第十話 猫
【第十話】
茶菓子も一緒に出された紅茶も、夢のようにおいしい。
少しずつ味わいながら、リリアベルはシャイロハーンと横に並んで話をしていた。
「実は、ブランカ公国へ到着したのは十日前なのだ」
「そんなに前からいらしたのですね。お忍びで?」
「ああ。大公との約束までは、一介の異国人として気軽に観光をさせてもらっていた。たまには息抜きが必要だからな」
「どちらへ行かれたのです? なにか素敵な場所はありましたか?」
意味ありげな視線が見つめてくる。
「都の東にあるブランカ修道院」
「そこは……」
リリアベルが聖女として教育を受けるため、十六歳まで育った場所だった。今でも三日に一度は足を運び、慈善活動に勤しんでいる。
(もしかしたら、そこでお会いしているのかもしれない)
そう思った心を読んだように、彼はひょうひょうと言ってのけた。
「君を見初めたのはそこだ。花壇に子供たちを集めて花植えを教えていた」
「あっあのとき?」
土にまみれて薄汚れていた自分の格好を見られていたと知って、恥ずかしい。
「いらっしゃったとは、全然気づきませんでした」
「いや。声をかけたいと思いながらも、子供たちに囲まれて楽しそうに笑う姿を邪魔できず、こっそりと立ち去ったのだ。我ながら、あのときは小心だった」
ふわっと立ち昇るオーラは気恥ずかしげな色。彼が心を開いて包み隠さず語ってくれているのがわかった。
リリアベルの心もほっこりする。
「修道院の中央の尖塔の上には可愛らしい天使の像が飾られているんです。ご覧になりましたか?」
「残念だが、見逃したようだ」
「あと、粉ひき小屋の近くに猫の親子が住んでいます。母猫が茶トラで、子猫が白黒のぶちの、とても可愛い子で」
「ああ、それは子猫のほうを見かけたぞ。足もとにすり寄ってきて、ほほえましく思った」
「わたくし猫が大好きなんです。陛下はお好きですか?」
「好きだ。帝国の私邸でも猫を飼っている。黒豹によく似た見目のとんでもなく大きいやつだ」
「まあ! それは是非拝見したいですわ」
盛り上がって思わず口走ったことだった。
しかし、シャイロハーンは真面目に受け取り、身を乗り出してくる。
「歓迎する。すぐにでも馬車を手配しよう」
「あ……でも、その……」
まさか遠回しに求婚を受け入れたと思われたのではないだろうか。しどろもどろになって視線をさまよわせる。
だが、狙った獲物は決して逃さないとばかり、猛禽のまなざしがリリアベルを絡めとる。
「こうして直接話してみて、やはり俺の直感は正しかったと確信した。知れば知るほど好きになる。君を連れて祖国へ帰りたい」
両手を優しく取られて、はっと正面を向く。
彼のまとう真摯なオーラに圧倒されて、脳髄が甘く痺れた。
(心の底から想ってくださる……、こんな方が、わたくしを)
「俺では嫌か?」
「そんな、とんでもない」
むしろ好ましいとさえ感じてしまう。
初対面にも近いのに。思慮深く慎重だった自分はどこへ行ってしまったのだろう。胸の奥からじわじわと湧きあがってくる摩訶不思議な熱……これは、恋なのか。
自分のオーラは見えないから、わからない。
だけど、代わりに彼が確信めいて告げてくる。
「俺にはわかる。近い将来、俺の隣に立っているのは君しかいないと。必ず受け入れてくれる」
迷いなどまるでないとばかりに、ぐいぐい引っ張ってくれる感じは、ひどく心地がいい。
彼のまっすぐな言葉は麻薬のようにリリアベルの心を溶かす。ぐずぐずと甘くとろけて、そのうち輪郭がなくなって――。
「妃はひとまず先でもいい。だが、婚約をしよう。それで、我が国へ遊学に来い。君も広い世界を見てみたいだろう?」
広い世界、それが決め手となった。
「はい、お願いします」
こうして、リリアベルの新たな婚約が成ったのだった。