今宵も素敵な夢を
「ええと、え、エミリーさん。」
「は…はい。チェスター様、どうしてここへ?」
(チェスター様が自分の部屋の前にいる…?それもタキシードに花束を持って。イブリン様に会いに来る途中で立ち寄った?ルナ様に会いに来て部屋を間違えた?)
エミリーの頭の中で様々な考えがぐるぐると駆け巡った。
「ルナ様に会いにいらしたのでしたら、お部屋はこちらですよ?」
エミリーは廊下で自分が立っている場所のすぐ右側を指さした。
「ああ、そうだった、そうだった、ははは…。」
エミリーの前まで歩いて来るとチェスターは立ち止まり、大きく深呼吸した。
(ごまかすな、チェスター・モーガン。紳士なら真っ直ぐに恋と向き合うんだ。)
チェスターはオリヴァーの声が聞こえた気がして、自分自身にもそう言い聞かせた。
「その…、今日も綺麗だね、エミリー。」
「は、はい…?」
突然の話に2人の顔が紅潮する。
「その赤い髪の毛も、黒い瞳も、とても綺麗だと思うんだ…。その…ルビーの原石?みたいな?あ、磨かれてないって訳じゃなくて、これはその、ルナが言ってた受け売りっていうか…。」
「は、はぁ…ありがとうございます。」
「だから、その…僕がここに来たのは、ルナとかイブリン様じゃなくてさ、君に会いに来たんだ。」
「えっ?」
「今晩、一緒にディナーでもどうかな…?もしOKなら、この花束を受け取ってくれないかい?」
チェスターはグッと目を閉じて下を向きながら、すっと花束をエミリーの前に突き出した。
「は、はい。喜んで…。」
エミリーは驚いた表情のまま、顔を真っ赤にして花束を受け取った。チェスターは目を輝かせながら、ありがとう、ありがとう!と2回言った。
「でも私、服をあまり持っていないんです…。」
「大丈夫、先にうちに寄って行かないか?僕の妹のドレスを借りたらいいよ!」
チェスターはエミリーの手を取ると、軽い足取りで寄宿舎を後にした。
***
イブリンは昼からずっとそわそわしながらチェスターが屋敷を訪れるのを今か今かと待っていた。チェスターを庭園で遠目に見かけたあと、侍女に言い聞かせて急いで準備をさせ、グリフィス家が所有する最も高価な真紅のドレスに真珠のネックレスを身に着けると、化粧をばっちりと決めてスタンバイ完了していたのだった。景気づけに赤ワインをグラスに注ぎ、一口、口に含んだ。
「チェスター様、一体何をしているのかしら。遅いわね。」
イブリンは自分の部屋から屋敷の庭園を覗くと、信じられないものを目にした。
それはチェスターと使用人のエミリーを乗せた白馬が、まさに庭園の門を後にする場面だった。エミリーはしっかりと後ろからチェスターの腰に手を回して抱きついていた。
イブリンは侍女の前で、無言で震えたかと思うと、手にしていたワイングラスを床に投げつけ叩き割り、部屋のドアを蹴破ってグリフィス家当主の部屋へと向かった。イブリンの侍女は返り血を浴びたかのように、赤ワインの飛沫を下半身に浴びて立ち尽くしていた。
***
ルナは、昔グリーン家の令嬢時代に着ていたドレスに着替えたまま、部屋でベッドの上に仰向けに寝転がり、天井を見つめていた。時計の針は夜7時を回っていた。エミリーとの会話のあと、バルコニーにハンカチを結んだのは結局夕方4時を過ぎてからだった。
(私が決断するのに時間がかかっていたからだわ…。オリヴァーはきっとハンカチを結んでいなかったのを見て、がっかりして帰ってしまったのね。)
ルナは、オリヴァーとの不思議な出会いを振り返っていた。手紙を受け取ってから川に行ってオリヴァーを釣り上げたこと。肩を貸して寄宿舎まで歩いたこと。すぐに寝てしまったこと。朝ごはんを用意してくれたこと。ハイヒールをキツネから取り戻してくれたこと。ハドソン様との口論。そして朝のバラと手紙。
(全部、夢だったのかしら。もう会うことはないのかしら…。)
「ドンドンドン!」
ルナの部屋のドアを強く叩く音があり、心臓が飛び跳ねた。急いで開けてみると、慌てた様子の使用人仲間たちが集まっていた。
「みんな集まってどうかしたの…?」
「その、も、物凄いお金持ちが庭園の門の外に…。ルナ様を迎えに来たと…。」
ルナが寄宿舎の外へ駆けていくと、格子状の門の外に50メートルはあろうかという馬車の隊列が、屋敷の敷地を囲むようにして整然と並んでいた。門の横にある出入口からルナが外に出ると、その隊列の中心、門の正面に白く美しいカボチャの形状をした屋根付きの馬車が見えた。ところどころ見覚えのある金の装飾が施されていて、屋根の上には黄金の王冠があしらわれていた。そこからダークブルーのタキシードに身を包んだ、1人の紳士が軽やかに舞い降りると、ルナに近づき、手を取ると言った。
「ルナ、遅れてしまって申し訳ありません。少し手の込んだことをやろうとして時間がかかってしまいました。今晩、私とディナーをご一緒していただけますか?」
「…はい、喜んで。」
ルナは心臓が脈打ち顔に血が昇っていくのを感じていた。この素敵な夢がずっとこれからも続きますように…心からそう思った。