【短編】嫁いだ先で旦那様に『王太子殿下のお相手をしろ』と命じられました。やっぱりわたしは幸せになんてなれないのですね。
注意:終わり方がバッドエンドです
「君は美しいな」
突然決まった結婚で、初めて顔を合わせた旦那様にそう言われた。
旦那様は、金髪ブロンドの髪を短く刈揃え、エメラルドと呼ばれる宝石のようにその瞳が輝いておられる方だった。
元の家族には厄介払いされ、旦那様にもお認めになっていただけなければわたしは路頭に迷うことになっていた。
けれど、旦那様はそんなわたしを認めてくださった。
厄介者であるわたしを、妻として受け入れてくださった。
だから、わたしは誓ったのだ。
彼の妻として、これから彼を愛し、彼に尽くすことを。
こんなわたしを「美しい」と称してくれる旦那様のことを。
最初は、メイド達にされるがままに身なりを整えていった。鏡を見るたびにその中に映る自分が、まるで他人のように感じた。
それでも、彼がわたしを見るたびに「美しい」と言ってくれるから、わたしは段々と着飾ることに楽しさを感じ始めていた。
日々彼に贈られたドレスを着て、アクセサリーを身に着け、彼に褒められた髪型で顔を合わせれば、彼は何度だって同じ言葉を繰り返してくれた。
「君は美しいな」
それが嬉しくて、何度だって言ってほしくてわたしは日々自分を着飾る努力を惜しまなかった。
それまでの人生で、こんなにも明るく楽しい思いなど、したことはなかったのだから。
突然決まった結婚なのにこんなにも満ち足りていいのかと、不安に思うこともあった。
わたしは、この屋敷に売られた身であるのだから。
「お前の嫁ぎ先が決まった」
珍しく母に呼び出されたかと思えば、唐突にそう告げられた。
「お前に拒否権などないぞ。妾に言われた通りに動くのがお前の義務なのだから」
普段から、母の言葉は絶対だった。
逆らうことは決して許されず、母の命令通りにしなくては激しい折檻を受ける。
母自身に何かをされるわけではなく、雇われた下人に痕が残らぬ程度の暴力が与えられるのだ。
彼らはその職で生きていくのだから、その技術はとても高いものだった。
母は彼らをお気に入りとして、よく使っていた。
「喜ぶが良い。お前が嫁ぐことによって、我が家の不況は改善されるのだ」
何らかの紙束を片手に、老いを感じさせぬ妖艶な笑みを携えて母はそう言った。
それが娘であるわたしを売るということを意味していることに、気づかないわたしではなかった。
「…………もし、お断りをすればどうなるのでしょう?」
普段よりは幾分か機嫌の良い母に、わたしは思わずそう問いかけてしまった。
母の命令に反抗など、決してしてはいけないはずだったのに。
「…………断る?」
「……っ!」
グリンと音がしそうなほど首を大きく傾げてこちらに視線をよこす母には、有無を言わさぬ圧力があった。
わたしは反射的に息を止める。
「お前が嫁ぐことによって、我が家の不況が改善されると言っただろう?それを断る?お前は我が家が不幸のままであって良いというのか?」
そしてわたしは「あぁ」と悟る。
どんなに母の機嫌が良くとも、そんなものはわたしの些細な一言であったとしても一瞬にして崩れ去る。
幼い頃からそうだったのに、わたしは何度この過ちを繰り返すのだろうと。
母が一度こうなってしまえば、もう口を開く隙さえ与えられずわたしが悪者として言いくるめられてしまうのだ。
「何だお前。実家の不幸を望むのか?家族が幸せになることを否定するのか?そうだろう、そうだろう?お前が我が家に不幸を引き込んでいるのだな?お前が我が家に不況を招いているのだな?お前がそもそもの元凶なのだな?お前が我が家の不幸を望むからだ。お前が悪い。お前が我が家を陥れているのだ」
もう、何も言うことは叶わなかった。
そんなことはない、そんなはずはないと。
わたしがそんなことを望むはずがない、と。
わたしはただ、愛されたかっただけなのに。
「やはり、君は美しい娘だ」
わたしは自分が家族によって売られた先で、こんなにも幸せで良いのだろうかと疑問に思う。
家族を不幸に陥れた疫病神と揶揄され、追い出されたわたしが、旦那様にこうもお褒めの言葉を与えられて良いのかと。
それでも、旦那様がこんなわたしのことを美しいと言ってくださるのなら、それに応えたいとも思う。
応えて、彼に尽くしたいと。
そして、わたしはこんな日々が幸せだと、そう思っていた。
彼の、旦那様の内なる企みを知るまでは。
「次の休暇に我が国随一誇り高い御人、王太子殿下が我が屋敷に数日滞在されることが決まった」
「まぁ、それは喜ばしいことですね」
二人きりの寝所で、甘い戯れを交わいながら彼の言葉に相槌を打つ。
最近ようやく共寝するようになった部屋で、今は昼間だというのに彼は珍しくもゆったりと寛いでいた。
今まではお仕事がお忙しく、式を上げることも寝所を共にすることもできなかった。
最初こそは売られた身、旦那様の慈悲のもと引き取られた身であるのだからそれが当然だと考えていたが、つい先日「そろそろ繁忙期も過ぎたことだし、寝所を共にする」と言われ旦那様にその気があることが察せられた。
初めはわたしも戸惑いはしたけれど、旦那様が「時期が来ただけのことだ」とわたしを安心させるように気遣う言葉をかけられることによって、わたしはようやく落ち着きを取り戻せた。
旦那様は何度だって「君は美しい」と言ってくださる。
厄介者のわたしを疎むことも蔑むこともなく、受け入れてくださるその御心にわたしは感謝してもしきれない。
「歓待の準備をしなければならない。手伝ってくれるな?」
「もちろんです」
わたしが一切の淀みなく頷けば、旦那様は満足そうに笑った。
わたしはこのとき、旦那様の笑みが普段と同じものであるはずなのに、まるで全く別もののように感じた。
そして、その理由は次の彼の言葉で明らかとなった。
「当日、殿下の歓迎のお相手をしてくれ」
このとき、この瞬間わたしはようやく目が覚めたような感覚に陥った。
彼の言葉に含まれる意味に、わたしは否応なく気が付いてしまったのだ。
歓迎の相手。
それは主に屋敷の主人たる男性の務めだ。
貴族であるのならなおのこと、相手の位が高ければ高いほどそれには意味がある。
屋敷の主人が客人をもてなすということは、それほどその屋敷には余裕があり、主人の度量が広いことを意味する。
だからこそ、王太子殿下という次期この国の最高位となられる御方がこの屋敷を訪れるということは、その分最上級のもてなしを用意する必要があるということだ。
もちろん、それは主人自身の手配によってである。
それが、主人でもましてや身内なる男でもない女性にその役目が与えられるとすれば、その意味は一つしかない。
歓待の相手の『お相手』をするということだ。
貴族の中で、必ずしも客人を歓迎する役目を男性が務めているわけではない。
どれほど相手を受け入れる余裕があろうと、相手を歓迎するという意味が間違ってなければ主人の采配によって好きなように決められる例外もまたある。
その典型例として、今彼が言ったように女にその役目を与えることだ。
多くの例では、それが娘に与えられることが多い。
娘がいなければ親戚筋のおなごでも構わない。
歓待の相手が男性なのであれば、その役目を女に与えることは決して間違った采配ではないのだ。
つまり、旦那様はわたしに殿下の『お相手』をするように命じたのだ。
そして、これまで彼がわたしに与えてきたすべてのものの意味がここに繋がっていた。
「君ほど美しい娘であれば、きっと殿下もご満足してくださるだろう」
それまでの幸福感は、呆気なくわたしのもとから去っていった。
残されたのはこれ以上ない絶望と喪失感。
わたしの周りに満ち足りていたものは、一瞬にして冷たい空虚なものとなってしまった。
そして、わたしを美しいと形容する彼の目を見てわたしはあぁ、悟る。
彼はわたしを道具としてしか見ていなかったのだと。
わたしを愛する気など、初めからなかったということを。
彼はただ、ずっとこの機会を伺っていたということを。
そして、これまでわたしが感じていた幸せはすべて、わたしが作り出した幻想だったということを。
わたしは抵抗することもできるはずもなく、ただ彼の言葉に「はい」と頷くことしか許されなかった。
「ほう、この娘が先日お前の自慢していた妻か」
「えぇ、彼女はこれまで見たどの娘よりも美しいので、私も自慢せずにはいられません」
旦那様に予告されたその日を迎えたわたしは、ただ従順にお客様の前で頭を垂れるしかなかった。
旦那様がどんな言葉を紡ごうが、もう気にすることもできなかった。
「これまで女の気一つなかったお前が自慢するほどだ。さぞかし『よい』娘なのであろうな」
「ええ、それはもう」
この日を迎えるまで、わたしは旦那様に徹底的な指導が施された。
どんな言葉で、どんな態度が男性を喜ばせるのか。
ただただ彼がわたしに教育を施した日々だった。
位の高い客人のおもてなしの道具として。
「……殿下、折角のご滞在です。妻も殿下とお会いできたことに感激し、是非とも自らもてなしたいと申しております。大変常識知らずなお願いではありますが、寛大な御心でお許しいただけますでしょうか?」
家族に売られた先で、更に旦那様にも売られるわたしはどれほど惨めなのか。
その意識を持つこともなく、わたしはただただ彼の言葉に淑々と頷くことしかできない。
ふと、視線を感じて下げていた頭を少しだけ上げ、相手のお顔を伺い見る。
そこには旦那様とは違った趣のある、美丈夫と形容できる青年が佇んでいた。
髪色も瞳の色も旦那様とは同じように見えるのに、所々が王族のカリスマ性を示すように輝いて見えた。
とても、不思議なお姿だった。
「…………ふむ、良いだろう。私もこれほど美しい娘に迎え入れてもらえるのは嬉しく思うぞ」
「寛大な御心に感謝いたします」
自分が夫によって殿下に売られるというこの状況に、わたしはもう虚無感しか感じなかった。
夫手ずから指導された愛想笑いを顔に貼り付けて、周囲の状況に従順にする態度を貫く。
相手の望むことに頷き、相手の意に沿うように行動する。
旦那様の妻としての教育は、ただの道具の手入れに過ぎなかったのだとこの数日で理解した。
「では不甲斐ない妻ですがお頼み申し上げます。私は、妻を立てるためにもここで失礼させていただきたく」
「あぁ、私のことは気にせずともよい」
旦那様がこの場を後にし、使用人を除けば次期国王候補の方と二人きりの場。
すでに歓待の仕込みは終えていて、あとは殿下の意を尊重しながらもわたしが歓迎の姿勢を保てばいい。
「それで、君は何という名だ?」
「……リナ、と申します」
「そうか」
このとき、わたしは久しぶりに自分の名を口にした。
いや、音で聞いたとも言う。
使用人たちからはすでに「奥様」と呼ばれ、旦那様から名前を呼ばれることはなくただ「君」と言われる。
……家族も、わたしの名を口にすることはなかった。
「ではリナ。ひとまず互いに腰を落ち着かせるためにも何か話をしよう」
「……は、はいっ……!」
その名を旦那様の上司に当たる御方に呼ばれるのは、何だかとてもこそばゆいような気がしてならない。
「リナの出身はどこだ?」
「アゥバームの方です」
「なるほど、あそこは寒冷の地だと聞く。冬はさぞかし辛いだろう」
「ええ。ですがその分夏は他の地域と違って涼しく過ごしやすい土地です。避暑地として観光客の方々もいらっしゃり大変賑わいております」
「ほう、それは良いことを聞いた。今度夏の間に一度は訪れてみるとしよう」
王太子殿下との会話は、不思議なほど落ち着いたものだった。それなのに内容は弾んでいて、殿下がとてもお話上手なのだと感じた。
話していくうちに、自分の口の開きが良くなっていく。使用人たちが用意してくれた紅茶の入ったカップはとっくに空になっていた。それなのに喉は潤っていてより滑舌になっていく。
口にする言葉には熱がこもり始め、彼に肯定されるたびに胸の高まりを感じた。
あぁそうだ、と。わたしはわたしを認めてくれる誰かを欲していたのだと。
わたしの言葉に頷き、同じ熱量で答えてくれる殿下が堪らなく愛しく感じるようになる。
殿下自身もまた、わたしという人間に理解を示そうとする態度を表してくれ、そこにわたしに対しての好意が滲んでいるように思えた。
思い上がり、そう分かっているはずなのに。
言葉を交わすたびに殿下との距離はどんどん縮まっていく。いつの間にか殿下に手を握られていて、それを嫌と感じない自分がいるのに気づく。
不思議だ。今日初めて会ったはずなのに、自分がこの御方に強く惹かれるのを感じる。
この人になら、何をされても受け入れられる気さえする。
そんなわたしの意識が伝わったのだろうか。
殿下は徐々にわたしに顔を近付けてこられて、そして甘い、けれどもどこか寂しさを感じる口づけを交わした。
そしてわたしはその寂しさのあまり、殿下にさらなる口づけを求めた。普段ならきっと恥ずかしさのあまり、もう一度、と思うこともないのに。
気がつけば周囲に使用人の一人もいなく、今は客室で二人きり。ただの置物となった空になったカップが、二つ並んでいるだけ。
殿下はわたしの要求に応えるように何度か口づけを繰り返してくれた。
そして、そうするうちに段々と頭に靄がかかっていきまともな判断もつかないまま、わたしと殿下の二人はその甘い雰囲気に自らのまれていくことになった。
それが、旦那様に促されたままの流れだったとしても。
「よくやった!」
数日殿下が屋敷に滞在され、無事お見送りが済んだとき突然旦那様が声を上げた。
どこか興奮混じりにわたしをお褒めになるその姿が、ぬるま湯に浸かりきっていたわたしの心を無理矢理にも現実に引き戻した。
「美しい娘だからとは思っていたが、あれほど殿下をご執心にさせるとは! これは期待以上だぞっ!!」
彼の異常な喜びが、却ってわたしをある種の不安に貶める。
王太子殿下の歓迎のため、彼の立場を思うがため。
彼の思惑の通りになってしまったという他に、それだけで終わることなのかという疑問が新たに生まれる。
彼は、この数日間のことを果たして高位な客人の『歓迎』だけで済ませるのだろうか。
その疑念が、次に生み出された彼の言葉によって確信へと変わる。
「このまま君が上手く殿下の御子を授かることができれば、我が家の立場は大きく躍進するぞ! 発言力は高まり、殿下の未だお決まりになられない婚約者候補共も黙らせることができる!!」
まるで冷水を頭から浴びせられたような感覚に陥る。
わたしはこれまでの自分の考えの浅さに目眩がしそうだった。
わたしは、彼が殿下のご機嫌伺いのためにわたしを利用しようとしていたのだと思っていた。
しかし、彼はそれ以上の計画を立てていた。
未だご婚約者がお決まりとなられない殿下の御子をわたしが孕むことによって、その影響力を利用しようと考えていたのだ。
ここ数日で、わたしと殿下はとても甘い生活を送った。
それだけで御子を授かれるとは思えないが、殿下がこの屋敷を訪れる以前にわたしは旦那様に『指導』を受けていた。
今、彼が考えていることが嫌でもわかる。
彼は、わたしが殿下の御子を産む母親になることを望んでいる。
そのためならば、確実に子が生まれるよう行動するはずだ。
つまり、──────。
「君も、次期陛下となられるあの御方の子を産めるのは本望だろう。その腹から生まれてくる子は、いずれは王族。いや、上手く事が進めば国王にさえなれるのだ」
「………………っ」
段々と詰め寄ってくる彼に、わたしは逃げることも許されずその腕に囲い込まれた。
「さぁ、殿下とは存分に愉しんだんだろう? 案ずるな。上手くいけば、また次の機会に恵まれ第二子、第三子と授かることだってできるかもしれない。そのためにも、確実に殿下との一人目の御子を産むのだ」
そうして、わたしはなす術なく彼の策略の道具としての日々を余儀なくされた。
家族に売られ、夫に利用され。
愛を得ることもできず、ただの使い潰しの道具として生きていく。
もし、彼の策略の何処かにほころびでもおきたなら、その時わたしは彼の手によって無惨にもこの命を奪われてしまうだろう。
せめてもの願いとしては、生まれてくる子がどうか殿下に似ている子であってほしいということ。夫ではなく殿下に。
けれど、髪色も瞳の色も似通っている旦那様と殿下の子であれば、その見分けがつくのはその子が大きく育ってからになるだろう。
できることなら、その見分けが最後までつかないことを今はただ、わたしは願うしかなかった。
最後までお付き合いくださりありがとうございます。
少しでも面白いと感じて下されば、ご気軽に評価コメントしていただけると嬉しいです。
ここからは言い訳とかなので無視してOKです。
今回バッドエンド作品を投稿しましたが、結末をしっかり書いたわけではありません。
少しでも主人公のリナが幸せになれる可能性を残したかったからです。
(いや、バッドエンドを書いた本人が言うなや)とも思いますが。
バッドエンドははっきりいうと嫌いじゃないんですが、好き嫌いが激しい方がいると思うので、なら少しでも可能性を残せば人によっては許せる……かも?と思った次第です。
(いや、どこまでも人任せか)とも思いますが。
もしこんな未来があってほしい、こうなるべきだ。いいやこうなって当然だ。と思われる方がいればご気軽にご意見ご感想等述べていただいて結構です。
(というかお願いしたい)
自分で書いといて誠に勝手なことではありますが、どうかよろしくお願いします。
(ようはバッドエンド書き慣れしてないんですよね。すみません)
バットとバッドを書き違えてました。ご迷惑をおかけした方本当にスミマセン!