22 魔王の次の獲物◆
「まぁなんだ、ドアの前につっ立って喋るのも間抜けだろう? 座りたまえよ」
「失礼します」
魔王ベルは、そう言ってファニを、脱ぎ散らかしっぱなしの衣服にまみれたソファへ座るよう促した。
ファニとしては正直断りたいところだが、こんなつまらないことで、この暴君の不興を買うのは得策ではないと思い、素直に腰を下ろした。
「紅茶はいかがかな? 最近人間の飲み物にハマっていてね」
言いながら、ベルはカップを手に取って、温かい紅茶に口をつけていた。
ファニがふとテーブルを見ると、いつの間にか自分の目の前に、紅茶を入れたカップが置かれていたのだ。
ご丁寧に、ミルクと砂糖を入れた容器も、隣に置いてある。
「……いただきます」
なんとかそれだけ言って、ファニはカップを手に取った。
彼女は、魔王ベルのこういったところが、不気味で仕方がなかった。
どんな魔法を使っているのか、どんなスキルを使っているのか、まるで見当もつかない。
それどころか、これが魔法やスキルという概念に当てはまるのか、ということすらわからないのだ。
そして何より、それを誇示するわけでもなく、謙遜するわけでもなく、当たり前のように行使している。
今日は何事もなく、紅茶が出ただけなので、実に平和だ。
以前ファニが来たときは、出されたコップは血で満たされ、中には臓物が入っていた。
――おぉっとすまない、人間にとって、同種はご馳走じゃないんだったか。
その時にベルが、たまらず嗚咽したファニに向けて放った言葉が、以上である。
本当に馳走をもって歓迎しようとしていたのか、悪意を持ったイタズラか、それすらもわからない。
どんな時でも、彼女は悪戯っ子のような不敵な笑みを、崩さないのだから。
きっとそれは、彼らが完全に、人間とは違う生き物であることの証左であろう。
未知で、理不尽で、不可解。
あくまで数回あっただけでの判断だが、それが魔王という存在だ。というのが、ファニの見解だった。
「……で? ジクシンにいるヒュドラを殺してくれたってのは、本当かい?」
カップをテーブルに戻し、ベルは聞いた。
「こちらを」
ファニはそれに是とも否とも言わず、持参してきた依頼品をテーブルの上に出した。
「ヒュドラの宝玉です。お納めください」
「ほほう! ホントに倒してきたんだねぇ!」
テーブルに置かれた宝玉を見た瞬間、ベルはテンションを上げてはしゃぎだす。
「いやいや大したものだよ! アイツ調子に乗って、私の手下まで全部食っちゃうんだもの! いい気味だよ全く!」
「では、依頼は完了ということで、よろしいですか?」
「あぁ、あぁ、もちろんだとも。確か報酬は……えぇっと、なんだっけ?」
「魔界アイテムの、ヨーキトー王国への独自輸入ルート。こちらを酒溜まりの鼠に一任してくださる、と」
今回のヒュドラ討伐の見返りこそ、ファニが今言ったことである。
魔界のアイテムというのは、当然ながら人類に敵対している魔物が製造、使用しているアイテムということであり、人間がこれを使うのは倫理上、宗教上の観点などから、厳しい取り締まりが行われている。
しかしながら、魔界のアイテムは人類が作ったそれに比べ、どれも高品質で強力なものがそろっており、欲しがる冒険者や商人は後を絶たない。
そのため、冒険者が魔物が稀に落とすアイテムをしまい込んだり、魔界の入り口まで盗賊が採取しに行ったりして、それらを高額で売りさばく事案も多発している。
とは言え、これらは偶発的に拾い上げたアイテムをまばらに売るだけの、小銭稼ぎのようなもので、どうあがいても富を築けるレベルではない。
それは仕方のないことだろう。まさか魔物側から仕入れることなど、できるはずもない。
魔物とコミュニケーションなど、取れるはずがないのだから。
「あぁそうだったか……いいともいいとも、格安で君たちに卸してやろう。せいぜい稼ぎたまえよ」
「ッ……ありがとうございます!」
興味がなさそうに放たれたベルの言葉を聞いて、ファニは内心で喜びの声を上げた。
この場所でさえなかったら、踊ってしまいたいくらいだった。
そう、魔物とコミュニケーションが取れないのだから、魔界のアイテムを仕入れるなど、夢のまた夢だ。
だが、魔物の王様と取引ができたのであれば、話は変わってくる。
魔王の公認によって、酒溜まりの鼠に魔界アイテムの輸入ルートが確約される。
誰も成さなかった、成そうともしなかった輸入ルートを持つということは、実質的に闇市場のトップになることであり、それはすなわち、酒溜まりの鼠という組織が、飛躍的に強力になるということだ。
――レンのおかげで、一気にここまでこぎつけられた。本当、彼には感謝してもしきれない。
ファニは、ここにはいないレンに感謝した。
自分の組織を巨大化することは、彼女にとって悲願といってもいい。
ほとんど諦めかけていたその道が、レンと出会ったことによって、一気に光明が見えてきたのだ。
これは何としてでも、彼を勇者なんかに渡すわけにはいかない。
私の救世主かもしれない人を、ようやく手に入れたのだから。
ファニはそう、強く思った。
「……で」
そんな風に思いを馳せらせていると、ベルは静かに、口を開いた。
「ヒュドラを殺したのは、誰だい?」
「……といいますと?」
予想外の質問ながらも、ファニは辛うじてそう返すことができた。
しかしそんなことには目もくれず、ベルは続ける。
「今だからぶっちゃけるが、あのヒュドラは暴走状態にさせてたからさ、君たちが言うような、Sランクどころじゃない強さのはずなんだよ。君たち程度が殺せるはずないのさ」
「……今、なんと?」
「欲につられた君たちが食いちぎられるの、面白いかなって思ってやったんだけど……もっと面白いものが見れそうだねぇ?」
突然の告白に、ファニは理解が追い付かなかった。
それを知ってか知らずか、ベルは続けた。
「で、誰?」
まるで、新しい玩具を見つけた子供のように。
狂気的な笑みを浮かべて、ベルは聞いた。
――絶対に、これは答えちゃいけない。
ファニは、身体の震えと共に、そんな直感が脳裏をよぎった。
確証はない、だが、確信がある。
ここでレンの名を出せば、きっと魔王ベルは、彼に接触するだろう。
恐らく、自分が想像する以上の、最悪の形で。
下手をすれば、魔王によってレンが殺されるかもしれない。
少なくともそれだけは、絶対に避けねばならない。
そう思ったファニは、声の震えを必死で抑え、平静を努めながら、言った。
「ギルドや各方面から、大量の傭兵を雇って、数多の犠牲を出しながらも倒しました。誰が倒したというのであれば、参加した全員でしょう」
「……ふぅん、それで通ると思っているのかい?」
圧力が部屋に充満する。
ファニですら少しでも気を抜けば、失神してしまいそうだった。
ふとカップを見ると、紅茶だったものが、いつの間にか血だまりに変わっていた。
ファニはそれを見ても、決して驚かない。驚いても、それを外に出さない。
底を見せれば終わりだと、彼女は知っているからだ。
「ま、いいや」
すると、ベルはけろっとした顔で、あっさりと引き下がった。
単に飽きたのか、面倒臭がったのか。
兎にも角にもその瞬間、部屋に充満していた圧力は失せ、カップの血もいつの間にか、紅茶に戻っていた。
……助かった。
ファニは息を切らしながらも、自分が生きていることに安堵した。
「まぁ、なんにせよご苦労だったね。輸入ルートについては、後でロボに詳細を送らせる。さぁもう行きたまえ、私は昼寝で忙しいのだ」
さっさと帰れと言わんばかりに、ベルはしっしと手を振って、ベッドへと戻っていった。
「……ありがとうございました。失礼いたします」
それだけ言って、ファニはソファから立ち、出口へと向かう。
そのままロボに案内され、屋敷の外へ出た。
「つっかれた……」
彼女がそんな愚痴を呟けたのは、王都の外まで出て、ようやくフードを外せた時であった。
「……なぁロボ」
ファニが帰った後、ベルはロボを呼んだ。
「いかがしましたか、お嬢様?」
「ヒュドラを殺したやつ、見つけて私のところに連れてきてくれたまえ」
「多数の傭兵で倒したという話では?」
「ふん」
ベルは笑顔はそのままに、小ばかにしたように目を細めた。
「そんなはずがあるものかよ。あれは有象無象が万人いたところで、どうにか出来るものではないんだ」
「では、突出した一人によって倒されたと?」
「しかも、あのファニがあんなつまらない嘘をついてまで、傍に置いておきたいと思っているやつらしい。クッハハハハ!」
そう言うと、ベルは堪えきれないとばかりに、心底可笑しそうに笑いだした。
ロボはそれを見て、実に意外に思った。
お嬢様が本当に笑うなんて、一体いつぶりだろうか、と。
だからだろうか、面倒ごとになるとわかっていながら、ロボはつい、知っていることを口にした。
「でしたら、それに関しまして、既に情報がございます」
「ほう、というと?」
「昨日から王都で話題になっている、レン・ユーリンなる男がおります。都内に潜伏している部下によりますと、先日彼が、ファニ様と接触していたとか」
「……レン・ユーリン」
ロボからその名を聞いて、ベルは面白そうにその名を呟く。
「いい退屈しのぎになりそうだ……クフフフ」
そのキラキラとした目と、はにかむような笑顔は、ファニに見せたそれとはまた違う。
プレゼントの封を開けている子供のような、無邪気なものであった。