38 束の間の安寧
「落ち着いたか?」
「……うん、ごめん」
「飲めよ、丁度できた」
メルシーとそんなやり取りをして、俺は出来上がった飲み物を彼女に渡した。
ひとしきり泣き切った彼女は、けれどまだ若干鼻声だった。
「酒場にいたんだから、酒は大丈夫だろう? 熱いから気を付けて」
「ありがと……あ、美味しい」
一口飲むと、メルシーはそんな感想を言った。
よかった、どうやら気に入ってくれたようだ。
「これって、ライ麦酒だよね? なんか、柔らかい味」
「蜂蜜とシナモンとオレンジピール、そして隠し味に唐辛子を少々。混ぜて温めて飲めば、世は全てことも無しだ」
「最後のはよくわかんないけど、そうだね。すごく温まる」
最後のはよくわからなかったらしい。
いやだわ、調子こいてイタいこと言ったかもしれん。死にたくなってきた。
メルシーとは多分違う意味で寒くなった自分の心を、酒を流し込んで無理やり温めた。
うん、やっぱり酒だ。酒だけは俺を無条件で救ってくれる。救ってくれるはずだ……。
「……ありがとうね、レン」
そんなことを勝手に考えていると、メルシーはどこか、安堵したような顔でそう言った。
どうやら体が温まって、落ち着いたらしい。なによりだ。
「わ、私、頑張るから! レンのために、何でもするつもりだよ! ほ、本当に何でも!」
「お、おぉ……そんなに気張らなくても大丈夫だけど、今は特にやって欲しいこともないし」
なにやら顔を赤くして意気込むメルシーだが、俺はそんな彼女に思わずしり込んでしまった。
やる気があるのは大変結構なことなのだが、今言った通り、彼女にやって欲しいことなんて、まだないしなぁ。
魔草巻を今この場で作れっていうのも、無理があるし。
「……でもレン、私のおっぱい、すごい見てたじゃん」
「ブッ……!?」
びっくりした。急にそんな話を持ってくるもんだから、飲んでいた酒を吹き出しそうになった。
え、嘘、俺そんなに見てなくない? だいぶ頑張ったんだけど。
あの状況で視界が吸い寄せられそうなのを必死に耐えて、目の前の敵に全神経を集中させてたはずなんだけど。
……いや、うん、はい。
吸い寄せられたのは否定しません。
すごい見たかったのもまあ、否定できません。
じゃあ結局すごい見てたんじゃないのか? うわ、また死にたくなってきた……。
「ま、待ってくれ、あれは不可抗力で……というか、さっきの話と繋がらなくないか、それ?」
俺はメルシーが急に言ってきたことに疑問を感じ、そんなふうに聞いた。
決して見たか見てないかを誤魔化すためではない。そう決して。
「……言ったじゃん、何でもするって」
「あぁ、だから、今は別にないって……」
「本当に?」
そう言いながら、メルシーは身を乗り出して、俺に近づいてくる。
古着のシャツの襟は妙に頼りなく、重力に負けてだらんと下がり、彼女の胸元が、少しばかり露わになった。
近くで見る彼女の目には、熱がこもっていた。
「ほら、やっぱりガン見してる」
「うッ……」
「本当に、何もないの?」
メルシーはどこか、縋るような目をして言ってきた。
彼女の言わんとすることがわからない。
というよりも、わかっちゃいけないような、そんな気がした。
わかってしまったらそれこそ、一線を超えてしまうような、そんな気が。
「私はいいよ? もともとそうなるはずだったんだから。それに、相手がレンなら、私は別に――」
「いやその、メルシー、それは――」
それは?
彼女の言葉を遮って、俺は何を言うつもりだったのだろう。
わからない、けれど何かしらの断る言葉なのは、漠然とわかっていた。
だって、俺はまだ――
「……ずいぶんと仲直りできたみたいだね?」
不意に聞こえた不機嫌マックスな声に、俺とメルシーは同時に、身体を強張らせた。
恐る恐る、俺は声がした方に目をやる。
するとそこには、やっぱり予想通りの人物。
「フ、ファニ」
「みんなと離れて何してるのかと思ったら……」
そう、めちゃくちゃ怒った顔のファニがいた。
もうすごい怒ってる。なんでここまで怒ってるのかはわからないが、ひとつ言えるのは、今の彼女には口先ひとつでも逆らっちゃいけないということだ。
「メルシー・ヴィレット」
「は、はい!」
低い声でフルネームを呼ばれたメルシーは、それはそれは綺麗な気を付けをしてみせた。
彼女も俺と同じことを、メルシーから感じ取ったらしい。
「今日はもう遅い。明日は朝から働いてもらうから、今日はもう寝床に行って休んで」
「え、で、でも――」
「不満があると?」
「いえ、ありません! 失礼します!」
そう言って、メルシーはそそくさと野営地の方へと向かっていった。
「れ、レン、またね」
途中、彼女は少し照れたようにはにかんで、俺に手を振ってきた。
それに思わず手を振り返すと、彼女は嬉しそうに笑って、そして行った。
「……じ、じゃあ俺もそろそろ戻――」
「レンはダメ」
と、ファニはメルシーが座っていた場所に、乱雑に腰を下ろした。
気のせいだろうか、メルシーよりもこっちからの距離が近い気がする。
「昼に言ったよね? あの時どういう状況か、全部教えてねって」
「わ、わかったけどさ、何をそんなに怒ってるんだ?」
「怒ってない」
そんなふくれっ面で言われても全く説得力がないが……。
「……なんで怒ってるかなんて、私だってわかんないよ」
「え?」
「とにかく!」
ファニが何か言っていたので聞き返そうとすると、彼女は誤魔化すように声を上げて、目の前にあるケトルを指さした。
「私にも作ってよ、ホット・ウイスキー。あの子に作って、私には作れないなんてこと、ないでしょ」
「確か酒飲める年齢じゃないだろ? ファニ」
「……じゃあ私が飲めるもので」
「はいよ」
そこは素直に聞くんだな……と思いながら、俺はノンアルコールのお茶を温め直した。
……ん? あれ、ちょっと待て。
「なんで俺がメルシーに飲み物出したの知ってるんだ?」
「なんでって……前も言ったじゃん。『マッピング』の魔法と『トラッカー』のスキルでいつでも見れるって」
「いやそれは知ってるけど、なんでそれを今、俺に使ってたんだ?」
「え、いや、それは……悪い虫が、その……」
俺が聞くと、ファニは声をもごもごと詰まらせてしまう。
おかげで、後半部分が全然聞き取れなかった。
しかし本当になんでだろうか?
今この瞬間に、俺にそんな上等な魔法やスキルを使う理由なんて、何もないはずなんだが。
「……て、違うから。今は私が聞く番! いい!?」
「え、は、はい……」
普段からは珍しい、強気な口調のファニに気圧されてしまい、結局俺は、彼女の回答を聞けずじまいに終わった。
ちなみに、彼女が聞いてきたのは大半がメルシーに関係することだった。
盗賊とかその辺のことはいいのだろうかと思いながら、俺はただただ、聞かれたことを答えるだけに徹した。
そうやって、皆がどんちゃん騒ぎをしている横で、今日の夜は更けていった。
明日からは、また闘いだ。




