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26 魔王様の誘惑

 ――うんざりだ。


 というのが、今の俺の率直な心情だった。

 魔王ベルスターからの至極暴力的な勧誘から、一日が経った今でも、それは変わらない。

 

 というのも、昨日はあの後散々なことがあった故なのだが、ひとまずその話は後にしよう。

 

 兎にも角にも俺はというと、昨日の一連の騒動が終わった後は、疲れがどっときてしまったのもあって、さっさと自分の宿に帰って寝てしまったのだった。

 酒で興奮している自分の精神を無理やり落ち着かせ、そのままベッドへと直行して、その日は終わったという次第だ。


 そして翌日になった今でも、俺は自分の宿のベッドで、未だ惰眠をむさぼっている。

 といっても完全に眠っているわけではなく、意識はぼやけていながらも、覚醒自体はしていた。

 寝てたらこんなふうに考え事などしてるわけないのだから、当然と言えば当然だが。

 

 そんなおぼろげな意識の中、思い出すのは昨日のこと。

 あの日あの時、一歩間違えれば潰れたトマトもかくやというほどの惨死体になっていたというのに、時間の流れというものは実に都合よくできているものらしい。

 酒を飲んで一晩寝てしまえば、あの恐怖を彩った熱もすっかり褪せ、今や布団から出る億劫さの方が幾万にも勝っているのだから。

  

 と、そんなことを考えていると、部屋の外、遠くの方から鐘の音が聞こえた。

 酒溜まりの鼠(レザボア・ラット)の拠点は地下に位置するので、当然日の光は入らない。

 なので、今がどのくらいの時間かというのを、鐘を鳴らして知らせるようになっているのだ。


 今の鐘の鳴らし方は、朝のものだ。

 それはすなわち、俺はもうこの布団から這い出て、起き上がらなければいけないことを意味していた。

 

 いくら億劫とは言えども、この日は寝過ごすわけにはいかなかった。

 なんせ今日は、仕事の下準備をしに行ってたファニが、何日かぶりに戻ってくる予定の日なのだ。


 万一寝過ごしでもしたら、ファニはともかくとして、ロロンあたりから何を言われるかわかったものではない。

 自分の身の安全を確保するためにも、俺は睡眠を欲する自分の身体を鞭打ち、なんとかベッドから、上体だけでも起き上がった。


「えっと……着替えどこに置いたっけか?」


 なんてことを呟きながら、昨日寝る際に脱ぎ散らかしてしまったことを思い出し、ベッドの中をまさぐってみる。

 他の服はともかく、上着もここに放ってしまっていた気がする。しわになってなきゃいいが。



 ――と、その時。不意に布団の中で、柔らかいものに当たった。

 


 枕や掛布団のものとはまた違う。いやに肌触りがよく、温かい。

 はて、こんな寝具あっただろうか?

 なんて思いながら首を傾げつつ、俺は布団をめくってみた。



「……んぅ? 布団をかけ直したまえデッドアイ。寒いじゃあないか」



 そこには、まどろんで目でそんな文句を言ってくる魔王ベルスターが、半裸で寝そべっていた。

 とっさに布団を被せる。


「……ッすぅー」


 俺は息を吸っては吐いてを繰り返し、平静を保つよう努めた。

 落ち着け、落ち着くんだ。


 ひょっとしたらまだ寝ぼけているだけかもしれん。

 そうだ、そうに違いない。

 そう思いながら、俺は再度布団をめくった。


「なんだねさっきから、ひょっとして女に飢えているのか? この助平め」

「……今一番飢えてるのは、なんでまだ(・・)魔王(アンタ)がここにいて、俺のベッドで寝てるのかに対しての答えだよ」


 蠱惑的な笑みでわざとらしく谷間を寄せるベルスターに対して、俺はそんな答えしか出なかった。

 さすがにもう恐怖も狼狽もなく、今や辟易とした感情しかない。


「そう思ってる割には、視線が胸元に注がれてる気がするがね」


 今や辟易とした感情しかないのだ! 間違いなく、うん!

 なんたってこの人は、昨日からずっと(・・・・・・・)こんな感じ(・・・・・)なのだから。


 一旦話題を、昨日の話に戻そう。

 先に結論から言ってしまうと、俺は昨日のベルスターの勧誘に関しては、すっぱり断ったのだ。


 そりゃぁそうだろう。酒溜まりの鼠(レザボア・ラット)に入れてもらってから、まだ一週間も経ってないのだ。

 ようやく自分が役に立てて、面白い生活ができそうって時に、わざわざそんな得体のしれない場所に鞍替えする理由なんかないはずだ。

 なにより、せっかく俺を買ってくれたファニを、ガッカリさせるようなことはしたくない。


 第一、魔王軍ってことは、当然ながら魔物の軍勢なわけだろう?

 そんな中に人間の、しかも最弱底辺の部類に入るであろう俺が入ったって、秒でリンチでミンチになるのが関の山だ。


 そんなこんななことを言って、今回はお見送りさせていただいたわけだが、ベルスターはそれでも諦めてはくれなかった。

 なんでそんなに固執するのか全く分からないが、あの後、どこに行くにも逃げるにも、執拗に俺にべったりとついてきたのだ。

 どんなに撒こうとしても、次の瞬間には俺の側に近づいて、肩に顔を乗せるような真似までしくさってきたのだ。

 

 そして挙句の果てには俺の部屋にまで押し入ってきて、一晩中勧誘とよくわからない昔話に付き合わされた。

 五時間ほど付き合わされた辺りで、もはや初見時に感じていた恐怖は完全に失せてしまい、鬱陶しさの方が勝るようになってしまった。

 ちなみにモニカさんにどうにかしてもらうよう相談したら、『悪い、人柱になってくれ』という、非常にありがたーいご助言をいただくに終わった。

 

 そんなわけで俺も半ば諦め、もう無視を決め込んで寝ようとベッドに入ったのが、昨日の一連の騒動の締めだったわけである。

 さすがに家主が寝たらいい加減帰るだろう、という淡い期待を抱いていたわけだが、本当にそれは淡く泡沫に消えたらしい。


 今目の前で、したり顔をしているベルスターがいるのが、何よりの証左だ。


「おいおい、いつまで私を布団から剥いで冷やす気だい? 早く布団に戻って私を暖めたまえ」


 そう言って、ベルスターは両手を広げ、自分の胸元に来るよう促していた。

 最初はその言葉にもドギマギしていたが、昨日も一日中同じようなことをされ続けていたので、さすがに慣れてしまった。


『男はこういう勧誘方法が一番効果的なのだろう? やめて欲しければ魔王軍に入れ』


 という無茶苦茶なことを言ってきたのが、昨日のベルスターだ。

 乗っても魔王軍、止めたら魔王軍ということで、俺はもう無視を決め込むしかなかった。

 

「寝てたきゃ一人で寝ててくださいよ。俺も今日は早出の用事があるんだ」

「ファニが戻ってくるのだろう?」

「さぁ、なんのことやら」

「隠さなくてもいい、私は全部知っている」


 なんてことを言いながら、ベルスターはどこか揶揄うような笑みを見せた。

 まぁ、考えてみればこの人は――人と呼べるのかという疑問はさておき――今回のファニの仕事である魔界アイテムの仕入れについて、いわば牛耳っている御方なのだから、ファニの仕事を把握していても不思議ではない。となれば、考えるだけ無駄というものか。


「じゃあなおさらですよ。ファニを迎えに行ってきますから、おとなしくしていてください」

「そんなことより私が寒がっている方が問題だろう? 早く暖めたまえ」


 そう言って、ベルスターは再度手招きをしてくる。

 話にならん。というよりかは、話を聞いてない、という方が適切だ。


 『魔王は傍若無人で傲岸不遜だ』なんて噂話を耳にしたことがあるが、なるほど確かに、とんでもないわがままなのは間違いない。


「魔王なら暖をとる魔法くらいいくらでも使えるでしょう? とにかく俺は行きますからね。付き合ってらんない――」

「おりゃ」


 と、彼女のわがままを無視して行こうとしたところ、不意に腕を掴まれ、布団に引っ張り込まれた。


「ちょ……! いい加減に――」

「いいから来たまえよデッドアイ、寒いんだ」


 そう言いながらベルスターは俺を胸元に引き寄せ、がっちりとホールドしてきた。

 クソ、なんてわがまま女だ!

 にしたってまずい。この体勢は非常にまずい、いろんな意味で。


 なんたって柔らかいしいい匂い――間違えた、リテイクを求む――なんたってすごい力で絞めあげられてるものだから、全く解ける気配がない。

 まずいぞ、ファニは朝一番に戻ってくるって話だったんだ。

 

 もうすでに拠点に帰ってきててもおかしくない。

 こんなことしてて遅れましたなんて言ったら、どうなるか――


「レン?」


 すると、ドアの向こうから突然、そんな声が聞こえた。

 ファニの声だ。心臓が跳ね上がった。


「あ、あぁ、ファニ。戻ってきたんだ?」

「ついさっきね……もう起きてる? 仕事の話があるから、今日はモニカの酒場に来てって話だったと思うけど」

「ご、ごめん、寝坊しちゃって……」

「だと思った、別にいいけどね。それより入っていい? 先にレンに話しておきたいことがあって」


 ファニのそんな言葉を聞くと同時に、ドアノブが傾いているのが見えた。

 まずい、絶対にまずい。特に今の状況は。


「いや、今はちょっと――」

「あぁ、入ってくれ」


 断ろうとしたその瞬間、ベルスターが突然、俺の声(・・・)でそんなことを言った。

 え、ばか、何考えてんの? なんてことしてくれてんの?


 が、そんなことを考えても、もはや遅い。

 それを自覚させるように、ドアはゆっくりと開き、その奥から、ファニが見えた。

 

「お邪魔します。レン、実は今回の依頼主についてなん、だけ……ど…………?」


 俺たちを見た瞬間、ファニはフリーズした。

 多分だけど、俺もフリーズしているだろう。

 具体的には、ベルスターの胸にうずもれたままの状態で。


「やぁファニ、少しぶりだね」


 そんな中で、ベルスターだけが笑顔で、ファニに挨拶をしていた。

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