すると衛兵の一人が、俺を逃がすまいと立ち上がり、健気にも俺に向かってくる。
魔法発動、発射。
間髪を入れず、今度はそいつの脚に、『はじく魔法』で銅貨を放った。
そして、それが皮切りになった。
「き、キャアアアッ!」
「や、ヤバいぞアイツ、殺される!」
「助けて、誰かぁ!」
先ほどの静寂と打って変わって、酒場は阿鼻叫喚の嵐となった。
あーあ、やっちゃった。もうこの酒場来れないなあ……。
なんて現実逃避気味に考えながら、どさくさに紛れて店を出ようとした。
「ッ……ま、待ちなさいよ!」
が、その瞬間、クラインの連れが、俺の前に立ちはだかってきた。
その表情はまさに憎悪に満ち満ちているといった感じで、今にも殺しに飛び掛かってきそうな雰囲気だ。
「あ、アンタ、こんなことしてただで済むと思ってんの!?」
「……まあ、済まないでしょうね」
「なんなのその態度……! どんなアイテム使ってインチキしたのか知らないけど、調子に乗るな!」
そう言って彼女は、自身の武器である杖を取り出して、魔法の詠唱を始める。
あれは、クラインのパーティーにいたときに、見たことがある。高位の炎魔法『プロミネンス』だ。
こんな街中であんな火力の炎魔法を使うとは、彼女も相当キレてるらしい。
「踊れ紅! 嘆け炎よ! プロミネ――」
まあ、人のことは言えないが。
発動。
彼女の魔法の詠唱が終わる寸前、俺は彼女の杖目掛けて、はじく魔法を放った。
弱々しい破砕音と共に、杖は真っ二つに折れる。
「あ、な……」
「正当防衛ってことで、すいません」
「ひっ……」
そんな声を最後に、彼女は腰が抜けたように、その場にへたり込んだ。
この分なら、しばらく追ってくることはないだろう。
彼女の横を通り抜けて、ようやく、雨が降っている外へと出た。
どうやら酒場の混乱が、もう街の外にまで伝播しているようで、辺りは雨音に紛れて、人の怒号がそこかしこから聞こえてきていた。
こんな有様だ、増援の衛兵がいつ来てもおかしくない。
さっさと逃げないとだな。
「あ……」
と、ふと後ろの方から、そんな声が聞こえた。
何かと思って後ろを振り向くと、そこには、メルシーがいた。
「メルシー?」
俺が名前を呼んでも、メルシーはそれに応えない。
彼女はただ、怯え切った表情で、俺を見ていた。
「ひっ……レ、レン……」
と、メルシーは続ける。
「さ、さっきのは、違うの……あんな風に、衛兵に詰められたら、誰だってああなるでしょ? だ、だから、許して……」
「……別に気にしてないよ。それより、ここも衛兵が来て面倒になるだろうから、メルシーも早く逃げ――」
と、俺が会話途中に右手を動かした途端。
「キャアァっ!?」
メルシーは、そんな恐怖でひきつった顔をしながら、俺から後ずさった。
「……メルシー?」
「こ、来ないで! 来ないでよ! 誰か助けて! 殺される!」
彼女はそう叫んで、その場にうずくまった。
そこで俺は、ようやく自分のしたことに気づいた。
ああそうか、もう俺、メルシーのところで、魔草巻を買えないんだな。
「……メルシー」
「ひっ……!?」
「今までありがとう、達者でな」
俺はそれを最後に、その場から走って逃げた。
――どれくらい逃げただろうか?
気づけば周りから人の気配は消え、雨音だけが耳に入ってくる。
逃げる途中で、魔草巻が吸えるスペースを見つけた。
そういえば、酒場で火打石を買ったので、今度はしっかりと吸えるのだということを思い出した。
ちょうどいい、口が寂しくなってたところなんだ。
人がいないから道端で吸ってもいいんだが、マナーは守らなくっちゃな。
「ふぅ」
灰を捨てる壺の近くに立って、魔草巻を取り出す。
取り返しのつかないことをやってしまった。もう戻ることはできない。
だというのに、俺の心は、何故かひどく晴れやかだった。
どこか、重荷が無くなったような、そんな気がした。
「……湿気てる」
まあ、この雨なら当然か。
「ハハ、アッハハハハ……」
なぜか、妙におかしい気持ちになって、笑いがこぼれてしまう。
なぜだろうか、越えてはならない一線を越えたというのに、今はひどく気分がいい。
生まれて初めて、生きている実感を持っている。
はぁ……さて、行くか。
西の門の前だったっけ? ファニはまだいるだろうか?
まだ、パーティー加入が間に合うか、聞いてみよう。
そう思いながら、俺は雨の中、西門に向かって走っていった。