最後に幸せな夢を
いつもお読みいただきありがとうございます。最終回となりました。最後までお付き合いいただけると幸いです!
※9/12に一部誤字など修正しました。
※誤字報告いただきありがとうございます。9/13に修正いたしました。
エミリーは、ルナと一緒にバーモントヒルズで最も高級なブティックから出ると、別人のようになっていた。乱切りだった赤い髪の毛は綺麗にカットし直され、ハーフアップのパーティ仕様に整えられていた。ところどころラメの光るエレガントなピンクのワンピースのドレスで着飾り、メイクをばっちりきめて、足には慣れないハイヒールを履いていた。
(舞台に出てくる女優を見ているみたいだ。)
外で花束を持って立っていたチェスターはエミリーの普段と見違えるほど美しい姿に驚いた。そしてこれまでの人生で経験したことのないような緊張した様子で大きく深呼吸すると、エミリーに話しかけた。
「その…、今日は綺麗だね、エミリー。いや、今日も綺麗だよ…。」
「は、はい…?」
2人の顔が紅潮する。エミリーがドギマギして後ろを振り返ったが、そこにルナの姿はなかった。
「今晩、一緒にディナーでもどうかな…?もしOKなら、この花束を受け取ってくれないかい?」
チェスターはグッと目を閉じて下を向きながら、すっと花束をエミリーの前に突き出した。
「は、はい。喜んで…。」
エミリーは顔を真っ赤にして花束を受け取った。チェスターは目を輝かせながら、ありがとう、ありがとう!と2回言った。チェスターはエミリーの手を取ると、馬車に乗り込んでレストランへと向かった。その後ろを、別の馬車に乗ったオリヴァーとルナがこっそりと追いかけていった。
エミリーとチェスターを乗せた馬車は、街の中心地にほど近い、川沿いのしゃれたレストランに到着した。川沿いの席が2人のために貸し切られており、川面に街灯の光が反射してキラキラと輝いていた。そう、ここは前の世界で同じ日にオリヴァーとルナがディナーをしたレストランだった。
「夢みたいですわ…チェスター様。」
「僕もこんなところでエミリーと一緒に食事ができるなんて、夢みたいだ。」
店内には、エミリーから見えない角度でオリヴァーとルナが座っていた。チェスターとエミリーがうまくやっている様子を微笑ましく眺めていた。
やがて、ピアノとヴァイオリン、チェロを含む10数名の楽器隊の生演奏と共に料理とシャンパンが運ばれてきた。
「チェスター様の家は大家族で、とても楽しそうですね。」
「弟や妹達はね、とても可愛いよ!ただ、モーガン家を僕が継いで全員の面倒を見て行かないといけないと思うと、大変なこともあるんだ。自分勝手に進路は選べないし、親父とおふくろはずっとモーガン家の発展だけを願ってきたような人たちだからね。エミリーの家族は何をしてるんだ?」
エミリーは笑顔で言った。
「私は10歳くらいの頃に奉公に出されて…それから両親には会っていないんです。兄弟もいなくて。」
「そうか……聞いてしまって申し訳なかったな。」
「でもいいんです。ルナみたいな友達もできたし。グリフィス家の…あそこの仲間たちも家族のようなものでしたし。今日、解雇されちゃいましたけど…。」
その後もたわいもない会話が続いた。身分差による普段の生活の差のためか話が嚙み合わないこともあったが、2人の間には笑顔が絶えなかった。エミリーにとって、これほど幸せな時間は生まれてから初めてだった。時間は瞬く間に過ぎていき、時計の針は夜12時を回ろうとしていた。
その時カラン、と音がしてエミリーの手からフォークが滑り落ちた。エミリーが拾おうとすると、チェスターもすっと立ち上がり、エミリーがフォークを取ろうと伸ばしたその手を取った。チェスターの手は乗馬を長くしているからか、皮が厚くがっちりとして温かかった。
「…レ、レディが席を立ったら紳士も立つのがルールらしいから、な。」
チェスターが言い終わるやいなや、川岸の向こう側から打ち上げ花火が上がった。ルナとオリヴァーが12時ちょうどに2人の夜をロマンチックなものにするために演出として仕込んでいたものだった。花火に呼応するかのように、時計台の鐘が鳴った。「もう十分ね。」エミリーとチェスターがいい雰囲気で過ごしているのを見届けると、ルナはオリヴァーと店を後にした。
「綺麗…ですね。」
「ああ、綺麗だ。」
チェスターは横目でエミリーを見ながら言った。エミリーは、視線を感じてそっとチェスターの肘の裾を掴んだ。
「何をお考えですかチェスター様?」
チェスターはエミリーに言われて、顔を赤らめると慌てて目を花火の方に向けた。
「…公爵だとかなんとかって、どれだけ退屈な生活なんだろう、て考えてたんだ。やれ舞踏会だ、パーティだって。今この瞬間に比べたら、なんの価値があるのかって。」
チェスターはエミリーの方に向き直って言った。
「僕のそんな生活を、変えてくれないか?…エミリーにしか、できない気がするんだ。」
エミリーは自分の心臓の音が聞こえるくらい大きくなっている気がした。
2人の顔は近づき、チェスターとエミリーの唇はすぐそばにあった。エミリーは受け入れる心の準備をしたが、チェスターはキスしてこなかった。代わりに、エミリーの手をギュッと握った。
「それって…、つまりどういうこと…ですか?」
エミリーは震えた声で尋ねた。
「うちの…モーガン家の使用人になってくれないか?」
「……え?」
エミリーはチェスターの手を振りほどくと、2歩下がった。
「あ、あの…私、なんて言っていいのか…。」
エミリーの目からブワッと涙が溢れ出した。それを隠すように左手をかざすと、次の瞬間エミリーは振り向き、夜の闇の中へ走り出していた。
***
翌朝、パチン!と頬を叩く音がチェスターの部屋の中に響いた。
「サイテー!なんでそんなことを言ったのよ!本当にひどい…。」
ルナは怒っていた。まさかあの後レストランでそのような展開になっているとは思いもしなかった。ルナとオリヴァーは花火を見届けてからモーガン家のゲストルームに戻った。その後チェスターは走っていったエミリーを追いかけたものの、結局見失ってしまったらしい。明け方まで探したが見つからず、屋敷に戻ってきたのだった。そして、帰ってきた時に家から知らされたのは、イブリンとの結婚披露パーティーが、本日午後4時に決まったとのことだった。
(何よ…結局何も変わらなかったの?前回と同じ流れだと言うの…?)
チェスターはうな垂れていた。エミリーにモーガン家の使用人になってもらうということは、チェスターなりに、家を守りつつ、自分の好きな人も守るために出した答えだった。しかし、それが恋心を抱くエミリーに受け入れてもらえるはずはなかった。
ルナは小声で言った。
「オリヴァー、お願い、チェスターをどうにかして。」
「任せてください、ルナ。やれるだけのことはやってみましょう。」
「私は、エミリーを探しにいくわ。」
ルナは荷物をまとめ、エミリーを探しに外へ行こうとした。その時、違和感に気づいた。グリフィス家から出る時にバッグに入れていたはずのエヴァ・グリーンの本が見当たらなかった。ルナは過去へ手紙を送る儀式を覚えていなかったので、本がなければ二度と過去に遡ることはできなかった。急いで記憶を辿る…。昨日は肌身離さず持ち歩いていたはず。とにかくエミリーを探すためにも、本を探すためにも、ルナは川沿いのレストランの方向へと急ぎ向かった。
***
「チェスター、私はもうすぐ消える身。あなたに全てをお話ししましょう。」
「…全てを…?」
「私が100年前からここにやってきた目的です。」
徹夜明けのチェスターは、ゆっくりと顔を上げオリヴァーの目を見据えた。
「私は、モーガン家の滅亡を防ぐためにやってきました。あなたがイブリンと結婚すると、モーガン家は滅亡します。」
「…。」
「昨日一緒にエミリーとのデートのプランを練りましたね。それも全ては目的のためです。」
チェスターは、くっ、と笑って言った。
「はは、こりゃいいや。純粋に友人のことを想ってしてくれていると思った僕が馬鹿だった。」
「あなたのことは友人と思っています。あなたが考えぬいた上で、エミリーを忘れイブリンと結婚するというのであれば、私はあなたの友人として否定しません。チェスター・モーガン。全てはあなた次第です。」
「親父より、昨日会ったよく分からない友人を信じろってか…。」
「私を信じるのではありません。あなた自身の心を信じて従ってください。私からは、それだけです。」
オリヴァーの姿の奥は薄っすらと透けて見え始めていた。それは、彼が間もなくこの世界から消えてしまうことを示唆していた。
***
エミリーはボロボロになりながら、浜辺に1人で座っていた。レストランから出たあと、ハイヒールはすぐに脱げて足の皮は破れ、涙で化粧は落ち、ドレスはよれてしまっていた。昨晩は結局一睡もできず、ぼーっとしながら月光による海のきらめきや、遠くを通る船たちを一晩中見ていた。
そろそろ使用人仲間はお仕事をしているわね…と思いながらエミリーはこの日もあてもなく同様に過ごしていた。
やがて午後3時を回ったところで、背後からエミリーへと近づく一つの黒い影があった。
エミリーは昨日起きたこと、チェスターと話した内容を反芻していた。
(とてもいい雰囲気だった。凄く素敵なレストランで、お料理も美味しくて、チェスター様も優しかった。)
エミリーは気づいていた。所詮身分の違う恋だったのだ。一介の使用人ごときがモーガン家の跡取りと幸せな結末を迎えるなど、あるはずがなかったのだ。昨日あったことは全て、夢だったのだ…。
「ハッピーエンドのない恋なんて、しない方がよかった…。」
その時、黒い影がエミリーの背後から近づき、グッと腕を握った。
「キャッ!」
「…いつか誰かが言っていたの。恋とはするものではなく、落ちるものだって。」
エミリーが後ろを振り返ると、そこには笑顔のルナがいた。
「ルナ!」
エミリーはルナの胸に飛び込んで顔をうずめると、心の中の何かが決壊し、たまらず泣き始めた。ルナはエミリーの頭を撫でながら、言った。
「私の大切な人はすでに消えてしまって、大事な本も無くしてしまって…もう戻らなくなってしまった。でもあなたの大切な人はまだこの世界にいる。手遅れになって後悔する前に…急ぎましょう!」
***
グリフィス家の屋敷で開催されるチェスターとイブリンとの結婚披露パーティー会場では、壁に沿って色とりどりの料理が並べられていた。装飾が施された木の台座の上に1メートルはあろうかといういくつもの大きな花瓶が鎮座し、多くの花が飾られていた。前回同様モーガン、グリフィス両家のみならず名だたる名家から関係者が一堂に会していた。
入り口は招待状がなく入れなかったため、ルナとエミリーは地下の裏口からこっそりと入っていった。パーティ会場で怪しまれないよう、化粧を直し、しっかりハイヒールも履いた。ルナとエミリーを知る人間は多いため、扇子で顔を隠しながら、屋敷の1階に入っていった。
会場のあちこちで挨拶の話し声が聞こえ、しばらくしてから、パーティ会場の中心、一段上がったところにチェスターが立つと、皆の注目を集めた。大きな歓声と共に、イブリンが歩いて壇上に上がり、得意げな表情でチェスターの横に並んだ。
次第に話し声が静まっていったところで、チェスターが口を開いた。
「どうぞ皆さま、グラスを肩の高さまで…。皆さまの前で、生涯に渡り、彼女を幸せにすることを誓います。私チェスター・モーガンの夫人となる……」
その時バタン、とドアの開く音が聞こえ、人影が会場に飛び込んできた。
「チェスター様!」
「…エミリー!」
会場に駆け込んできたエミリーとチェスターの目が合った瞬間、お互いはお互いの名前を叫んで走り出していた。チェスターは壇上から駆け降りて、エミリーと会場の広間で抱き合った。会場がざわつく中、イブリンは泡を吹いて壇上で崩れ落ちた。
その時、パーティ会場に似つかわしくない金色のバッジを付けた女性の黒服が、会場に入って来て言った。
「グリーン家の資産は、全て正当な後継者ルナ・グリーンが相続することになりました。グリフィス家の資産状況から一部支払い不能とのことで、この屋敷は差し押さえとなりました。この場は解散をお願いいたします。」
その女性の黒服は、オリヴァーがこの世界から消える前に頼んでモーガン家が手配した凄腕の弁護士だった。
あわてたグリフィス家の当主が口を開いた。
「ルナ・グリーンは私の養子だぞ!資産はグリフィス家に残るはずだ!」
「いえ、昨日の朝、娘のイブリン氏がルナ・グリーンをグリフィス家より法的に追放しております。そのためあなたの養子からも外れています。」
グリフィス家当主は目を白黒させると、その場でへなへなと倒れ込んだ。
続けて、大柄で制服に身を包んだ男が、手帳を見せながら会場に入ってくると言った。
「イブリン・グリフィス、殺人未遂の疑いで通報があった。警察署まで説明に来てもらおう。」
男は壇上に上がると、力なく座ったイブリンを引きずるように引っ張りだしていった。ハドソン・ブラウンが、イブリンの話を聞いた後に嫌な予感がして警察に知らせたのであった。ブラウン家は、何か事件が起こる度にそれとなく関連を示唆していたが、それはあくまで周囲に恐怖を植え付けるためのただのフリだった。借金の取り立てはしていたが、実は根の優しい一家だった。
***
ルナは、抱き合っていつまでも幸せそうにお互いを見つめ合っているチェスターとエミリーを見届けると、胸がいっぱいになった。グリーン家の遺産の話は寝耳に水だったが、それはルナにとって些細なことだった。
(オリヴァー、やったわ。私たちの勝ちよ。)
そう思ったとたん、急に緊張が解け、やがてルナは寂しい気持ちになった。オリヴァーはもうこの世界にいない。作戦の成功の喜びを分かち合うこともできない。
(私は独りぼっちになってしまった。)
ルナは、とぼとぼと俯きながら、歩いて屋敷の扉を開けて外に出た。
「ルナ。」
そこには、黒のタキシードに身を包んだオリヴァーが、花束を持って立っていた。見覚えのあるアッシュグレーの髪が風にたなびくなか、緑の瞳がしっかりとルナを見据えていた。
「オリヴァー…!」
ルナは驚いて口に両手を当てた。
「また100年前から貴方の曾祖母の力によって戻ってきました。今度は2度と過去に戻らない代わりに、3日の制限もなく。」
オリヴァーは片膝を付いて花束を置くと、小さな箱を両手で開けた。そこには、真紅の宝石とその周囲にダイヤモンドのあしらわれた指輪があった。かつてチェスターがルビーと勘違いしたその宝石は、レッドダイヤモンドだった。その石言葉は、「不滅の愛」――。
「決して醒めない夢にすると約束したでしょう、ルナ。」
二人が月光の下で抱きしめ合うと、時計台の鐘の声が庭園に響き渡った。長く幸せな夜は、そうして更けていった。
<おわり>
いつもお読みいただきありがとうございます…!ついに最終回となりました。あまり深く考えもせず、なんとなくスタートしたお話でしたが、温かい皆さまに勇気づけられながら、ここまでやってこれました。もしよろしければで結構ですので、評価やブックマークで応援していただけましたら、とても嬉しく思います。
お忙しい中、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!