4 ある少女との出会い
そそくさと中央広場から逃げ出した俺は、まだ開いていない酒場の裏で座り込んでいた。
いや、へたり込むと言った方が、今の俺にはお似合いかもしれない。
「やっちゃったなぁ、もう……面倒ごとになんなきゃいいけど……」
さっきのことを思い出しながら、思わず独り言つ。
俺が気絶させた、あの二人組の男たち。あの雰囲気からして、法をしっかり守って生きているタイプではないだろう。
やったことが連中にバレたら、まず間違いなく報復してくる。
あの手のチンピラに目を付けられたら最後、髪の毛の一本までむしり取られて、殺されること請け合いだ。
それに――
「……勇者、こっち見てなかったか?」
そう考えて、すぐに首を振った。
いやいや、あの勇者様が俺みたいな木端、認識すらしないだろうよ。
気のせいか?
気のせいだよね?
気のせいだ。
俺は必至で自分に言い聞かせるも、不安がぬぐえないでいた。
見られたとなれば、最悪だ。街中で魔法を使って人を攻撃したなんてことが知られれば、一発でブタ箱行きは確定となる。
下手すると今日一日で無職に加え、犯罪者にまでなってしまうというわけだ。
最悪だ、最悪すぎる。
もういっそのこと、職探しは一旦諦めて、家に帰っちまおうか――いや待て。
「そうだ、思い出した。あの家、今日中に出なきゃいけないんだ……」
そう、俺が住んでいる部屋は、ギルドが冒険者に提供している貸部屋なのだ。
つまり、ギルドから追放されて、冒険者で無くなった俺は当然住み続けることはできないわけで。
追放されたときに女性職員から『明日以降も部屋にいたら、不法侵入者として衛兵に報告します』と言われたっけか。
俺にはもう、帰る家すらないというわけだ。
「はぁ~あ……」
もはやそんなため息しか出ない。
だってそうだろう?
元々いたパーティでは散々殴られ蹴られ、それでも働き続けてたら『給料は出さない』と契約を反故にされ、最終的にはギルドそのものから見放された。
挙句の果てに、チンピラに要らん喧嘩を売って、目を付けられるかもしれない、ときたものだ。
なんだかもう、ここまでくると笑えてくる。
子供のころからずっとこんな様だから、親には見限られ、それでもなんとか社会に振り落とされないように生きて。
やっとのことで冒険者になって、ようやく真っ当に、人並みの生活ができると思って、自分なりに必死にやってきた。
けれど、結局こんな終わり方だ。
俺の人生、何なんだろうな?
「魔草巻も、一体いつまで吸えることやら」
気分転換がてらに、俺は上着のぽっけから魔草巻の箱を取り出し、一本を口に咥える。
酒場裏のこの場所は魔草巻を吸っていいスペースなのだが、店が閉まっている時でも、ここは利用していいことになっている。
店が閉まっている夕方くらいまでは、この辺も人通りが全くと言っていいほど少なく、一人でゆっくりと吸えるので、お気に入りの場所だった。
さてさて、あと何回こいつが買えるかわからないんだ。
精々――無味無臭だけど――味わって吸うことにしよう。
「……火打石、忘れてきた」
ここにきて、俺はようやく着火用の火打石を家に置いてきてしまったことに気づいた。
ッ……あ~もうチクショウ! なんなんだ今日は! 魔草巻を一本吸うことすらできないのか!
ダメだ、どんどん惨めになってくる。
普通の人なら、簡単な炎魔法で火を点けられるのに、俺にはそれすらできない。
大体、普通ってなんなんだ? なんで俺は普通のことができない?
こんな有様で、俺はこの先、生きていけるのか?
もういっそ、このまま押し出し魔法でこめかみを貫いて、楽になってしまおうか。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎってしまった。
――と、その時だ。
「はい、火」
急に、横からそんな声が聞こえた。
女性の声だ。
「……え?」
すると、いつのまにか目の前に、火が点いた人差し指が突き出されていた。
恐らく、俺と同じく魔草巻を吸いに来た人だろうか。
咥えたまま火を点けない俺を見かねて、炎魔法で親切をしてくれているようだ。
「あ、す、すみません。ありがとうございます」
突然のことに少しきょどりながらもお礼を言って、魔草巻に火を点ける。
魔力特有の、青白い綺麗な炎が、ぼんやりと輝いた。
しかし、この時間のこの場所に、しかも女性が来るなんて珍しいな。
なんてことを思いながら、俺はふとその人に顔を向ける。
「別にいいよ、さっきのお礼」
そこには、さっき助けた黒髪の女の子がいた。
「!? ッ……ゲホッゴホッ!」
「ちょっと、大丈夫?」
「な、なな……なんで、ここに……!?」
いや本当になんで?
確かにあの時一瞬だけ目が合ったけど、つけられてはいなかったはずだ。
そもそもあのチンピラ共ならともかく、この子が俺を追いかける理由なんかないはずだ。
いったいどういう……。
「それって『どうやって』の方? それとも『何故』?」
そんな俺の困惑とは対照的に、女の子は落ち着いた声のトーンで、そんなことを聞いてきた。
「……できれば、両方聞きたいかな」
「うん、わかった」
まだ困惑が残りつつもなんとかそう言うと、その子は指についた火を握って消し、俺の方を見つめてきた。
……こうやって近くでよく見ると、本当にきれいな子だ。
濡れ烏のような黒髪に、一点の曇りもない陶器のように白い肌。
そして、その端正な顔についた、ルビー色の瞳をした、切れ長の目。
顔立ちにまだあどけなさが残っているのに、そのしぐさや雰囲気から、どこか魔性を思わせる。
初めて見るタイプの、女の子だった。
「じゃあまず、『どうやって』の方なんだけど。私、『マッピング』の魔法と『トラッカー』のスキルを使えてさ。一度顔を見れば、その人が今どこにいるのか、大体わかるんだよ」
「え……そ、それって確か、どっちもごく一部の上級職しか使えないやつじゃないか。すごいな……」
『マッピング』、『トラッカー』。
聞いたことがある。確か、冒険者の中でも特に腕が立つやつが使用する上級魔法と、特級スキルだったはずだ。
『マッピング』は主に周辺の情報を瞬時に魔力で解析し、どんな複雑な迷路でも一発で把握できるようになる魔法だ。
そして『トラッカー』は、取得した対象の情報をもとに、足跡や匂いなどあらゆる痕跡を見つけ出し、現在の位置を突き止めるスキル。
どちらも習得が非常に難しいとされていて、実際この二つを両方持ってるやつなど、ギルドのどんな高ランク冒険者ですらいなかったはずだ。
こんな魔法とスキルを使える人、ギルドだったら喉から手が出るくらい欲しい人材だろう。
「……別に、運よく習得できたってだけだよ」
どこか誤魔化すように、彼女は目を逸らしてそう言った。
何か、言いたくない事情でもあるのだろうか。
確かに少女が持っているような魔法でもスキルでもない。なにか、事情があるのだろうか。
「ま、それはともかく――」
誤魔化すように彼女は言って、続ける。
「『何故』の方だけど、別に入り組んだ理由じゃないよ。単純に、お兄さんに聞きたいことがあったから」
「聞きたいこと? 別にいいけど、わざわざ俺みたいなのに聞かなきゃいけないことなんて、あるのかい?」
「……しらばっくれる気?」
「え、いやごめん、本当に何のことやら……」
本当に心当たりがない故にそう言うしかないのだが、どうやらとぼけていると思われたらしい。
切れ長なその目が若干きつくなる。
「あぁそう。じゃあ単刀直入に聞くけど、私に絡んだチンピラたちを倒した、あの攻撃は何? あんなの見たことない」
なんだ、ずいぶんとシリアスに聞くから身構えてしまったが、そんなことか。
「私の見立てでは、かなり高度なスキルじゃない? あの威力と速さ、精度からして、最上級の投擲スキルとか?」
「いや、魔法だよ」
「魔法? ていうことは、無詠唱であの威力が出せるってこと!? そんな魔法聞いたことないよ、ひょっとして、伝説級の魔法とか――」
「普通に『物をはじく魔法』だよ。小さい子供が最初に勉強するやつ」
と、俺が種明かしをした瞬間、彼女はあからさまに怪訝な顔をしてみせた。
これはあれだ、信じてない顔だ。
「……ねえその冗談さ、面白くないんだけど」
案の定、信じてもらえてないようだった。
美人の怒り顔というのは、存外におっかないな。なんて思った。
「そんなこと言われてもな、本当だって。多分やろうと思えば君だってできるよ」
「お勉強用の初歩魔法であんな真似できるわけないじゃん。嘘つくならもうちょっとまともにつきなよ」
「うぅん、と言われても、本当のことだしなぁ……」
どうしたものか。このまま本当だと主張し続けても、まともに取り合ってもらえそうにない。
とは言え、言葉だけじゃ納得してもらえそうもないし……。
……まあ、自分の目で直接確かめてもらうのが、一番早いか。
「わかった。じゃあ実際に見てもらおうかな」
「え、いいの? 自分で聞いといてなんだけど、あのレベルの魔法の情報なんて、厳重に秘匿されてるんじゃ――」
「別にそんな御大層なものでもないよ。まあ、ここじゃなんだから、少しご足労は願うけど」
そう言って、俺は魔草巻を最後に一吸いしてから灰皿に捨て、立ち上がった。
「場所を移動しよう。ええと……」
彼女の名前を呼ぼうとして、そういえばまだ、お互い名乗っていないことに気が付いた。
「あぁ、そういえば自己紹介がまだだっけ」
彼女も同様に気づいたようで、俺の目の前に立って、続けた。
「私はファニ。ファニ・ウィーバー」
「レン・ユーリンだ。よろしく、ファニさん」
「むず痒いから、ファニって呼んでよ。私もレンって呼ぶから」
いきなり呼び捨て、というのはいささか気が引けるが、まあ本人がそうしろというのだ。反発する理由もないだろう。
ただ、どもってキモがられないようにはしなきゃな……なんて考えた。