幕引き
「__いいや、まだだ。まだ終わってねぇぞ、バケモンに手練れをぶつけたのは確かだが、此処に居るのはそれを凌ぐ精鋭だ。お前ら!!」
「はっ!」
追い込まれた男は、だがしかして諦めが悪いのか、それとも隠された手がまだあるのか、周囲の仲間に号令を掛ける。
その号令を受けた、六人の内四人が手を前に差し出したかと思えば、その背後で魔法陣が瞬時に描かれ、中心から様々なアンデットが召喚された。
筋肉の塊かのような人型に、狼や猪、熊と言った動物、果てにはワイバーンのような亜竜種までもが其処に居た。
「出し惜しみは無しだ、全力でぶつけろ!」
男の言葉を皮切りに、アンデットを召喚した一行の力んだ声が響く。
それを合図に、アンデット達は動きを見せ、イツキ達目掛けて突進をし、襲い掛かってきた。
だが、そんな状況でもグラニアとフェミリアの二人は身動き一つせず、その場に直立したまま、ポツリと言葉を溢した。
「滅せよ」
「塵と還せ」
それはとても澄んでおり、しかし地獄の底から聞こえるかのような、底冷えした声が辺りへと響いた瞬間、襲い掛かってきたアンデットの集団は、半分が燃え盛る業火に依って、もう半分は迸る雷撃に依って、その肉の一片すらも残さずに消え去った。
「……む…?」
一瞬と呼ぶにはあまりにも早すぎる殲滅に、何処となく憂いを帯びた目でアンデットを見た後に、周囲を見渡したフェミリアが不思議そうな声を上げた。
その声に反応して、同じように周囲を見渡したグラニアがポツリと溢した。
「逃げた…否、隠れたか」
周囲には先程まで囲んでいた筈の黒尽くめ一行が姿を晦ましており、気配すらも探れない状態となっていた。
その場に残された四人を、夜の静けさが包み込んだ。
ハハハ…! あんなものを相手取れるか、命が幾つあっても足りゃしねぇ…!
男は闇夜に紛れ込み、姿を晦ませてから、冷や汗を垂らしつつジッと様子を伺っていた。
本来であれば、あのアンデット達を目眩ましと陽動用として使い、自分達はさっさとトンズラをこく予定だった。
…だが、それもあのバケモン二匹に依って瓦解…部下も結構失ったな…魔導具もかなり割いたし、殆んどを破壊された…。
男は下手げに動けば感知され、潰されることを懸念してその場に留まる選択をし、冷静に状況を分析していた。
どのような状況に陥っても、冷静に判断を下し、状況を有利に進める。
それが優れたリーダーに問われる資質の一つだが、この男はそれをちゃんと有していた。
破壊された、ってーと、半分は壊したつってたな…。なら残りの半分はどうなった? 何故機能が感じられない…?
男は指を顎に当て、思考の海へと身を放る。
手には方位磁石の様な物が握られており、目線はジッとそれに落とされていた。
これは彼が撒いた魔法陣の機能を確認するための物であり、特定の魔力を帯びた微弱な波を放つことで、魔法陣が反応し、それを返す仕組みとなっている、所謂ソナーに似た役割と働きを持つ道具であった。
本来であれば、これに魔力を流せば魔法陣が反応を見せて、設置した数だけの光が淡く浮かび上がるのだが、一つたりとも光が灯らないのである。
原因として考えられるのはこれの故障か、魔法陣を全て壊し尽くされたか。
候補を二つ出してはいるが、前者は既に切り捨てており、実質の択は一つのみと言える。
前者を切り捨てた理由は簡単だ、先程部下達が魔法陣を展開した際に、チラリと確認をしてみた。
その際、しっかりと魔法陣の数だけ、光が淡く浮かび上がっていたのだ。
つまりこれは壊れていない。
ならば何だ? 何が要因で点灯しない…? 街の奴らの様子を見ても気付く様子も素振りも見せなかった。何かを見落としている…ならば何を……?
思考を始めてから一分か、はたまた五分か、どれだけ考えていたか分からないが、突如として右肩を叩かれる感触で意識は現実へと引き戻された。
「…今ならば逃げ出せます。如何様に」
振り返れば其処には己の部下が膝を付いて待機しており、命令を待っていた。
いつの間に近付いてきたのか、いや、それ以上に思考に浸り過ぎていたのかと自身の行動を思い返し、小さくため息をつく。
ここまで思考してしまうのも、思った以上にあのイツキとやらに感化されているのかもしれないな…なんて反省をしつつ、撤退の意を表す指示を部下へと送れば、待機していた部下はコクリと頷いて闇夜に紛れた。
「して、どうする。草の根でも掻き分けて探り出すか…?」
「いや、それには及ばねぇ。あいつら、既に詰んでるしな。俺等からは逃げられなんてしねぇから」
指示を出し終えた後、スッと視線を四人組へと移してみれば繰り広げている会話が耳に入った。
手に持った何かを確認しながら奴は言葉を交わしているが、ここからでは手元が上手く見えず、何を見ているか分からない。
だが、この瞬間は別に気にするほどでもないだろう。
言うじゃねぇか…けど悪いな、小僧。失ったもんはデカいが、生きて戻れりゃ俺の勝ちだ。ブツは手に入らなかったが、情報はある。俺等は見つかってもねぇし、後は逃げ果せるだけ。お前の負___
「ぐぁ!!」
「うぐっ!!」
暗がりの中でうっすらと笑みを浮かべ、視線の先に居たイツキを瞳に焼き付けてから背を向け、撤退をしようとした瞬間、辺りからドゴッ、と、何かを打ち付けられる音と苦悶の声が聞こえてきた。
「ちっ…!」
状況は把握出来ずとも、身の内から発せられる、五月蝿いくらいの警報に従い、瞬時に懐から煙玉と魔力感知を阻害する玉を取り出せば、それを地面へと振り下ろす。
辺りに黒い煙が舞い上がり、挙げ句に魔力感知も出来ない。
黒のローブに身を包んでいるので、簡単には見つかりはしない。
これで逃走し__。
ドスッ!!
何かがヒュッ、と空を切り裂く音が響くのとほぼ同時に地面を深く抉るような衝突音が走る。
そしてその音が聞こえたと認知した頃には、男は膝から崩れ落ち、歩くことが出来なかった。
「な、何だ…っ!?」
膝から崩れ落ちたからなのか、ジンジンとした痛みが足から伝わっており、視線を下へと下ろす。
果たしてその先にあった目に映る光景は、槍のような物に後ろから脹脛を貫かれている、己の足であった。
完全に地面へ縫い付けられており、動かすこともままならなく、ダラダラと鮮血が垂れ流している状態であり、完全に逃げることを防がれていた。
辺りを見渡してみれば、いつの間に集まってきたのか、広場をぐるりと囲むようにして街の者や冒険者達がそこに立っていた。
その中でも一歩前に出て立っている二人が、この集団を引き連れてきたのだと一目で男は見抜いた。
「…やれやれ、随分と総出で出迎えてくれるじゃねぇか。それに冒険者トップクラスのマレビトであるクリスに今代の勇者であるミレアか。錚々たる面子じゃないの、全く…こりゃ手に負えねぇな」
どうやら自身以外の、逃げるように指示を出した部下達も全員、冒険者によって身柄を拘束されているのを確認すれば、ズルリと脹脛を貫通している物から足を引き抜き、仰向けに寝転んでから観念したように両手を上げて降参の意を示した。
「全く、派手にやってくれたものだよ。お陰で街は結構な被害を被った。君達、その出で立ちと扱う武器を見るに【ベルセナ帝国】の人達だよね…?」
「へぇ、流石に世界を股に掛ける冒険者ともなれば知ってるか。それを差し引いても、マレビトなのによくこの世界を知ってやがる、勉強熱心なんだな」
「茶化さないでほしいな、僕は真面目に問い掛けてるんだ」
これ以上の抵抗は意味が無いものと分かっているが、流石に情報をペラペラと開示する気は無いのだろう。
男はクリスの問い掛けに対してもニヤニヤとした笑みを浮かべ、軽々しい態度を取っていた。
そんな態度に腹立つ部分があるのか、クリスにしては珍しく怒気の籠もった声で語り掛ける。
しかしそんなクリスの言葉にも特に動じる様子を見せることなく、男は周囲の住民や冒険者、そしてミレアと順々に見ていってから、最後にその場からいつの間にか去り、人目に付きにくい建物の屋根上に立つイツキを捉えた。
…全く、俺とした事が失念していたぜ。最大の見落としだ、弱いと見下して判断し、そう決定付けてしまったが故に負けたな。
男はジッとイツキを見据えたまま、考えた。
何故負けたか、何故作戦が漏れたのか、何故同じだと思ってしまったのか。
「ったく、やっぱ冒険者んとこのギルドに置かれてた鑑定の水晶、ぶっ壊れてたんじゃねぇのか? 何がこの世界の子供にすら負けるだ、最弱だ。笑わせやがる」
性格も、考え方も、何処となく自分と同じような感じがした。
だからこそ、このアンデット襲撃の裏にも気付かれたし、即座に対策案を立てられたと思った。
だが違った。
こいつは考えて、理解した上で、俺に似せてきただけだった。
つまりこいつはこいつでありながら、他の奴になって物事を考えていたということになる。
自分に似ている、いや…自分と同一の人物のようだと錯覚を覚えたのにも、この答えを出せば妙な納得が出来る。
物真似や猿真似なんてちゃちな言葉で収めれるほど甘くねぇな。只の人間が出来るような芸当を、その範疇を、優に越していやがる。しかも不自然が無いように、周りにそう認識させてやがる。異常が普通であると。
そこで更に、逃げる前にイツキとグラニアが交わしていた会話を思い出す。
『俺等からは逃げられなんてしねぇからな』
…成る程な、俺等、ってのはつまり自身を含めた四人じゃなく、この街の奴等全員って訳だ。
あまりにも為している事の大きさに小さく身震いを覚える。
畏怖すら抱く男の目には月を背に、顔に陰りを作ったイツキと、その両脇に覇を冠する二匹の魔と一体の妖精が映り込んでいた。
「傑物か、怪物か…どちらにせよ、バケモン共をただの人が御せる訳がねぇ。あれらを御してる時点で、既にただもんじゃ無くなってる…」
畏怖は徐々に消え去り、代わりに湧き上がってきたのは、もっとコイツの成す面白いことを見てみたいという羨望に近いものであった。
まるで面白いものを見つけた子供のように、憧れを目の前で見た男児のように、目をギラつかせ、男は顔を俯かせた後、三日月のように口を歪める。
「おめでとさん、オメェも晴れてバケモンの仲間入りだよ。ククッ…」
「おーい、聞こえてるかい? 今僕たちが質問してるんだけどー?」
独り言ちる男を前に、顔の前で手を振ってみたり、ペシペシと肩を叩いたり、果てにはビンタを一発食らわそうとしてクリスに止められるミレア。
もぅ…!だなんて腰に手を当て、膨れっ面を見せていれば、唐突に男が俯かせていた顔をバッ、と上げた。
「テメェの働きに敬意を評して餞別だ!! 帝国は近々大きな動きを見せようとしている、それに深く関わってるのはテメェんとこの嬢ちゃんだ!! 正確にはその種族だがな!! 後はテメェがどう動くか、向こうで見届けさせてもらおう。この俺を下したんだ、恥じる死に方すんじゃねぇぞ…?」
声高々に、まるで街中に響かせるかのような怒号で、一方的に告げる事を告げ終えた男は、ふぅ…と一息吐いた後、部下へと目配せをする。
その視線を受け取った部下達はコクリと小さく頷けば、口の中に仕込んでいたBB弾程もない小さな球状を噛み砕く。
「っ!! 皆、離れろ!!」
「ベルセナ帝国に栄誉あれ」
何かを察し、即座に黒尽くめの一行の身柄を抑えている冒険者に、クリスが離れる指示を出すのと、リーダー格の男が同じ丸薬を噛み潰すのはほぼ同じであった。
丸薬を噛み潰した黒尽くめの一行は瞬く間にその体が液状と化し、ジュワジュワと音を立てて溶けて蒸発していき、最後には服すら残さずその痕跡を跡形もなく消し去っていた。
「…クソッ、やられた」
「うん、見事に逃げられたね。死後の世界は流石に追い掛けることが出来ないや」
異臭が立ち込める広場で、その光景に呆気に取られていた街の人や冒険者は棒立ちで、その場に立ち尽くしていた。
そして、止めることも出来ずただ見ているしか出来なかったクリスとミレアは、完全に現象が収まってからポツリと悔しげに言葉を漏らした。
最後に残ったのは、全ての事がまるで最初から無かったかの様な、寒さすら覚える夜の静けさのみであった。