19 王国での噂◆
「これは一体どういうことなのですか!?」
ある早朝、ヨーキトー王国内にある、勇者パーティーが利用している宿屋の中から、そんな怒号が聞こえてきた。
怒りと困惑がないまぜになったその声は、栄えある勇者パーティーに属する女戦士のものだ。
「これ、とは?」
「すっとぼけないでいただきたい! この新聞です!」
何の話かいまいちわかっていない勇者リエスタに対して、女戦士は持っていた新聞紙をテーブルに叩きつける。
そこには、現在王都で噂になっている指名手配犯、レン・ユーリンの似顔絵が載っていた。
それだけであれば、女戦士もここまで声を荒げることはなかっただろう。
彼女がこうなっている本当の原因は、レンの似顔絵の下に書かれている、短い文章にあった。
「よりにもよってこんな重罪人をパーティーに引き入れようだなんて、何を考えているのですか!」
「あぁ、そのことですか」
ヒートアップする女戦士とは対極的に、リエスタはごくごく冷静な口調で返した。
「何をも何も、そこに書いてある通りですよ。彼には更生の余地があると、昨日会ってみて思っただけです」
「昨日って……ダンジョンの不法侵入者の件ですか? なんと、こいつが下手人だったのか……」
「えぇ、残念なことに取り逃がしましたが」
「か、仮にリエスタ様の仰る通りだとして、なぜパーティーに? 牢にでも入れて、法の裁きを受けさせれば済む話ではないですか」
この反応の通り、女戦士はレンを勇者パーティーに引き入れて更生させる、ということにはめっぽう反対していた。
彼女から見れば、このレン・ユーリンなる札付きは、盗みを働いて捕縛されそうになったところを、衛兵を6人負傷させて逃走した、重罪人だ。
罪を犯してそれを償うどころか、追手を傷つけてまで罰から逃げる男に、どう更生の余地があるというのか。
よしんばそれがあったとしても、なぜわざわざ自分たちのパーティーに入れて、世話をせねばならないのか。
ギルドによれば、このレンという男、子供が言葉よりも先に覚えられる『はじく魔法』しか使えないのだという。
だからなのか万年最低のDランクのままで、所属していたパーティーはもちろん、ギルドの冒険者全体から疎まれていたとか。
勇者パーティーは、言わずもがな魔王討伐のために世界中の精鋭で構成された、もはやランクという概念には当てはまらない最強のパーティーだ。
そんな中に、こんな何のために生きているかもわからない、有象無象にすらなれない男を、なぜ入れなければいけないのか。
自分は勇者パーティーに選ばれるために、血を流す想いで努力してようやく入れたというのに、なぜこんなぽっと出の男が……。
そんな思いもあって、女戦士はここまで憤っていたわけだが、そんな彼女の思いを知ってか知らずか、リエスタは静かに口を開いた。
「もちろん、ただの罪人であればそれで十分でしょう。ですが、彼は違います」
「どういうことですか?」
「先ほど言ったことを考えてみてください。昨日私は、彼を取り逃がしたのですよ。この私が、です。」
リエスタに言われて、女戦士は目を見開いた。
「……状況が味方したのではなく、この男の純粋な実力で、あなたを退けたと?」
「えぇ、その通りです」
「あり得ません、そんなの! こいつは『はじく魔法』しか使えない元Dランク冒険者ですよ!? まかり間違ってもリエスタ様を撃退する力など、あるはずが――」
「その『はじく魔法』でやられたとしたら、どうしますか?」
リエスタがそう言うと、女戦士は口を噤んだ。
『ありえない』、『そんなはずはない』。いろいろな言葉が脳裏に浮かんだが、女戦士はそれをついぞをれを声として発することができなかった。
リエスタの真っすぐな瞳が、それを嘘と断ずることを許さない気がしたから。
そんな女戦士をしり目に、リエスタは続ける。
「彼が使う攻撃魔法のルーツが『はじく魔法』なのは間違いないでしょう」
はじく魔法。
魔法を扱っている土地の生まれでさえあれば、ほぼすべての人間が赤子のころに勉強がてら習得する。基礎中の基礎の魔法。
『はじく』という文面とは裏腹に、斥力由来のものではなく、傷ひとつもつけられないような、ごくごく小さな魔力の爆発を起点として、手の中に生じた内部圧力を元に物体を動かす、という理屈だ。
本来であれば、たかだかそれだけの魔法。
一般人が指でデコピンをするよりも弱い、何の役にも立たない魔法だ。
「ですが、彼は……レン・ユーリンは、その魔法を未知の領域まで練り上げています」
レン・ユーリンの『はじく魔法』は違う。
物体に重複して『はじく魔法』を付与し、その威力を高めているの。
物体を押し出す前に回転させて、飛距離と威力、精度を向上させている。
指の形や手の位置、物体を持つ場所などを調整して、最小限の爆発で最大限の威力を発揮できるようにしている。
エトセトラエトセトラと、とにかく、その目で見たリエスタにすら、把握しきれない技術が込められていたのだ。
「勇者のパーティーに入る条件は、アナタなら当然ご存じですよね、イライザ?」
「……絶対的な強さと、未知の魔法かスキルと持っていること」
女戦士は悔しそうに、リエスタの問いに答えた。
理解してしまったのだ。リエスタがなぜここまで、レンをパーティーに加入させたがっているのかを。
理解したがゆえに、それを拒絶したくて、仕方がなかった。
「レンはその二つを持っています。こんな魔法を使えるものは、世界に二人と居ません。更生云々の話を抜きしても、純粋に戦力として彼が欲しいのです」
「……わかりました。であればもう、何も言いません」
リエスタのその回答に女戦士はそう返事をした。
そう返すしかなかった。という方が正しいかもしれない。
そこまでの強さを持ったものが、牢に押し込めた程度で抑えられるはずもない。
強大な力を持った罪人を勇者パーティーに引き入れるというのは、罪人の監視としても、罪人の社会復帰としても、パーティーの純粋な戦力向上としても、そのどれにも有効なのだ。
リエスタがそこまで見通しているであろうことは、普段から彼女を見ている女戦士からすれば明白であった。
だからこそ、彼女は反論できなかったのだ。
ただひとつ、気になる点があるとすれば……。
「しかし、そもそも彼に協力する気はあるのですか?」
「その点は心配ないでしょう。必ず彼の方から、コンタクトがあるはずです」
唯一気になっていたことを聞くと、リエスタは一切の淀みなく、そう答えた。
その確信を持ったあまりに綺麗な瞳に、女戦士はもはや、理由を聞く気すら失せてしまった。
勇者様がそういうのであれば、信じよう。彼女は神に愛されて生まれてきた、貴い存在だ。
その彼女が、心配はいらないというのだ。ならば私は、勇者パーティーとして、最善を尽くすだけだ。
女戦士はそう考え、それ以上、レンについて考えることをやめたのだった。
そんな中、リエスタはレンのことを思い出し、考えていた。
――あの人は私を凌辱したがってますもの! 絶対私に迫ってくるに決まってます!
リエスタは、「フン」と鼻息を巻いて、そんなことを考えていた。
勇者リエスタは、そういったことに大変精通していた。
彼女が勇者となったそもそもの背景として、父親が持っていた英雄譚の書物を見て、勇者に憧れたというのがある。
その英雄譚にしては薄い書物のタイトルは『女勇者の奉仕 ~最初は嫌だったのに……~』というものであった。
ちなみに書物はリエスタが母親に読み聞かせを願ったところ、問答無用で捨てられてしまったあげく、父親は半殺しにされ、正座させられていた。
どうしてそうなったのかリエスタは涙ながらに聞いたが、父親も母親も教えてはくれなかった。
そんなこんなでリエスタの勇者像は妙に屈折してしまっており、彼女の中で勇者は、必ず『書物の中の敵役』のような人物を更生させなければいけない存在ということになってしまっているのだ。
リエスタにとってレンはまさにそんな敵役であり、これを見逃すことなど、到底彼女にはできないことだった。
――私の身体を弄んだあげく、心まで汚そうとした男、レン・ユーリン! 来るなら来なさい、私は耐えてみせます! どんなことをされても、本当にどんなことをされてもッ!
勝手に覚悟を決めるリエスタの息に、妙に熱がこもっていることを、女戦士は知る由もなかった。