17 報酬と新たなトラブル
「あぁ〜ッ……クッソ!」
モニカさんは椅子から飛び降り、カウンターにあるひとつのボトルと、グラスをかすめ取って、俺の前に出してくれた。
見たことがない、いかにも高そうなライ麦酒だった。
「マリーカランの25年ものだ、心して飲め!」
そう言いながら、彼女は氷の入ったガラスのコップにライ麦酒を注ぐ。
粗暴な言葉と違って、その注ぎ方は実に丁寧で、彼女の酒場の主としての矜持が見て取れた。
酒の違いなんてたいして分からないが、少しだけ漂ってきたその香りだけでも、いつも飲んでる安酒とは異なるのがわかる。
うーむ、嬉しい反面、俺みたいなのが飲んじゃっていいのかと、腰が引けてしまうな。
「あぁクソ、面白くねえ」
「これで冗談じゃないって、わかってくれた?」
「わかった、わかったよ、もう何も言わねえ。お嬢様の御意のままに、だ」
モニカさんは「フンッ」と鼻息を鳴らしながらも、ファニに折れたらしい。なんだかんだ、ちゃんと約束は守る人のようだ。
……さっきから疑問に思ってたけど、この人だけファニのこと、ボスとか姐さんとかじゃなく『お嬢様』って呼ぶんだよな。
どういう関係なんだろう?
「……と、モニカからの了承も得たところで」
なんて、ファニがおもむろにこちらに目を向ける。
「改めてお願い、レン。私のパーティー、酒溜まりの鼠に入って欲しい」
「あ、姐さん!? そ、そんな頭を下げるなんて……」
ロロンの言う通り、ファニは意外にも、俺に頭を下げてお願いしてきた。
正直、ここまでかしこまられるとは思ってもみなかった。
どうしたものか……他人に頭を下げられた経験なんて無いから、どう対応すればいいのか困る。
「ロロン、どんな時も頭を下げないなんて、それはただの不遜だよ。こういう時はそれなりの態度を取らなきゃ」
「で、でも――」
「……それでどう、レン?」
ロロンに構わず、ファニはさらに俺に言ってくる。
「もちろん寝床は用意するし、ギルドにいたころよりもずっと高い報酬を約束できる。他に要望があったら、言って欲しい」
ファニのその態度からは、必死さが伝わってきた。
今まで見たことがないくらいの、ここ一番での必死さだ。
なんで俺みたいなのにそこまで、という気持ちは正直ある。
無能すぎてギルドを追放されて、さっきモニカさんにも言われた通り、一般人よりも弱い俺を、なんでそこまでパーティーに迎え入れてくれようとするのか。
わからないし、アウトローの一員になるということに、多少の恐ろしさはある。
ダンジョンに違法侵入したり、衛兵に追っかけられたり、勇者に目をつけられたり、散々な目に遭った。
……だが、それ以上に。
「頭を上げてくれ、ファニ」
それ以上に、あの時は楽しかった。
俺ももはや立派な札付きだ。
であれば、断る理由など無いだろう。
ファニと一緒にいる方が、ギルドで冒険していた時なんかより、ずっと面白いのだから。
「俺なんかで良かったら、今後も世話になるよ」
「……ありがとう、レン」
ファニはそう言って微笑んでくれた。
兎にも角にもこれで、俺は晴れて酒溜まりの鼠の一員になったわけだ。
「よ、よかったです。断られたらどうしようかと……」
「……ちなみになんだけど、断ってたらどうするつもりだったの?」
「それは……な、何でもないです。今更水を差すようなこと言っても、なんですし」
ロロンは俺にそう答えると、心底ほっとしたように、胸をなでおろしていた。
水を差すようなことってなんだろう。もし断ってたら何されてたの、俺? 怖いって。
いや、深く考えるのはやめよう、多分ロロンだってそこまで深くは考えていないだろう。
言葉のあやさ、うん。
「よっしゃ、感動的なシーンが終わったところで、報酬の話といこうか」
と、モニカさんは手を叩いた。
そうだ、すっかり忘れていたけど、ここにはそもそも、ヒュドラ討伐の報酬を貰いに来ていたんだった。
あんまり口に出して言うことじゃないが、どのくらい貰えるのか、結構楽しみだ。
何気に魔物討伐で報酬をもらうのは、初めてのことかもしれない。
ギルド時代は、AランクとかSランクとかの魔物をソロで討伐して報告しても、『虚偽報告だ』って決めつけられて、逆に罰金とられたもんな。
仕事したら金払わなきゃいけないって、どんな理不尽だよ……。
「……ま、仕事はまだ完全には終わっていないけどね」
「え、そうなのか?」
ファニの言葉に、俺は思わずそう返してしまった。
ヒュドラ討伐して、『宝玉』を手に入れるのが今回の依頼だと聞いていたが、まだ何かあったのだろうか?
「あぁ、気にしないで。レンとロロンはこれで終わり。後は私がやることだから」
「事後処理とか、報告書の作成ってことか?」
普通、依頼を達成した後は、依頼元に報告をするための資料を作らなきゃいけない。
依頼主が本当に依頼を達成したかを確認するためのものでもあり、達成後の状況を報告書と照らし合わせて、虚偽がないかを確かめる用途でも必要なものだ。
ギルドでは報告書の作成が義務付けられていたが、ここでもそうなんだろうか?
「うーん、なんて言えばいいのか……依頼主に報告するって意味では、同じようなものかな? まぁ、とにかく二人は気にしなくても大丈夫」
と、ファニは何やら歯切れが悪い感じだった。
とは言っても、隠してるというよりは、説明が難しい、といったニュアンスだ。
気にならないといえば嘘にはなるが、本人が追及を拒んでいる以上、これ以上立ち入ってもしょうがないだろう。
ここは素直に引くとしよう。あんまり聞いたら、ロロンに『姐さんがいいと言ったらいいんです!』とか何とか言われて怒られそうだし。
「もう遅いし、まどろっこしい話は一旦なしだ。とりあえず今日はこれ受け取って、さっさと寝ちまいな」
モニカさんはそう言って、テーブルの上に、布袋を二つ置いた。
置いた瞬間、ジャラジャラと金属の音が聞こえてきて、それが貨幣であるということを、暗に示していた。
「それぞれ金貨が40枚ほど入っている、確認しな」
「き、金貨40枚!?」
その予想外の金額に、俺は思わず声を出してしまった。
待ってくれ、金貨40枚って……貴族が乗るような馬車と馬二頭買って、まだ釣りがくるレベルじゃないか。
「んだよ、足りねえってのか?」
「い、いや、逆ですよ。ギルドにいたとき、一度にこんな大金貰ったことないから……」
「ハッ、まぁ今回のが特別難しい依頼だったってのもあるが、ギルドは中抜きがひでぇって話だからな。ま、国営なんざそんなもんだろ」
言いながら、モニカさんはギルドをあざ笑うかのように、ほくそ笑んでいた。
すごいな、これがギルドを介さない仕事か……。
「あ、ありがとうございます! シルビアと馬車の改造に使わせていただきますぅ」
なんて、ロロンはホクホクとした笑顔をしながら、「車輪をケンウェイ製の防魔仕様に変えて……」だの「シルビアに特別製の餌買ってあげて……」だの、金の使い道を楽しそうに呟いていた。
ロロンが喜びこそすれ驚かないってことは、このくらい貰えるのは、それほど珍しいことでもないらしい。
うーん、改めてすごい場所だな、ここは。
「……てあれ、ファニの分は?」
「おいおい色男、ここのボスが誰かもう忘れたのか?」
ああそうか、モニカさんに言われて気づいた。
考えてみれば、ここのボスは他でもないファニなのだ。
言ってしまえば、配下の人間に金を配る立場だ。
ということは、ファニが金を貰うのは、依頼主から直接、ということになる。
さっき言ってた事後処理ってのは、ひょっとしてそれに関係することなんだろうか?
「さあさ、駄賃を貰ったらとっとと帰って寝な。休めるうちに休んどけ」
モニカさんは「しっし」と店から出て行くように手を振ってきた。
「勝負に負けてちょっと不機嫌なんだよ、放っておいてあげようか」
「うっせぇぞファニ!」
なんて声を聞きながら、ファニに「ほらほら」と促されて、俺たちは酒場を出た。
酒場を出ると、どこか肌寒い空気に襲われた。
見てみると、もう完全に夜も更け切ったから、人通りも先ほどよりは少なく感じる。
「ついて来て、宿に案内するから」
ファニにそう言われて、今日がようやく終わったのだということを、実感してきた。
疲労感と眠気が一気に襲ってきて、思わず足がもつれた。
「大丈夫?」
「ああ、悪い。眠くなってきちゃってさ」
ファニにそう返しながら、なんとか体勢を立て直して、再び歩き直す。
考えてみると、本当に今日はいろいろあった。
ギルドを追放されて、ファニに会って、酒場で衛兵に濡れ衣着せられて。
なんとか逃げ出して、札付きになって、ヒュドラ倒して、勇者に追いかけられて……。
今日だけで、本当にてんこ盛りだ。
ここまで濃い一日、もう今後一生ないんじゃないか?
「……レン、今日は本当にありがとうね」
そんなことを考えていると、ふとファニが言ってきた。
「どうしたの、改まって?」
「いや、レンがいれば、きっと今までできなかったことが、できるようになると思ってさ」
すると、ファニは俺の顔を見てきた。
目を細めて、どこか蠱惑的な、そんな笑顔をして。
「改めて、これからもよろしくね、レン」
……訂正しよう。今日より濃い一日なんて、これから先いくらでも来るだろう。
このパーティーにいる限り、安寧なんて、きっと程遠いものになるに違いない。
けど、まあ、いいだろう。
だって、それでもここは、居心地がいいから。
「姐さぁん、眠いですぅ」
「はいはい、もう少し頑張ってね」
ファニは今にも眠りそうなロロンにそう言いながら、手を繋いで先を歩いていた。
俺も彼女ほどではないが、今にも倒れてしまいそうだ。なんとか、宿までもたせなきゃな。
案の定、宿について部屋に案内された俺は、すぐさまベッドにダイブして、泥のように眠ったのだった。
――翌日、地下なので、今が朝なのか昼なのかもわからない。
「……んぐ、頭痛ぇ」
とにかくそんな中、俺は酷い二日酔いに苛まれていた。
あぁクッソ、さすがに飲みすぎたな……。
なんてことを考えて、水を飲むべく、ベッドから起き上がろうとした。
と、その瞬間。
ドアがデカい音を立てて開かれた。
「おい色男! お前すごいことになってるぞ!」
そこにいたのは……えぇっと、そう、モニカさんだ。なんで急に、俺のところに?
なんてことを考える間もなく、モニカさんが妙に慌てた様子で、部屋に入ってきた。
「……なんすか?」
デカい声出さないでくれとか、ノックしてから入ってくれとかいろいろ言いたいことはあるが、言ったら返り打ちに合いそうなので、とりあえずそう聞いた。
「これ見ろ、これ!」
そう言って、モニカさんは手に持っていたパルプ紙を俺に突き出してきた。
これは王国が発行している新聞か。
なんで国外のここで手に入るんだ? という疑問は一旦棚上げして、それを手に取って読んでみる。
「ええと、なになに……?」
新聞には、こう書いていた。
――勇者リエスタ様からまさかの声明。凶悪な罪人を勇者パーティーに引き入れることを発表。目的は罪人の更生と社会復帰援助と述べる。
罪人の名前はレン・ユーリン。見かけた方、情報を持ってる方は是非ギルドまでご一報ください。――